第15話 氷の竜

「アン、竜の急所はわかるか?」


 見たところ、竜はまだこちらに気付いていない。

 自らの鼻を使って、呑気に翼膜を磨いていた。

 ならば、今がチャンスだ。

 先手必勝、これは何事においてもそうだ。


「一応ね。

 私から仕掛ける?」

「ああ、上から頼む。

 失敗したら、すぐに姿を消してくれ」


 アンはそれを聞くと、不服そうにため息を吐いた。


「失敗? 成功したら?」

「その時はお前の手柄だ。煮るも焼くも好きにしろ」


 アンは姿を消しながら「じゃあ、そうさせてもらうよ」と言った。

 彼女の体が、足元から頭頂にかけて、透明になっていく。

 何度見ても不思議な光景だ。


 今回の竜、これと言って強いわけではなさそうだ。

 ただ一つ厄介なのが、絶対に破れない「氷の壁」だそうだ。

 数多くのパーティが討伐に来たようだが、そのすべてが氷の壁によって、竜にまともな傷を負わせることすらできなかったらしい。

「氷の壁」が何を意味するのかは、聞き取りできなかった。

 全方位防御なのか、局所防御なのかすらわからない。

 

 だが幸いなことに、奴は逃げるものを追うことはないらしい。

 つまり、勝てそうになければ逃げればいいのだ。


 そこで俺達の作戦は一つ、今回の切り札はアンだ。

「氷の壁」を張られる前に、仕留めてしまおうというわけだ。

 仮に戦闘に入ってしまっても、俺が竜を引き付ければ「氷の壁」に綻びができるはず。

 そこをアンに狙ってもらう。


 勝てるかどうかは、やってみないとわからない。


 先程の会話から三秒もかからず、アンの初撃が繰り出される。

 俺には全く何が行われているか見えないが……竜は違った。

 奴は確かにアンの気配を掴んでいた。


 竜は自らの上空を、尻尾で薙ぐ。

 その瞬間、虚空から現れたアンが尻尾に吹き飛ばされた。


「アン!?」

 

 シェリーは声を上げた。

 その声に気付いたのか、竜は俺達の方に視線を向ける。


 やはりダメだったか。

 奴の「氷の壁」が破れないと聞いていた時点で、奴には視覚に頼らない、空間察知能力があるのではないかと睨んでいた。

 それが当たりだったわけだ。


 アンの視覚妨害も幻像も、実体を持たない。

 故に、視覚に頼らずに索敵する相手には、全く効果がないということだ。


 俺は竜の注意を引くために、大きく声を上げた。


「おいトカゲ! 俺はこっちだ!」


 俺は気の陰から躍り出て、聖剣を抜き払う。

 そしてすぐに、奴の懐へと飛び込む。

 奴が防御するよりも前に、聖剣の一撃を加えてやる!


 だが――。


 ガキィン!


 俺の一撃は「氷の壁」に阻まれた。

 壁は一メートル四方の物で、空中に浮いている。

 押しても押しても、壁が動く気配はない。

 これが、今までのパーティを追い払ってきた「氷の壁」……!


「クッソォォォ!」


 俺はヤケクソなって、その壁に何度も聖剣を打ち付ける。

 聖剣の切れ味をもってしても、壁には傷一つつきそうにない。


「だったら……ファイアソード!」


 俺は左手に、火柱を生み出す。

 その火柱を剣のように掴み、氷の壁に打ち付けた。

 だが、炎の熱をもってしても、氷の壁は溶けない。

 俺の手から噴き出す炎と、竜が生み出し続ける氷、二つがぶつかり合うが、これでは一方的に俺が不利だ。


 竜と言う魔物は、膨大な魔力を持つとされている。

 対して俺は、ただのバッファー。

 持っている魔力量に差がありすぎる。


「この野郎!」


 俺は両手をでたらめに振り回し、氷の壁を叩き続ける。

 これでいい、後は――。


 その時、竜の後方に、もう一つの氷の壁が作られた。

 きっと、アンが攻撃を仕掛けたのだろう。


 俺が暴れまわって注意を引いても、周囲への警戒は解いていないということか。


「アン、いったん引け!」


 俺はアンにひと声かけて、竜から距離を取る。


 三メートルほどの距離を開け、俺と竜が睨み合う。

 竜も積極的に手を出してくる気はないようだ。


 だが――。

 竜の咆哮が響き渡る。

 静かな白銀の世界とは不釣り合いな咆哮が、俺の内臓を震わせる。

 次の瞬間には、竜の上に三つの巨大な氷柱が出現した。

 人間二人分ほどの大きさはあろう氷柱だ。

 まさか、あれをこちらに飛ばすつもりか!?

 先程の壁と同等の強度があるとすると、あれを受け止めるのは至難の業だ。


「シェリー!

 気を付けろ!」


 あの氷柱がシェリーの方に行かないという保証はない。

 一応、避けることができる程度のバフは掛けてある。


 次の瞬間、竜は氷柱を俺へと射出した。

 三つの氷柱の、すべてが俺に向けられている。


「くっ!」


 俺は一つ目の氷柱を躱し、竜へと視線を戻す。

 厄介なことに、二つ目の氷柱は、俺の移動先を読んでの偏差射撃。

 奴の頭脳は、バカにできないか!


 俺は風魔法を使って慣性を殺し、進行方向と反対側へ飛ぶ。

 偏差射撃をされた二つ目の氷柱も、躱すことができた。

 だが、無理に氷柱を躱したせいで、体勢を崩した。

 これでは、三つ目の氷柱には対応できない――。


 俺は迫りくる氷柱を、聖剣で受け止める。

 聖剣が折れることはない、だが……俺の手が持たない。


「チクショウ!

 マッスルブースト!」


 俺は自らに筋力バフをかけ、力ずくで氷柱の軌道を変えんと力を加える。

 

「はあぁあああ!」


 全力で聖剣を握りしめ、無理やり氷柱の軌道をずらした。

 その衝撃で、聖剣が俺の手から滑り、空を舞う。

 聖剣は、隠れているシェリーのすぐ近くに突き刺さった。


「はぁ……はぁ……。

 スタミナブースト」


 俺はスタミナ強化魔法を自分にかけ、無理やりスタミナを回復する。

 まさか聖剣でも受け止めきれない攻撃が飛んでくるとは……竜が小さいからと、油断していた。


 とにかく、聖剣を拾わなければ。


 幸い、竜はまだ俺達を完全に敵視しているわけじゃなさそうだ。

 小さく唸りながら、俺を睨んでいる。

 刺激しないように少しずつ動いて――。


「フェル! 剣を!」


 と思った時、聖剣をもってシェリーが駆け寄ってきた。

 馬鹿ッ! 急に動いたら竜を刺激しちまう……!


 案の定、竜は小さく唸りながら、先程と同じ氷柱を五つ出現させた。

 三つでも対処するのがギリギリだったのに、五つ同時……?

 次こそは、命がないかもしれない。


「シェリー、急に動くんじゃない!

 ……クソッ!」


 シェリーが動いてしまったなら仕方がない。

 俺も駆け寄り、聖剣を掴んだ。


 その時だった――。


――ドクン。

 と、脈打ったのだ。

 聖剣が。


 その脈動は、手だけでなく、空気すらも振動させる。

 ……なんだ、これは?


 聖剣が、熱い……まるで燃える薪を掴んだかのように、俺の手が焼き焦がされていく。

 しかし、本当に焼けているわけではない。

 どうなっているんだ?


 シェリーは全く動じずに、聖剣を持っていた。


「シェリー、何も感じないのか……?」

「え? な、なにがですか……?」


 これは一体、どういうことだ……?


 その脈動は、竜にも伝わっていたようだ。

 奴はギョロリと目を剥くと、今までの数倍の大きさで咆えた。

 五つの氷柱を霧散させ、大空へと舞い上がる。

 完全に俺達を敵と認識したのか。

 雪は激しい吹雪となり、俺達の視界を塞ぐ。


 だが、聖剣の熱のせいか、俺達の周りには、まるでバリアが張られているようだった。


 ぐぉぉぉ!

 っと竜の咆哮と共に、巨大な氷柱が上空から射出された。

 先程までは対処できなかった氷柱だが、今なら斬れる……そんな気がする!


「シェリー、離れてろ!」

「は、はい!」


 俺は、シェリーが離れてから、飛来する氷柱を――


「はああああああああ!」


――思い切り、切り裂いた。


 今まで氷柱に歯が立たなかった聖剣だが、今回はそれをいともたやすく両断した。

 真っ二つに割れた氷柱が、俺の左右を擦過する。


 聖剣に何が起こったのかはわからない。

 まさか、シェリーに反応した……?


 俺は聖剣を構え、上空の竜を仰いだ。

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