27話-二択-


 私のチェルージュへの潜入工作から一週間後。


 観光や出張から帰国した人々であふれかえる霞ヶ角国際空港。


 一週間前にも飛行機でこの場に降り立ったが、今回使ったのは国内便。

 隣には、私がマネージメントを務める二人のアイドルが一緒だ。




 地方ローカル番組への出演の帰り、私はオフを翌日に控える【ロングデイズ・ジャーニー】と共に、空港入り口前で送迎バスを待っていた。




 今日が実質的な、アイドルプロデューサーとしての活動の最終日だった。




 それを最後に、もう私とカナタ、私とセツナは顔を合わす瞬間は訪れない。

 二人にはそれを知らせていないので、彼女たちは明日急にプロデューサーの失踪を知ることになるだろう。



 こうやって彼女たちがアイドルとして活動できるのも、これで最後だろうと思う。




 二人の活動はほぼ私任せで、成立していた。




 恐らくは私が姿を消すことによって、事務所は信頼を失うだろうし、彼女たちのアイドル活動も立ち行かなくなる。

 ニイヌマ社長にも、申し訳が立たないことをしてしまった。


 ホクシン・カナタとムヅラバサミ・セツナという二人のアイドルも、活動の要となるプロデューサーが失踪する以上、今まで通りの人気アイドルを続けられるというわけにはいかないだろう。




 そのことを、考える度。


 喪失感。虚無感。心のどこかにぽっかり穴が開いたような感覚。


 それらは着実に確かなものへと変わっていった。




 ―――トクン。トクン。






 また、あの鼓動が胸の中で響いていることに気づく。


 オーディションの場で、彼女たちと出会った時。


 ソラン島で彼女たちのパフォーマンスを見た時。


 チェルージュの地獄のような街で、何か救いを求めたとき。


 そして、二人で隣り合って歩いているだけの今。





―――プロデュース自体が、目的であるような。




 チェルージュ人の言葉が、ふと脳内でこだました。



 あっ……そうか。




 勘の悪い私だが、ついこの間聞いた誰かの言葉を思い出して、やっと気づくことができた。




 私は、好きだったんだ。


 彼女たちを、プロデュースすることが。




 飲み込んだ錠剤が解けていくように、自分の中に会った異物のような違和感が自分という存在の中へと溶け込んでいき、違和感でなくなっていくのを感じた。




 現にチェルージュ国で潜伏を行ったあの時。


 ルドヴィシの地獄の光景を前にして、動揺した私は。




 彼女たちの歌を求めていた。


 極限の状況下の中で、彼女たちの歌に、救いを求めていたのだ。


 紛れもなく、彼女たちの歌を、ダンスを、間近で見るその仕事を楽しんでいたからだった。




 今まで、こんなことはなかった。


 ただ愛国心という理念のみが、私の心を動かす原動力だった。


 だが今は違う。


 私の人生の中で、間違いなく彼女たちの歌、彼女たちのダンス、彼女たちの笑顔、彼女たちとの交流は、大きな位置を占めつつあった。


 チェルージュ相手の工作活動のさなかにあっても、どこか今までとは違う高揚感を覚えていたのもそのためだ。


 あともう少し頑張れば、【ロングデイズジャーニー】の曲が聴ける、彼女たちのライブパフォーマンスが見れる、と。





 大切なことへの思いは、しかしエンジン音に打ち消された。

 送迎バスが、目の前に来ていたのだ。



 カナタは飛び込むように、セツナは他の乗客に紛れ込むようにバスに乗った。

 私の今後について何も知らない二人の中では、今日はいつもと変わりないアイドルとしての一日に過ぎない。


「じゃ、私は別の車で帰るわ。二人とも、明日九時、事務所で会いましょう」


「はいカナエさん、じゃあまた、明後日待ってますね!」


 なんてことのない日常のように返すカナタ。

 今彼女に言ったことは嘘だ。彼女たちと別れた後、私は別の名前を名乗って別の任務に直行する。


 つまりその時点で、アイドルプロデューサー・カナエ・シモツキはこの世から消失する。


 カナエ・シモツキという仮面を捨て、今まで通りのスパイ活動を行う【霧】の【姫君】に戻るからだ。




 しかしこの瞬間、私の頭の中を駆け巡る考えがあった。




 もしも。


 もしも今一歩踏みだして彼女とともに送迎バスに乗り、アイドル事務所へと戻れば、私はプロデューサーとして活動を続けることができるのだろうか。


 「やはり彼女たちを家まで送っていく」と言って、一歩踏み出して車両に乗り込んだら、そのままプロデューサーとして、彼女たちの一番近くで、彼女たちのパフォーマンスを見続けられるのだろうか?




 スパイとプロデューサーを兼任するという道もあるんじゃないか?


 内なる自分が、そう私に問いかけてきたのだ。


 複数の作戦を並行して行う過程で複数の顔を同時に併せ持ってきたことだって、今までにも少なからずあった。




 このまま彼女たちの歌を、すぐ側で聴き続ける未来だってあるんじゃないか?


 今までの自分に、このような暖かくて、それでいて熱いものをくれる存在はなかった。


 自分なりの幸せに触れる権利だって、一人の人間である自分にはあるんじゃないか?




 プロデュース活動を続けるか。きっぱり手を引くか。


 二つの潮が合流して渦潮となるように、二つの考えが衝突し合った私の脳内は、数秒の間カオスの様相を呈した。











 ………




 ……




 …






 その数秒が、光のように過ぎていき。


 ドアが閉まった。







 私は、一歩を踏み出さなかった。


 手を、引いたのだ。




 自動ドアがブザーと共に、二人と私を隔絶した。




 【歌声】の発見という任務は、もう達成されている。


 だが国家の脅威は、【歌声】だけではない。


 誰かがその脅威から国を守らねばならない。


 その任務には、代わりはいない。




 私を守ってくれた国、その国を守れなければ、アイドルを楽しんだとしても意味がない。


 プロデュース活動を続けたいと言っても状況が許してくれないのだ。


 私がスパイであり、国家の駒であるというその時点で。




 私は手を振って、彼女たちを見送った。


 彼女たちも手を振って、私に別れを告げた。


 ゆっくりと動き出すバスの中で、哀愁一つない笑顔で、カナタは思いっきり腕を振り上げて、セツナは控えめに腕を少し上げて、私に向けて手を振っていた。


 バスはゆっくりと小さくなっていき、曲がり角を曲がって視界から消えた。



 いつも通りの別れ。


 しかし私にとっては、彼女との今生の別れ。




 発着のアナウンス音が、空しくターミナル内にこだました夜だった。

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