22話-交渉-
「うーむ……」
櫻宗からチェルージュのララバル国際空港への二度目の渡航中。
旅客機内のファーストクラスの席で、私はミシェルが櫻宗にいるチェルージュの大使を通じて渡してきたとある書類とにらみ合っていた。
ミシェルとの話し合いで、コラボプロジェクトのコンセプトは、【自然との調和】に決まった。
元々チェルージュ国は、国内にある美しい景観を持つ自然の風景画、風景を印象的に伝える詩、文学、音楽などが発展していた国だ。
櫻宗の国民たちに今のチェルージュを魅せるプロジェクトとなれば、国土上の大自然を前面に押し出すのが最善だった。
広告撮影で使う衣装も、大自然の中で地母神に歌と踊りを捧げる、櫻宗・チェルージュ、それぞれの伝統的な巫女衣装をイメージしたものに決定している。
我々の二人と、チェルージュ国のアルルカとで結成した合同ユニットが、今回のプロジェクトの目玉となる合同ライブのトリでこの衣装を着て、このライブのために用意された楽曲を歌うことになる。
櫻宗国でも、標高七千メートル級の山脈や、各県を貫くように流れる大河など、自然の景観が美しい地方がPV、広告の撮影場所として選ばれている。
そして、チェルージュ南部に位置する都市、ヒルリは、同国有数の大湖がある都市だ。
自然をテーマとしたプロジェクトであれば、その都市も広告・PVの資材の為に撮影場所にせざるをえない、そう考えていたのだが。
「まあ予想していなかったわけじゃないけど……載ってないな」
今回の渡航で視察予定の、コラボプロジェクトで、PVや広告の撮影場所として使用するチェルージュ国の都市。
そのリストの中に、【歌声】の施設があるとされる南部地方の都市、ヒルリの名前はなかった。
それどころか、ヒルリを始めとする南部の都市は一か所も今回のリストにはなかった。
今回視察する都市の最南端からヒルリまでは、車でも八時間ほどの距離だ。
今回の視察は、ミシェル以外にもカトリーヌが同行することになっている。
実質的な監視者のいる視察に、単独でそこまでの遠方へ向かうことは不可能と言ってよかった。
コラボプロジェクトを合同開催する国家とはいえ、あくまでお互い二十年前に争った敵国同士だ。
秘密の兵器の開発が噂されている場所に、無理に櫻宗人を入れるわけにはいかないのかもしれない。
しかし予算的にいつまでもコラボプロジェクトを継続させることができない以上、今回の渡航でヒルリに向かうことができなければ、次いつヒルリへと向かう機会が訪れるかわからない。そして次の機会を待っているうちに、【歌声】の脅威が櫻宗にふりかからないかもわからないのだ。
今回の渡航の中でなんとかしてヒルリに向かう作戦を考えねば、という思惑を秘めつつ、私は眼前のミシェルにあるものを渡した。
「これが、今回のコラボプロジェクトの記念バッジです」
あれこれ思いを巡らせていたが、無事ララバル国際空港への二回目の到着となった。
今回は直に出迎えてくれたミシェル相手に、それなりに名のあるデザイナーによって考案されたデザインの記念バッジを渡す。
「今回のプロジェクトの記念として、受け取っておきましょう」
「私はもう付けてます。お互いにこのバッジ、大事にしていきたいですね!」
そうやって自分のスーツの胸部分に付けられたバッジを見せつける。
プロジェクトへの熱意の協調であると同時に、こちらの敵意の無さを示す意図もあった。
「仲が良いのね」
そんなこちらの敵意の無さを一切信用していないかのような、険のある声音。
振り向くと、やはり彼女もそこにいた。
血の色の挑発、腰に提げられた大刀。
「今回の来訪では、私とも仲良くしてほしいわね」
そして、得体のしれない不気味さを孕む笑み。
カトリーヌだった。
◆ ◆ ◆
チェルージュに入国したその日の午後から、私たちは即6~8人乗りのバンに乗り込み、視察を開始した。
大河の流れる小さな町をカメラを持って歩きながら、私は話題づくりも兼ねてミシェル相手に会話を試みた。
「できれば、アルルカの直属のプロデューサーさんとお話がしたいですね!」
「死にました」
明るく話をしようとしていたのに、ミシェルに急に流れを断ち切られた。
「半年前に、心臓発作で。以来、ステージの手配など主たるプロデュース活動はボクが」
その後、バンの中を沈黙が支配した。
赤信号を前に止まるバン。
窓を通して、風が一薙ぎ我々二人の間を通り過ぎた。
心臓発作、と語るミシェルの声音の、もの悲しさとは異なる重苦しい雰囲気に、私は全てを察していた。
「さて、では案内します」
一か所目の視察場所への到着時、何か気持ちを切り替えるかのように、ミシェルはバンからの下車を促した。
実際に現地に来て初めて実感したが、チェルージュの大自然の景観には、目を見張るものがあった。
櫻宗と目と鼻の先に位置する国だというのに、櫻宗には全く見られない神秘的な自然の風景が数多く存在している。
そして、だからこそ私は思った。
こういう場所こそ、兵器施設の隠れ蓑としてはもってこいだろう、と。
「ところでリストに、加えてほしい都市があるんですが」
「ヒルリなら、無理ですよ」
自然な提案を試みたが、あっさりと、断られた。
「櫻宗やステラス連邦のような資本主義国にとって、アイドルという事業は国の要です。アイドル事業を共同で行うのなら、同じようにチェルージュという国の要たる、広大な大自然。それを象徴する大山脈のあるヒルリでの写真を広告素材とすることは、多くの櫻宗人たちの望むところだと思うんですが……ダメですかねぇ??」
またしらじらしい虚偽を語ってしまった、と思った。
広大な大自然、といえば聞こえはいいが、ソラン島のそれと違ってチェルージュは観光客用の整備がされておらず、そもそも舗装すらされていない道も少なくない。
PVの撮影場所にするには、あまりにもインフラが整っていなさすぎるし、うら若きアイドルを映す広告の背景としては無骨すぎる。
そして誰に伝えるでもなく、私は思っていた。
総主席の前で紹介した合同ライブは、やはり夢のままで終わらざるを得ない、と。
仮に実際に合同ライブを行うとすれば、企画から運営までにかかる費用はさしもの【霧】でも賄いきれないだろうから。
「単純に南部の方にも、調査してみたい、という思いもあるんですけど」
チェルージュでの文化の中心地として最も有名なのは首都・ララバルだが、同国には北部派、南部派という文芸流派が存在している。
我が国で出版されているチェルージュに関する歴史書を見やれば、南部派と北部派の絵画を比較するように並べて映したカラーページが数多く見つかる。
より古い歴史を持ち、世界的にチェルージュの伝統文化として評価されているのはララバルを含めた北部派だが、戦前のある時期まで新しい芸術として高い評価を得ていたのが、南部派だった。
チェルージュの南部派の絵画は、特にかの地の大自然を数多く描写している。チェルージュで自然をテーマとしたプロジェクトを行うならば、本来南部の都市を避けて通るわけにはいかないのだが。
「そもそもあそこは関係者以外立ち入り禁止です。チェルージュ人でも誰もが入れるというわけではない」
はっきりと私の提案を却下するミシェル。
秘密主義と石頭の合わせ技で、頑として南部のヒルリにはよそ者を入れない手筈らしい。
「しかし、自然の遺産として国力の宣伝になるのではと」
「あいにくですが、ここからは政治問題にもかかわって来るので、そもそも経済顧問の私には許可の権限は与えられていません」
「そ、そうなんですか……」
ミシェルの言葉に、直接かの地へ向かうことの許可をとることは無理だと判断した。
仕方ないと判断した私は、第二案をとることにした。
プランが行き詰まった時のために二の矢三の矢を用意しておくのは、スパイの基本だ。
「わかりました! じゃあ、ヒルリへの視察は諦めます」
「えぇ、残念ですけ……」
「では、このルドヴィシって都市はどうです?」
この視察ツアーでは、エフェドとラマシュという都市間をめぐる際に、チェルージュ有数の大山脈を抜けることになっている。
大山脈であるため、普通に通過するだけでも一日以上を要する。
視察となれば、数日間は抜けることのできない場所だった。
エフェドとラマシュは、二つとも南部地区と目と鼻の先にある街だ。
この二つの都市を挟んで大山脈があるわけだが、同都市群と逆正三角形を描くように、南部の都市・ルドヴィシが存在する。
南部の最北端とも言えるこのルドヴィシからヒルリまでの距離は、車で行けば約50キロメートル。一夜の間に向かうことのできない距離ではない。
遠出にはなるが、エフェドから大山脈ではなく、ルドヴィシを経由してラマシュへと向かうルートを辿れば。
「アルルカさんの美点と言えば、やはり彫刻のような美しさですよね? このルドヴィシはヒルリの大湖ほどではないにしろ、切り立った岩山がそこそこ有名だったはずです。無骨な岩山を背景にして撮れば、よりアルルカさんの美貌が際立つのではないかと」
「しかし、【自然の景観】の視察に来たというのに、かの山脈を視察しなくてよいのですか?」
「いやいや、視察ツアーはありがたいですが、流石に大山脈を渡りきるスケジュールには骨が折れますよ。次視察の機会ができたときに重点的に大山脈視察を行う方針で……」
「そういう問題じゃないと思うけど」
割って入ったのは、カトリーヌだった。
何かを察したかのように、ミシェルは私から目を逸らした。
「ルドヴィシに行きたいのよね? あなた」
「えぇ、PVの素材は多ければ多いほどいいと思っていますから」
「あそこは、自由主義国・資本主義国の人間の行くところじゃないわ。たぶん広告を
撮るという理由で行くには、あまりにも代償が大きすぎるんじゃないかしら」
この言葉を私に向けているカトリーヌの口調からは、いつも私に対してやっているような煽るような調子が控えめになっていることが感じられた。
なんとか食い下がろうとしていた、その時だった。
「その提案、承諾するわけにいかないでしょうか?」
カトリーヌの声とはうってかわって、低い成人男性の声が耳に響いた。
中肉中背の、メガネをかけたチェルージュ式背広姿の男性が、私に近づいてくる。
名前は確か、ダント氏だ。
今回の訪問で空港に降り立った時、ミシェルに紹介してもらった。
「今回のシモツキ氏の訪問は、チェルージュにとって大きな第一歩となるはずです。この第一歩の中で、彼女にもこの国の多くのことを知ってほしい」
「……あなたがそこまで言うなら」
了承。
私は安堵の表情を見せつつも、心の底から安心することはできなかった。
ニタァ……という、今日見た中で一番の邪悪な笑みを、カトリーヌが見せてきたからだった。
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