9話-別視点-
■ ■ ■
聞くだけで人を苛つかせる黒電話の着信音が、部屋中に響いた。
ボクと、軍服の女と、うら若き少女の三人が座しているホテルの一室。
将校の男は、手持ちのハンカチーフで神経質そうに、自分の両手を拭き取っている。
部屋の片隅には、不自然に吊るされたサンドバッグ。
「それで、何と言ってきたんだい?」
「大スキャンダルね。うちのバカモノが、プロデュースしてるアイドルとのホテル通いをバラされたらしいわ」
ここで言うバカとは、ボクたちが所属する組織―――チェルージュ国政府の軍事部高官の遠戚にあたる人間のことだ。
本来商業活動で私腹を肥やすことは我々の国では御法度だ。だがあのバカの場合は、コネクションを利用して堂々と闇事業を展開していた。
ただでさえわが国には個人的なアイドル事業に不満を持つ者も多いのに、それにプラスしてこのスキャンダルだ。
元々少ないアイドルを、この一件でチェルージュ国は失ったことになる。
巷では大偶像時代と言われる昨今、アイドルは国家にとっての宝であり、柱だ。
世界各国の民主化の中で軍事独裁政権を維持しているチェルージュも、世界自体の変化に適応し、発展しなければならない。
この国自体の、未来のためにも。
なお二人とも、情報が漏れたことに、櫻宗国の諜報機関が関与している、などということは、この時点では知る由もない。
「……アイドルの年齢から言って、完全に区の風営法違反。今彼は留置所に収監中だし、このままだと今後の事務所の存続にまで関わりかねないわね」
「言っておくが、腐っても我らが高官の身内だよ。彼を助けなければ、存続が危ういのはボクたちの方だ」
目の前の緋色の髪と、切れ長の目が印象的なスーツ姿の女性は、いかにも残念そうにため息をついた。
細目の笑い顔な彼女は、一見穏やかな表情を崩さない柔和な女性だが、彼女の裏の顔をボクは知っている。
こうやって今のうちにくぎを刺してしておかないと、凄惨な殺傷沙汰になりかねない。
というかついさっきも、彼女はや・っ・て・い・る・。
「こんなことになって済まない、アルルカ」
目の前の雪を思わせる銀白色のロングヘアが印象的な少女に、ボクは向き直る。
静止のやり取りがあったこの部屋で、人間の穢れた業とはなんの縁もなさそうな清楚な姿は却って幻想的で、より美しく見えた。
「構いません。ミシェル様が、私に歌の場所を提供してくだされば」
目付きは鋭利。女王のような気高さをも想起させる容姿と声。
スレンダーな体つきのラインは、書道家の流れるような名筆を彷彿とさせる。
ボクには、彼女の美しさが、美しき山河の国・チェルージュと、その民が織りなす伝統そのものの美しさにも見えた。
「……となると、他国との共同ライブしかない、というわけさ」
「情けない話ね。わが国独自の文化を広めようとしてこの島に来た我々が、他国の敷居でライブしなければならないだなんて」
「そうかもしれないね。だがこうも考えられないかい? 我々の目的のために、他国を利用できる、と」
「そういう理由で他国に着け行って、逆に利用される可能性だってあるわよね」
「ともかく、どうするの? 今更アタシたちのところと合同でライブしてくれるところなんてあるの?」
チェルージュという実質的な独裁体制国家は、国際的にはあまり好意的な扱いを受けていない。
独裁政権の発足した十年前以来我が国は先進諸国から経済封鎖を受けており、周辺諸国との関係はお世辞にもいいとは言えない。
プロパガンダ要素の強いアイドル事業で、共同事業を行おうと持ち掛けても、ほぼすべての国のほぼすべての事務所で門前払いだろう。
しかし、渡りに舟と言おうか、捨てる神あれば拾う神ありと言おうか。
幸いにもそんなボクたちの国と、協力したいという人間が現れた。
何の皮肉か、その人間は我々が世界で最も仲の悪い国の者だった。
「ルーが、面白い人を拾ったみたいだ」
入り口前を見やる。
畳針で胸元を串刺しにされ、不健康そうな血を大量に流しながら、壁にくぎ付けにされている男の姿があった。
ボクがこの部屋に来た頃には、既にこの死体があった。
バカにアイドル達とのホテル通いを唆せた、バカの子分だった。
「心配しないで、アルルカ」
「君のことはボクが守る」
ドロドロと流れている血液を注意深くよけながら、ボクたちは部屋を出た。
◆ ◆ ◆
結論から言うと、我々の思惑通り、チェルージュから電話がかかってきた。
チェルージュ系のライブハウスの役員が逮捕されるというニュースが報道されたかと思うと、ルー経由で我々のことを知ったチェルージュの経済委員会がこちらの携帯電話(一般市場では売られていない限定品。高価なため、諜報機関やアイドル事務所の重役にしか出回っていない)に通話をかけてきた。
受話器からの声は加工されており、相手の素性がどのようなものかは判別できない。
しかし。
「まずは8時15分・グランドホテル前発の409番のバスに乗って、ピシトゥ山の中腹地点の売店まで向かってください」
島の南側、つまり反対側に位置する島内最高峰の山に登れと言われた。
言われるがままに指定されたバスに乗り、2時間かけて指定の場所に到着する。
私服姿の観光客が楽しそうに売店を行き交う中で、スーツ姿の私の姿はかなり浮いている。海外事業者の会合場所としては、お世辞にも適しているとは言えない場所だ、と思っていたところに、携帯電話が鳴った。
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