24話-歌声-
私は、車で夜道を駆けていた。
エンジン音が目立たず、車輪の痕も付かない走り方で。
その日の夜、午前一時。
ルドヴィシ内の宿泊施設の窓――シャッターが閉まっていたが、軽い細工で易々と開閉できた―――から出た私は、裏門を出た後回り道をして道路に出た。
向かう先は、今回のプロジェクトの最終目標、ヒルリ内の【歌声】の施設だ。
ヒルリへと向かうための車はある。持ってきてはいないが、ある。
当局の車両を少し貸してもらうのだ。
宿泊施設のすぐ近くには、おそらくこの地で働く政官、軍官用であろう車が数多く停められている。
チェルージュで運転されている旧式の車両であれば、少しコードをいじくってエンジンを発動させることは動作もない。
当然悪目立ちを避けるために照明は点けないが、周りが見えずに困る、ということはない。
暗闇の中でも夜目を利かせて周囲を見通すスキルは、【霧】の養成学校でも割と早い段階で教わった技術だ。
ホテルを抜け出し、ヒルリへ向かい、【歌声】の施設に向かい、視察し、帰って来る。
この日のこの計画の為に、私は一年以上の工作を続けてきたと言っても過言ではない。
約束の起床時間は六時。
目的地へは二時間あれば到着するので往復で四時間。
ヒルリに到着すれば、一時間で【歌声】の施設を見て回り、実態を突き止めなければならない。
かなりの過密スケジュールな上に命懸けの作戦だが、次チェルージュにいつ来れるかわからない以上、どんな手段をもってしてもヒルリの施設に向かうことが最優先だと言えた。
夜景の中でうっすら見えた標識が、ヒルリまであと少しと知らせてくれた頃。
ルドヴィシに到着した時と同じような、強烈な悪臭を感じた。
柱に、人体ほどの大きさの何かが吊るされているのも確認した。
深くは考えたくなかった。
だが、ここにもあることは確かだった。
ルドヴィシで見た地獄が。
脳内で半ば強引に思考にロックをかけて、目を逸らすように移動した。
衛星写真から確認できた【歌声】の製造施設の正確な位置は、脳内で確認済みだ。
後はその位置と自らの現在地を照合し、そこまで車を移動すればそれで済む。
半時間車を走らせていると、無骨だが、それでいてやけに威厳のある建物が見えた。
活動歴十五年以上のスパイとしての直観で、あの場所こそが目的の施設だと確認できた。
当然正門突破は無理なので、施設の数十キロ先で車を降りて、徒歩で施設の裏口へと向かった。
容易にピッキングできる旧式の鍵がかけられた裏口の扉を開け、内部に入った。
当然、開けた扉はちゃんと鍵ごと閉める。
本来国家が秘密裏に開発している兵器の制御室であれば、現状世界でも最新鋭のセキュリティ装置である【防犯カメラ】が設置されていたとしてもおかしくはない。
だが、現状櫻宗の軍事基地に配備されている防犯カメラですら、総録画時間は八時間に満たない上に、画質も白黒で侵入者の存在を感知しづらい。
社会主義国のチェルージュで配備されているであろう防犯カメラも事前に【霧】の同胞が調査済みだが、録画時間も画質も櫻宗のものに劣る劣悪品だという。
作業服(櫻宗から持ち寄せた、チェルージュのニュース映像を参考に作らせた変装用衣装)に身を包んで歩けば、カメラの目はごまかせると踏んだ。
施設構造のセオリーから言っても、あの手の兵器は地下にある。
単純に隠しやすいこと、地下通路などのルートで、衛星写真で明るみに出ない極秘ルートでの兵器輸送が可能なこと、などがその理由だ。
そう思って地下へと続く階段を足音を立てずに下っていくと、巨大な扉のある部屋にたどり着いた。
扉上部の【制御室】と記されたプレートを確認して、私は数秒のピッキングで内部に忍び込んだ。
巨大な兵器が目の前に見えた。
各種計器が所狭しと並べられている。
その各種計器を見た、私は。
「フッ……」
私は全てを察したかのように、吹き出した。
「なるほどな……フフフ」
すべての答えが、その中にはあった。
自分の中で、緊張が解けていくのを感じる。
目的の場所で目的を完遂で来たゆえの達成感だろうか。
あるいは、私にはその場の光景が単純に滑稽だったのかもしれない。
命を賭してたどり着いたこの場所で待っていた、あまりにも拍子抜けな結末が。
そうやって弛緩していた緊張の糸は、しかしすぐに張り詰めることになった。
カツ、カツ、カツ……
静寂を破るかのように、心地よいリズムの足音が聞こえてきたのだ。
隅の目立たない場所に隠れ、足音の正体が誰かを確認する。
【霧】で過去潜伏したスパイの情報から言っても、この時間帯はヒルリの施設に科学者が出入りする時間ではない。
このような深夜に足音が聞こえるなんて不自然だ。
あるいは、秘密警察による抜き打ちの監査だろうか?
死角へと移動する一瞬の間、窓越しに足音の主の姿が見えた。
「あの女……来てたのか」
赤髪と軍服、そして腰に提げられた刀。
カトリーヌだった。
監察官の彼女がなぜ、兵器施設の見張りまで担当しているのか、今はそんなことはどうでもいい。
彼女と出会えば、一巻の終わりだ。
アイドルのプロデューサーが、現場の作業服を着て【歌声】の施設にいる自然な理由など存在しない。
見つかれば恐らく、拘束すらされることなく私は殺される。
ソラン島で彼女が斬った丸太のように、骨ごと真っ二つだろう。
すぐさま、入り口から見て部屋の左奥の隅に体を滑らせた。
カツ、カツ、カツ……
カツ、カツ、カツ……
どうも部下を連れてきているようだ。
仮に二人以上の部下を連れて、三人で部屋を調べられるようなことがあれば、見つかるのは時間の問題。
室内は整理整頓が行き届いており、人ひとりが三人の目を欺ける死角など存在しない。
さて、どうするか……
■ ■ ■
「糸目のあなたは、あっち。小太りのあなたは、あっちを調べてみて」
何か、胸騒ぎのする夜だった。
今、世界各国―――特に、隣国の櫻宗から、注目の的となっている、秘密兵器の【歌声】。
一大プロジェクトが起こった裏には、何か水面下で大きなことが動いている。
はっきりとした根拠があるわけではないが、その夜私はそんな予感がしていた。
私は【歌声】の管理に直接は関与していないし、【歌声】の具体的な性能すらも知らされていない。
が、保衛部の課長として【歌声】の秘密厳守に関連するある程度の権限は認められている。
そう、例えば―――工作員を消す、など。
工作員を消す、と言ったが、工作員は職務上、自分で工作員と名乗ることはありえない。
それが何を意味するか。
私が自分で工作員と判断した人物を、抹殺する権利を保持しているということだ。
入り口に【制御室】と記された正方形型の部屋、その隅に位置する入り口から見て両側へと、二人の部下を探らせる。
ほどなくして、私も室内にあった階段を上った。
室内に合った【極秘兵器】の内部を俯瞰で見降ろせる、来客招待用のタラップだ。
正方形状の室内に対角線を描くように設置されたそのタラップを登れば、【極秘兵器】の全体像を見回すと同時に、室内の広範囲を視界に入れられる。
内部に入り込んだ侵入者の存在も、容易に割り出せるというわけだ。
正方形の線上を伝うように、探り出した、部下二人。
対角線を歩くように、タラップから部屋を斜めに歩いた私。
今の私たち三人の監視で、室内の全域を視界に収めることができる。
侵入者がいかに逃れようとも、今の私たちから逃れることはできない。
部屋の各部を舐めるように睨みながら、隅へと歩いていく。
今室内に誰かがいれば、我々に徐々に追いつめられる形になるだろう。
やがて、部屋の隅―――入り口から見て対角線上の場所へと、行き当たる。
そこには。
誰の姿もなかった。
「気のせいかしら……?」
ほどなくして部下の二人と合流するが、彼女たちもなんの以上も発見できていなかったようだった。
「誰かの存在に気付かなかった?」
「い、いえ、何も……」
部下の選定には気を使っているつもりだ。
彼女たちがいくら無能だとしても、密室内の侵入者にすら気づけなかった、などということはないだろう。
その場にもう少し居座り続けることにした。
数秒の間に、足音や息などでしっぽを出した工作員もいる。
ほんの数秒の時間目を見張れるかどうかが、スパイ発見のための重要な分岐点になる場合もあるのだ。
しかし。
「カトリーヌ様」
「何?」
入り口であいさつを交わした監視モニター室の警備員が、制御室の入り口から私に声をかけてきた。
「至急、司令官よりルドヴィシの宿泊施設に帰還せよ、との命令です」
その言葉に、私は顔をしかめながら、思わずため息をついた。
ネズミ一匹の尻尾すら掴むことができずに、帰還することになる。
いや、監視・警備は無駄骨に終わってこそ意味がある。
誰もおらず、何もなければ、それに越したことはない。
そう思いなおしたけれど。
心のどこかでは、その部屋に起きた違和感をぬぐいきれずにいた。
■ ■ ■
【霧】には、相手に決して気配―――ひいては、存在自体を悟られないように動く独特な歩法が伝統的に伝えられている。
原理は完全には解明されていないが、足音、呼吸、目や耳の動きすらも極限までコントロールすれば、対象となる相手の脳・神経に自分の存在を察知させない芸当すら可能となる技術。
かつての櫻宗では【忍術】と呼ばれた技術でもある。
【霧】の幹部たる【彼】は、この技術を【
制御室を調べたカトリーヌ、他二人の目には、同じ部屋にいるはずの私―――現場の作業服を着たカナエ・シモツキの姿は一切移りこんでいない。
過去の敵国でのスパイ活動で潜入工作がバレそうになった時、私は幾度となくこの技を使うことで切り抜けた。
私の上司である【彼】がいつの間にか私の元に現れ、いつの間にか消えているのも、この技術の応用だ。
相手の視線の動きを読み、逆説的に相手の【視線の外側】を意識する。
相手の【視線の外側】を意識し、潜り込むことによって、無意識的に自らの存在を悟らせない技術。ある種の催眠術ともいえた。
今回相手はカトリーヌを中心とした三人だったが、全員に共通する死角に、私は何とか入り込むことができた。
尤も、呼吸を整え、精神を極限にまで集中しなければ使えない技なので、何分間にもわたって使い続ける、あるいは何度も使う、などという芸当は【彼】でもない限り無理なわけだが。
なのでその場にカトリーヌが居座り続けたときは、この【工作技】をもってしてもこの状況を切り抜けられないのではないか、と背筋が凍った。
耳でカトリーヌを乗せた車が立ち去るのを確認してから、私は制御室、ひいては施設自体を後にした。
停めていた車―――カトリーヌのような存在に見られないように、林の中に隠しておいた―――のエンジンを手動でかけ、私は帰路に着いた。
「時間ですよ、カナエ殿」
「ふあぁ……おはようございます、今行きます」
車を基の状態で元の位置に戻し、宿泊施設の自分の部屋に戻り、寝ぼけた態勢で、さも疲れで長時間眠っていたかのように起床し、ミシェルに挨拶をするまでの時間は、わずか三十分だった。
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