第32話 17年前の惨劇
17年前、王都グランソルムを、とあるドラゴンが襲った。
ドーム状に張られた強力なバリアを破り、殺戮の限りを尽くしたドラゴン。
そのドラゴンは、鋼板のような皮膚に覆われた、機械仕掛けの体を持っていたという。
その情報は知っている。
知っているのだが……。
この光景はなんだ……?
まるで、その惨劇を、この目で見ているかのような……。
砕かれた都、焼ける人々……血と炎に包まれた景色。
その景色を、俺は謎の女性の目を通して見ていた。
女性は妊娠しているようだ。
腹が重い……これが命の重みか……。
それと共に、女性から流れ込んでくる感情。
まるで地面に縫い付けられるような、胸を焼かれるような、心が今にも消え去りそうなこの感じ……絶望と呼ぶのだろう。
女性は、地面に崩れ落ち、嘆く。
その慟哭が、俺の五感を覆いつくす。
そうしているうちに、炎の奥から現れた兵士たちが、女性を取り囲む。
顔を覗き込んでくる兵士、女性に手を貸し、体を持ち上げる兵士。
彼らの鎧は、近衛兵の物。
国を揺るがす惨劇の中、この女性に向かって、近衛兵が真っ先に駆け付けてきたというのか?
この女性は一体……?
お腹の子、近衛兵、そして17年前の景色。
その時、断片的だった情報が、俺の中で繋がった。
この女性は、シェリーの……?
―――――――――
俺はハッと目を見開いた。
真っ先に目に入ったのは、宿屋の天井。
そうだった。
アンを救出した夜、疲れてしまった俺は真っ先に眠りについてしまったんだ。
俺の横には、同じく眠りについたスノウ。
俺の腕を枕にするスノウを起こさないように、腕を彼女の頭の下から引き抜く。
それから、俺は体を起こした。
その時ふと俺の視線が、隣のテーブルに置かれた聖剣に縫い付けられた。
まさか、さっきの夢は、お前が見せたのか……。
俺は机の横に置かれた椅子に腰を掛け、聖剣をじっと見つめた。
シェリーが発揮させた聖剣の力、先ほど見た夢、やはりシェリーと聖剣に何か関係が……?
不意に、部屋のドアが、何者かにノックされた。
しまった、感知魔法をかけ忘れていたか。
「フェル、起きてる?」
ドアをノックしたのは、アンか?
「アンか?
入ってもいいぞ」
部屋に入ってきたのは、寝間着のアン。
薄紅色のキャミソールを身に着けた彼女からは、年齢不相応の色気を感じた。
「ごめんね。
こんな時間に」
「いいさ。丁度目が覚めちまったところなんだ」
しかしこんな時間になんのようだ?
アンほどの暗殺者が、夜が怖いだなんて言い出すことはないだろう。
「にしても、どうした?
こんな時間に。
まさか一人で寝るのが寂しいとか?」
俺はアンをからかうつもりで、ニヤリと口角を上げる。
だがアンは動じることなく、スノウが寝ているベッドに、ゆっくり腰をかけた。
「そんなところ」
「そうか。ならいいんだが、スノウを起こさないようにな」
アンは「うん」と頷きながら、スノウの頭を優しく撫でた。
眠りながら、口元を緩めるスノウ。
そんなスノウを、アンは愛おしそうに眺めていた。
そういえば、こいつの本当の名前はソフィアだと言っていたな。
どうしたもんか、呼び方を変えるタイミングを逃してしまった。
「私さ、十歳の時に両親を亡くして、この街をさまよっていた時に、暗殺ギルドに拾われたの」
スノウを眺めながら、アンがポツリと漏らす。
きっと、話を聞いてほしいんだろう。
俺も、辛い思いをしたときには、そうして誰かに話したくなることがある。
「その時、暗殺ギルドの連中は、顔がいいからとか、いい女に育つからとか言ってた。
もっぱら、売り払うために私を拾ったんだろうね」
俺は、アンになんて声を掛けたらいいのか、わからなかった。
男だからか、売り払われそうになる女性の絶望感なんて、想像も付かないからだ。
「でも私は、ボスに必死にお願いしたんだ。
頼むから売らないでくれって、私を汚さないでくれって。
そうしたら、体に呪物を埋め込まれて、暗殺者に仕立て上げられた。
その日から私は、アンと名乗るようになったんだ」
「……どうして、名前を変えたんだ?」
俺はそんなどうでもいい質問しかできなかった。
下手なことを言ってしまったら、アンを傷つけてしまうと思ったから。
「両親からもらったソフィアという名前は、汚したくなかった。
暗殺者になってから、私の手は血で汚れてしまったから」
俺は今まで、アンはサバサバとした女の子だと思っていた。
暗殺者であることを何とも思っていない、肝の据わった子だと。
でも、本当は違った。
誰よりも繊細なのに、それを隠して生きてきたんだ。
「だから、これからもアンって呼んでくれていいよ。
まだ、ソフィアと名乗る勇気は……ないから……」
その裏にある心境は、俺にはわからない。
だけど――。
「わかったよ、アン」
これからもこいつはアンだ。
俺達の仲間だ。
それだけは変わらない。
するとアンは、突如としてキャミソールの肩ひもを外した。
「お、おい、何してるんだ……!?」
両側のひもを手に持ち、ゆっくりと下げていくアン。
「お、おい……!」
どうしたらいいのかわからなかった俺は、とりあえず両手で目を隠した。
そうしているうちにも、アンの持つ柔らかい女の子の香りが、俺の鼻腔をくすぐる。
香りがわかるほど近くにいるってことか……?
「見てもらいたいんだ。
私の傷跡」
「傷跡……?」
アンの胸にある傷跡……?
それって呪物を埋め込まれた時の奴か?
俺は恐る恐る目を開く。
目の前にいたのは、キャミソールをギリギリまで下げたアン。
左胸の乳房のあたりに、十字の傷跡が刻まれていた。
「どうして、これを……?」
「私にもわからない。
でも、これを見てもフェルは絶対に私を拒絶したりはしない。
そう思ったら、見て欲しくなって……私の傷ついた身体を、受け入れて欲しくて……」
そうか。アンにとって胸の傷は、汚点なんだ。
だから、仲間を名乗る俺には、知っていてほしかったんだ。
その気持ちは、なんとなくわかるかもしれない。
だが、アンの傷が汚点だなんて、俺は思わない。
事実、今俺の目の前にいるアンは、綺麗だ。
「綺麗だ、アン。
お前の傷なんか、何とも思わない。
きっと、シェリーだって同じことを言うはずだ」
「ふーん。プリンセスか……」
俺の言葉を聞くや否や、アンは口を尖らせながら、そそくさとベッドに戻る。
そしてアンは、自らの隣を、ポンポンと手でたたいた。
隣に座れて言っているのか?
「ねえ、もうちょっと近くで話さない?」
「……なんでだよ」
「私、まだ十四だよ?
甘えたくなることもあるよ」
そう言われてしまえば、嫌だともいえない。
実際、十歳からの四年間、アンは想像も絶する苦労をしてきただろう。
誰かに甘えることもできなかっただろう。
そんな彼女が甘えたいと言ってきたんだ、断ることなんかできない。
俺は渋々、アンの隣に座ることにした。
その直後――。
「アン……?」
俺は、アンに押し倒されていた。
「こう見えても私、結構見た目には自信があるんだよ?
プリンセス程ではないけど……」
「ちょ、ちょちょちょ、だ、だから何だよ!」
アンは口の前に指を立て、しーっと音を立てる。
アンの綺麗な顔が、ゆっくり近づいてきて……。
「お父さん……何してるの……?」
スノウが、目をこすりながら体を起こした。
アン唇が、俺の唇に触れそうな距離でぴたりと止まる。
俺は強引にアンを引き剥がした。
「い、いや、アンが一緒に寝たいって言ってきてな!
な、アン!」
アンは少し残念そうに俯いてから、お道化るように口角を上げる。
「そうそう、私がフェルのことを大好きだってことを証明しようと思ってね」
こ、こいつ、言い訳する気があるのか……?
スノウはそんな俺の腕に抱き着き、
「私もお父さんが大好き」
と言った。
「アン、今日は一緒に寝てやるから、いったん落ち着け」
「私は最初から落ち着いてますー」
俺は強引にスノウの方に詰め、アンが寝そべるスペースを取ってやる。
するとアンは、悪態を吐きながらも、そこにゴロンと寝そべった。
アンが俺の腕に抱き着いてきたことで、両腕が埋まってしまった。
そうして俺は、ロクに身動きも取れないまま、眠れない夜を過ごすことになった。
やはり、一人用のベッドに三人はキツイ、なんて考えながら。
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