テーマ「コロナを乗り越えようとしている恋」
「ひさしぶりだね」
チャット先の奈月の顔は、いつもと同じ、よく見る笑顔のはずだ。
俺にだけ向けられるはずのその笑顔も、パソコンの画面越しだとどことなく寂しそうにも見える。
いや、実際に寂しいのかもしれない。
中国、武漢で発生したコロナウイルスが世界に広まり、日本にも緊急事態宣言が発令された。
海外旅行はもってのほか、県をまたぐことも、旅行をすることも。あげく外出することですらいけないことのように世間ではいわれている。
そんな状況、遠距離恋愛をしている俺たちにとっては、由々しき事態にほかならない。
仕事は、好きじゃない。
ただ就職して、ただ働いて。
そんな状況での俺の楽しみといえば、月に一度、奈月と会うこと。
学生時代に知り合って意気投合し、晴れて恋人同士になった俺たちは、社会人になってからも関係を続けている。
ただ、地元で就職した奈月と、東京で就職した俺と。
ふたりのあいだに、致命的な距離が開いてしまった。
そんな俺にとっての唯一の楽しみを、唯一の癒やしを。
武漢コロナは奪い取った。
「中国め」
「まったくだよね」
いちおう、チャットは頻繁に行っている。
他愛のないこと、仕事のこと、同僚のことや、最近見たテレビやアニメの話。
それは、会って話すときとほとんど変わらない。
それでも、やっぱり。
会えないのは、寂しい。
「わたしなんていま、ずっとテレワークだよ? 家を出てもいないんだから」
「あー、そっか。テレワークかあ」
奈月はいう。
家を出ていないはずなのに、ちゃんとチャットのときには化粧をして、少しだけオシャレをして、そんなふうに俺と話してくれているのはよく知っている。
ずっと一緒だったんだから。
「なーにニヤケてんの?」
「別にぃ」
ちょっと嬉しいことが顔に出てしまう。
遠いようで近い。近いようで遠い。そんな距離で会話を続ける。
ずっと、すぐ近くにいたはずなのに。
ずっと、そばにいると約束したはずなのに。
俺たちの距離は、どうしてこうなってしまったんだろう。
それは、コロナウイルスのせいだけじゃない。
俺が地元で就職できなかった不甲斐なさ。
彼女に「一緒に来てくれ」といえなかったこと。
よく考えれば、それはすべて。
俺のせいなのではないだろうか。
「ごめんな」
「うん? なにが?」
突然の俺の言葉に、彼女はわずかに首を傾げた。
「や、会いに行けなくてさ」
彼女は「ああ」とうなずいて、
「仕方ないよー。この状況だもん」
そう、少しだけ寂しそうに口にした。
寂しいのは、お互い様か。
そう思うとちょっとだけ嬉しい気分にもなりはしたけど。
それでも寂しい気持ちは変わらなくて。
ごまかすように、いつもと同じ、他愛ない話をして済ました。
「楽しみにしてた映画も延期だよー」
「あー、そういやあ行きたいっていってたっけ」
そんなふうに、他愛のない話を。
「そっちのお仕事は?」
「こっちは仕事上テレワークできないからなあ」
一ヶ月。
「みんな元気なのか?」
「こっちにいるのは相変わらずだよー」
二ヶ月。
「親にも連絡とってねえや」
「電話くらいしてあげなよ」
三ヶ月。
「寂しいね」
「だな」
四ヶ月。
代わり映えしない日々の中で、ほんの少しのあいだだけでも奈月と一緒にいられるのが楽しかった。
何日かだけでも、奈月と出かけられるのが楽しかった。
東京を案内したり。
俺たちの地元の新しいお店にいってみたり。
俺たちは確かに一緒にいた。
学生時代のように。
昔のように。
それが、ここまで変わってしまって。
会えない時間がずっと、ずっと長くなって。
寂しさと、不安と、悲しい気持ちと。
そうでなくても、今の社会の現状に、未来が見えない。
俺の将来も、正直、どうなるかわからない。
そう考えてしまったら。
彼女との関係も。
いつかは。
そんな、そんなことを。
思ってしまう。
いつのまにか、チャットもそれほどしなくなっていた。
仕事が忙しくなってきたから、とは伝えておいた。もちろん嘘じゃない。嘘はついていない。
それでもそれが言い訳に思えてしまうほど、俺は冷たい態度を彼女にとってしまっていた。
少しずつ、街並みに人が増えてきて。
少しずつ、この日常に慣れてきて。
そうやって、少しずつ。
彼女のいない生活に。
寂しさが寂しいと感じない生活に。
俺自身が。
慣れてきてしまっていた。
そうやって、心が少しずつ死んでしまってきている感覚の中で。
風が冷たくなっていた。東京の風なんて俺の地元の風と比べたら生ぬるいくらい。
それでも、この空気に慣れてしまった以上。
秋の空気が、とても冷たく感じる。
俺の? 俺たちの?
なんのことだっけ、と一瞬でも思ってしまう。
そこで、やっと思い出した。
ひとりの顔を。
俺が好きだった人の顔を。
寂しい、なんて思わなかった。
それが、普通の日常に、なってしまっていた。
だから。
目の前にいる人物に気づいたとき。
俺は。
「来ちゃった」
どんな顔をしていただろう。
マヌケな顔か。驚愕の顔か。
変な顔だったのかもしれない。奈月はくすくすと小さく笑った。
「なんて顔してんのさ」
そういって、弾むような足取りで俺の前に近づいてくる。
「お、おま、どうして!?」
「えー、だって会いたかったんだもん」
彼女は少しだけ頬を膨らませていう。
「もしかして、忙しかった?」
たちまち不安そうな顔になって、俺の顔を覗き込む。
「いや……」
忙しいのは事実だった。
コロナも落ち着いてきていたし、会社はそんなことお構いなしに利益を稼ごうとするし。
でも、それでも。
なんだろう。
この、心の中にある温かさは。
この、心の中にある嬉しさは。
死にかけていた俺の心が、寒さを感じていた俺の心が。
いつか、彼女と一緒にいたときのように。
解けてゆく。
「忙しくなんてない」
ああ、そうか。
俺は奈月のことが好きだったんだ。
奈月と一緒にいるのが楽しかった。
奈月と一緒にいるのが幸せだった。
そしてその気持ちは、なにも。
なにも、変わっていない。
「むしろ……」
「むしろ?」
「来てくれて、嬉しい」
たとえ、社会が混乱していても、先が見えなくても。
奈月さえいてくれれば、俺は。
先に進める。
「ありがとな、奈月」
なんとなく真剣にいってしまったため、奈月がまた笑う。
「やー、そんな改めていわれても〜」
ちょっと照れた口調でいう。
彼女はマスクをつけていたが、それでもちょっとだけ彼女が照れているのはわかる。
わかるさ、そりゃあ。
俺たちはずっと一緒にいたんだから。
そして、これからも。
一緒にいるんだから。
「好きだぞ、奈月」
「いきなりなにさ、バカ」
突然の俺の言葉に少し言葉をつまらせる。
「わたしだって好きだっての」
ちょっとだけ小声で、奈月は答えてくれる。
俺は歩を進め、彼女に手を伸ばした。
マスクをほんの少しだけずらして、彼女の素顔を見つめる。
ソーシャルディスタンスがなんだ。俺たちはもう、半年も我慢したんだ。
ちょっとくらい破ったって、別にいいだろ?
俺たちはもう病気なんだから。
両想いっていう、どうしようもない病気なんだから。
俺たちは半年ぶりに、キスをした。
日本がどうなっても。世界がどうなっても。
俺たちは大丈夫。
奈月がいてくれるなら。
奈月がいてくれるから。
俺たちは、大丈夫。
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