15話-結託-
櫻宗時間、午前三時四十七分。
櫻宗・チェルージュ国境間で、武力衝突が勃発した。
ソラン島・【迎春閣】での疑似ライブから一週間後、報告の為一時的に帰国した私の耳に、数日後に届いた出来事だった。
会社のオフィスを装った都内のテナントの一室で待機していた私は、次の日再び【彼】に会った。
「見ての通り、二国間関係は緊張状態にあります」
そう言って彼が指さしたオフィスに設置された付けっぱなしのテレビからは、櫻宗国とチェルージュ国双方の軍隊が来るべき時の準備を始めている、とのニュースがまことしやかに報道されていた。
えらく間の悪い武力衝突だ。
工作活動のためとはいえ、これからチェルージュと共同事業を始めようとする人間にとっては、そう思わざるをえなかった。
加えてあれから一週間、ミシェルからは何の返事も来ていない。
もしかしたら、アイドル事業を利用した潜伏計画は中止せざるを得ないのか。
そうなると、私が【ロングデイズジャーニー】の二人の元を去るのは、予定より早くなってしまう。
カナタとセツナを切り捨てる覚悟を、思ったより早めに決めておかなければならなくなるかもしれない。
そんなことを考えながら、私は目でテレビのニュースが報じる武力衝突に、耳で【彼】の指示に反応していた。
やはり、表情が読めない。
目の前にいる無個性な【彼】の姿からは、相も変わらずなんの心境も読むことができなかった。
右方と左方、手前と奥。あたしがそうやって微妙に立ち位置を変えるだけで【彼】から見える表情が変わる気すらしてくる。
扇動的なニュースばかりを報道するテレビと、いついかなる状況でも眉一つ動かさない【彼】。
映画の合成特撮のように、自分と彼が別空間の存在としか思えなかった。
ただ、【彼】に言われるがままにテレビの武力衝突の映像を見ていた私は、ふと、ある違和感に気づいだ。
「少々、計画を早めた方がよいかもしれません。万が一ですが、あちら側の攻撃が本格化した際は、こんなんでしょうが、プロデューサーの肩書を捨てて直接潜伏することも視野に入れておいてください」
「あの砲兵、我々と同じ【霧】のスパイですよね?」
気が付いたら、彼の指示への返事ではなく、質問をしていた。
会ったことはない。こういう顔の女性がいると聞いたこともない。
ただ、映像から判断できた。
動き方、走り方、直立時の佇まいから言って、迫撃砲の砲撃を担当していた兵士は、自分と同じ訓練を受け、自分と同じように工作活動のいろはを叩き込まれた、【霧】に所属する人間だった。
「スパイがなぜ、仮想とはいえ戦場の最前線にいるんです? 我々は工作員であって軍人じゃないでしょう」
「カナエ」
こ・の・時・限・り・の・、仮・の・名・前・で、【彼】は私の名前を呼んだ。
私が仮の姿を演じているとき、【彼】は決まって仮の名前―――いや、番号で私を呼ぶ。
「よく覚えておきなさい。我々は数多の工作活動で、世界を裏から操る人間の立場にいると錯覚しているかもしれない」
その時、【彼】の表情に、何かこれまでの彼とは違う何かが見いだせたような気がした。
幼年期に命を救われて以来、表情らしい表情を見せてこなかった【彼】。
正直彼と話すなら、人形や鏡を前にして話す方がまだやりやすいとすら思う。
しかし私の目ではなくどこかの空間を見据えながら吐いたその言葉は、何か感情―――もっと言うと、情動のようなものが感じられた。
「しかし我々も、政府の人間たちに操られる側の人間なのです。今のままではね」
彼がこの場でこの発言をする意図は、その時点だけでは判断しかねた。
ただ、様々な可能性を考慮した上で、ある感情が最も可能性が高いと考えられた。
それは【現状への怒り】。
しかし、私がその感情に同調することはできなかった。
「今のままでは」?
今やってる以外の生き方が、私にあるとでもいうのか。
物心ついてから、今まで、普通の学校や会社へ通うこともなく工作活動しかしてこなかった私に。
【彼】の思わせぶりな発言に対する私の思考は、携帯電話の鳴り響く音によって遮られた。
『来てください、ララバルの主席官邸に』
加工されているが、ミシェルの声だった。
ララバル、というチェルージュ国首都の名前に、自分でも何かが動き出す感覚を覚えた。
いよいよ、チェルージュ国が【歌声】を保有しているかどうかの調査が本格的に始まることになる。
『総主席が本格的に、共同プロジェクトの実行について話し合いたいそうです』
ほっと胸をなでおろす感覚を覚えた。
武力衝突によって緊張関係になっている二国である以上、共同事業も困難になるかと思ったが、むしろ緊張状態だからこそ、提携の一環としての共同事業に動き出してくれたのかもしれない。
ともあれ、一年以上動かしてきたプロジェクトが何の成果もなく終わる、ということにはならなかったようで何よりだ。
「お土産は、買って来なくていいですよ」
通話を切った私の耳に、【彼】の声が聞こえた。
振り向いた先には、もう姿はなかった。
この時私は、自分がカナタとセツナという二人の人気アイドルのプロデューサーである、ということを完全に失念していた。
二人のアイドルの顛末など、その時の私にとってはどうでもいいこと、そう頭では割り切っていたのだ。
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