10話-会合-
「登られたようですね。では一時間後の10時30分までにグランドホテルに戻ってきてください。館内の飲食店【梨月】でお待ちしております」
え? と聞きなおしかける。しかしその前に通話は切れた。
私とアイドルが潜伏しているホテルは、指定されたホテル【梨月】の隣に位置している。
向こうがホテルで悠長にこちらを待つ間、勝手に3時間も一人でバカみたいに島を横切るように往復していたことになる。
嫌がらせと取れなくもない支持に、しかし私は従った。
盗聴対策、及び強引な指示に私が従うかどうかを試しているのだろうが、この日のために一年間の準備をしてきたのだ。
この程度の指示、どうということはない。
近道を知り尽くした個人タクシー(櫻宗の政治局員の知り合い)を呼んで、なんとか目的地にたどり着いた。
料理店に入りしな、黒服の女性二人がおもむろに近づいてきた。
「あの、私は櫻宗国からの……」
こちらが言うが早いか、いきなりこちらの服と体をまさぐってきた。
仕事柄ボディチェックには慣れているし、ボディチェックで見つかったらまずいものは今は所持していないが、長期的に見て距離感は大事にした方がいい間柄だと考え、すぐに拒否する。
「ちょ、ちょっと! 待ってください!」
女性たちの手を振り払い、私はあわてて後ずさった。
「ボディチェックが必要なのはわかりますよ? でも、何ていうんですか、その、エチケットみたいなものにかけてないですか? いくらなんでも、挨拶よりも前に体をまさぐってくるというのは……」
「資質を確かめたかったからですよ」
黒服の女性たちとは異なる方向と距離から、声が届いた。
声の主は、少女―――いや、少年? いずれにしても、想像してたチェルージュ側の高官とは異なる、年端もいかない子供だった。
「チェルージュ人には外国人にやけにうるさい人間が多くてね。出会う前の時点で、その人の技量、性格、他人との距離感を確かめる必要があるんです」
当然声音とは違うが、声調や口ぶり、発話のリズムから言って電話音声の声の主だと理解できた。
加工音声の正体を見抜く技術は、スパイ訓練でみっちり身に着けてきたつもりだ。
また口調こそ少年のそれではあるが、手足の細さや瞳の大きさから言って、少女だとわかった。
「カナエ・シモツキさん。ようこそ、我が委員会へ」
おそらく彼女が、話に聴いていた経済委員会の統率者。
一礼するその佇まいだけで、得体のしれない大物だということがわかった。
「ボクは、ミシェル・ドゥミという者です。我がチェルージュの経済委員会の、対外部部長を務めている者です」
料理屋特有の丸型のテーブルに、私とミシェルは向かい合うように座った。
ミシェルの両隣には、二人の女性がいた。
一人は、優雅なドレスに身を包んだ銀髪の女性。
本人が存在感を極限まで消していたので目立たないが、その現実離れした美貌と瀟洒な服装から言って、おそらくはライブハウスで活動している、チェルージュ側のアイドルだろう。
もう一人は、軍服の女性。
切れ長の目からこちらを見据えるその視線は、明らかな敵意の色に染まっている。
チェルージュにとって櫻宗は仮想敵国なのだから当然だが、ミシェルや銀髪の女性があくまでポーカーフェイスでこちらを見ているのに対して、直接的な感情をこちらにぶつけてくる彼女の姿は、かなり目立っていた。
それにつけても、真正面の女性―――ミシェル・ドゥミの放つ異様なオーラに、私は圧倒されつつあった。
手足の細さ、瞳の大きさ、で辛うじて女性とわかるが、その中性的な顔立ちからは表情のようなものは見えるようで見えてこない。
感情がないわけではない。感情の山と谷は辛うじて表情や仕草から見え隠れしているが、それが具体的にどのような心情なのかが察知できない。
女性にしては珍しい一人称も、聞き手に興味
ひかせることで会話を自分のペースに持ち込むためかもしれない。
「しかし、驚きましたよ。経済活動でピンチなのはわかりますけど、助け舟を出すのがつい十五年前まで敵国だった国だなんて。加えて、今丁度難しい時期ですもの」
職業柄表情を顔に出さない人間を相手にしたことは何度もあるが、そういう時決まって私はこちらから積極的にコミュニケーションをしかける。
返答、あるいは表情の変化から、話し相手の価値観や思想を割り出すための話法だ。
「私は稼げればどこの国と組もうが構わないですけど、一体全体なぜ今この時期に櫻宗のビジネスマンと手を組もうと思ったんですか?」
とりあえず、こちらから質問をしかけてみる。
質問の返答次第では、チェルージュ国に関する情報を引き出せるかもしれない。
「……そうですね、貴方がそう思われるのも無理はないかもしれない。ですが例えば」
一秒程度の沈思の後、ミシェルはこう答えた。
「あなたから櫻宗の情報が引き出したかった、と言ったら?」
その場を、沈黙の天蓋が包みこんだ。
面白いことを言う女性だ。
この問い、こちら側の答えによっては、自分がスパイか否かとは無関係に、私はチェルージュと一生裏切れない協力関係を結ぶことになる。
その際何かの折に自分が諜報機関のスパイという事実が露呈すれば、チェルージュ国に収監されて一生脱出できない。
またそのチェルージュとの協力関係が櫻宗国にバレたとしても、機密情報漏洩の罪で本国で無期懲役だろう。
国家間関係上、櫻宗とチェルージュ、両方と対等な地位を個人が築く、という選択肢は非常に困難だ。
駆け出し時代の私であれば、ここで実益欲しさに早まって「はい」と答えてしまうところだ。
今の私がそう答えた場合どのような結果が予測されるかは、過去に他国の諜報組織と情報提供関係を築いたスパイが教えてくれる。
一度の情報提供をきっかけに始まった組織との関係は、その後しつこく情報提供依頼を迫る関係となり、遂には言いがかりに近い因縁を付けられて殺される。
櫻宗国の空港付近の市街地、霞ヶ角の共同墓地には、そのようにして散っていったスパイたち(仮名名義)が数多く眠っている。
今まさに私の目の前にいるミシェル・ドゥミも、今の問いかけで私をタンパク質製の監視カメラとして骨の髄まで利用するつもりなのかもしれない。
かといって、断ってしまえば、この時点でチェルージュとの共同事業計画は頓挫する。
正に八方ふさがりのの二択と言えた。
しかし。
「どうも、話が早すぎますね」
二択の選択肢を突きつけられているときは、選択肢が二つしかない状況自体が錯覚。
それが、【彼】から教わった事柄の一つだった。
「その場合の【情報】というのは、国の話ですか? それともアイドルの話?」
恐らく目の前の経済委員会幹部―――ミシェル・ドゥミも、本気で私から櫻宗国の情報が引き出せるとは思っていない。
「私なんて見ての通り幼いアイドル事務所に入り立ての若手のペーペー。国家の情報を聞き出そうというのなら、相手を間違えてると思いますけどね。ただ」
アイドルのプロマイドを持ち直して、私はミシェルに向きなおった。
「こちら側のアイドルの情報なら、いくつか持ち出せますよ」
【はい】でも【いいえ】でもなく、【努力しますが期待なさらないよう】という折衷案の返答を、私はそのプロマイドで示した。
「結構」
数日後、チェルージュ側の管理するライブステージのVIP席。
ライブステージと言っても、キャパシティは100人程度で櫻宗国の地下劇場程度の大きさしかない。
その日ステージで歌っていたのはお世辞にもパフォーマンスが上手いとは言えないアイドルで、客席の人影もまばらだ。
「ホテル【迎春閣】のステージで大陸合同ライブに参加する櫻宗国出身アイドルの、セトリをお渡しします」
島内最大級のカジノやレストランと共に、島内はおろか世界最大級のライブステージが併設された高級ホテルのライブに参加するトップアイドルたちの、セットリストを手渡す。
どのような曲をどのような順序で流すかは、【アイドルと、それをプロデュースする者たちが観客をどのような物語を与えたいか】を理解する鍵でもある。
曲目とその順序の中にはアイドルのコンセプトとそれを創造するスタッフ側の意図、ひいてはアイドルたちを支援する国家の思惑までもが秘められていることがある。
結果セトリ情報は、アイドル業界においてバカにできない価値を持つ情報となっている。
と言っても極秘中の極秘というほどではなく、【迎春閣】の関係者であれば普通に入手できる程度の情報だが。
「櫻宗のアイドル事情を知る機会をありがとうございます」
「では、合同事業は成立、ということで!?」
「その前に」
いよいよだ、と調子づく自分を制止するかのように、ミシェルは別のイベントを提示してきた。
「うちのカトリーヌ・ラ・ロシェルが、貴方に二、三質問したいことがあるそうです。ご協力を」
「よろしく」
カトリーヌ・ラ・ロシェル―――あまり愛想の良く無い挨拶をした軍服の女性に、その場を預けた。
軍服の胸ポケットにつけられたバッジは、彼女がチェルージュ国国家保衛部―――チェルージュ軍管理下の、秘密警察の士官であることを意味していた。
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