◆5-4
自分が気絶していたことに気付き、がばりとナーデルは身を起こす。
寝転がっていたのは、酷く古びた寝台の上。隣の寝台には、先刻まで矛を交えていた老女がまるで死んだように眠っている。
「おはよう。下手な動きはしない方がいいわよ、此処一応神殿だし」
声が聞こえた方向を振り向くと、椅子に腰かけて足を組んでいる男がいる。顔立ちや装束は南方風のものだが、喋る言葉は流暢だ。端々に女性的な言葉遣いをしているのがちょっと気になるが。
「あんたの仕事は失敗よ。このまま大人しく帰るんなら、見ない振りしてあげるけどどうする?」
「……何よあんた、急に偉そうに。舐めないでよ、あたしは――」
手の中に仕込んでいた針を動かそうとした瞬間、ぐっと息を止められた。何が起こったのか解らない内に、目の前に別の男が一人立っている。長い五指でナデールの首を掴み、無造作に力を籠められて気道が塞がる。
『小目。やめろ』
『――御意』
何か聞こえて、すぐに呼吸が自由になった。ごほごほと咳き込んで蹲るが、追撃は来ない。涙の滲んだ目で睨み返すと、大柄の男は既に、椅子に座った男の後ろに控えていた。
「あんたが針を使う前にこいつはあんたを殺せるし、何より――呪いは魂に直接穿つ楔。魂とは己を律する為の原始、だったわよね」
少なくともこの男は、呪いの何たるかを理解しているらしい。悔しさに歯噛みしつつ、相手の隙を伺っていると、後ろの男を指して美しい男は笑った。
「じゃあ、こいつにはそうそう効かないわ。己なんて存在しないんだもの」
「そんなわけ……ないでしょ。そんな人間、いるわけないわ」
「そうね、その基準で言うんなら、こいつは人間じゃないんでしょうね」
はぐらかすような言葉に怒りが漏れる。否、自分は今までもずっと怒っていた。理不尽を与えられてから、ずっとずっと。
「どうして――どうして皆、私の邪魔をするのよ! 返してよ……お兄ちゃんを返してよッ!!」
どうしようもないと解っている願いが、口をついて出る。そう、結局ナーデルが求めることはそれだけなのだ。優しくて大好きだった兄が、自分よりも余程立派な呪殺師だった兄が、どうして死ななければならなかったのか、さっぱり解らないし、解りたくもない。取り返しがつかないことも解っているから、ただ八つ当たりを続けることしか出来ないのだ。
ナーデルの嘆きに、男はほんの少しだけ形の良い眉を顰めた。
『……俺もそう思うよ』
扇の下で、ぼそりと呟いた言葉は聞き取れなかった。凄く小さかったし、南方語だったのかもしれない。男は表情を皮肉気な笑みに戻し、足を組み直した。
「まず、誤解を解いておくわね。フルーフ・アッペンフェルドを殺したのは、ビザールじゃないわ」
「えっ……」
聞き捨てならない言葉に身を乗り出すと、控えの男がまた動こうとするが、煩そうにぱちんと閉じられた扇子を振られて止まった。更に男は、まるで世間話をするかのようにあっさりと語る。
「あいつに直接手を下したのはこの小目だし、命じたのは藍皇国の藍瑞光。言いたくないけどあたしの実の兄よ」
「ぇ――」
「ね? あんたが殺すべき相手はその二人。欲しいんなら生まれた月日と星辰、住んでる住所もお手頃価格で売って上げるわよぉ?」
寧ろ楽しそうに実の兄と従者の情報を売り込みながら、男は少しだけ困ったように笑った。
「何もかも嫌になって、手近な所を殴りたいって気持ちは解らなくもないわ。只生きているだけの相手が、許せなくなるってこともね」
「だったら! だったら、なんで!!」
知った風な口を利く男が許せなくて叫ぶと、男は優雅な仕草でもう一度、広げた扇で口元を覆って言った。
「だってあいつ、いっぱい大事なものを、まだ持ってるんだもの。あたしと違って」
困ったように、呆れたように。でもそれ以上に、ただその事が嬉しいのだと言いたげに男は目を細めた。何の含みも無い、子供のような笑みだった。
「だから駄目。あいつがいなくなると、泣く子がいるから。だから、駄目」
きっぱりと言われて、ナーデルは苛立ちからぎゅっと両手を握り締める。……兄が死んだのに、兄を殺したのに、何故あれは幸福なのかという怒りはまだ消えないけれど。
「……じゃあ。じゃあそっちの男を、殺させなさいよ! 出来ないでしょそんな――」
「いいわよ? 寧ろ殺してくれるんなら万々歳」
満面の笑みで言われて、口が動かなくなった。
「でも、さっき言った通り、こいつに呪いはそうそう効かないから。実行犯じゃなく真犯人を最初に狙うのをお勧めするわよ」
「瑞香様」
咎めるように大柄の男は名を呼ぶが、知った事では無いと言いたげに、あくまで軽く男は締めた。
「面倒事になるから手助けはできないけど、止めもしないわ。頑張ってね、期待してるわよ」
それだけ言って部屋を出ていく二人の姿を、ナーデルは呆然と見送った。
×××
奥まった部屋のおかげで今まで喧騒は届いていなかったが、解放された神殿の広間は大騒ぎだった。
「重症者を奥に運べ! 兎に角湯を沸かすんだ!」
「地下から沢山、怪我人が上がってきています! もうこちらには入りません、物資も……」
「他の神殿に連絡を取れ! 動ける者はそっちに誘導だ!」
「お願いだよ、あたしの娘を助けておくれ……!」
「解りました、もう大丈夫ですよ!」
『瑞香様!』
貴族も平民も、地下も地上も、関係なく右往左往する中、南方語の発音で名を呼ばれて瑞香は振り向く。藍商会の部下が物資を携えてやってきたのだ。
『薪と布、100ずつお持ちしました! 順次同じ分だけ他の神殿にも運びます!』
「ありがと! ――神官さん、これ遠慮なく使って! 明日にはもっと追加できるから!」
「あ――ありがとうございます! 貴方は――」
突然の救援物資に驚きつつ礼をいう神官に軽く手を振り、瑞香は急ぎ足で外に出る。雪の止んだ外は、いつの間にか積もった分も凍り付き、道が歩きやすくなっていた。遠慮なく蹴立てながら、地下の階段へと向かう。
「――瑞香様」
「何よ」
後ろにつき、珍しく自分から声をかけて来た従者に、何でも無いことのように返す。
「どちらへ?」
「決まってんでしょ、洞窟街よ」
「危険です」
「知ってるわ」
瑞香は足を止めない。小目も、追い越したり触れて止めようとはしない。彼は本来、本国では非常に身分の低い存在であり、余程の危機が無ければ貴人に触れることすら許されていないからだ。
「この雪じゃあ、他の町から物資届けるのにも時間がかかりすぎるわ。蛞蝓爺にふっかけて在庫吐かせるわよ」
「地下は危険です。あの罅割れはただの地揺れによるものでは無いと思われます」
「知らないわ、稼ぎ時よ。動かない理由にならないわ」
ざ、と雪を蹴り、小目が前に立つ。足を止めたが、瑞香は全く怯まず、自分よりも高い位置にある従者の顔を睨み付けた。
『――退け』
「……、」
一言だけの命令に、小目は僅かに唇を震わせて、しかし、何も言わずに閉じる。どうやらまだ、本来の主の命令――恐らく、瑞香の命にかかわるような危険から遠ざけること――には合致しない範疇らしい。僅かな安堵に気付かない振りをして、瑞香は彼の横を抜け、真っ直ぐに歩き出した。後ろからついてくる足音を聞きながら。
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