愛、シテ、る

トキン

4月

「好きな人がいるんだ」

 突然の告白に、俺の友人は特に動じもせず、

「そうだったのか」

と、無関心そうに答えた。本から目を放そうともしない。



 授業が終わって数十分。三階のこの教室には、俺と目の前の友人以外誰もいなかった。

 グラウンドからは運動部の掛け声、上の教室からは吹奏楽部のチューニング。詩的に言うのなら、“青春の音”という表現が良いだろうか。どれだけ周りがうるさくても、この教室だけは静かな時間が流れていた。

 嗚呼、心地良い。


 明日は我が身か。と窓の外、眼下で走り回るユニフォームを眺める。俺たちは二人とも男子サッカー部に所属している。ごくたまに、今日のようなオフの日もあるが、基本は毎日厳しい練習がある。サッカー自体は好きなんだけど、キツイものはキツイ。

 今のようなこんな時間が、最近の楽しみだった。


 再び、目の前の友人に視線を移す。相変わらず、自分の手の中にある活字の世界に夢中のようだった。こいつの本好きはいつまでも変わらないな。

 二人だけの教室。本来与えられた席から離れて、窓際の席に二人で座っていた。俺が前で友人が後ろ。俺は椅子にまたがり、背もたれに腕と顎をのせて我が友と向き合っているのに、肝心の相手は、椅子に横向きで座っていて体さえこっちを向いていない。足まで組んで、たった一人の世界に浸っているようだ。無駄に絵になっているのが、ムカつく。


「ちょっとはこっちに興味を持ってくれよ、イケメン君」

「そういう言い方はよしてくれ」

 からかうように話しかけたら、さっきよりは気持ちの入った返事があった。

 顔の良さにおいて、うちの高校でも一二を争う美形の俺の友人だが、そのことについては鼻にかけているような素振りは全くない。むしろ今のように、そのことを言われるのを嫌っていて、若干のコンプレックスと考えている節もある。自分の優れているところは存分に利用すればいいと思うのだが、そこは個人の勝手だろう。事実、そういうコイツの態度が、他の人間から好かれる要因でもある。

 平々凡々な容姿の俺からすればうらやましい限りだよ。

 高身長で儚げな雰囲気を持つ多才なイケメンと、明るいだけが取り柄の凡人。なぜ仲良くなったのか、今にして思えば不思議だ。


「話、戻していいか?」

「戻すもなにも……。別にいいから、好きなだけ話してくれ」

「おう」

 呆れたような友人の声には気付かないふりして、話を続けよう。別にいい、というよりも、どうでもいい、と言われてるように聞こえたが……。


「自分の想いを知ったのはいつだったか。あれは確か、春休みだな。それもかなり始めの方。それまでは、学校に行けば毎日会うから、好きなんだって気付かなかったんだ。ほら、幸せって失ってから知るってよく言うだろ?そういうことだったんだ」

「へえ」

「春休みとはいえ、部活はあったからな。相手だってある部活に入ってる。会うには会うんだけど、なんか違うんだよな。いつもの学校生活で会うのが良い距離感っていうか。部活の時は、お互い余裕ないし」

「なるほどな」

「なあんか足りないなあ、て思ったんだ。修了式から数日で。で、よくよく自分の心と向き合ってみると、一人の顔が浮かんでくる。ああ、これが恋か、こういう青春か、って自覚した」

「そんなことがあったのか」

「不思議と、その人のことを強く求めることはなかったよ。恋しく思う気持ちはずっとあったけど、今すぐに会いたいとか、抱きしめてやりたいとか、そんなことは思わなかった。四月を待ち遠しく思うだけ。今頃何してんのかなあ、って考えながら暇な春休みだった」

「ふうん」

 どれだけ話しても、見向きもしないこの友人に痺れを切らして、身を乗り出して更に言う。


「おい、聞いてるか?」

「ああ、聞いているとも。まさかお前が同じ部活のマネージャーに恋をしていたとはな。しかも顧問の八神の殺人事件をきっかけに付き合い始めているじゃないか。だがマネージャーの家の財閥はお前の父を謀略の内に殺した黒幕だ。きっとこれから一波乱あるぞ。そんな中でインターハイ予選まで始まって、闇に堕ちたライバルが暗躍している。一体どうなるんだっ……」

「何の話だよそれ、全然聞いてないじゃないか。え?今お前そんな本読んでんの?ごちゃごちゃしすぎてなんか逆に面白そうだな。今度貸せ」

「いや、この本は登場人物の95%が九十歳を超えている純文学だ」

「それはそれでどういう本か気になるわ」

 変わることなくずっと下を向いているが、わずかに口角を上げている。楽しそうで何よりだ。


「まあ、それはいいとしても。告白とかはしないのか?学校も始まって、自分の想いを伝えたいと思ったりとか」

「今のところはいいかなあ。この距離感で満足してる」

「そうか」


「こういうのを聞くのは野暮かもしれないけど、どういうところに惚れたんだ?具体的にここが良いとか、教えろよ」

「ああ、わかった。……、でもな、そういうのあんまり考えたことないんだよな。さっきも言ったけど、気付いたら好きだったって感じだし。どこが好きなのかなあ」

「なんだ、特にないのか?情報聞き出して誰のことか特定してやろうと思ったのに」

「ハハッ、特定ってお前なあ。陰湿なこと考えてんじゃねえよ。ああ、でも思い出した。笑顔がいいんだよ、普段は滅多に笑わないけど。なんか、空気がほんわかするっていうか、見てて気持ちいい。ずっと笑っていてほしい」

「それはまた、随分使い古された殺し文句だな。その人に直接言ってやれよ」

「そういうのはいいんだって言ってるだろ。毎日顔見たりたまに話したりするぐらいが丁度いいんだよ」

「結構、可愛らしいものだな」

「あ?どういう意味だ、コラ」

「いやいや、読んでる本のヒロインに対する感想だよ」

「九十歳以上のかよ」

「この子は確か百歳だな」

「いよいよどんな本なんだ、それ。本気で気になるから今度読ましてくれ」

 俺の真剣な思いとは裏腹に、いつも通りの軽口のような会話になっていた。あるいは、これも友人なりの気の使い方かもしれなかった。まだ完全に把握しきれていない自分自身の想いと、俺が適度な距離を保てるようにと。恋に囚われず、愛をなくさず。俺という人間一人を尊重するために。変な考えだけど、気分のいい話だった。


「そういや、お前が前に薦めてくれた本読んだんだけどさあ……」

「ああ、そんなこともあったな。どうだった、あの本は?後半のあの畳みかけが……」

 特に話題にこだわる理由もなく、この前読んだ本の話に切り替えた。こっちを見ることはないが、心なしさっきよりも食いついている気がする。

 一冊の本だけで長時間語り合えるほど、俺の読書愛は強くない。目の前の友人はもう少し物足りなさそうだったが、すぐに違う話になった。普段から仲良くしているとはいえ、いかんせん部活のせいで時間がない。久しぶりの長い蜜月の時は楽しいものだった。




 気付けば、辺りがすっかり赤く染まっていた。夕陽が燃えるように窓の外の町並みを照らす。

 どれほどの時間が経っていたのか、忘れてしまった。目の前の美形も、窓の背を向けているため、外の運動部のくせに白い首筋や艶やかな黒髪が赤くなっていた。

 いつまでも本を読んでいるこの男が、“茜差す”という言葉が好きだと、かつて言っていたことを思い出す。茜という言葉の響きや、差すという動詞を使うセンス、その後に続く名詞(教室、部屋、etc)次第で変わる印象。日本語の良い部分がよく出ている、といった具合だった。

 そのこと自体にはあまり意見を共にすることはできなかったが、言葉一つにそこまで深く考えられるコイツの思考には素直に感嘆した。知的さも併せ持つ友人は、いつも俺を誇らしい気分にしてくれる。


 あの人は、この景色をどんな風に見るのだろうか。

 自分の想い人について、いつの間にか考えてしまう。

 俺には俺の人生があり、それが自分の見る景色に新たな色彩を加えている以上、あの人と全く同じ景色を見ることはできないのだろう。それは寂しいようでいて、人と人の繋がりの奥深さを意味する、心地いいものだった。



 いつの日か、同じ風景を。



 活字の世界から、ついぞ目を離すことのなかった友人にそろそろ帰ろうと声をかけて、席を立った。


 四月の風は、新しい日々への惜しみない祝福を伝えてきた。 

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