17話-尋問-

 脳内を悪寒が走る。


 椅子から立たせて突き落とすだけで、私の体は虚空の彼方へと放り投げられる。




 ―――バレたのか?


 いや、しかし、私の共同事業計画は総主席自身の了承を得ているはず。


 総主席に無断で私を殺せば、損をするのはカトリーヌのはずだ。




 ―――もしや、私の正体を総主席にも報告済みなのか?


 私をこの国におびき寄せ、処刑するつもりで呼び寄せた?


 いや、そうだとしたら、回りくどすぎるのでは?




「勘違いしないでね? 私、あなたのことは好きなのよ」




 様々な思索が巡り巡っている中で、目の前のカトリーヌの声が響いた。


 発言とは裏腹に、奇妙な感覚を感じる。


 冷たい。私を好いている人間の雰囲気ではないことは確かだ。




 かと思うと。




 ガコオオォォン!!!




 何か大きな物体が、宙に浮いて風圧で飛ばされている音が聞こえた。




「こう見えても、チェルージュ人の中では人間が好きな方だしね」


 恐らくは、何かを後方の宙に向けて飛ばした。


 荷物?武器?


 風を切る音から判断して、何か重くて硬いもので、直線ではなく曲がった形をしたもののように聞こえた。


 そこから思考回路を巡らせた先に会ったのは、寒気のする予測だった。




 (カトリーヌこの女、椅子を機体から外している……!!!)


 おそらくは、カトリーヌの足元に、なにかペダルのようなものがある。


 それを踏みつけるだけで、椅子が機内の床から外れる仕組みになっているのだろう。


 今の機内の状態だと、固定するものの無くなった椅子は、そのまま真後ろの宙へ放り出されることになる。




 今私は、生と死の狭間にいるということだ。


 私を立たせるまでもなく、彼女の行動一つで私は絶命する。




「特に好きなのが、人間の尊さを感じる一瞬でね」


 暗闇での思考の中で、カトリーヌの淡々とした言葉が異様なほど冷静に頭の中に入ってきた。




 恐らくは、彼女の手で殺された先人のスパイたちの話をしている。


 今この話をするということは、恐らく、先人のスパイたちもこの機体で宙に放り出されて処刑された可能性が高い。




「不思議なものでね、たまに銃口を突きつけられても、家族や仲間の居場所を言わなかったりするの。素敵だと思わない?まあ、利用価値がないってことだから殺すんだけどね」




 もう一度、カトリーヌがペダルを踏む音が聞こえる。


 ブラックホールに吸い込まれるかのように、また何か重たいものが外部へと放り出される音が聞こえた。


 音の聞こえた位置から言って、私の二つ隣の椅子が虚空へ放り投げられた。




「だから私、クセになってるの。瀬戸際まで追い詰めて殺すのが」




「あの、わかってるんですか……? たとえあなたが私に関してどんな想像をしていようと。私はアイドルのプロデューサーなんですよ」


 私のこの発言は、自分が助かるためだけにした発言ではない。


 仮に私が死んで、【霧】から新たなスパイがこの国に潜入する際、何かしらのきっかけでこの場所の録音音声、あるいは監視カメラ映像を入手するかもしれない。


 そうすれば、チェルージュが無実の民間人をスパイと認定して殺害した、という理由で国際的に非難するためのアイテムとして使われるはずだ。


 私が死んでも、後に続くものが仇をとってくれる。


 今の私は、自らの死をも想定しなければならない状況にあった。


 今の私の命は、完全にカトリーヌ―――仮想敵国の軍官が握っているのだから。




「わかってないわねぇ。今までの二十年、私たちがどれほどのスパイを処刑してきたと思ってるの? おかげで、どんな性格でどんな行動パターンの人間がスパイをやっているかまで、なんとなく読めちゃうのよねぇ。」




 ガコォン!!!


 こちらの発言など全く意に介さないカトリーヌの発言と共に、真隣の席の椅子が虚空の彼方へと消えていく音が聞こえる。


 ほぼ文字通りの意味で、首の皮一枚つながっている状況だった。




 布と瞼の間が湿っているのがわかった。


 首筋にじっとりと数滴の雫が流れるのも。


 しかも冷たさを感じる。


 ―――冷や汗?


 私がかいた冷や汗なのか?


 いついかなる状況でも、冷静に機械的に状況に対応しなければならないスパイの私が?




「それは極論、今あなたを殺しても、後でスパイの証拠をでっち上げれば私は何も言われないってこと。まして私は今【霧】の写真と顔認証システムの演算結果を握ってる。で、この状況。 わかるゥ? この意味するところが」


「……カッ……!!」


 無意識下で、彼女の名前の一部が小声となって出た。


 証拠のあるなし関係なく、私を殺す。


 そういう目的でこの機に私を乗せたのだとしたら、私はカトリーヌという女の異常性を侮っていたのかもしれない。


 本物の狂人を見抜く能力はスパイ活動で身に着けていたつもりだが、不覚だった。




 ―――死ぬのか。




 ―――ならば。




 ―――できるものなら。




 ―――できるものなら、もう一度、彼女たちの歌を……






【まもなく総主席官邸です。これより、高度を下げ、着陸態勢に入ります】


 機内アナウンスから、パイロットの声が聞こえた。




 グォォォ……ガチャン!




 輸送機のハッチが閉まる音が聞こえたかと思うと、風を切る轟音の音も止まった。




 ―――助かった……?




「もう少し様子見してあげる。あなたとミシェルが組めば、もう少し面白いおもちゃがみられそうだから」


 彼女のその発言と共に、私の頭の目隠しがほどかれる。


 頭を縛られている感覚が無くなり、視界が一気に晴れた。


 少し目を慣らすのに苦労したが、少し経って目の前、窓越しに映ったのは、執務室で毎日のように写真越しに見ていた総主席官邸だった。




 人を殺しかけておいてすました顔のカトリーヌをほぼ無視して、私はおぼつかない足取りで、タラップから降りた。




 左右に整列するチェルージュ兵士の列。


 その先―――私のはるか遠く、真正面に、案内人のようにミシェルが立っていた。




■  ■  ■




 ―――あの女、名前がない。


 カナエ・シモツキという名前を名乗りはしたが、あんなもの仮の名前に決まっている。


 私、カトリーヌは、彼女の正体について、頭を回転させていた。




 彼女に告げた【顔認証システム】に関することは、半分は本当で半分はウソだ。


 流石に【顔認証システム】などという先進国の最新鋭の科学技術を、我が国が所有するには至っていない。


 ただ極秘に入手した【霧】の写真を、我が国のスパイが極秘に入手したのは事実だ。


 カナエ・シモツキを名乗る女の面影がある少女も、見つけることができた。




 仮の名前で我が国に潜入するスパイであれば、雇い主が当人に対して使う【真の名前】があるはず。


 現にチェルージュ国の安企部には、その【真の名前】を割り出し、スパイ容疑で投獄、処刑した外国人の記録もごまんとある。




 だが、カナエ・シモツキを名乗る女に似た少女を含む写真に写った生徒たち一人ひとりが、なんという名前でどういう出自かは、チェルージュのスパイの手をもってしてもついぞ突き止めることができなかった。




 導き出される仮定が一つあった。


 あの女には【本名】がないのだ。


 本名がないから、何者にも化けられるし、突然姿を消すこともできる。


 おそらくは、スパイの卵になるにあたってかつて持っていた名を捨てたか、、元々本名を持つ必要がなかったか、だ。




 自らを表す最小限の記号として誰もが持ちうる名前を、あの女は有していない。


 確たる名前を持たない子供たちに、名前を持たないままの諜報活動をさせる。


 なるほど、櫻宗もなかなか国家のようだ。




 その仮説で考えると、【霧】の少女とカナエ・シモツキを名乗るあの女の接点は無くなるし、あの女がスパイであるという確たる証拠はなくなる。現時点での証拠だけであの女を糾弾しても、ミシェルや総主席の反発を食らうことになる。もう少しの証拠―――例えば、彼女がこのチェルージュでの渡航で、何かを見つけ出そうとしている証拠などが見つかれば、一度の糾弾で即投獄できるはずだ。




 もちろん櫻宗に住む、政府とは無関係なただの変人という可能性も捨てきれない。


 ただ、スパイだった場合。




 彼女は間違いなく、殺しておかねばならない女だった。




「いや、いっそ即殺しちゃおうかな。証拠なんていくらでもでっちあげられるし」

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