閑話・悪食男爵と悪友の放課後
「僕は、君が心配だよ、ビザール」
夕日が差し込み視界が滲む図書館の中で、暗い紅毛の青年――フルーフは溜息を吐きながらそう告げた。
対するビザールは、木製の古い椅子を二つ並べて大きな尻を乗せ、ぎしぎしと軋ませながらほぼ無い肩を竦めて見せる。
「ンッハッハ、光栄であるねフルーフ。しかし吾輩の愛すべきこの腹はすくすくと成長を続けているのだ、百や二百の悪霊に負けるつもりはないとも!」
声を張り上げると普段は司書から睨まれるところだが、大分日の落ちた今日は、外面の良い親友たちのおかげでこの部屋の鍵を任されている。即ち、警邏兵がくるまでは誰も居なくなったここでゆっくりと喋り寛ぐことが出来るのだ。ビザールがいつものように、おどけて胸ならぬ腹を張って見せても、フルーフは苦笑するだけだった。
「僕も呪殺師の端くれだ。他人の悪意と言うものが、如何に恐ろしく、厄介なものか良く知っている。僕達は悪意を蒐集する毒壷であり、その蓋を固く締めなくてはならない。呪殺師が負の感情を抱いてしまえば、己の身も心も魂も腐り落ちてしまうだろう。……それは、悪霊も同じことだ」
普段はとても優しい緑色の瞳が、ビザールを確りと見つめて言う。
「そんなものを体の中に取り込み続ければ、きっと君の魂は限界を迎えてしまうだろう。いくら崩壊神の力で全てを砕いているとしても、それはそれで危険すぎる。いつか――」
「そうかもしれないね、親友。だが」
不躾だと解っていても、ビザールは友の言葉を止めた。優しい親友が眉を顰め、それでも唇を噛んでしまうのを宥めるように笑って。
「我がシアン・ドゥ・シャッス家に名を連ねるものとして、そして我が母の名にかけて。吾輩の誇りを掻き捨てるような真似はしないとも。そして、これが無ければ吾輩は、祓魔として、貴族として、この両足で立つことすら出来なくなる。――それが何より耐え難いのだよ、どうしようもなくね」
「……君は、本当に強いな、ビザール。僕には無理だ。誇りという力だけでは、とても己を支えることが出来ない、貴族としては出来損ないだ。ナーデルを守ることも――」
悔しそうに眉を顰めたフルーフが、隣の席に座っていたもう一人が身じろぎをした為慌てて口を噤んだ。二人が話し込んでいる内にすっかり転寝をしていた黒髪の青年が、猫のように体を伸ばしてふぁ、と大欠伸をする。
「ん……、もう話終わった?」
「ルエ、やっと起きたのかい」
フルーフは南方語が苦手で、南方国から留学してきた彼の名前を上手く発音できず、縮めた愛称で呼ぶ。本人は申し訳なさそうだが、言われる方は気安い呼び方は嫌では無いらしく、寧ろ嬉しそうに濃い瑠璃の瞳を細めて続けた。
「だって、二人共話、長いんだもの」
瑞香は机に両肘を付けたまま、この学院の生徒としてはあまり褒められない格好のままで。僅かに赤い目端で、ちらりとフルーフを見上げる瞳には苛立ちなど一切なく、どこか甘えているようにも見えた。ビザールはさらりと流せるが、フルーフの方はどぎまぎとしている。異国の血を濃く引く涼やかな顔立ちを、とても美しいと感じてしまった、とフルーフに告白されたのは何時頃だっただろうか。
「それは、ごめん……退屈だったよね」
「ううん。あんたの声、好きだから平気よ」
自分の北方語が、この国では女性としての喋り方であることに気付いてから、意図的に直してはいるようだが、気易い相手の時は気にせず舌っ足らずに喋る。それがフルーフに対して有効であるからなのか、はたまた楽に話せるのが嬉しいからなのか、恐らく両方だろう。彼の従者である長身の青年は、図書館の外でずっと見張っている筈だ。学内に護衛を連れてきても許される程の地位がある彼が、気を張らずに過ごせる時間は、ビザールとしても嬉しいところだ。ちょっと不利だった話を終わらせるのも良しとして、せかせかと広げたままの本を片付ける。
「ンッハッハ、それでは今日の学びはここまでにしようか! 夕食前のおやつには、市場の焼き菓子など如何かな?」
「今さっき、クロケットを食べてたのにまだ食べるのかい」
「やぁよ、こんな時間に甘いの食べたら胃もたれしちゃう」
「ふむん? 胃もたれとは一体如何なる状態かね?」
「はいはいごめんなさいね、あんたには無縁だったわねぇ」
「まぁまぁ、二人共……」
いつも通り、中身のあまり無い会話を楽しみながら、三人で図書館を出る。寮に帰ったら夕食後、また三人で集まってボードゲームを囲むのも良いだろう。
――これはビザールの中で、恐らく人生で一番気楽で楽しかった頃の話で、この数か月後には無くしてしまった話だ。
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