18話-洞窟-

 「総主席を見て驚かれるかもしれませんが、当然外見について触れるのはタブーです」


 主席官邸の応接間で待機していた私に、忠告をするミシェル。

 これからの計画などに関する思考の一切をいったん打ち切り、これからのチェルージュ国国家元首との対話に神経を集中させる。

 我々には再会の挨拶をする暇はなかった。


 ミシェルに招待された先にあったのは、王宮の祝賀会会場ほどの大きさもある談合室だった。

 百人単位の人間を集められそうな空間だが、今いるのが私とミシェル、そして数人の護衛だけなので、絵に描いたような伽藍洞の部屋だったし、正直空間を持て余している、という印象を持った。

 規模のわりに密度が低い、という意味では、あのビルばかり林立していてろくに人がいないララバルの都市と同じだ。


「どうか、お忘れなく……」


 気のせいか。

 ソラン島でも、この官邸でもほぼ終始無表情だったミシェルの声音が、恐れの色を帯びた気がした。


 柱が印象的な廊下を、高く響き渡る靴音とともに歩き、その談合室に着いた。

 壁には、若者たちや子供たちを導こうとする総主席の写実的な絵画が飾られている。


 数分後、目的としていた人物が、前後左右斜めの八人の護衛に囲まれて現れた。


 大袈裟なほどの数の護衛に囲まれて、テレビのニュース番組でも何度も見た顔、その実物―――チェルージュ国総主席、キリーロ・ベズーの姿が目の前に現れる。

 と同時に、その人物の歩き方が明らかにふらついていることが遠目でも分かった。


 直視はしなかったが(ミシェルに注意されているため)、ベズー総主席の正体は、見た目だけでなく動きやそぶりも痛々しい、義足でぎこちない歩き方をする老人だった。


 そういえばチェルージュ国のテレビで放送されるニュースでも、いつも上半身しか見えていなかった気がする。

 映像越しに姿を見せるのは建物の高所から民衆たちを見下ろすときだったので、下半身に損傷を持っているということがわからなかった。


「意外かね? 私がこのような醜い体で」


 ベズー総主席のその言葉に、私は無言・無表情の沈黙の維持を返事とした。

 反応次第では、総主席と彼が背負う国自体への侮辱ととられかねない。


「戦争以来、私は道具を使わんとろくに歩きもできんような体で生きておる。行く場所行く場所で、私は何かと火遊びと縁があってな」


 ゆっくりと、ゆっくりと言葉を紡いでいくベズー総主席。

 言葉の一つ一つが、鋭利な刃物のように思える。


「だが、すべては、【子供】を守り、育むためにやったことだ」


 ベズー総主席は、戦時中、前線での戦いを指揮した男だ。

 その場での指揮能力を評価されて、今の地位に上り詰めた。


「私の国はいわば【子供】。子供は遊びという文化で友人を作るものだ。私の【子供】にも、文化を伝えたいと考えたのだ。資本主義諸国と、【友人】となるためにもな」


 子供、か。

 子供が親に従うのは当然の義務。

 独裁政権の元、彼の一声で連行される人々は、さしずめ彼にとっては教育なのだろうか。


「さて、カナエさん。君には、ミシェルと行う取引の内容を教えてほしい」



「……我々の新進気鋭のアイドルユニット【ロングデイズジャーニー】と、そちらの歌姫、アルルカさんとで、三人組のコラボユニットの結成を計画しております」


 これは疑似ライブ直前、ミシェルとも話し合った方針だった。

 櫻宗のカナタ、セツナと、チェルージュのアルルカ。

 既にコラボユニットとしてのデビュー曲と、ユニット共通の衣装はドゥミとも話し合っている。


「レコード販売、グッズ販売、お互いの国へのテレビ番組出演。多数の業界を巻き込んでの一大プロジェクトとなるので、収支も相応の金額となるかと」


 客人としての節度を保ちつつ、意図を分かりやすくはっきりと伝える。

 異国や犯罪組織への潜伏で培ったバランス感覚ゆえの口調だった。


「しかし何よりもメインは、やはり観光事業・広告事業への協力です」


 この場合の【メイン】は、私の脳内では二つの意味を内包していた。

 一つは総書記相手に話している通りのアイドル事業としてのメイン。

 もう一つは、私がチェルージュ国に来た理由としてのメイン。

 則ち、【歌声】の調査だ。


「広告の素材として、チェルージュ国の美しい自然の景色の撮影許可をいただきたいとかんがえております」


 チェルージュで【歌声】の製造施設が噂されている南部の都市・ヒルリは、美しい自然の景観で世界的に有名な場所だ。広告撮影という名目でなら、自然な形で向かうことができるはずだ。


「総額を合計すれば、契約時点で50万ベル。事業を完遂すれば500万ベルの利益は約束できるかと」

 尤も信用度の高いステラス連邦の通貨で、契約金を述べた。

 事前にタブーと知らされていたので、総書記と視線は合わせないが、視界には確かに表情を弛緩させる老獪な男が映りこんだ。


「また、将来的にはビッグイベントも計画しておりまして」

 これはチャンスとばかりに、私は追い打ちのように二の矢となる計画を告げた。


「衛星中継によって、二国同時アイドルライブの開催を計画しております」

 ここで私が話した内容は、ベズー総主席をその気にさせるために考えた少し大げさな計画だ。

 衛星中継なんて櫻宗でもまだまだ新しいメディアだし、実現性は低い。

 だがビッグプロジェクトを動かすなら、将来像はスケールが大きい方が食いついてくれる。


「現時点では二国間だけを視野に入れた事業ですが、総主席とドゥミ殿の判断次第では、世界中からの収益を期待できると思います。同意していただけたなら、ご署名を」


 私がその言葉を言い終えると、ミシェルが目くばせする。

 視線を受けた使用人らしき人物がさらに目くばせすると、別の使用人がお行儀よく契約書が置かれた盆を両手で持ちながら、ベズー総主席のすぐ隣にまで歩いてきた。

 ミシェルの視線を受けた使用人が、そっと盆に置かれた契約書を手に取り、テーブルの総主席の目の前に置いた。

 私が直接差し出せば済む話なのだが、この部屋はこの国に同じく、どこまでも総主席を中心として動いているようだ。


 差し出された契約書を、じっと見つめる総主席。


 ざっと文面を観終えた彼の口から、意外な言葉が漏れた。


「カナエさんは、テッサローの洞窟壁画をご存じかな?」

 思わず、振り向いて目を合わせかけた。

 思わぬ話題を振られて、一瞬気が抜けてしまったのだ。


「アモバスタ共和国領内の洞窟で発見された、三万六千年前の先史時代に描かれたとされる牛やマンモスなどの動物の壁画の事でしょうか?」


 余計な主観は加えずに客観的通説だけを述べる。この会話の主役はあくまで総主席であり、重要なのは彼がその壁画について何を考えているかだ。


「さよう。人類が文明社会を築くはるか以前から、絵で何かを表現しようとする情緒を有していた証拠であり、我々人類の文化の出発点の一つともいえる絵画だ」


 同じく客観的で、言ってしまえば月並みな説明を述べる総主席。

 先史時代の洞窟壁画にこの場で言及する意味は? 総主席はそれによって何を伝えたいんだ?

 一時間にも半日にも感じられる体感時間の中で、私は会話の方向性を手探りし続けていた。


「あの壁画の具材には、何が使われたかご存じかな?」

「赤や黄色の色には地元のオーカー土。黒や茶などの暗色には、はるか東方のアブラーサから輸入した酸化マンガンが使用されていたかと」


 話しながら内心、一見スパイ活動には何の役にも立たない知識であっても、いつ使い物になるかわからない、と自嘲していた。


「その通り。あの壁画には、とりわけ黒が印象的な色として使われておった。動物たちの体の輪郭を描いたり、微妙な陰影を表現したり、と。その壁画を描くために、はるか遠方だけで採れる素材を使用した、というわけだ」


 遠方、という言葉で何となく彼の発言の意図が読めてきた。


「おそらく、あの壁画を描いた先史人たちにとっては、苦心してはるか遠くの資源を入手し、利用してでも、表現したい何かがあったのであろうな」


「しかし、近年あの壁画は、危機にも置かされておるな」


「【緑の病】……ですか」


 外部空気の流入をきっかけとした微細藻類の繁殖によって、壁画が本来の色を失っていく現象の通称を私は述べた。


「皮肉な話ではないかね? 外部から持ち出された酸化マンガンで唯一無二の芸術となった洞窟が、同じく外部から持ち出された藻類によって芸術を失い、ただの凡百の洞窟になろうとしている、とは」


「【アイドル】という事業……チェルージュという洞窟にとっては、黒か……それとも緑か」

 回転するルーレットを見つめる賭博師のような、何かを値踏みするような目線で。

 

 慣れた手つきで、総主席は契約書に署名を記した。



 ……よし。


 状況が状況なだけに表情こそ崩さなかったが、心の中で私はここ数年で久々の【安堵】をしていた。


 これで、広告撮影というていで、チェルージュ国の各都市を視察、撮影できる。

 契約次第では、【歌声】のあるとされる都市・ヒルリにも行ける。


 基地を極秘に撮影すれば、謎に包まれた【歌声】の開発状況も解明できるはずだ。

 ついに、目的を達成できる。

 それで、国の平和を守れる。


 ―――それが、カナエさんの【やりたいこと】なんですね!


 アイドルの少女―――ホクシン・カナタの言葉が、その時私の脳内でこだました。


 脳内で、すぐに否定した。

 答えはとっくに出ている。

 国を守ることが、私のやりたいことだ。

 あの日の誓い以来、今日までそうやって生きてきたじゃないか。

 

 なぜだ。

 なぜ、彼女の言葉が、脳内で何度も響き渡るのか。


 これじゃあ、まるで。


 ―――これが自分のやりたいことじゃ、ないみたいじゃないか。

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