25話-翌朝-
その日の朝。
ホテルの食堂で、私はミシェルと向かい合って座っていた。
海外からの客人にふるまう朝食があるのに住民にはまともな衣食住を提供しないこの国の食糧事情には呆れ果てるが、顔には出さない。
今日が、チェルージュでの各地域視察の最終日となる。
国家間での時差は一時間ほどしかないので、今日の昼頃には空港でこの国を発ち、夕方ごろにはわが祖国だ。
意識は既に、櫻宗への帰還―――さらにその先、次なる指令へとむけられつつあった。
大方、しばらくはまた破壊活動の事前の阻止なのだろう。
そして、次の指令を滞りなく行うためには―――私はカナエ・シモツキとしてのデータの一切を破棄する必要がある。
当然、二人のアイドルとの関係も、だ。
「ボクが……なぜアルルカと共にソラン島にいたか話しましたか?」
不満なさげな顔を保ちつつ、今後のことを考えながらトーストと目玉焼きを食していると、視線を合わすことなく、ミシェルが話しかけてきた。
「え? それは……あなたが経済委員会の幹部で、アルルカさんを売り出して外資獲得を行うためでしょう」
「売り出して、か。正直に言うといい、利用している、と」
とっさの判断で口に出さなかった言葉を、ミシェルが代わりに言ってくれた。
「ただ外資を入手すればいいというものでもないんです。海外の資本家たちに取り入り、コネクションをつくり、チェルージュとの関係にメリットもある、ということを国外の人々に認識させるところまでがボクの任務です。つまりアルルカも、僕たちの長期的な目的を成し遂げるための駒でしかない。うら若き少女を駒として前面に出し、利益を得る。空しい任務ですよ」
だから今回の貴方のプロジェクトは、我々にとって僥倖だったとはいえ、少し気が引けるところもあった、と話すミシェル。
「身も蓋もない言い方になりますけど、貴方が彼女を駒として利用しているというなら、私だってカナタとセツナを利用しているようなもんですよ。お金儲けのために年端もいかない少女を利用する、似た者同士じゃないですか」
私がこの時したこの返答は、このスパイ活動で最も自然に口にできた口調だったように思う。
それもそうだ、スパイだろうとプロデューサーだろうと、目的のために少女たちを利用しているのは紛れもない事実なのだから。
しかし、そう言った私にミシェルが返した言葉は、意外なものだった。
「しかし、ボクに言わせれば、ただ利用しているだけ、という風には見えませんでしたがね。
そもそも駒のように利用する、というだけならば、アイドルのパフォーマンスを後ろからしっかり見守り、メンタル、フィジカル共に手厚いフォローをする、などということはしないでしょう。
アイドルを突き放したような態度のプロデューサーなんか、ごまんと見たことがある。
あなたは違う……なんというか、そう。
まるで、何かのためにプロデュースするのではなく、プロデュース自体が目的であるかのような……」
言われて、何か特異なものが頭の中をよぎった気がした。
プロデュース自体が、プロデュースの目的。
バカな。
プロデュース活動は、あくまで工作活動のカモフラージュ。今までそう自分になども言い聞かせてきたはずだ。
頭でそう思った私の意識を、あのトクン、トクンという心臓のような音の記憶が通り過ぎた。
思い返せば、あの音はプロデュース活動の中で、アイドルのパフォーマンスを前にしたときに刻まれていた。
「……かいかぶりですよ。あの年代の少女たちは物分かりが良いから、こちらが値踏みしているような表情を見せればすぐにばれてしまう。それを警戒して、硬い表情を避けているだけです」
思考を放棄するように、私は謙遜の返答をミシェルに返した。
「でも、ソラン島で活動を始めた当初は、カナエほどアイドルプロデュースに真剣に人と組めるとは夢にも思っていませんでしたから。 正直色々な意味で、これからの共同事業が益々楽しみなんですよ」
これから、か。
ミシェルの吐いた何気ないそのフレーズを耳にして、そういえば私がこの任務を終えた後、目の前の彼女―――経済委員会事務次官のミシェルはどうなるのか、とふと思った。
私が小型フィルム、そして自分の脳内に記録している【歌声】の秘密、それは紛れもなく、彼女との、偽りの共同プロジェクトによって入手できたものだ。
私が秘密を無事櫻宗に持ち帰れば、それは私をチェルージュに招待した彼女の責任ということになる。
そこまで考えて私が思い浮かべたのは、昨日の裏路地へと去って行くダント氏と、その直後に響いた一発の銃声だった。
(……いや)
深く考えるのはよそう。仮想敵国政府の人間が一人死んだところで私のスパイとしての活動に関係がある出来事ではない。
それに、今この時点では、私は自分の心配をした方がよいのかもしれない。
「おはよう」
火花を散らすような眼光で、こちらに形だけの笑みを振りまいてくるカトリーヌが、ついさきほどミシェルの隣、私から見て斜め前の位置に座った。
「……昨日までの時間、楽しかったわね」
朝早い時間帯だからか、軍服は少し気崩し、軍帽は被っていない。
しかし、こちらを殺すかのようににらみつける、そのまなざしと、苦虫を嚙み潰したような口角の歪みは、昨日この場で私をねめつけたときの上から見下すような表情とはまるで別人だった。
昨夜から今までの間に何かとてつもない不覚をとったか―――あるいは、すんでのところで任務を達成できなかったかのような顔だった。
ルドヴィシの惨状を余裕の表情で私を嘲った昨日とは、似ても似つかないその切羽詰まったような表情。
潜伏がバレていたのだろうか?
でもだとしたら、なぜ私に攻撃してこない?
いずれにせよ、今彼女に対しては最低限の挨拶で済ませることが最善だ。
このままボロを出さずに、何もしかけることなく別れられるなら、それに越したことはないのだから。
しかしよく考えると、不思議な話だ。
いくら祖国ではありえない凄惨な光景だったとはいえ、感情を殺すことが最重要のスパイとして、私の動揺振りは【霧】の一員にあるまじき失態といってよかった。
通常、そのようなメンタルでは、当然任務の成功確率も下がる。そうやってメンタル方面から不調になった結果作戦場所から二度と帰ってこなかった同僚の話を、私は何人も聞いてきた。
なのにその日の夜になると、私は事前の計画通りにヒルリの【歌声】の施設に向かい、【工作術】を駆使してカトリーヌの視察をやり過ごし、誰にもバレることなくこうやってルドヴィシの宿泊施設に戻ってこれた。
単に自分自身の日頃の勘と、任務への責任感が、平常心の回復と意地に役立ったということなのかもしれない。
だがうまく言えないが、私はこの宿泊施設を含め、何かこのルドヴィシという街、ひいてはこのチェルージュという国自体に、得体のしれない磁場のようなものが発生している気が、少ししていた。
◆ ◆ ◆
風水。
チェルージュが戦前まで長らく、「大自然と共に生きる国」として諸外国で宣伝されてきた所以が、それだ。
風水は人と自然の調和を重んじ、いかにバランスの取れた共存を行うか、をコンセプトとしている。
わが国では古来より、建築物がどのような場所・方角であれば、自然の恩恵を受けるのか、ということが研究されてきた。
それが風水の起源と言われている。
転じて現代の風水は、どのような地形のどの場所にどのような建物を建てるか、という立地条件に関する知識として使われる場合が多い。
ボク―――チェルージュ政府・対外経済委員会第一室長のミシェル・ドゥミが特に注目したのは、建物自体の立地や部屋の内装、設備など、目に見えるものが与える心理的影響―――いわゆる
整理された空間。道具の配置。
それらの操作によって、人々の精神を左右させる術。それが巒頭だ。
例えば、ものが雑多に放置された空間では、人は気が散るし気分も晴れない。
逆に整理整頓された空間であれば、物事に集中して落ち着いた生活ができる。
この理論を基礎として、各室内の何処に何を置くか、何を置かないかで人の感情・精神にあらゆる作用を及ぼそうとする技術に関する研究が、チェルージュの歴史の中で数多の風水師によってすすめられてきた。
ものの配置によって変わる【家相】は、整理整頓によって落ち着く、落ち着かない、という単純な二元論に始まり、戦争直前のチェルージュではどの部屋でものをどう配置すれば、内部にいる人間のどのような感情を引き出すことができるか、という細かい理論までが体系化されていた。
もっとも、伝統を排して新しい理想郷を築き上げようとする現政権には、あまり快く思われていないようだが。
対外経済委員会に就いた時からボクはこの技術を駆使し、細かい感情のコントロールを【配置】によって左右させる技術をも、試行錯誤の上に身に着けた。
人の行き来しやすい場所の内部に、人が(無意識に)金を回しやすくなるような物の【配置】を行うことによって、多くの成果を上げることに成功してきた。
例えば、ソラン島でアルルカが常に最善のライブパフォーマンスを続けられているのは、彼女のポテンシャルだけではなく、ライブハウスという立地条件と、内部の舞台装置にも秘密があるのだ。
外国の土地ということで、現政権が認可したがらない建築設計を使用して、様々な【巒頭】を試してアイドルのライブに最も適した家相を判断するのもやりやすかった。
風水に基づいた舞台装置の配置によって、彼女の細かい意識、その彼女自身も気づいていない深層の部分を高揚させる。
アイドルが体調不良でライブ欠席、というのは世界的に見ても珍しい事例ではないが、今までのパフォーマンスで、アルルカは少しも不調だったことがないのもそのためだ。
そして、目の前の女性。
アイドルプロデューサーを名乗る女性、カナエ・シモツキ。
彼女すらも、現時点ではボクの【風水】の対象だ。
この国に入国した時点で彼女は対象となっている。
彼女は気付いていないが、彼女が今安定した精神で朝食にありつけているのも、この宿泊施設での風水をボクが利用したことにある。
資本主義国出身の彼女にとっては、昨日のルドヴィシの凄惨な光景はあまりに衝撃だったに違いない。
本来ならあの光景を見た時点で、彼女はとても視察を行えるコンディションではなくなる。今までチェルージュに来た櫻宗人にも、そうして体調を崩す者が何人かいた。
だが、カナエも、その櫻宗人たち(前日の内に処刑された者を除く)も、次の日にはすっかり精神を整えて、この宿泊施設で朝食にありついた。
この宿泊施設が、風水上の立地、そして内部の装飾や設備の巒頭、ともに精神的不調を回復させるために最高の家相なのがその理由だ。
対外経済委員会の幹部として、ボクはこの宿泊施設を、国内外からの来賓を最大限の好待遇で迎えるために、立地を最高の家相となるように計算し、建設計画に組み込んだ。
共同事業のパートナーであり、一般市民に過ぎない彼女が、ルドヴィシのことでチェルージュに対して心的外傷を持ち続けるのを防ぐことに、彼女を風水の対象とする意図があった。
彼女は工作員ではないかと疑う声もあるが、その手の検証はカトリーヌに任せておけばいい。
だが昨夜の精神的ダメージが嘘のように平然としたカナエに風水の効き目を確認しつつ、思わずうつむいてしまう。
ルドヴィシやヒルリの住民たちが、死人とも違わない生活を送っているのも、ボクの【風水】の結果だからだ。
彼らの不幸の根幹はもちろん貧困だが、ボクが巒頭を視野に入れた都市計画を提案したこともある。
建物や道路など、あらゆる建物が人間の精神に負担をもたらし、鬱屈としたものにさせることを意識した巒頭となっている。
そこに更に処刑された人間の死体を転ばせば、彼らの精神状態は死人も同然となるわけだ。
都市計画にボクの風水の観点がなければ、今頃ルドヴィシには反体制感情の高揚によって武装組織の一つや二つもできているだろうし、ボクやカトリーヌも大っぴらに同市内を歩けないだろう。
紛れもなく、市民である彼らの意気を削ぐ人権を無視した都市計画ではあった。しかし社会主義国であり、徹底した監視国家でもあるこの国では、下手に精神状態が健全だと国に反旗を翻し、手痛い返り討ちをくらいかねない。
彼らの精神状態を極めて、不調にさせるこの街は、ある意味で彼らの命を守っているともいえた。
だがどのみち、自由主義国家では当然のように存在する市民が健康的に生きる権利は、この街・この国では皆無に等しい。
これから先、ボクが彼女とコラボプロジェクトを続けることになれば、あるいは何かが変わるのだろうか。
今の自分や。
今のこの国が。
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