26話-帰路-
ホテルでの朝食後、私は応接室のソファに座っていた。
ヒルリからここに帰ってきた後、真っ先にホテルマンから、9時にこの部屋で待機するように言われたのだ。
部屋で待機している間、私―――カトリーヌ・ラ・ロシェルの気持ちは終始落ち着かなかった。
ヒルリの【歌声】の施設に向かう時、軍事施設の少し林へ進んだところに当局専用の車があった。
その時は職員の車だと思って見過ごしたが、なぜ【歌声】の制御施設の駐車場に停めていなかったのだろう。
誰か施設外の人間が勝手に運転していた可能性がある。
その違和感と、今回視察という名目でこの国にやってきたカナエ・シモツキというイレギュラー。
その双方に関連性がないとは、どうしても思えなかった。
最終手段―――証拠を捏造して、
ミシェルらは反発するだろうが、アイドルたちを対象にしていない以上コラボプロジェクト自体が立ち消えることはないだろうし、上官を通じて総主席が了承してくれればそれでいい。
今までに何人もの上官が、その前例を外国人に執行するのも見てきた。
実際ホテルへの帰還時、私はいつでも居合で相手を殺せるよう、腰の刀に意識を向けつつホテルの入り口へと歩みを進めていた。
殺意と共に回転ドアを通り過ぎたその瞬間、ホテルマンから上官が来られる、と報告を受けたのだ。
あの女に一歩踏み出せないモヤモヤを心の中で持て余していたその時、ドアの開く音が聞こえてくる。
誰が入出したのかを察した私は、思考を打ち消して立ち上がった。
「恐縮だね、カトリーヌ同志」
「おはようございます、ラフィット大佐!!」
背後から聞こえたなじみのある声に、私は最敬礼で返した。
アンリ・ラフィット。
チェルージュ国国家保衛部長官。
私がカナエを殺した際に総主席との話を取り持ってもらおうとした、その上官だった。
「お伝えいただければ、迎えに伺いましたのに……」
「飛び入りで来させてもらったのさ。君がこのルドヴィシで、櫻宗の来訪者と行動を共にしていると聞いてね」
私は彼の意図をはかりかねた。
ただ単に用事があって来るならば、【歌声】の施設でそうしたように、電話で済ませればよい。
直接会いに来たということは、よほど私が彼女を殺すのを避けたかった、ということ。
そして、盗聴を避けたい会話もある、ということ。
外部の工作員のみならず、内部の人間からも。
「ともかく、この場であの女性に何か行動を起こすことを認めるわけにはいかんね」
「なぜです? 彼女はこの国に関わりすぎている。もし諜報員だとしたら……」
「今後の二国間関係において、重要な位置を占める人物になるからだ」
ラフィット長官は目を細めながらそう言うと、人差し指で私に手招きした。。
私は周囲を警戒してラフィット長官に近づき、彼の口元へと耳を寄せた。
上官が部下にこのような形で話をすることは、大体国家ぐるみで大きな計画が動いていることを意味している。
戦時中前線にいた父親にもそう教わった。
「……」
「……」
「………」
今後の計画と、彼女を殺すべきでない理由を私に伝えるラフィット長官。
「……事実なのですね、長官?」
ゆっくりと頷くラフィット長官。
本気か。
本気なのか。
それが、耳打ちで彼の言葉を聞いた私が、最初に感じたことだった。
もし長官の発言が事実であれば、上層部は狂っている。
正直なところ、思いっきり笑ってやりたかった。
あんた達は正気じゃない、と。
賞賛ではなく、呆れの笑いだ。
こんなとち狂った人間が、チェルージュの上層部にいるとは。
上官の手前表情を顔に出すわけにはいかなかったが、口角は少しだけ吊り上がっていたように思う。
自分の立場そのものが、その瞬間はバカバカしく思えた。
上官の告げた、櫻宗の女を追わない理由。
それが本当だったとしたら、今までの私の行いはとんだ茶番だったことになるのだから。
「今回のプロジェクトが本格化すれば、君にも任務が与えられるだろう。彼女が
プロジェクト、という言葉に反吐が出そうになる。
だが私も、所詮はチェルージュ軍の一士官に過ぎない。
「……了解しました」
敬礼を取り、ゆっくりと承諾の意志を上官に告げる。
「よろしく頼んだぞ、祖国の為にな」
―――カチン。
彼がそう言ったその時、私の頭の中で、ボタン式のスイッチが押されたような幻聴がした。
ただの幻聴だ、と、その時は気にも留めなかった。
だが後にして思えば、その幻聴は私が【決断】するためのスイッチだった。
後戻りのできない、【決断】をするための。
◆ ◆ ◆
「来月から、久々にソラン島で劇場の運営に戻る予定です。予定さえ合えば、カナエさんや【ロングデイズ・ジャーニー】のお二人にもお会いしたいですね」
「そうですねぇ! スケジュールを調整したいところです」
空港のタラップ前でミシェルとの別れの挨拶を終えた私は、飛行機に乗り込み、チェルージュを発った。
少し意外だったが、空港で私を見送るチェルージュ政務官の中にカトリーヌの姿はなかった。
恐らく、存在を見せないことによって私を安心・油断させる算段なのだろう。
しかし、いつどこで彼女の監視の目が光っているかわからない。
ルドヴィシでも言われたとおり、一度チェルージュの地に足を踏んだ櫻宗人は祖国に帰っても監視の目に晒されるのだから。
いつどこで何者が監視しているかは、常に気遣う必要があった。
櫻宗人としての祖国への帰路に着く、ララバル発、ファルキエ着便の機内。
国家間の関係上櫻宗-チェルージュ間は直通の便がないため、ソラン島を経由しての往来となる。
潜伏活動をしていると、【霧】の諜報員としての自分を半ば強制的にシャットダウンせざるを得ない。
だからこそこの便の機内では、緊張の糸が急激に弛緩するようにカナエ・シモツキとしての自分を脱ぎ捨て(完全に、ではない。背後にチェルージュの暗殺者がいる可能性もあるので警戒は続けている)、スパイとしての自分に意識を戻した。
そして、真っ先に思った。
(……あの話、完全なデマだ)
それが、自分の中で出た結論だった。
【歌声】を開発している、という噂のあった施設内で、【歌声】の開発、稼働に必要な機械は一つも稼働していない。
あの日、ヒルリの研究所の地下で見た【歌声】の施設。
兵器開発自体は行われているが、あの施設で見た兵器は【歌声】よりも二世代も三世代も前の兵器ばかり。
これらの兵器を使って櫻宗を爆撃しても、櫻宗と安全保障条約を締結したステラス連邦からの防衛ミサイルによって標的地区への着弾前に上空で一掃されるのがオチだろう。
情報交換の一環でステラス連邦の【歌声】の施設を見学したことがあるが、どれも計器を見ただけで最新鋭の機材ばかりをそろえていると理解できた。その時見た施設とあの晩ヒルリで見た施設の機材では、下手をすると半世紀ほどテクノロジーの隔たりが感じられる。
恐らくは、あの施設自体が宣伝用に過ぎないのだ。
あの人っ子一人いない都市部に同じく、偽りの国力を他国にアピールするための張りぼてに過ぎない。
外見だけ取り繕って、中身は何もない。
それこそ、スパイのように。
私のように。
………
……
…
「……終わった」
機が櫻宗の霞ヶ角国際空港に着陸し、スーツケース片手に入国ゲートで手続きをしている途中、私は【歌声】の脅威が虚構でしかなかったことに安堵したと同時に、何か喪失感のようなものを感じていた。
変装し、工作し、諜報して任務を終える。
毎日のようにやってきたことなのに、なぜか今まで感じたことのない空しさのようなものを、この時は感じた。
自分でも理由がわからなかったが、やがて気付いた。
「……もう、別れなければいけないんだな」
カナタと、セツナ。
私がプロデューサーを装って偽りの芸能活動につき合わせた、二人の少女。
任務が始まった時点で、決定していた未来ではあった。
私はプロデューサーとしての仮面を捨てる。
それは同時に、彼女たちを見捨てることも意味している。
胸が痛んだが、すぐに自分にはその資格はないと思いなおした。
かつて偽の映画製作で少女を裏切ったように、スパイ活動で一般人を利用するなんて今までさんざんやってきたことだ。
一人や二人のための人生に、今更干渉するなどスパイとして愚の骨頂。
別に大したことではない。
チェルージュの【歌声】の脅威は、虚構に過ぎない。
それはつまり、【ロングデイズ・ジャーニー】を含むこの国の若者たちが、無事に明日を生きられる、ということだ。
それを確かめることが今回の私の目的であって、プロデューサーとしての活動はその手段に過ぎない。
カナタとセツナにはプロデューサーの活動の一端として親密に接してきたが、この辺が潮時だ。
これ以上彼女たちとの関係を作れば、私の後々の工作活動に支障が生じかねない。
何より、いつどこでカトリーヌの手先が監視しているかわからない以上、カナエ・シモツキの仮面を破棄しないと私自身の命が危ない。
「……」
私はスケジュール帳を確認すると、彼女たちに永遠の別れを告げる日程を決めるのだった。
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