第33話 再出発と、立ちふさがる壁

 それから毎晩、アンが俺の部屋に遊びに来るようになった。

 今日も晩御飯を食べ終わったやいなや、俺の部屋に来て、ベッドに腰を掛けている。


「ねえフェル、おとなしく私にしておきなって」


 そして、来るたびにこう言うのであった。


「こんなに健気に好意を向けてくれる女の子なんて、そうそういないと思うけどなぁ」


 そのアンの姿に、以前までのような暗殺者としての威厳はない。

 恋に恋する、等身大の少女が、そこにいた。


「はいはい、その話はもうわかったから」


 俺だって、アンみたいな美少女に真っ向から口説かれれば、ちょっと気になったりもする。

 だがここは我慢だ。

 色恋はパーティを崩壊させるってことは、身をもって知っている。


「やっぱ、フェルはプリンセスの方が好き?」

「別にあいつのことが好きだから一緒にいるわけじゃない」

「じゃあ私でいいじゃん」


 少なくとも、シェリーの秘密を解き明かすまでは、恋愛なんかにうつつを抜かすつもりはない。

 でも、アンのことを考えると、その決意も揺らいでくる。


 彼女は十歳からずっと、暗殺ギルドで生きてきた。

 本当は恋もしたい年齢だったのにも関わらずだ。

 そんな彼女が、ようやく自分の心に素直に生きられるようになったのだから、それを否定したくない気持ちもある。

 どうしたものか……?


「わかった、その話はここまでだ。

 こうしよう、この旅の目的を果たすまでは、俺達はただのパーティだ。

 でも、旅が終わって、それでも俺のことが好きなら、その時は結婚してやる」

「え……?

 いきなり結婚?

 ちょっとは段階踏もうよ」


 せっかくの折衷案に、アンは悪態を吐く。

 え? 男女が好き合ったら結婚するものだろ? 違うのか?


「と、とにかくだ!

 もうそうやって俺を誘惑するのはやめろ!」


 その言葉を聞き、アンはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる。


「へぇ。誘惑だと思ってたんだぁ。

 じゃあもうちょっと押せば我慢できなくなる?」


 ゆらゆらと俺の据わっている椅子に近付き、俺の膝に腰を下ろすアン。

 だからそう言うのをやめろと言ってるのに!


「ちょ、おま……!

 まだ子供なんだから、よしなさい!」

「フェルだってまだ十代じゃん。

 まだ子供だよ」

「子供同士不健全だろ!」


 アンは俺の膝の上に座ったまま、スノウの方に振り返る。


「不健全?

 ねえスノウ、私がお母さんになったら、スノウも嬉しいよね」


 なんて問いかけながら。


「うん!

 みんな家族だもん!

 嬉しいよ!」

「だってよフェル。

 スノウがあんなに喜んでるんだから、不健全なんかじゃないよね?」


 屁理屈を言いながら俺の腰に手を回してくるアン。

 そのまま、俺とアンの胸がぴったりくっつくよう抱擁される。

 女の子の柔らかい香りが、俺の鼻腔をくすぐって……。


 俺は気が動転する中、クールな装いを崩さない。


「まったく、今日だけだぞ」


 ずっとこうしていたい。

 そんな思いを悟られないように、年長者の威厳を貫いた。

 


―――――――――――


「さて、これからの話だが、そろそろ旅の準備も整った。

 次の街を目指して出発しようと思う」


 俺の部屋にメンバーを招き、これからのことを打ち合わせる。

 スノウはベッドに、シェリーは俺の向かいの椅子に、それぞれ腰を掛けている。

 アンは、俺を後ろから抱きしめ、俺の頭に顎を乗せていた。


「この街に来てから、トラブル続きでしたものね。

 ようやく動き出せますね」


 シェリーはスノウとアンを順々に見て、微笑みを浮かべた。


「ねえ、前から気になってたんだけど、この旅の目的って何?

 プリンセスはどこを目指してるの?」

「それは馬車の中で話しましょう。

 壁に耳あり障子に目あり、どこで聞かれているかわかりませんから」


 アンは納得いかない様子で、小さく頷いた。


「ひとまずの目的地はザシーンカ王国だ。

 長旅になるからしっかり準備するんだぞ」


 アンは「ザシーンカ?」と首をかしげる。

 遠くの国だし、暗殺ギルドにいては聞く機会もないだろう。


「世界樹を中心に栄えている国です。

 世界樹の研究の為に研究者が集まったことがルーツと言われています。

 そのため、世界最大の図書館があるんですよ」

「へえ、図書館」

「俺達の目的は、その図書館に行って情報を集めることだ」

「わざわざ長旅してまで欲しい情報があるの?

 本を取り寄せるとかじゃダメなの?」


 アンは誰もが思いつきそうな質問を投げかけてくる。

 そもそもザシーンカとグランソルムは国交がないため、本の取引はできない。

 仮にできたとしても、シェリーの謎にかかわる本を、王国が堂々と取り寄せることはできないだろう。

 シェリーの紋様は火種だ。

 その存在が明るみに出てしまえば、グランソルムの存亡に関わる。

 それに、グランソルムは魔王城へ続く最前線に、一番近い国だ。

 そこで内乱が起こってしまえば、魔王に進撃する隙を与えてしまう。

 だからシェリーの謎は、絶対に漏らしてはいけないのだ。


「できない理由は、すぐわかるさ。

 アンに今教えられるのは、ザシーンカに向かうってことだけだ」


 俺の答えが不服だったのか、アンは俺に抱き着く力をぎゅっと強める。

 アンの胸の鼓動が、直に伝わってきた。

 それと、女の子の柔らかい感触も。


「なんか、仲間外れみたいで嫌」

「馬車に乗ったら教えてやるから」


 そんな俺達を見て、シェリーは小さく笑った。


「アンはフェルが大好きなんですね」

「まあね。この旅が終わったら結婚するから、私達」

「まあ、そんなことまで約束したんですね」


 シェリーはまるで自分のことのように微笑む。

 今までどこか飄々としていたアンが、自分の心に従っているんだ、嬉しいという気持ちもわかる。


「その時までアンが俺のことを好きだったらな」

「ずっと好きだよ。決まってるじゃん」

「恋に恋する十代はみんなそう言うんだ。

 でも恋心は永遠じゃない」


 そんな俺達の言葉を聞いていたシェリーが「でも」と声を差し込んだ。


「たとえ永遠じゃなくても、今、恋をするということは、すごく大切なことだと思います。

 誰だって、そうして大人になるんですから」


 シェリーは少し寂しそうな顔で、そう言った。

 そうか、シェリーは王族だから、恋なんて――。


「仕方ないなぁ。

 プリンセスも一緒に暮らしていいよ」


 そんなシェリーの様子を見かねてか、アンはドヤ顔で同居を許した。

 男一人にの家に女二人って、それこそ不健全では?

 スノウは娘だと仮定したとしても。


「そうですね。

 それがいいかもしれません」

「そうだよ。プリンセスだって、私を救ってくれた仲間なんだから」


 シェリーは小さく、けれど長く、笑い声を漏らした。


「ええ、仲間ですから」


 その会話をする傍らで、スノウはベッドで寝息を立てていた。


 その時――。

 俺の感知魔法が三人の人間を感知した。

 部屋の入り口の前で立ち止まり、こちらの様子を伺っているように見える三人の陰。

 なんだ?


 この動き方、まさか……突入してくる気か!?

 アンもその気配に気付いたのか、俺を抱きしめる腕の力を弱める。


 俺は表情を険しくし、目くばせでシェリーの視線をドアへと誘導する。

 シェリーも、何者かが迫ってきていることに気付いたようだ。


 そして――扉がバンと開け放たれる……!

 その先に立っていたのは……?


「久しぶりだな、フェル。

 元気そうで何よりだ」


 見慣れた巨漢に、下卑た笑みを浮かべる双子。

 忘れるはずもない、こいつらは……!


「ムラン、トラ、タラ……!」


 アンは訝し気な表情を浮かべる。


「あれ? この人たちって確か……?」


 そうか、アンは暗殺者ギルドにいたとき、俺の身辺調査をしていたはずだ。

 その時にこいつらの顔を見ていてもおかしくはない。


「こいつらは……トップクラスパーティ。

 俺の、元パーティメンバーだ……!」

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