16話-渡航-
チェルージュの、ララバル国際空港。
社会主義国のこの国には観光客はほぼいない。
いるのは黒服の集団に囲まれた中年男性だとか、軍服を着た高身長の青年たちだとか、そういうカタギとは異なる空気を持った人々ばかりだ。
ホテル内のテナントの一室で、ミシェルからの電話を受けてから約一週間。
再発するかと思われた国境間の武力衝突は、意外にも兆しすら見られることはなかった。
おかげで、当初の予定通り私はチェルージュ国に降り立つことができたわけだが、何とも拍子抜けのする顛末だった。
飛行場から見えるララバルの街の景色には、ビルが林立していた。一見すれば、櫻宗国と比較してもかなり発展したビジネス街、といった趣がある。
でも、同胞のスパイによって、この町の実態は既に調査済みだ。
あの街に人はいない。
いたとしても、社会主義のポスターに描かれた二次元の人間たちだ。
タラップから降りた私は、入国審査もほどほどに、押し込まれるように送迎バスへと乗せられた。
送迎バスの窓から見るこの景色だけでも、お手本のようなプロパガンダのための計画都市ということが理解できた。
諸外国への宣伝に使用されるばかりで、都市として実際に運用されている機能はごくわずかといったところか。
時折、逆三角形やドーナツ型などの異様な形状の建物が目に留まった。
おそらく、櫻宗や櫻宗と諸条約を結んでいるステラス連邦のような資本主義国とは異なる、社会主義国としてのアイデンティティを模索しようとした結果、このような反機能主義的な建築物が数多く建設されたのかもしれない。
頭ではそう理解していても、車内でこのような異様な光景を見ていると気分が悪くなってくる。
今見ている光景が自分の見ている夢なんじゃないかと錯覚するほどだ。
【歌声】の基地に関する真相を知らなければいならないと自覚しなおし、気を引き締める。
空港からの送迎バスの終点。
現最高指導者、マクシミリアン・ロペスポランの、巨大な全身像が印象的だが、その像の足元にあたる場所で、複数人のチェルージュ将校が私を含む数人の海外からの来訪者を迎え入れた。
彼らを率いていたのは、私を呼び出したミシェルではなかった。
代わりに私の目に映ったのは、赤髪と、腰に提げられた、刀とその鞘。
カトリーヌだった。
顔には出さなかったが、まずい、と思った。
お互いに、決していい印象をもち合わせてはいない。
ミシェルがいれば共同事業に関する詳細に関しての話し合いができると思っていたが、彼女が相手ならまず話し合い以前の問題だ。
「あいにく官邸までの詳しい道のりは、国外の人間には公開できないの。というわけで、これを付けてもらいましょうか」
そういって彼女は、黒い目隠しの布を私に差し出してきた。
言われるがままに布を被る私の両手首を、何者か―――おそらくカトリーヌの部下が掴んだ。
おそらく、目的地への経路を教えないための処置なのだろう。
目を覆い隠される直前、自分以外の外国人にも目隠しがかけられようとしているのが目に映った。
外国人には、例外なく国内の詳細を知るのは認められないらしい。
視覚を暗闇に支配され、嫌でも緊張が走った。
任務中に目隠しをされるのは今回が初めてではないが、視覚は人間の情報収集の8割を担う部位だ。
されて気持ちのいいものではない。
足音から言って二人のチェルージュ人に両手首を握られながら歩き出す私。
「あの二人のアイドル、とやらもつれてくればよかったのに」
おそらく自分の前にいるカトリーヌが、おそらく自分に向けてコミュニケーションをとろうとしているのを察知して、数秒の思索の後、声に出してその言葉に応じることにした。
「彼女たちは歌って踊るのが仕事。今回みたいにプロジェクトを進めることが目的ではありませんから」
冷静に答えながら、内心では背筋が凍っていた。
平気で人権が蹂躙されている国にうら若き二人の少女を送り込むだなんて冗談じゃない。
ジェットエンジンの音が聞こえた。
エンジン音から言って、恐らくは旅客機ではなく、どういうわけか輸送機だ。
我々をあの輸送機に載せて、飛行場を経由して官邸へと向かうつもりなのだろう。
送迎バスの中で、音と平衡感覚でおおまかな空港からの距離と経路を推測しようとも思ったが、空路を使うのであればそれも意味はなさそうだ。
タラップを登り、機内の席へと座らされた。
当然のように、両側にいた軍人に手を後ろに回され、紐で縛られる。
確かに今の自分は捕虜のような状態だが、もう少し直接的な手法は控える努力をしてほしいものだ。
足音の音響から言って、あまり機内は広くもないし、輸送機としてはかなり旧式の機体であると分かった。
外国からの客人を迎え入れるにしてはえらく不格好な乗り物だと、見なくても理解できた。
「さて、と」
カトリーヌの声が聞こえる。声の方向から言って、彼女も私の真向かいの席に座ったようだ。
「まずは、チェルージュへようこそ。遠路はるばるの来訪、歓迎するわ」
口角を釣り上げただけで、目は笑っていない。
そういう表情を、目隠し越しでも想像することができた。
「実は私、あなたのことを調べさせてもらったの」
「調べる?」
言葉の意味を聞き返しはしたが、想定の範囲内の行動だった。
かつての敵国からの使者ならば、最大限の調査を行わない方がおかしい。
「新進気鋭のアイドルの事務所で活動する、プロデューサーみたいだけど……それ以前の経歴が、すっごく地味なのよね。レコード会社で数年働いただけって、あまりにもベタベタというか、無個性というか……アイドルが世界的に大人気なこのご時世、就職して一年で海外事業を務めるほどの敏腕プロデューサーという職務が、こんな特徴のない人間に務まるのかしら」
いかにも思わせぶりな口調で、私の経歴を語るカトリーヌ。
恐らくは私の工作活動を疑っての発言なのだろう。
チェルージュ行きが決定した時点で、彼女に会った時そのような嫌疑を賭けられることは覚悟していた。
だが今のところ彼女の発言は印象論の域を出ていない。
ずっとこの調子で続くなら、機内では無表情を貫いたままでいよう、そう思っていた時だった。
「面白い話をしましょうか。あなたたちの国……櫻宗には、確か諜報機関があるっていう噂だったわね」
彼女が【霧】のことを言っているとすぐわかった。
しかし同機関の歴史は大戦よりもずっと古いし、存在を示唆する公的文書はかなり前から公開されている。
チェルージュの軍人に言及される程度のことなら、動じるような状況ではない。
「【顔認証システム】のことは知ってる?」
想定外の言葉が、カトリーヌの口から出た。
顔認証。
顔の各パーツのパターンをコンピューターに読み取らせてデータ化し、記録するシステム。
先進国の科学技術でも最近注目され出したばかりの、発展途上の科学技術で、個人特定の制度が飛躍的に向上する技術として注目されている。
しかし私がこのシステムについて聞いたのは、あくまで先進各国での話だ。
「我が国の【顔認証システム】に解析させた各人の顔のデータはね、うちのコンピューターに逐一管理されているの」
思わせぶりな思考を言葉にして紡ぎ出すカトリーヌ。
【顔認証システム】によって、個人を特定する技術でもあるというのか?
先進諸国から経済封鎖をされているこの国に?
「ソラン島で会った時、監視カメラで撮影した貴方の顔も、そのシステムにかけたのよね。そしたら、面白い事実がわかっちゃったの」
あからさまに声の調子が変わるカトリーヌ。
目隠しの布越しでも、彼女の口角が憎たらしく吊り上がっているのが分かった。
何だ?彼女は何を掴んでいるんだ?
「そっちの国が公開してる【霧】の情報とは別にね……こちらの安企部が、戦争直後に撮影された【霧】管理課のスパイ養成学校の生徒たちの写真を極秘に入手したの」
……何が言いたいんだ?
そもそもそんな写真どうやって入手したんだ?
【霧】には確かに養成学校が存在するが、生徒写真など極秘中の極秘データだったはずだが。
「そしたら、なんとびっくり! 養成学校生徒の麗しい女の子の中に、貴方と顔のパーツがぴったり一致する生徒がいたのよねぇ」
…………
「気になるわぁ、この調査結果……双子かなぁ? そっくりさんかなぁ?」
……罠だ。
【顔認証システム】なんて先進国ですら最新鋭の技術が、この国にあるわけがない。
大体とっくに私の素性を掴んでいるのであれば、ここで説明するまでもなく射殺しているはずだ。
「その顔……他国にスパイを送り込んだのが、櫻宗だけだと思ってた?」
……動揺が少し顔に出てしまったのを見抜かれたらしい。
「それより監視カメラってどういうことです……あなた民間人相手にスパイ活動をしていたんですか? 私の正体に関係なく、国にバレたら国際問題になりますよ」
話題を逸らして、その場を切り抜けようとした。
「あら、スパイ活動ならそちら側だってやってることじゃない。ま、我々のはもっと透明だけどね」
あらかじめ用意していたかのような回答を返すカトリーヌ。
監視国家という性質上、他者を諜報するという行為においてチェルージュは櫻宗以上に優れていると言える。
確かに国内の人間だけでなく、国外の人間を監視しているスパイがいたとしてもおかしくない。
「予測できなかった? 櫻宗のスパイが誰かを見抜いたうえで、取引や拘束のためにあえて泳がせているということ。先に工作をしかけたのがそちら側なら、正当防衛が成立するし、国際問題になるのは櫻宗の方じゃないかしら」
彼女の声音は、ソラン島で会った時よりもさらに険を強めたように聞こえる。
少なくとも、友好的な雰囲気はまるで感じられなかった。
そのとき、私は自分に何度も言い聞かせていた。
もう何も答えない方がいい。
そもそもカトリーヌのこの一連の会話自体が罠なのだ、と。
どうせ彼女はハッタリを口にしているだけで、本当は私に関する証拠なんかなにも掴めていないのだ、と。
その時だった。
なにか大きなゲートが開く音が、後ろから聞こえる。
同時に、とてつもない突風が、私の体を席を引っ張るように吹いてくるのを感じた。
外部のゲートが、開いている。
恐らくは、ゲートの先は、奈落の底へと真っ逆さまに落ちていく死の入り口だった。
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