第5話 遺児
「仰っていることがまったく理解できませんわ」
ミカエラは出されたお茶に手もつけず、アイリックをきっと睨んだ。
一方、アイリックはお茶を啜りながら、豪華な刺繍の入った履物を履いた足を組みミカエラの話をただじっと黙って聞いている。
「シュウから皇位継承権を剥奪するなんて、決してあってはならないことです。
ダリルモアに奪われた指輪を取り返し、シュウが幼くして皇帝の座に就く。
それだけのことじゃありませんか? 彼はヒュウシャーの息子ですよ」
ミカエラは言いたいことすべて伝え終え満足したのか、お茶に手を伸ばして飲みはじめた。彼女の細い手はグラスを持ちながら、目はアイリックを見つめ、彼の出方を探っている。
「そんな簡単なことじゃないのですよ。ミカエラ嬢。
理由はふたつ。まずひとつが我々はヒュウシャー亡き後七年間、ダリルモアの行方をまだ突き止められていないこと。
従ってカルオロンでは皇帝不在が七年も続いている。これは国家の危機ですぞ」
アイリックは飲み終わったグラスをテーブルの上に置き、次は自慢の口髭を触っていた。
「もうひとつは?」
「実はヒュウシャーは欲望のため禁忌に手を出した可能性があるのです」
「なんですって!」
「この事実が明るみに出れば、シュウ自身失脚されられることだって十分考えられる」
ミカエラはヒュウシャーが頭脳明晰な優れた皇帝だと思っていた。その息子であるシュウもその遺伝子を確実に受け継いでいる。ヒュウシャーがそんな愚行を企てるだろうか。
そもそもミカエラはこのアイリックという男を信用していない。
ヒュウシャーの遠縁にして側近であるこの男がヒュウシャー亡き後、国の政務を行うようになってから国力は落ち、今や国中、失業者が溢れている。
それなのに当の本人は、時代遅れの豪華絢爛な履物を愛おしそうに眺めながら口髭を触っている。
「だからってあの二人を再びこの城に呼び戻すなんて……」
「兄様! 私たち城に戻るの?」
「静かに! ユイナ声を出さないで」
ミカエラの目を盗み、先に貴賓室に設けられている衣裳部屋に潜んでいたシュウとユイナは、衣裳部屋の中でミカエラとアイリックの話を聞いていた。
衣裳部屋は子ども二人が身体を寄せ合ってちょうど入れる位の大きさで、シュウは衣裳部屋にある小さな鍵穴から覗き込んでいる。
「ヒュウシャーが暗殺され、後を追うように姉が亡くなった後、母親代わりに私の屋敷でずっと二人の面倒を見てきましたわ。私だって可愛い二人と離れたくありませんもの」
ミカエラは姉がユイナを産んだ後、急逝したのはアイリックが深く関わっているのではないかと疑っている。
皇帝の后にして、容姿端麗で非の打ち所がない姉は、城で絶大な影響力を持っていた。その姉を葬ることでアイリックが現在の地位を得たと思っているのだ。そんな姉の遺言でミカエラは二人を引き取った。
アイリックは相変わらず口髭を触っていたが、薄ら笑いを浮かべながらミカエラに尋ねた。
「それは本心ですか? ミカエラ嬢」
姉ほど目鼻立ちこそ整っていないが、彼女の輝くような金髪と、鋭い切れ長の目は姉だけでなくシュウやユイナともよく似ている。
ミカエラはその鋭い目をアイリックへと向けた。
「いきなり何ですか?」
「あなただって年頃の女性だ。意中の殿方の一人や二人いたっておかしくない。そうじゃありませんか? シュウとユイナがいれば、その殿方と一緒になる事なんて出来ませんよ」
ミカエラはこの男のこういう所に虫唾が走る。たしかに将来を誓った相手が存在し、その彼との婚約がシュウとユイナの件で延期されていることも事実だ。
ダリルモアに奪われた指輪を取り返すのに、こんなにも時を費やすことは見込み違いだった。
そんな事情を知った上でこの男はあえて言っているのだ。
「……否定できないようですな」
シュウの皇位継承権を剥奪するというのはミカエラにとっては想定外の出来事だ。
元々彼が皇帝となる将来を見越して二人を引き取った思惑もある。
それが現実とならないならば、身の振り方も考えなければならない。
この国は非常に不安定で、女が一人で生きていくことさえ難しくなってきている。ならばいっそ経済力もある貴族との婚約を進めた方が賢明かもしれない。
「あの二人の身の安全は保障してくださるのかしら?」
「もちろんお約束します。奪われた指輪を取り返した際には、彼に皇位継承権を付与しましょう」
ミカエラが貴賓室を後にし、お茶を片付けにきた執事らしくない男に、アイリックは口髭を触りながら指示を出した。
「姉と違って見掛け倒しな女だな。ユイナはどうかわからないが、利用価値はあるかもしれない。
シュウの方はわかっているな?
善悪の判断がつく前にだ……」
ユイナが大きな声を出しそうになったので、シュウは必至でユイナの口を塞いだ。
今、出て行っても執事らしくない男に殺されるだけだからだ。
ユイナはシュウが力強く口を塞ぐので苦しくて、肩がぶるぶると震えている。
シュウは鍵穴から相変わらず冷たい目でアイリックを見ながら、自分の中に、黒い感情がふつふつと湧き上がるのを感じた。
どす黒い何かが、心の中にひっそりと生まれた瞬間、その眼は徐々に赤く染まっていった。
そうそれはまるで彼の中の蠟燭に火が灯され燃えさかるように。
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