5月

「好きな人がいるんだ」

 二回目の告白も、俺の友人の興味を手元の本以上に惹くことはかなわなかった。

「そうなのか」

 淡白な返しだけが、放課後の教室に空しく響く。


「もうちょっと、さあ、なんか反応してくれよ。お前の無二の友人が青春の恋に揺れ動かされているんだぞ」

「そうは言ってもな。前にそのことを聞いてから一か月、あれ以降何もお前が言わなかったから、すっかり忘れていたよ。実際、どれだけの人がお前のことを覚えていただろうな」

「どれだけの人が、って俺はお前にしか話してねえよ」

「おや、そうだったのか」

 どんなに思いの丈を語っても、こいつと話している限り、真剣なものにはならないだろう。相談相手としては間違いなく最悪な部類だが、こいつ以外にこんなことを話せる相手がいない。友人関係は広いけど、その分浅いのが悩みどころだな。


「……、一か月ぶりにお前のスキャンダルの話をするのなら、ちょっと聞いておきたいんだけどさ。お前は、お前の恋物語のオチを、一体どういったものにしたいんだ?」

 口を開いたはいいものの、続く言葉を見失った俺に対して、わが友人はそう声をかけた。

「どういうことだ?」

「ああ、わかりにくかったか。いやな、俺はてっきり、お前の想いは一人で静かに抱えておくだけか、もうすっかり消えてしまったか、と思っていたんだ。それが一か月経って急にまた話し出すし、お前自身がどうしたいのかが気になったんだよ」

 そう言った友人の顔は、俺が思っていたよりも真剣なものだった。ポーズとして、未だに本を読んでいるような恰好だったが、さっきからちっともページが捲られない。相談相手として最悪な部類、という評価は間違っていたようだ。

「前と変わらず、今のところは告白する気はない。っても、お前が聞きたいのはそういうことじゃないよな。……、ああ、そうだな。一年後ぐらいには、今と違う関係になっておきたい、とは思う、かな。どういう経緯をたどって、とかはまだ考えられないけど。お前の予想と違って、抱え込むことも、忘れることもできそうにねえや」

「そうか」

 髪を掻きむしりながら、どうにか絞り出した俺の言葉に、友人は満足そうに笑った。


「シリアスな空気は性に合わないな。折角の友人の甘酸っぱい恋だ、存分に茶化したい。何か面白いネタはないのか?」

 簡単な相槌を最後に、ペラペラとページを捲りだした友人は、急にそんなことを言った。

「お前なあ、さっきまでの良い奴みたいな雰囲気はどうしたんだよ。突然男子高校生みたいなノリになりやがって」

「男子高校生だからな、仕方ないだろ」

 普段はとことんクールで、寡黙なイケメンとしてのキャラを確立しているのに、俺や少数の友人にだけこんなふざけた姿を見せる。こういう時のこいつの笑顔が、一番楽しんでるように見える。

「ネタになるようなことなんて起きてねえよ。そんな積極的なアクションなんか起こしてないし」

 いくら友人が楽しんでいても、これ以上、変に突っ込まれたくない。無難に逃げとこう。

「なんだ、面白くないな。一か月経ったんだから、何かあったかと思ったのに」

 心底残念そうに、そう呟いた。そんなに俺のことをからかいたかったのか。


「あー、でも……」

 友人の言葉に触発されて、最近の出来事を思い出していたら、不意に言葉が出てしまった。

「ん、何かあったのか?」

 かなり小さな声だったのに、目ざとく、というより耳ざとく、反応された。

「詳しく話してくれないか?」

 ワクワクしたような声で、そう言ってくる。なんだろう、普段の気取っているようなキャラがこいつの本来の姿ではないのはわかっているけど、ここまでふざけるのもなんか違う気がする。

「そんな大したことじゃないけどよ。あれはいつだったかな。つい最近、その、まあ、俺の好きな人が数学の先生と話してるとこ見たんだよ。うちの担当の船上先生と。ほら、ちょっと前の授業で応用的な問題やったじゃん。あれの質問、みたいなのしてたんだ」

「ああ、あのときのやつか。確かに、あの問題は難しかったしな。俺も質問に行ったよ。何人か、授業に熱心な奴は先生のとこに行ったよな」

「あ、そう。俺は行かなかったけどな。めんどくせえし」

 っと、コイツとの話はすぐに横道にそれるな。

「そんなことより、俺の好きな人の話だよ。盗み聞きとかしたわけじゃないんだけど、偶然耳に入ってくることってあるじゃん。ソイツと船上先生の話が聞こえてさ。質問みたいな感じだったんだけど、それだけじゃなくて。授業で習ったのとは別の解き方で、これでも解けますか、みたいな。そういう話してたんだよ」

 そんな風に先生に話しかけるなんて、自分にはあまり馴染みのないことだから、うまく言葉にできているかわからない。ただ、俺の目の前にいる男にとっては馴染みのあるものだったらしく、うんうんと大きく頷いていた。

「あるよな、そういうこと。数学ってのはいろんな解き方ができるのが面白いんだから、思いついたら先生に確認したいってのはわかるよ。あ、そういえば、そのときの問題に関しては俺も一つ別解を思いついたな」

 聞いてもないのに余計なことを。楽しそうなのは何よりだが、俺の話を聞きたいのなら、一度落ち着いて聞けってんだ。

「というか、お前、さっきから薄らと学力でマウント取ってくるのなんなんだよ」

「マウントなんか取ってないさ。感想を言っているだけだぞ。そんな風に卑屈にとらえるなんて、お前の方がどうかしてるんじゃないか?何か嫌なことがあったんなら、相談に乗るぞ?」

 小憎らしいとは正にこのこと。タメの連中からは‟夫婦漫才”と呼ばれだした俺たちの掛け合いは、友人の方に軍配が上がることが多い。


「いや、そんなことはどうでもよかった。俺が恋してる人が、船上センセーに話しかけてたって話だ。そのときのその人は、なんというかすごく論理的で理路整然と、聞いていてほれぼれするほどだったんだ。なんか雰囲気からして違ったんだよ。考えるのが楽しいって感じで、俺には理解できなかったけど。あれもある意味、知的ってやつなのかな。そのくせしてな、先生が合ってるよっつって褒めたとき、普通に嬉しそうな顔で笑ったんだよ。すっげぇ落差で、ちょっとびっくりした」

 このままでは埒が明かないと思い、話を無理矢理軌道修正する。余計な茶々を入れさせないために、矢継ぎ早に言葉を続ける。

 俺の友人は、興味なさげに聞いていた。

「おい、話が終わったんだからなんか言えよ」

 何も言わずに本のページを捲りだした友人に、ほんの少しの苛立ちを覚える。恥を忍んで話したのに、無反応はないだろう。

「ああ、悪い悪い。思ってたより真剣な様子だったから、茶化すに茶化せなくて挨拶に困ったんだよ。まあ、聞いてた感じ、アバタもエクボって風に思ったよ。お前の話の中で、どこがその子に惚れる要因になるかよくわからなかったが、その子を好きなお前からしたら、素晴らしいエピソードなんだろうな。ただ……」

 薄々自覚していたことを遠慮なく言ってくる。自分でも何を言っているのか、途中でよくわからなくなっていた。

 『ただ』という言葉の次を待つ。急に一呼吸おいて、声のトーンも下げている。頑なにこちらを見ようとはしないが、手の中の本を閉ざして、真剣な様子が伝わる。

 友人の姿を思わず見入ってしまい、ごくりと生唾を飲み込む。変な気を起こしたとかじゃなくて、緊張したから。友人も、水分を失った唇を舌で軽く舐め、口の調子を整える。さっきまではちっとも聞こえなかった吹部の演奏が、大きすぎるBGMとして、場の空気を奏でる。



「‟論理的”と‟理路整然”は、意味が被ってないか?」

「くっだらないことに時間使わせやがってよぉ!?」

 正直オチは読めていたが、つき合ってやった。ホントに、教室の中でのクールなコイツはどこに行ったのか。こういうふざけた言動ばかりが目立つ。

「お前なぁ、顔がよくて雰囲気あるんだから冗談に見えねえんだよ。真剣な顔にしたら、一気にシリアスモードになるんだから、自覚持てよな」

 一通り、詰ったあと、思わず笑ってしまった。廊下から響いてくる演奏をかき消すほどの大きな声が出た。なんだか、楽しくてしょうがなくなった。友人も、俺ほどではないが楽しそうに笑みをこぼす。それから数分、ただただ笑った。


 開け放たれた窓のカーテンが揺れた。

 最近では心地よさも感じるようになった涼しい風が、放課後の教室を包み込んだ。


 五月の風は、友愛の時間に応えるように肌をくすぐった。



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