第4話 薬屋の女主人

 セラはたった一人仕事部屋で薬草をすりつぶしていた。


 今日来たお客は胃腸の調子が悪いらしく、コチョウナメグサの葉を提供したが、合わないからと明日また来るかもしれない。もう一つの候補であるウイジリは皮が固く、すりつぶすのに手間を要するため、こうして深夜にもかかわらず作業しているのだ。

 夜な夜なこうして自由に薬草と向き合っていられるのも、誰にも気兼ねなくのんびりできるのも手に職あってのこと。

 セラは窓から月夜を眺めて、また乳鉢でゴリゴリと薬草をすりつぶしていた。


 そんな時、何やら裏口の方で物音が聞こえたような気がした。

 こういう事があると一人きりで住んでいることを後悔したくもなると思いながら、乳鉢を置き裏口の方へと向かい、戸に耳をあて外の様子を伺うが、気になる音はしない。

 ほっと胸を撫でおろし戻ろうとした時、「ぷー、ばー」と外から誰かの声がする。


 驚いて裏口の戸を開けると、そこには倒れているダリルモアの姿があった。

 遠くの木に乗っていた馬が繋がれていたため、そこから歩いてきて倒れたのだろう。

 しかし何よりも驚いたのは彼が赤子をおんぶしていることだ。

 赤子は背中の上で身動きが取れずジタバタしている。

 セラは急いでその赤子を彼の背中から降ろし、ダリルモアの様子を確認すると、意識はなく高熱に浮かされ、失った右腕に巻かれた布から血が滲んでいた。


「ダリルモア、右腕どうしたの! その子は?」

 急いで赤子を家の中に連れていき、積んできた薬草を一時的に保管する籠のなかに赤子を入れた。

「お願い! お利口さんだから少しだけここで待っていてね」


 寝室から大きな薄い布を取り出し、裏口で倒れているダリルモアの元へ向かい、布を彼の横に敷き、その上に移動させ布で包み、布ごと引っ張って家の中へと移動した。

 セラは三十代半ばの女性で肉付きよく、ふくよかではあるが、そんな彼女でも大の男を引っ張るのは力を使う。

 瞬く間に汗だくになりながらもダリルモアを寝室まで運んだ。

 そしてすぐに茶色の髪を後ろで束ね、ダリルモアの治療にあたった。


 患部を消毒し、痛みを和らげる作用のあるココユイ草の煎じ汁を飲ませた後、ダリルモアの体を身動きできない様縛りつけ、口に布を噛ませた。

 そして彼の右腕の切り落とした部分を慎重に縫いはじめると、意識がなくてもダリルモアは苦痛に悶える。

 その度にセラは体を抑えつけ、「大丈夫よ。大丈夫」そう言いながら体をさすり励ます。

 最後に解熱効果のあるシラユカギの煎じ薬を飲ませ、シーツを掛けた。


「ふーっ!」

 窓の外に目をやると、あんなに真っ暗だった空がすでに明るくなっている。

 セラが薬室にいる赤子のもとに向かうと、赤子は籠の中で顔やお腹を隠すように丸まって寝ていた。

 その赤子の安らかな寝顔に安堵し

「疲れたからきょうは仕事休もう……」

 そしてその籠の隣で倒れこむように眠ってしまった。



 眠りから目覚めると、隣で赤子がセラの髪の毛を触っており、昨日の出来事は夢じゃなかったのだと一気に現実の世界に引き戻される。

 念のためダリルモアが寝ている部屋へ行くと、薬が効いているようでぐっすり眠っていた。


「何があったのですか? あなたはだあれ?」

 機嫌よく笑っている赤子の顔を撫でながら、ダリルモアの事を考えていた。


 セラは薬屋をしている十代の頃から彼を知っている。

 勿論、大陸一の剣士であることも。

 そんな彼にいつも振り回されっぱなしで、ふらりと現れては怪我の治療をさせられたりするのだ。

 そういえばお代なんてものを払ってもらった記憶はない。

 セラはダリルモアの個人的な事はほとんど知らないが、噂で双子のお父さんになったことだけは聞いたことがある。


 何故、剣士の命ともいうべき右腕を失ったのだろうか? この子は誰だろう?

 それにしても、もう四十近いあの歳で今更子どもなんて。


「あなたはお父さんにちっとも似ていないね」

 ダリルモアは茶色の癖のかかった髪に、茶色の目であるのに対し、赤子はふわふわした黒髪に青い瞳だ。単純に母似なのかと思った時、赤子がぐずりはじめた。


「お腹すいたの? 困ったなあ、私はお乳出せないのよ……」

 セラは立ち上って薬棚の方に行き、奥の方に手を伸ばして、中からボロボロになった育児書を引っ張り出す。

 手で埃を振り払い育児書を読みすすめ、赤子をおんぶして育児書を見ながら離乳食を作り、他にも排泄や入浴、病気のことを熱心に勉強した。


 人生何が起こるかわからないものである。

 仕事一筋だったセラが育児書を読みながら赤子をあやしている。

 出来上がった離乳食を口に運んであげると、その愛くるしい顔で口を開けて一生懸命食べている。

 そんな赤子を見ているだけで心がぱぁと幸せな気持ちになった。


「はぁー、癒される!」

 セラはいまだかつて癒されるという経験をほとんどしたことがない。

 毎日のように具合の悪い患者に向き合い、感謝されることはあっても、自らが癒されるわけではない。

 割り切って淡々と仕事をこなしていく日々。それが彼女の日常だ。

 赤子一人いるだけでこんなにも生活に変化が生まれることにセラ自身驚いた。


「でもあなたは本当のお母さんのもとに帰らなくちゃね……」

 そう寂しく笑いながら、ダリルモアが寝室で治療中のため、薬室の床に寝床を用意して、今日は赤子と抱き合って眠ることとし、赤子とシーツの中に包まる。

 暖かい赤子の温もりはセラの身も心も同時に温めてくれた。



 朝、セラが目を覚ますともうすでに赤子は起き上がり、置きっぱなしになっていた薬草で遊んでいる。

 すぐさま赤子のもとへ駆け寄り、何か食べていないか口の中を入念に調べると、可哀想に涙目になっていたが、薬草の中には毒素をもつものも存在するため、口にでもしたらたちまち死に至らしめてしまう。

 肝を冷やしたのと同時に、赤子は常に危険と隣り合わせの存在だと気づいた。


 赤子をおんぶしながら薬室の配置換えをし、手の届かない場所に薬草をすべて移して掃除をしているところへ、先日の胃腸の悪いお客がやってきた。

 五十代の男性客は

「この間頂いた薬だがね、効かないよ」

 不機嫌そうな顔をしていたが、セラがおんぶしている子を見て、細い目をその二倍位見開いた。

「子どもなんていた?」と赤子に興味津々の様子。


 たしかにこれまで浮いた話もなく、仕事ばかりしている三十代半ばの薬屋の女主人が、急に赤子をおんぶしていれば詮索したくなるかもしれない。

「知り合いの赤ちゃんを預かっています。薬は様子を見るために今回はウイジリを用意しておきましたよ」

 セラはにっこり微笑んだが、男の興味は完全に赤子の方にいっており、薬の苦情なんてすっかり忘れているようだった。


「ありがとう、いつも助かるよ。それより最近、この集落にもカルオロンの兵士がうろついているらしいよ」

「カルオロンの兵士?」

 この客はなかなか情報通で噂を集めたり聞いたりするのが大好きだ。

 セラの赤子の事が気になるのも頷ける。


「また戦ですか?」

「ここだけの話。どうも違うらしい。何でも皇帝暗殺した人物を探しているって」

「皇帝暗殺……」

 そしてその男性客は、彼女が一番聞きたくないことを話しはじめた。

「なんでも何処かの有名な騎士だとか。物騒だね」

 足も震え、一気に血の気が引いていき、客が帰った後もしばらく動くことができなかった。



 皇帝暗殺。

 もちろん大罪であり、見つかれば死罪は免れないだろう。

 ダリルモアを助けた自分や、息子である赤子だって同罪だ。

 呑気に癒されている場合ではないと、セラは居ても立っても居られず、早々に店を閉め赤子をおんぶして外に出た。


 集落で一番人集まる場所へと向かうと、あのお客が言った通り、至る所にカルオロンの兵士がいる。


 カルオロンの兵士を見分けるのは非常に容易だ。彼らは階級を色で区別するからだ。

 入隊した時は何にも染まっていない「白」、そこから徐々に濃い色に染まっていく。

 数少ない将校は「赤」の軍服、そして軍の最高司令官である将軍ともなれば、「黒」にカルオロンを象徴する赤の線が入った軍服となり、城に部屋も与えられて、常に皇帝と行動を共にする。


 そんな人物が傍にいる皇帝をダリルモアは暗殺したというのか?



 買い物客を装い兵士に近寄ると、兵士たちは人が行き交う中、ダリルモアの特徴と同じ、三十代後半で茶色の髪に茶色の目の男を探しているようだった。

 剣を腰に差してでもいれば、大勢の兵に囲まれて尋問されている。


 急いでダリルモアのもとへ戻ろうとした時、一人の白い軍服を着た兵士に声をかけられ彼女は全身が凍りついた。

「ちょっと話いいですか?」


 兵士はセラの後ろにおんぶされている赤子の方へ目を向け、

「服に血がついていますよ」と親切に教えてくれた。

 赤子は着ている上質な白い服の至る所に血がついている。

 もちろん気づいていたが、替えの服がないからそのままにしていたのだ。


「あっ、ありがとうございます。鼻血を出してしまって」

 とつい引きつった笑顔で答えてしまった。

「私も子どもがいるのでわかりますよ。よく出しますよね」

 兵士もそう言って笑っていた。


 その場を後にし、自宅へと一目散に走った。

 背中にたくさんの汗をかいているのは久しぶりに走ったからではない。ダリルモアや自分、そしてこの赤子に身の危険が迫っているからだ。


 自宅に戻り、寝室に向かうとダリルモアの姿はなく、セラはその場に崩れるように座り込んで、おんぶしている赤子のお尻を撫でた。


 この子を置いて、何処かにまた流れていったのか。

 カルオロンの兵士に捕まり、すでに連行されていったのか。


「ねえ。私には何が出来ると思う? あなたのお父さんを助けるために」

 赤子に向かってそう涙声で言い、涙を手で拭った時、裏口の戸が開いて誰か入ってきた。

 裏口から入ってきたダリルモアは怪我をしていない左手で薪を持ち、前に立って彼女を驚いた表情で見下ろしている。

「竈の薪が少なかったから、裏の林まで行っていた。治療をしてもらって世話にもなっているし」

 セラが泣いていることに驚いてはいたようだが、持っている薪を竈の近くの保管場所に無言で並べはじめた。


「ねえ、話したい事が山ほどあるのだけど……」

 セラはダリルモアの行動を目で追いながら、同時に治療の経過観察もしていた。

 恐らく熱は下がり、痛み止めの効果もあって、体調は安定しているのだろう。体を動かしたいと思うのがその証拠だ。このまま療養すれば回復できるはずである。


「そうだね、セラ。私たちは二十年以上もお互いのことを何も知らなかった。知るのが怖かったからだ。話すには多くの時間が必要だ……」

 ダリルモアが薪を片付けた終えた時、薬室に誰か入ってきた。


 今日はもう店じまいしたはずなのにとセラが薬室へと向かうと、目に飛び込んできたのは大勢のカルオロン兵士たちだった。


 彼らの数名は薬室に入ってきており、入りきれない者たちは店を取り囲んでいる。

 セラは気が動転して思わず “ダリルモア” と叫びたくなったが、それでは彼がここにいる事を示すようなもの。しかもまだ治療中で体調も万全ではない。

 急いで薬草の棚まで走り、奥の方に長い間仕舞い込んであった剣を取った。


 もう一度この剣を取ることになるなんて。


 兵士達は驚いてすぐ、反撃に対応できるよう剣を抜いて身構えた。

 薬室にいる兵士たちの中に、集落で声をかけてきた兵士がいる。ついさっきまで赤子の話しで笑いあったばかりなのに。兵士も声をかけた女が、自分に剣を向けていることに驚いているようだ。


 彼は殺したくない。

 しかし兵に剣を向けている時点で、もうセラに残された道はふたつしかなかった。

 死ぬか、逃げるかだ。


 剣をもつ手が小刻みに震えていた時、後ろからダリルモアが飛び込んできた。

 彼は左手で剣を持ち、舞うように飛び回りながら、兵士たちを次から次へとなぎ倒していく。さきほどの兵士もあっという間に倒されてしまった。


「あなた左手も使えたの?」

 こんな時にそんなことしか言えない自分が情けないと思いながら、セラはダリルモアの手を引き、まだ兵士たちのいない裏口の方へ向かうと、薬室には外にいた兵士たちが続々となだれ込んできたため、セラの薬室は一気に見るも無残な姿になってしまった。

 二人で裏口を出て、馬が繋がれている遠くの木まで必死で走った。


 おんぶしている赤子がずっしりと重くて、通常の倍以上の負荷がかかり、心臓が波打っている。

 ダリルモアはそんな彼女に寄り添うように馬まで走ったあと、セラは馬に跨り、次にダリルモアが馬に跨った時、兵士たちはもうすぐ馬の近くまで走ってきていた。

 ダリルモアは手綱を後ろにいるセラに託して、迫ってきた兵士達を剣で突き刺し、馬腹を蹴って馬を思いきり走らせた。



 二人と赤子を乗せた馬は、デルタトロス山脈へ向かうため南に向かい、ダリルモアは終始無言で馬を走らせる。

 ササたちがいた森の中ではなく、さらに深い山脈の内部へ、何日間もひたすら走り、人も踏み入れない山の中でダリルモアはようやく馬を止めた。


 馬から降り、しばらく美しい山々を眺めていたセラは急に怒り出し

「いやいやいや何度考えてもおかしい。薬室も、家も、信用も、自立した生活も、すべて失った。私が築いてきたものすべて。お代を払いませんとは違うのよ! 何なの暗殺って! ここ何処?」

 思いきり泣きながらダリルモアの胸をボカボカと叩いて彼の胸に顔を埋めた。


 泣きじゃくるセラを彼は赤子と一緒に抱きしめ

「巻き込んでしまって申し訳ない。右腕を失い意識が朦朧としていく中、セラのことしか頭に浮かんでこなくて……」

 付き合い長いのに今までそんな告白みたいなこと、彼から言われた経験がなかったので、思わず顔を上げて、目を潤ませるダリルモアの方を見てしまった。


「包み隠さず話そう。私自身のこと、双子のこと、皇帝のこと。それからその子ヒロのこと……」


 後ろを振り返り

「ヒロって名なのあなた?」

 セラが急に振り返ったので、反応してヒロは静かににっこりと笑った。

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