第6話 小さな人形
しばらくしてミカエラは貴族との婚姻を早々と決めて、その男のもとへ嫁いでいった。
最後は二人を抱きしめて嘘っぽい涙を見せていたが、シュウとユイナは氷のような視線を代わりに送っている。
母親と雰囲気だけ似ているこの女は、その温もりをほとんど知らない二人に、辛い記憶を残しているとも知らずに去っていった。
こうして二人は七年ぶりに城へと戻ってきたが、与えられたのは城内ではなく、城から少し離れたところにある薄気味悪い塔の一室であった。
「私は城に住んでいた記憶がほとんどないけれど、とても薄気味悪いところなのね。兄様」
シュウは思わず吹き出してしまった。
小さな窓が一つだけあり、石が張り巡らされた、どう見ても牢獄にしか見えないこの部屋をそんな風に思う感性が。
単なるお嬢様育ちなのかもしれないが、年子で一歳しか違わないこの世間知らずの妹のことを、シュウは兄妹というよりは同志に近いと思っている。
どんなに辛い状況であっても、物怖じしない彼女の性格は時にシュウに気力を与えてくれる存在だ。
「だったらここが皇帝の執務室だと想像してみたら」
「何を言っているの?」
「そうだな、たとえばこの古ぼけた机。この上で国の政に関する重要な案件を決めていると想像するのさ」
シュウは笑って手を机の上に置き、何か書いている振りをしてみせた。
「そんなの虚しいだけじゃない」
「違うよ。自分を奮い立たせるためだよ」
冷淡な笑みを浮かべてユイナにそう言い放った。
シュウは食事として提供されたものを、ようやく手が届く窓辺において、鳥に一度食べさせてから食べるようにしている。
今のところ毒を盛られた形跡はないため、アイリックが言ったようにユイナを殺そうとは思っていないらしい。
「毎日毎日少ないパンとスープばっかり。甘いお菓子でも出してくれるようにするにはどうしたらいいかしら?」
「それでも食べた方がいいよ。いざという時のためにね」
夜になっても、シュウはずっと眠れない日々が続いている。
それは、けして空腹だからではない。
アイリックはどんな手を使って自分を殺しに来るのだろうか。
母のように産後の肥立ちが悪いとはいかないはずだ。
とてつもない死の恐怖と闘いながら、シュウは天井を見つめた。
「ダリルモア……」
父、ヒュウシャーの命を奪い、皇位継承に必要な指輪を奪った男。
皇帝の嫡子でありながら、牢獄に入っているのも、満足に食事すら採ることができないのも、すべて大陸一の剣士だというこの男の振る舞いによるものだ。
「悔しい……悔しい……、負けたくない」
彼から指輪を奪い返すまでは絶対アイリックなんかに殺されていられない。
手を天井の方に向け、ただ彼の息の根を止める事だけを考えた。
シュウの中の燃えさかる火は日を追うごとにどんどん大きくなっていく。
ふと挙げた手を右に振った時、窓辺の石がボロッと一枚崩れてきた。
さらに右に振ると次は数枚の石が崩れる。
振動により、横で寝ているユイナがうーんと言って寝返りをうち、シュウは自らの手を見つめて笑い出した。
「ハハハ、なあんだ。案外簡単なことじゃないか!」
その時、五人の男たちが牢獄入ってきて、一緒に寝ている二人を取り囲む。
「どっちが娘だ?」
窓からぼんやりと照らされる月の明かりだけでは、どちらがユイナかわからなかった。
男たちは顔も髪色も似ている二人の区別がつかないのだ。
「触ればいいだろ」
そう笑いながら、男の一人が二人に近寄った時、シュウは寝ていたベッドの上にスッと立ち上がり、冷たい表情で男たちを見つめていた。
「そっちは息子の方だ!」
別の一人が寝ているユイナを抱えて牢獄から連れて行ってしまった。
ユイナはようやく状況が理解できたようで、泣き叫びながらシュウの名を呼んでいるが、次第に声が遠ざかって小さくなっていく。
「相手は子どもだ。早く殺ってしまおう」
残された四人の男たちはベッドに立ち上がっているシュウを囲み、じわりと詰め寄る。
その時、シュウの短い金髪が怒りで逆立ち、眼がじわじわと赤くなっていった。
牢獄内にガタガタと音が鳴り響きだし、窓辺の石が徐々に剥がれ落ち、そして牢獄内の石が絶えず落ちはじめかと思うと、それらは突然宙に舞いだした。
やがてシュウを取り巻くつむじ風が徐々に発生し、宙に舞っている石を取り込んでいく。
風に巻かれた石はシュウを取り囲む男たちに容赦なく襲い掛かる。
石はドスッ、ドスッと鈍い音を立てて、男たちの体中いたるところに当たり、四人の男たちは瞬く間に倒れて動かなくなった。
風が収まったかと思うと、シュウはベッドから飛び降り、牢獄から連れ出されたユイナを探しに走った。
「兄様助けて!」
男に担がれたユイナは必至でシュウを呼んでいるが、塔には他に誰もおらず、ユイナの声が虚しくこだまする。
激しく抵抗し暴れたため、男は思わずユイナを落としてしまった。
冷たい石の床にお尻をぶつけ、激しい痛みが足先まで響く。
ユイナは目の前にいる男の顔を見ると、今まで生きてきて見たことがない程、気持ちの悪い男だった。
男は座り込んで動けなくなったユイナの足を触っている。
体中の血液が抜き取られたかのような絶望感。
その時、ユイナはようやく自らが置かれている状況を悟ったのだ。
自分は何のちからもない小さな人形だ。
大人の手の平で転がされているおもちゃに過ぎない。
シュウはすべてを理解していた。ここは牢獄で自分たちに未来はないことを。
明日を生きられるかどうかさえ、大人の判断に委ねられているのだ。
目の前の気持ち悪い男に捕まったら、自分は確実にボロボロの人形にされてしまう。
男が足に触れながら近づいてきたため、恐怖で身動きが取れなくなったその瞬間、男はユイナの前で倒れ、そのまま動かなくなった。
彼女が見上げると表情ひとつ変えないシュウが立っている。
彼の切れ長の目からは、まるで何も見ていないかのような冷たい視線が感じられ、ユイナでさえ背筋が凍るほどだった。
「兄様……」
ユイナは立ち上がり、シュウの手をしっかりと握りしめた。すると、シュウはハッと我に返った。
「ユイナ、ここから逃げるぞ!」
二人は手を取り合い、塔から走り出した。
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