第5話 憂鬱な月曜日

 月曜日の朝は憂鬱だ。


 学生も、社会人も、男性も女性も等しくそれは変わらないだろう。


 実際、朝方の混雑した電車に乗ってみれば、みんな虚な顔でボーッとスマホの画面を眺めているか、静かに目を閉じて座っている人が大半だ。


 そんな周りの様子を見ていると、こっちまで気が滅入ってきそうで、思わず目を閉じると、いつも通り周囲の音がギリギリ聞こえるレベルの音量で、YUKIの曲を流し始めた。


 昨日はUIさん――幸さんと初めて会って話をする事ができた。


 正直最初に幸さんを見た時には、アプリで話をしていたUIさんと雰囲気が違いすぎて戸惑ったけれど、ネット上と実際の話し方が違うなんて、まぁ良くある話だ。


 それよりも、本質の部分――初対面にも関わらず俺を気遣ってくれたり、話をしていて一緒に笑ったりしてくれていた事の方が、余程大事だ。


 ――でも、最初幸さんは何でYUKIの話を持ち出した時に、少し浮かない顔をしていたんだろう?


 日曜日が過ぎ、こうして出社への電車に揺られている間でさえ、並んでいる時に幸さんが言ったアノ言葉が、どうしても引っかかってしまう。


 ――素性も顔も分からない上に、ろくにメディアにも出てない様な奴よりも、折角お金出すならメジャーな人の方がいいんじゃないかなとか思ったりして


 そう言った彼女は、半ば以上本気でそう思っている様に見えた。


 もちろん、所謂アンチと呼ばれる類の人がそう言った類の事をYUKIの動画のコメント欄や、掲示板などで書いているのは見かけたことがある。


 だけど、俺には彼女がYUKIを嫌っているとかそんな単純な感情で言っている様にはどうしても思えなかった。


 ……その後に見せた、彼女の笑顔のこともあるしな


 そんな風に考え事をしている間に、車内アナウンスが流れてくるのが僅かに耳に入ってきた。


 ――次は、下北沢、下北沢。お出口は右側になります


 徐々に速度を緩めていく電車を体に感じた後、グッと先頭車両の方へと一瞬体が引き寄せられると同時、電車の扉が開くと一斉に大勢の人が外へと吐き出されていく。


 歩いていく人々の姿には乱れもなく、淡々と歩いていくその背中は、まるでそうする様にプログラミングされた機械のようだ。


 そんな取り留めのない事を一瞬考えるも、俺も周りに同調して機械のように階段を登り、改札を通過すると一歩一歩歩いて行く。


 ――ドッ、ドッ、ドッ


 最近会社へと行くたびに感じる、動悸や冷や汗を意図的に無視しつつ、何も感じないように気持ちを削ぎ落としていく。


 そんな状況でも尚、俺が足を進められるのは、多分YUKIの曲と……昨日あった幸さんが見せた笑顔のおかげかも知れない。


 入社してから7年間通い慣れた道を歩いていくと、4階建てのコンクリート打ちっぱなしでできた建物――俺の勤めている会社が姿を表す。


 ちょうど曲を聴き終えたところでイヤホンを外し、ロビーへと入ってみれば、受付の女性から会釈されたので軽く頭を下げる。


 出社時間と言うこともあって、多くの人が行き交う中、思わず上司の姿がない事を確認し、内心ホッとしていると――後ろから聞きたくない声が聞こえてきた。


「やっほー、受付ちゃん。今日もかわいいねー」


 そんな軽薄な挨拶とともに入ってきたのは、間違いなく同期であり直属の上司でもある斎藤だ。


 振り返って声のした方をチラリと見てみれば、朝から何が楽しいのかニヤついた顔で、受付の女性へ話しかけていた。


 受付の女性はどこか対応に困った様な顔をしている様に見えたが、周りの人たちは皆見て見ぬふりをしていた。


 ……かく言う俺も、斎藤に気づかれないよう、そっと自箇所のある階へと階段で移動しようとしたところで――声をかけられた。


「あっれー? その縮こまった背中は、万年平社員の渡辺じゃん」


 なぜか、受付の女性に声をかけた時よりも楽しげな声色の斎藤を腹立たしく思いながら目線を合わせると、斎藤はいつもと変わらないニヤついた顔を浮かべていた。


「……おはようございます」


 俺が頭を下げながらそう言うと、鼻で笑う声が正面から聞こえてきた。


「おーおー、おはようさん。いやー、上司に言われる前に挨拶して来ないとか、いい御身分だな?」


 そんな齋藤の言葉を聞いた周囲の社員が、クスクスと俺を嘲笑する声が聞こえて来た。


「まーた、斎藤さんが部下をいじめてるよ……」


「いや、アレ元々は同期らしいぜ?」


「マジかよ、俺なら辞めてるな」


 聞こえてくる声を堪えるために奥歯を噛み締め、爪が食い込むほど拳を強く握りしめ、頭を下げる。


「すいません」


 そう言って謝罪した後、斎藤に何かを言われるよりも早く、俺はその場を離れることにした。


 どうせ、今一時離れたとしても箇所のある部屋へと行けば、10mも離れていない場所に座る事にはなるのだが……それでも、多くの人が通る場所で、これ以上の恥をさらしたいとは思えなかった。


◇◇


「あー、疲れた。飯食い行こうぜ」


「最近いい店見つけたんだよ!」


 昼食どきを知らせるチャイムと同時、同期達が楽しげな声でそんな会話をしているのが聞こえてくるが、俺は黙って事前にコンビニで買っておいた菓子パンを取り出す。


 別に節約しているとか、節制しているとかそんな大層な理由ではなく、パソコンでキー入力をしながら食べるには、包装されているパンが丁度良いからと言うただそれだけの理由だ。


 7割近くの人が居なくなったオフィスで、黙々と菓子パン片手に齋藤から押し付けられた仕事をやっていると、普段なら考えられない、珍しい人から声をかけられた。


「渡邊君、ちょっといいかい?」


「はい? って部長!?」


 思わずまた食事から戻ってきた斎藤がちょっかいかけて来たのだろうと思い、気の無い返事を返したが、声のした方を見てみれば、今回話かけて来たのは今月から来た新任の部長であり、就任して以後殆ど本社に居る為に、話をした事も無かった部長が険しい顔をして立っていた。


「えっと、何か御用でしょうか?」


 効率化する為に組んでいたマクロを打ち込む手を止めて、改めて部長の方へと向き直りながら、どんな要件なのか頭を巡らせる。


 何か良い知らせと言う線は、正直無いだろう。


 なにせ、良い方向にする為の成果を俺は出せていないのだから……。


 そうすると、俺のやった仕事に大きなミスがあったか――あるいは、齋藤のミスをなすりつけられたか……そんな風に考えていると、予想外の言葉を部長は口にした。


「君――渡辺君は、常にこの時間も仕事をしているのかね?」


「へっ?」


 予想外の言葉をかけられて、俺は一瞬惚けた声を出してしまった。


「えっと……常にと言うわけではありませんが、業務が立て込んでいるときは、いつもこんな感じです」


 そう応えると部長は、殆ど人のいなくなったオフィス内を改めて見回した後、一つため息を吐いた。


「なるほどな……」


 部長が言ったその「なるほど」の意味が、俺には皆目検討がつかなかった為に、思わず挙動不振になってしまう。


 ――何というか、無駄に低い声と鋭い目つきも相まって責められている様な気がするんだよな……


 そんな事を考えていると、部長は時計を確認した後、俺の目を改めてジッと見てきた。


「少しこの後――午後2時頃から30分ほど時間は取れるかい?」


 そう聞いてきた部長の意図はわからなかったけれど、ただのペーペーである俺には頷くことしかできない。


「はい、大丈夫です……」


「そうか、それじゃあまた後で」


 部長は一方的に俺へそう告げると、足早に何処かへと立ち去っていった。


「一体、何だったんだ?」


 思わず俺はそんなことを小さく口にした後、止めていた手を再び動かし始める。


 部長が一体何を思ったのか、忙しいはずなのに何故俺を呼び出したのかは全く分からない。


 ただ、今の俺に出来るのは、1分でも早く家へ帰れるようにするために、斎藤が割り振ってきた無茶な量の仕事を片付ける事だけだった。

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