国家直属のスパイの者ですが、アイドルのプロデューサーになりすまして冷戦中の仮想敵国を偵察したいと思います-両国の未来のために合同アイドルライブを開きたいと今更言っても、もう遅い……?-
35話-継続-【ホクシン・カナタの視点から】
35話-継続-【ホクシン・カナタの視点から】
大人の人たちがやいのやいのと騒いでいた【せいけんこうたい】から、三週間が過ぎた。
私には政治の難しい事情は全くよくわからなかったけど、社会がどのようになっても、私たちのやるべきことは変わらなかった。
【ロングデイズジャーニー】というアイドルグループとして、歌って、踊って、社会に生きる人々に笑顔を届けることだった。
「みっなさーーん!! 今日も集まってくれてありがとーーーー!!!」
大歓声に包まれて、私たち【ロングデイズジャーニー】は今日もライブを終えた。
このライブではラジオ収録の機材が設置されており、一週間後くらいにはいま私たちが披露した歌声がラジオを通じて全国に届くらしい。
あの人が失踪して以来の、大規模なライブだったのだ。
舞台袖で、がっしりした体格でスポーツ選手のようなオーラを放った男性がニヤリとした笑顔で親指を立ててくれていた。
ニイヌマ社長だ。
「明日は朝から情報番組のディレクターと打ち合わせだ。やれるか?」
「はいっ!!」
「は……はい」
明日の番組のディレクターさんは、デビュー間もない時期に私たちをレギュラーに起用してくれた昔からの顔見知りだ。
内気で人と話すのに向いていないセツナちゃんも、彼の前でならなんとか打ち合わせに参加できる。
「俺とユノも、できるだけ営業と調整の仕事をし始めてる。余分な時間が出来たら、全部睡眠に回すんだぞ」
「今後一か月のスケジュールを今まとめ中です、完成は数日後になると思います! 入ったばかりの私が言うのも何ですけど、頑張りましょうね、カナタちゃん、セツナちゃん!!」
今社長に続けてエールをくれたユノさんは、カナエさんがいなくなる前後くらいにこの事務所に入社した新入社員だ。新入社員らしく少し落ち着きが足りないけれど、明るいムードを社内に吹き込んでくれるという意味では、カナエさんにはない魅力のある人だった。
「もちろん頑張りますよ!! 元気なパフォーマンスを見せないと、あの人に笑われますからっ!!」
「うん、確かに……あの人には笑われたくないね」
全力で、返事を返す私。
対して、意欲は感じるものの、どこかモヤモヤした表情をしているセツナちゃん。
同じことを言っているはずの私たちの言葉。
だけどやっぱり、セツナちゃんの言いたいことは、私と少し違っているように見えた。
この場で【あの人】が誰を指しているかは、この場所では確かめるまでもなかった。
◆ ◆ ◆
あの日―――急にあの人が失踪した日。
社長も含めて、事務所がてんやわんやとなっていたことを覚えている。
で、今どうなったかというと。
結局、今の今まで【ロングデイズジャーニー】の活動を続けていた。
仕事のオファー、などのマネージメントは、すべて自分たちでやっている。
土日を除いて毎日一時間前には出勤していた彼女が失踪したあの日、当然私たちは必至で彼女の居所を探し回った。
だが彼女の住所のアパートはとっくに空室となっていたし、大家の人に聞いても詳しい事情は話してはくれなかった。
警察に捜索願も出したが、手掛かりさえ見つからなかった。
彼女の行方を突き止められない以上、彼女なしでアイドル活動を続けていくか、それともアイドル活動を無期限休止するかのどちらかしか、私たちに選択肢は残されていない、と言われた。
彼女が消えたことで【ロングデイズ・ジャーニー】やこの事務所に空いた穴は、とてつもなく大きかったのだ。
スポンサーは何社か契約を解除することになったし、レギュラーを降板することになった番組もいくつかある。
私たちは直接読んでいないが、お便りを読んでいた時のニイヌマ社長の表情を見る限り私たちやカナエさんに対する悪口の手紙もいっぱい寄せられたんだと思う。
歴史の浅い事務所である以上、カナエさんほどの凄腕のプロデューサーには代わりはいない。
ニイヌマ社長は銀行の偉い人や【経営こんさるたんと】と、会社の運営に関わる話し合いを毎日していて忙しそうだ。
受付のお姉さんのユノさんも、メインのお仕事は経理事務で、カナエさんがやっていたような営業は専門じゃない。
だから彼女無しでプロデュース活動を進めることが非常に困難である以上、【ロングデイズ・ジャーニー】活動休止―――実質的な解散―――も視野に入れなければならない。ユノさんづてに、ではあるけど、そう社長は私たちに告げてきた。
「……続けます」
「……………………私も」
その言葉が、自然と口から出ていた。
二人とも、自然と。
社長―――ニイヌマさんは、ただ一言、そう言うと思った、とだけ言うと、二束の書類を、私とセツナちゃんに手渡してきた。
番組の打ち合わせ、各地地方営業、写真撮影の営業。
カナエさんがやってきた仕事を、私たち自身が引き継ぐための、スケジュール表だった。
社長が提案したのは、いわゆる私たち自身が活動をプロデュースする、セルフプロデュース形式のアイドル活動だった。
アイドル活動を仕事としてきた私たち――特にセツナちゃん――には、ギャラ交渉などの話術による駆け引きが必要となる話し合いはできない。
結果、安いギャラでもいいから沢山のお仕事をこなす、というスケジュールにならざるをえなかった。
そこまでしないと、カナエさんが抜けた損失を補うことができなかったのだ。
結果私たちがどうなったかというと、朝から深夜まで、仕事詰め。
「もちろん新しい社員は確保するつもりだが……続けるならどう頑張っても、しばらくはこの密度のスケジュールは避けられん」
そう社長も言っていた。
数ヶ月経っても過密なスケジュールが続いたため当然欠席は続き、結果高校を定時制に入りなおさないと、卒業できないようにもなった。
アイドルになってからもよく遊びに行っていた高校の友人とも、今は時々夜に電話する程度になってしまっている。
正直、心細い時もある。
カナエさんの活動を側で見ていたときから、とんでもない仕事量を効率よくこなしている、と思っていたし、それをついこの間までアイドルでしかなかった自分たちがこなすとなると、重圧も半端ない。
体力とテンションにそれなりの自信がある私ですらプレッシャーなのだから、内気なセツナちゃんなんかどれだけ重圧なのだろうか。
ちなみにセツナちゃんの営業は内気で営業などの仕事が苦手なので、私や作曲家、スタイリストやメイクさんなど、親密だった人との会話にとどめている。
無理しなくていいのに、と営業自体を止めさせようとしたことがあったけど、アイドル活動を通して変われた自分を大事にしたいから、と言って、打ち合せのテーブルに座った日のことをはっきりと覚えている。
セツナちゃんは、今回のことで少し思うところがあるらしい。
私よりもずっと頭がいいあの娘は、カナエさんのことを信用できなくなったみたいだった。
ある日、カナエさんのこと、どう思う? とそれとなく質問したことがある。
「私はあの人のおかげで、【やりたくないこと】から逃げ出せたから……だから正直、何も言わずにどこかに行っちゃったことに対して、思うところは……ないではないよ。カナタちゃんみたいに、何も言わずに待ち続けられるなら、私だってそうしたいけど」
渋々ながら、そう彼女は答えてくれた。
別の日には、仮に彼女に再会できたとしても、もう同じ付き合い方はできないかもしれない、とも言った。
少なくとも何も言わずに失踪したあの日、事務所も、私たちも裏切ったのは事実なだよ、とも。
何も事情を離さないことには、自分たちの事務所には入ってもらいたくない、とも。
彼女が今重圧にさらされている原因が、失踪したあの人にあることは、バカな私でも分かる。
彼女に心を許せないのが、ひょっとしたら普通なのかもしれない。
なぜ、カナエさんが行方をくらませたのかは、私には知る由もない。
とても闇の深い、笑えない事情があるかもしれない。
セツナちゃんがあの人に少し怒っていたのも、そういう背景があるんじゃないかと疑っていたからかもしれない。
でも正直、わたしにとってはそんなことはどうでもよかった。
ライブ開演の時、番組出演の時、沸き上がる歓声。
ライブが終ったときの、お客さんたちの笑顔。
その瞬間瞬間の高揚感は、カナエさんが去った前と後では全く変わらなかったからだ。
どれだけの重圧が降りかかったとしても、それだけは失いたくない、と思った。
アイドルを続ける場合。アイドルを辞める場合。
瞬間瞬間の最高の幸せが手に入る選択肢は、私にとって前者だった。
結局、カナエさんがいようといまいと、私は(おそらく、セツナちゃんも)アイドルなのだ。
そして何より重要な事実、それはカナエ・シモツキという人が、私とセツナちゃんにとってアイドルへの道を開いてくれた恩人と言うことだった。
確かにセツナちゃんの言うとおり、彼女は一度私たちを裏切ったのかもしれない。
だがその時はその時で、彼女に再会した時、真正面からあの日去った理由を問い質せばいいだけの話だ。
だから、今、私は【ロングデイズジャーニー】は続けていた。
どこかにいるカナエさんに、私の歌を届けるために。
そして、いつかカナエさんと、再会するために。
一言、アイドルとして、瞬間瞬間を楽しんでます! と言うために。
◆ ◆ ◆
ライブから一週間後の夜のことだった。
テレビ番組の収録が押してしまい、事務所に取りに戻るころにはすっかり日が暮れていた。
明日は朝からライブのリハーサル、お昼にはラジオ番組の生放送が控えているので、今日も早く帰らないといけない。
途中までセツナちゃんと電車で帰る予定だったが、事務所に用事がある、というとビルの入り口で待つと言ってくれた。
自分へのご褒美としてとっておいた有名店の高級プリンを、事務所の冷蔵庫から出してひっそりと食べたかったからだった。
忙しいスケジュールは変わらずそのままだし、些細なことでも働いた自分をすこしは労ってあげないと、と思って、取り置きしておいたのだ。
こういう頑張った後の自分へのちょっとしたご褒美は、日々のやる気にもつながる。カナエさんが教えてくれた、仕事を長く続けるコツの一つだ。
セツナちゃんもこの手のご褒美を用意してるらしいが、身体からもわかるように彼女は大人なので、ご褒美はプリンではなく有名カフェから取り寄せたコーヒー豆らしい。
ぷるんっ、と皿の上に落ちたプリンを、スプーンで割って、口の中に頬張る。
ちょうどいい冷気と、甘みと、まろやかな食感とが口の中と舌を満たしていく。
「……ふふっ、
ささやかな幸せ。
あの人との別れを一瞬でも忘れられる、小さな幸せ。
こういう時、自分がバカでよかった、と思う。
今テレビを点ければ、大人たちが【せいけんこうたい】について白熱した議論を交わしている。
私は頭が悪いから、【せいけんこうたい】が起ったところで、この先この国やこの世界がどうなるかはわからない。
そもそも自分の周りすら、一日先に全く状況が変わっているかもしれない。
それこそ、あの人がいつものようにバス停で別れた次の日、失踪したように。
だからこそ、今この瞬間の幸せを味わう。
アイドルを志した時と同じ、それが私の
舌を包み込む甘くてまろやかな味は、バカな私でも味わうことができる、瞬間瞬間の幸せの象徴のようでもあった。
(アイドルになってからは、
そんな考えがよぎって、ふと俯いた。
未来に何をするかを考えるのは、あの人の失踪以来、いったん後回しにしている。
「……さてと」
気持ちを切り替えるように、プリンの最後の一口分の、優しい味わいをごくんとのみこんだ。
最後のまろやかな味わいが喉を通り過ぎていくと、私は事務所のロビーを出た。
明日のラジオ番組で何をセツナちゃんと話そうか、そんなことを考えながら、
事務所のあるビルの正門入り口から戻ろうとしていた。
その時だった。
くっきりとした人影が、外の街灯の光に照らされていた。
一階ロビー内に立っていたその人影は動き出すと、こちらに近づき、正体を現した。
扉を開けた先にいた、その人は。
驚くほどみすぼらしい服を着ていて。
泣きじゃくったような、涙の痕があって。
命懸けで走ってきたかのように、息を切らしていた。
その人は、本来その場所にいるはずじゃない人だった。
「かな、え、さん……!?」
「………………………カナタ」
突然の、再会だった。
「……い、入れちゃった……ビルに」
後ろで、セツナちゃんが彼女らしい、個性的な笑みを浮かべていた。
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