第7話 チャンスはある日突然に
「恨み……ですか?」
部長の口から出た物騒な言葉に、思わず俺は聞き返した。
「ああ、別に君に詳しくどう感じているかを問いただすつもりはない。私にしても、君に伝えることはできないからね。ただ、君が少しでも私と同じ感情を持つのであるならば……私と一緒にこの会社で改革を起こしてはみないか?」
そう言って突き出された部長の右手と顔を、交互に見る。
「……もし、断った場合は?」
ゴクリと唾を飲み込みながらそう聞くと、部長はその口をへの字に曲げた。
「残念だとは思うが、特に君に不利益を与える様なことはないよ。もちろん、賛同してくれる方が私としては嬉しいけれどね」
そう言ってなおも右手を突き出している部長に、俺は――。
◇◇
会議室から出て自分の席へと戻ると、周囲の人間達が遠巻きに俺の方を見ているのを感じた。
部長から何を言われたのかを聴きたいが、最初に切り出すのを誰がするか……そんな雰囲気を持っているのをヒシヒシと感じる。
そんな中、1人の男――斎藤が軽薄な顔で俺の方に近づいてくるのが見えた。
「よー万年平社員……おっと、部長に呼び出されて元社員になったんだったか?」
そう言って周りの同意を得るようにゲラゲラと斎藤が笑うと、一部の男達が同様に笑う声が聞こえてきた。
だが俺はそれを聞き流しながら、黙々とパソコンを立ち上げ仕事を再開する準備を開始する。
先程まで……部長と話をするまでだったら、多少は気にしていたのかもしれない。
黙って仕事をこなしていると、横から舌打ちが聞こえてきた。
「すました顔しやがって……どうせ、すぐに辞めさせられんのによ」
そんな様なことを斎藤は言い残して去っていったが、俺の耳にはほとんど入っては居なかった。
考えるのは当然、部長が言っていたこと。
部長に賛同するか聞かれた俺は、会議室で「考えさせてほしい」と伝えた。
それに対する部長の反応は、「そうか」と答えただけで、俺に個人の連絡先を伝えると早々に会議室から出て行ってしまった。
なぜ部長が、あんなことを言い出したのか……その経緯も動機も今ひとつわからない。
――そもそも部長は、機会があると言っていたけれど何のことなんだ?
そんな事を考えていた所で、俺のスマホがブルブルと振動した。
画面を確認してみれば、送り主は先程連絡先を交換したばかりの部長からだ。
内容は――「取り敢えず、エントリーして上位に入ってみるといい。きっと君にとってマイナスにはならないだろう」そんな事が、書かれていた。
――一体、なんの事を言ってるんだ?
そう思った所で、今度は会社のパソコンに総務部からのメールが届いた。
「おい、マジかよこれ!」
突然、後ろに座っていた社員が大声を上げながら立ち上がり、呼応する様に何やら他の社員もざわついていた。
「一体なんだ? え? メール?」
俺と同じく状況がわかっていない様子の斎藤が、近くに座っていた後輩から耳打ちされ、パソコンの画面を見た所で、目を大きく開いている。
――メールって、今総務から送られて来たやつか?
時間が経つに連れ、どんどんと大きくなっていくざわめきを感じながら、俺もメールを開封する。
全社員参加型企画コンペティションのお知らせ――そう銘打たれたメールの中身は要約すれば、以下の通りだ。
1.企画コンペへの参加は役職、部署問わず行える
2.部署ごとに優秀な企画が選定され、部署内の選定を通過すれば10万円が贈与される
3.部署内選定を通過後、社内発表会で優秀作品に選ばれたものには、最大100万円の賞金が与えられる
4.社内で最も優秀な企画書を作成したものには、賞金だけで無く本人が望めば企画室への異動を約束するものとする。また、役職に応じて翌月からの昇進もしくは追加賞金を配布するものとする
ざっくりまとめると、メールにはそのような内容が書かれていた。
正直に言うと、読んでいる間に思わず俺も目を疑ってしまった。
何せ、このたった一回の企画コンペで昇進の道が開けると言うのだから。
「おい、もしこれがマジなら、優勝さえすれば企画室……エリートコースが確約されるって事だよな?」
「しかも賞金が出る上に、昇進までつくとか……急に太っ腹すぎだろ!」
そんな熱狂した声が聞こえてくる一方で、どこか冷めた声も聞こえてきた。
「えーでもこれ、どうせ出来レースかなんかでしょ? それか、会社や上にとって都合のいい企画を出した人の優勝じゃない?」
「あー、それは確かに言えてるかも」
幾らメールでは、審査は複数人による厳正な審査で行われると謳っていても、その内容を信用することは難しい……とりわけ、ただでさえ会社に不信感を持っている俺のような人間にとっては。
だが、同時に部長からのメッセージの意味が理解できた。
部長は、このコンペで上位に入れ――そう伝えたかったのだろう。
会社に入って8年。
入社した時に持っていた熱はすっかり失せ、ただ生きるためだけに働いてきた。
――だけど、もし今回の企画を成功させる事ができたなら?
その時には、何か変われるのかもしれない。
会社に入った時に抱いていた夢である、仕事を通して人を幸せにできる人間にもしかしたらなれるのかもしれない……そう思った時には、俺の腕は勝手に動き出していた。
◇◇
定時が過ぎてから2時間ほど経過した20時ごろ、俺は人の減ったオフィスで昼過ぎに来たメールについて考えていた。
うちの会社は、イベントの企画や運営をメインに行っており、当然今回求められているのも、どんなイベントをするのかだ。
会場を借りて講師を読んでくるだけで出来るセミナー的な物から、様々な機材や専門スタッフが必要な音楽イベント、版権元等との交渉が必要なアニメ系のイベントなど種類は様々ある。
当然パッと思いつく様な案では企画コンペでは通すのも難しいが、今回のコンペではその提案力だけでなく、他のスタッフには真似できない独自性――例えば人脈や、交渉力なども評価されるという。
だが、人付き合いも苦手で、得意の取引先なども無い俺には独自性なんてものは……そう考えていたところで、一通のメッセージが届いたことを知らせる通知音がした。
スマホの画面を確認してみれば、送り主は幸さん。
内容は、仕事の様子を伺うもので、俺は取り敢えず「大丈夫です」と送ろうとした所で――ある考えが、頭をよぎった。
なぜ、幸さんへ返事をしようとした所で思いついたのかはわからない。
加えて、実現可能性と言う意味では殆どないと言っていいかも知れない。
だけど、もし実現できれば……間違いなく大きな話題になる事は約束されている。
「取り敢えず、幸さんにも相談してみるか……」
そう思い立つと俺は、スマホをタップ入力していく。
――突然すいません幸さん。もし幸さんがYUKIのイベントを企画するなら、どんな物をやりますか?
俺は一度入力した文字列を確認することもなく、早る気持ちのままに送信ボタンを押した。
そのメッセージがどんな意味を持つのかも、わからないままに。
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