匿名希望の幸福論

通行人B

匿名希望の幸福論

 誰かが言った。『女子高生は最強』だと。

 誰かが言った。『高校二年生が一番楽しい』と。

 ……では『高校二年の女子高生は無敵』なのかと。


 §


「——そんなわけでないでしょ。」


 背もたれに体を預けるとギィと不快な金属音が鳴る。部屋のカーテンと扉は締め切られており、耳を澄ませればパソコンの稼働音が静かに聞こえた。画面右下に表示された時計は二十三時を示しており、カーテンを開いて確認する必要もないぐらいに真夜中だと理解する事ができる。

 机に広げられたノートに参考書、問題集。ノートはやる気のない文字達が泳いでおり、何となく手を見ればシャープペンの芯で手が黒く汚れていた。


「はぁ…もういいや。最低限やる事はやったし。」


 ノートの上の消しゴムのカスをゴミ箱へと払い落とし、足下の鞄を机の上に乗せては明日の持っていく物を詰め込み始める。


「えっと、明日提出の課題と問題集。それとこの教科書と……あ〜、明日体育あるのか…面倒臭いなぁ。」


 独り言を呟き、文句を言いながらも強引に詰め込んだりはせずに、一つ一つ丁寧に入れていく。ある程度入れていくと、小さなポケットから塗装の剥げたウォークマンが出てくる。軽く操作をしてみるとバッテリーの残り残量が二割を切っており、勉強中に充電しておけばと頭を押さえる。


「……はぁ。まぁいいか。」


 パソコンとウォークマンを繋ぎ、自室から出ていく。薄暗い廊下に明かりを付けずに洗面台に向かう。何年も住んだこの家で迷う事はなく、洗面台にたどり着けば一瞬だけ明かりを付けては手を洗う。明かりを消す瞬間、鏡に映った自分と目が合うと小さく鼻で笑った。


 §


 ほぼ毎日通う学校だというのに、どうしてこんなにも憂鬱なのか。周りの生徒達は自分と同じ様な気怠い顔をしている人もいれば、昨日のテレビの話で盛り上がったりする人もいた。

 雑音。欠伸を堪えながらポケットから充電したウォークマンを取り出し、音を切り離した。ランダムに流れてる曲の中から今の気分に向いていそうな曲を探す。無駄にテンションを上げる曲。眠ってしまいそうな程緩やかな曲。爽やかな恋愛を語る曲。そして——。


「(——これでいいか)。」


 耳元で騒ぐ声。それは自分の抱える痛みや苦しみを叫ぶ声。『お前に私の何が分かる!』『苦しい! 消えたい!』そんな声。自分の気持ちを代弁するかの様なそんな歌だ。

 別にその曲に対して深い思い入れがあるわけではない。今はテンションを無理矢理にでも上げる気分ではないし、ゆったりとした曲は寝てしまいそうだ。そう、これは消去法だ。


「(……それじゃあ私は、わざわざ朝からこんな憂鬱な気分の中、憂鬱をさらに加速させる為にこの曲を聴いているのか)。」


 教室までコロコロ変わる曲達に僅かばかりの気疲れを感じる。自分の席に座ればイヤホンを外し、再び聞こえる雑音に目蓋が重くなる。

 一息ついた後、私はホームルームが始まるまでと自分に言い聞かせて意識を少しだけ落とした。


 §


「…み……めぐ…めぐみ!」


 自分を呼ぶ声に重たい目蓋と頭を持ち上げる。すると目の前には見知った顔がこちらを見ていた。


「……何? 何か用なの夏目なつめ?」

「用も何も……進路希望調査。出してないの恵だけだよって話。」


 夏目に言われて嫌な事を思い出したと余計に気分が重くなる。机から引っ張り出した一枚のプリントに視線が落ちる。タイトル欄には本文とは違う少し太字のゴシック調で『進路希望調査用紙』と書かれており、その紙に書かれた自分の文字は氏名欄にしか書かれていなかった。


「白紙じゃん。」

「白紙だね。」


 書くべき第一希望から第三希望まである三つの空欄。そこに自分の進路希望を書いて提出すればこの話は終わり。頭では分かっているけれどどうも筆が動かない。

 何故かといえば私には叶えたい夢が無いから、思い浮かばないからだ。実に現代の若者らしい悩みだけれど本当に何も無かった。叶えたい夢、憧れる職業、特筆する才能。そのどれをとっても曖昧で、その空欄に『特に無し』と書く勇気も無かった。


「夏目はなんて書いた?」

「ん? 適当だよ? とりあえず近場の大学とちょっと面白そうだなぁって大学を書いただけ。」

「……そんなのでいいの? 自分の進路だよ?」

「みんなそんな感じだよ? 寧ろ何でそこまで悩んでるかが分かんない。目標があるのならそれに関連する所を書けばいいし、無いなら無いでとりあえずを書くしかないんだよ? それとも恵はこの数日に決めた目標で人生が決まっちゃうの?」


 私達高校二年生だよ? 今を楽しまなくちゃ。そう言う夏目を見て無敵の女子高生は彼女にこそ当てはまるんだなと思った。

 夏目は私の数少ない友人。夏目自身は友達も沢山いて、一人でいる所なんて滅多に見ない。どうして夏目は私に気にかけてくれたのかなんて考える事はない。夏目にとって私は沢山いる内の友達の一人であり、その沢山いる友達全員を大切にしている。それだけの事で、別に私が夏目の特別というわけではない。

 いなくなった夏目の背から視線を外してプリントに視線を戻す。確かに夏目のいう通り、こんな考えをしている中で出した目標を基に、一生をかけるなんて事はできない。しかしそれと同じぐらい適当に書くことも出来ず、結局私はその日のうちに書く事が出来ずに家に持ち帰ってしまった。


「お母さん、進路について話があるんだけど。」

「何処に行っても良いよ? 恵の好きな事して良いから。」

「そうだな。お父さん達は恵のやりたい事を全力で応援するからな!」

「……あぁ、うん…ありがと。」


 家族に相談するも「好きにして良いから」という、娘に対する理解と信頼を持つ両親という理想の対応。勿論それはそれでとてもありがたいけれど、今欲しいのはヒントであって肯定ではない。何かを言おうにも両親の温かな視線に耐えきれずに自分の部屋に持ち帰った。

 ベットに転がりながら答えを探す。自分は夏目の様に友達が沢山いるわけでも、相談する相手がいるわけでもない。教師には聞きにくいし、両親には心配させたくはない。結局一人で悩んで見つけるしかない。


「そんな簡単に考えて見つけれたら苦労しないよ。」


 ポケットから携帯を取り出してはSNSを立ち上げる。画面端に表示された画面からアカウントを切り替える。切り替える前のアカウントは俗にいう本垢。リアル垢ともいう。夏目にせがまれて作ってみたものの、これといって呟く事もないし、夏目の拡散力が凄すぎるが故に滅多に稼働せず、あくまで情報収集に使っていた。

 そして切り替えた後のアカウント。俗にいう裏垢。


「『今日も進路希望用紙書けなかった』。」

「『両親は好きにして良いって言ってくれる良い親だけど、今はヒントが欲しい……』。」

「『やりたい事とか無いし…でも適当になんて書けないよ…』。」


 こちらはなるべく知り合いとはつながらない様に作ったアカウント。誰も私の事を知らないから好き勝手に吐き出す為のアカウント。身バレは怖いので詳しい内容は書かずに思い浮かんだ悩みや苦しみをここに吐き出していた。


「あっ、返信来てる。『大丈夫?』大丈夫じゃないから呟いてるんだよなぁ……また来た。『相談に乗るよ!』…いや、結構です。」


 偶に飛んでくる返信の数々。内容としては親身になってくれるものだけれども、その人の過去の呟きを見れば誰にでも同じ様な事を言っている上に、端々に性格の悪さが見え隠れしている。別に思い入れがある人でもなく、ついさっきフォローされた様な相手故に、私は溜息を吐き出す様にブロックをした。

 結局誰にも聞けない、話せない。枕に顔を埋めながらもネガティブな呟きを続けてしまう。


「あ〜駄目だ。こんな事しててもしょうがないし、面倒だけど課題でも……ん?」


 気持ちを切り替えるように枕から頭を持ち上げると、私の裏垢に対して一通のDMが届いている事に気がつく。

 先程ブロックした人からの怒りのものかと恐る恐る覗いてみると、そこには見たことのないアイコンと語部かたりべと書かれたユーザー名が。僅かに見える文章には『グミ様、突然のDMをお許しください』と書かれていた。グミとは私の裏垢のユーザー名であり、その名前に様をつけた上に謝罪から書かれているのなら開く分には害は無いと思い開いてみる。


『グミ様、突然のDMをお許しください。先日のツイートで書かれていた喫茶店の店名なのですが、地元でやっている個人経営のお店でして、外部からは分かりにくいかもしれませんが、地元の人から身バレをする可能性があります。私の勝手ながらの杞憂でお時間を頂いてしまい申し訳ありませんでした。』


 相手からのDMには杞憂とその原因となる呟きのリンクが貼られており、確かに内容を読めばいつそこに行ったか分かってしまう。少し前の呟きとはいえ、こういわれてしまうと怖さを感じる。

 件の呟きを削除すると同時に同じ人から『突然の身バレの可能性があるという杞憂のDMで不快になったと思います。ですので、私の事はブロックしてくださっても構いません。』とアフターケアまで気にかけてもらってしまった。

 とりあえずという様に相手のアカウントに飛び呟きを覗いてみる。すると日常的な呟きと同じぐらい料理の画像で溢れており、それらがその人の自作という事に女子力の高さを感じた。

 普段来る返信は明らかに下心や取ってつけた優しさで、誰彼構わずに語りかけてくる人、や病み垢ばかりだったのでこういった大人の女性の様な人は少し新鮮だった。

 お礼を言っておこうとキーボードを引き出すと、ふと邪な考えてが浮かび、どうせ何かあればブロックするから良いかなと思いキーボードを叩く。


「『ご指摘ありがとうございます。最近、自分の進路について悩んでいて気を抜いてしまいました。……語部さんは呟きを見たところ大人の方だとお見受けします。ご指摘をしてもらった上にこんな話をするのもなんですが、進路選びについてアドバイスをいただけませんか?』」


 §


 今日は珍しく気分が良かった。街を散策している最中に雰囲気の良いお店を見つけることが出来た。料理の盛り付けも綺麗で味も良く、写真を撮って帰る時にまた来ようと思った程だった。

 普段は映えなんて事はあまり気にしてはいないけれど、フォローしてくれる人達はみんな映えと言ってくれたからそうなのだろう。

 家に帰ってから画像付きで呟き、店名で検索をかけてみると程々の呟きを拾う事ができた。


「へぇ。あのお店、個人経営なのか。それじゃあ呟きが少ないのもしょうがないのか。」


 ちょっとした地元ならではの優越感。先程した呟きにも気がつけば『私も行ってみたい』『知らなかった』なんて声がちらほらあった。

 そんないくつかある返信の中で『語部さん、同じ地元だったんですか!』なんてものを見つける。


「あぁ~……まぁ、会ったことはないけど、何度か話はしてたしまぁ別にいっか。」


 偶に店名を出すとこういった返信が来る事が多くなった。趣味で作った料理を投稿し続けた事で奥様方や一人暮らしの人からフォローをもらう様になった。それは良いけれど時折『近いんで会いませんか?』なんて声をもらう事がある。

 別に今の自分が身バレしても左程困る様な呟きはしてはいない。けれど人に会いたいわけじゃなかった。


「はぁ……あれ?」


 気を紛らわしながら検索を続けると一つの呟きに目が止まった。内容は疲れた自分へのご褒美としてその店名が呟きに入っていた。そして店名の前に「よく行く近場の」とついていた。

 そのアカウントはどうやら裏垢でフォロー数も少ない。先程の返信を思い出すと不意に手がキーボードを叩いていた。


「送信…………したけどこれって普通に気持ち悪いんじゃないかな…。」


 気がついた時には既に送信してしまった後。つい差し出がましく杞憂DMを送ってしまい頭を抱える。慌てて追加で自分をブロックしてくれと頼む事を送るも、それはそれで気持ち悪いのでは? と更に頭を抱えた。

 どうしよう。そういった気持ちが募り、何度も確認しては自分をブロックしてくれと願った。するとそんな願いを他所に、一通のDMが返信された。


『ご指摘ありがとうございます。最近、自分の進路について悩んでいて気を抜いてしまいました。……語部さんは呟きを見たところ大人の方だとお見受けします。ご指摘をしてもらった上にこんな話をするのもなんですが、進路選びについてアドバイスをいただけませんか?』

「……へ?」


 返ってきたのは意外と好印象な返答で思わず変な声が漏れてしまった。再度落ち着いて読み直すもどうやら幻覚ではないらしく、とりあえずの不安は緩和した。


「進路の相談……それは僕じゃなくとも…あぁ、書けないっていってたっけ。」


 DMとアカウントを行き来した際に見えた最後の呟きを思い出す。念の為にと呟きを確認するとやはり進路に迷っている。……年齢を偽っていないのなら、おそらく女子高生辺りだと思う。

 普通に事を考えては気持ち悪いと思うけれど、生憎と相手の質問に答えるかどうかでいっぱいいっぱいだった。

 語部かたりべ千秋ちあき。それが自分の名前。今の年代ならば左程気にされない名前だけれども、僕の学生時代はそうはならなかった。男のくせに女っぽい名前。顔つきも中性的で体だって華奢。今ほど過敏になっていない時代だったからこそ、僕は恰好の的となり、学生時代の大半をいじめられた記憶で埋め尽くされていた。

 長らくいじめられた上に両親の理解も貰えず、自殺してやると書いた置き手紙を一つ残して家から飛び出した。学校から逃げ出した僕は親戚の家に匿ってもらい、中退というレッテルを背負いながらも、斡旋してもらった本屋で働き続けていた。その後に両親から連絡を貰い、時間をかけて和解する事は出来たが、地元に帰る事はなかったし、帰る気もなかった。

 そんな一般的に運が悪かった僕だけど、だからといってそれを他人にぶつけたりはしなかった。いじめられた上に誰にも助けてもらえなかった分、誰かを助けてあげたかった。おそらくそれが感謝の言葉を見返りに求める承認欲求だとしても、誰かには優しくあろうとした。


「まぁそれでも、ちゃんと卒業できなかった僕が言える事なんてほとんどないけどね。」


 §


「随分と嬉しそうだね? 何かいい事でもあった?」

「まぁ、人並みにはね。」


 語部さんとのDMのやり取りを経た私は、確定ではないにしろ、ある程度の進路の方向性を見つける事ができた。それは夏目から見れば結局付け焼き刃の回答で、とりあえず適当に埋めた皆んなと大差ないと思う。けれど今回重要なのは過程で、私はその答えにある程度の納得を経て記入できたのだ。

 お礼というべきか、見ず知らずの裏垢の私に親身になってくれた語部さんに懐いたというべきか。あの後、私は語部さんをフォローをしては時折相談に乗ってもらったりした。

 同年代ではないにしろ、今まで真面目に聞いてくれなかったり、家族や友人にし辛い悩みを相談できる同性の相手ができたのだ。嬉しくないわけがない。


「なぁに? 本当にどうしたの?」

「だから大した事じゃないよ。悩みの種が解決したからって話。ほら、進路希望とかさ。」

「ふ〜ん? まぁ、恵が嬉しそうなら良いんだけどさ。それより昨日のドラマの話なんだけどさ。」


 こうして夏目との話が流れ、しばらく話したうちに夏目が他の人のところに行く。心の余裕が生まれた私は小さく欠伸を漏らして、鐘が鳴るまで目を閉じる事にした。


 §


 趣味の料理の延長線上でのSNSだけれども、別に誰かしらと深く繋がるつもりはなかった。ただ上手く作れたから折角だし誰かに見てほしい。それだけだった。そういうところが女々しいといわれたら言い返せないけれど、言い返す意識を持たないぐらいには距離感を保てていたと思う。

 そんな僕に最近、SNS上で話す相手が出来た。以前に杞憂DMを送った相手から度々相談を受ける様になった。勿論、相談以外にも僕の作った料理に関しての感想や質問などを貰ったり、自分で作ってみたという写真を貰ったりしている。

 距離感を必要以上に保っていた僕から考えれば、この人は大分近い距離にいると感じてしまう。それは相手が(おそらく)女子高生だからではなく、僕が誰かの役に立てた時のその誰かだからだと思う。

 フォローはよく貰ったことが有ったけれど、この人は僕の中では特別な部類の人で、相談等をされれば何とか応えてあげたくなるし、褒めてくれたら誰よりも嬉しく思えた。

 とはいえ、どんなに特別な存在でも最低限の距離感もとい、触れてはいけない部分の一線は分かっているつもりだった。


『語部さんは普段何をしてるんですか?』

『普段はサービス業の仕事をしていて、時間に余裕があったり、いき詰まったりした時に料理をしたり食べ歩きしたりしてますね。』

『そうなんですか。語部さんのおすすめのお店とかって何処かありますか?』


 キーボードを叩く手が止まる。以前の杞憂DMで僕の事を近くの人と知っているのかそれとも無意識か。答えるのは簡単だけど、その発言に答えていいものか暫し考える。

 直接会った事のある友達同士なら答えてもいいとは思う。しかし、自分達は直接会ったわけでも、会いたいわけでもない。SNSならではの距離感を大切にしたい僕だからこそ、直接繋がってしまいそうな一線を越えようとはしなかった。


『気がついているかどうかは分かりませんが、私とグミさんは恐らく同じ地域住人です。親しく接してくださるのは嬉しいですが、匿名上のSNSでの個人に繋がる様な話はマナー違反ですよ。』


 少し強めに言ってしまったと思う。勿論本気で怒ったわけではない。この人が僕のラインに触れそうになった。触れてしまえば知りたくなかったこと、知られたくなかった事まで知ってしまう恐れもある。これは僕の為であり、この人の為でもある。


『つい悩み事の相談やあれこれ聞いてしまいました。そうですよね。これでは出会い目的みたいな言い方になってしまいました。……助けてもらった事に甘えて馴れ馴れしくしてすみませんでした。』


 改めていうけれど怒っていたとは少し違う。僕は軽く注意したつもりだった。しかしSNSならではの文字だけのやりとりでは上手く伝わる事がなく、僕はそうでなくとも、どうやら向こうは僕が物凄く怒っているように捉えられてしまっていた。

 返ってきた返答からとても申し訳なさそうな謝罪文が返ってきた。


 §


「は〜〜〜〜〜。」

「うわっ、随分と大きな溜息だね。何かあった?」


 昨晩、私は語部さんの事を怒らせてしまった。返信でも書いたけれど、助けてもらった事に甘えていたのは確かだ。大人の女性として頼りになった語部さんともっと話したい。もっと知りたいと思ってしまったが故の結末だ。

 あの返信以来、語部さんからの返信はなく、完全にやらかしたという後悔しかない。一応、まだブロックされていないから良くて首の皮一枚が繋がった様子。

 どうしたと夏目がやって来ては相談しようとするも、今回の事は裏垢でのやりとりで、その存在は夏目にも秘密にしている。その為「知り合いの人を怒らせちゃって。」と言葉を濁しながら答えた。

 SNSでしか知らない相手だから、本来ならそのまま互いに離れて、有耶無耶のまま別れれば良いのだろう。しかし、友達の少ない私からすれば語部さんの事をかなり仲の良い女友達ぐらいには思っていた。

 内容が内容なだけあって両親にも相談はできない。


「なつめぇ…どうしたら良いのかなぁ……。」

「あ〜……菓子折りでも持っていけば?」


 ……余程頭が回らなかったのだろう。私は夏目に『SNS上で知り合った』という事を伏せていた為にそういう答えが出るのは当然の事で、私はそれを馬鹿正直に受け止めては放課後に近くの百貨店へと駆け込んだ。


「さて、何を買えば…。」


 店内を歩き回りながら菓子折りになりそうな物を物色する。ドーナツやチョコレート、ケーキに和菓子。様々な物に目移りしながらも、どれを渡せば喜んでもらえるかを考える。話した限りでは食べ物関係ならどれでも喜んで貰えそうだとも思ってしまう。


「……って、これじゃ恋する少女みたいじゃん。」


 始めこそ謝罪の菓子折りを買いに来たというのに、どうしてこうもユーザー名しか知らない相手をここまで思ってしまうのか。

 初恋なんてまだしてないのに。なんて思っていると目の前で小洒落た小箱を抱えた女性とすれ違う。何となく背後を振り返ってみると、洋菓子が売られているお店で入り口には『期間限定・女性限定』と書かれた旗が立てられていた。店内を覗くと雰囲気が良く、カウンターの所には旗の指し示す物が置かれていた。


「期間限定……これならいけそう。……よし。」


 意を決して店内に入り、お目当ての物に目を向ける。それはとても綺麗に飾られたケーキで、謳い文句には『季節の果物をふんだんに使ったコラーゲンたっぷり』なんて書かれており、確かに女性限定と謳った方が売れそうだなと思った。

 あまりの雰囲気とお目当てのケーキ以外にもついつい目移りしてしまいふと我に帰る。これ以上長居しては余計に出られなくなると察した私は一つは自分が試食用、もう一つを渡す様にと店員さんにケーキを二つ注文した。


「合計で千六百円になります」


 ケーキ二切れでそこまでするのかと一瞬強張ったが致し方がなく、財布からなけなしのお小遣いをトレイに乗せていく。


「……あれ?」

「どうかしました?」


 財布の中を探せど、必要金額が見つからない。お札入れやレシートの束、はたまたポイントカードがごちゃごちゃ入っているところを探してみても千円ちょっとしか見当たらない。

 自分用を我慢すれば買えるのだけれども、ここまで美味しそうだと自分も食べてみたい。そんな私欲の葛藤と無駄遣いをした自分に罵声を浴びせながら何度も財布の中を調べる。

 ……結局お金は足りず、一切れしか買えない。その現実が少し重くて店員さんに訂正の注文をしようとした時、背後から肩を叩かれる。


「……もしかしてお金が足りない?」


 振り返ると背丈が高くて髪の長い女性が立っていた。知らない人だけれども、焦っていた私は吃りながらもその事を伝えた。


「そっか。……すみません、この限定のやつを二つ。この娘のとまとめてこれでお会計お願いします。」


 すると女性の人は自分の注文と一緒に、私の分のケーキの代金を支払ってくれた。慌てて断ろうとするものの店員さんの手際の良さに負け、ケーキを受け取った女性は私の前に「どうぞ。」と言ってケーキの入った箱を差し出して来てくれた。


「あ、あのお金!」

「気にしないでいいから。」


 何かお礼をしないと。そう思い詰め寄るもやんわり断られてしまう。いつもの私ならそれに感謝して別れていたかもしれない。けれど名前しか知らない語部さんに助けられ、今こうして見ず知らずの女性に助けられてしまったのだ。助けられっぱなしの私でいるのは嫌だった。


「あ、あの! これ私の連絡先です! そ、それで今度の土曜日にお礼をしたいので土曜日に! こ、ここで待ってますから!」

「え? あっ! ちょっと!?」


 財布に入っていたレシートの裏に連絡先を走り書きしては押し付ける様に渡した。相手が慌てている間に、私は逃げる様にその場から立ち去る。

 家に帰る頃には乱れていた思考もある程度収まり、手に持っていたケーキを見てはユーザー名以外知らない相手にどうやって渡すのかを考えないといけなくなる。仕方なくケーキを冷蔵庫に仕舞い込む。冷蔵庫の扉を閉めた時、貼られていたスーパーのカレンダーを見ては明日が土曜日だという事に今更ながら気が付いた。


「はぁ……やらかした……。」


 翌日の土曜日は当然の様にやってくる。私は三つのやらかしに一人頭を抱えていた。

 一つ目は時間。土曜日にと伝えたものの、時間指定をしていないが為に、いつ来るかも分からず、開店時からずっとお店周辺で待つしかない事。

 二つ目は連絡先。お礼をする為に多少強引に連絡先を渡したものの、私は相手の連絡先を知らない為、私が既にここにいる事を伝える事ができない事。

 三つ目は個人情報。二つ目と似たものだけれど、相手に携帯の電話番号を教えてしまった。ついこの前に語部さんに怒られたばかりだというのに、私は何も学びを活かせてない事。

 百貨店で待機してから既に午前を過ぎてしまった。土曜日というだけあって店内は家族連れの人達で賑わっており、目の前の洋菓子店では沢山のお菓子達が売られていった。

 親からお小遣いを前借りする事が出来たので昨日の様な事は起きないとはいえ『この場を離れた後にすれ違ったらどうしよう。』とか『ご飯を食べてお金が足りなくなったらどうしよう。』とか考えてしまうと、どうも立ち上がる事が出来ず、空腹に近づくお腹をさすってはケーキの匂いに負けそうになり頭を埋めた。


 ………さて、どのぐらいの時が経ったことか。一時間? 二時間? それともまだ五分も経っていないかもしれない。時計を見るのも怖くて携帯も見ていない。私を呼ぶ声を聞き逃すのが怖くて音楽ではなく雑音ばかり聞いていた。

 華の女子高生がこんなところで俯いて来るかどうかも分からない人を待っていると考えると、一瞬面白そうに感じるも直ぐに虚しく感じる。


「……あ、あの…もしかして貴女、昨日の。……その、大丈夫ですか?」


 不意に頭上から声が聞こえた。顔を上げるとそこには昨日ケーキを買ってくれた女性の人が立っていた。


「え、あ…その……だ、大丈夫です。えぇっと、来てくださって嬉しい……です…はい。」


 昨日は勢い任せに喋っていたのに対して、今回は少し落ち着いて面と向かって話す事に。冷静に考えれば今まで見知らぬ人と対面して話す事なんて無かった私が、翌日に約束をつけてお礼をしようとするなんて前代未聞。緩んだ緊張が引き締まり直すと同時に、私のお腹も緩んだ瞬間に大きく空腹を知らせる声を響かせる。


「ははっ。とりあえず何か食べようか?」


 改めて目の前の女性を確認する。背が高くて体格もスラっとしている。時々口から零れる低い声は大人っぽくて素敵な人だと感じた。

 前回のお礼に何か奢るという話にして二人で喫茶店に入る。お腹の音が会話のきっかけなだけあり女性との、千秋ちあきさんとの会話は楽しくてついついあれこれ語り合ってしまう。

 そんな談笑を続けていると、ふと語部さんの事を思い出してしまい、回っていた舌が急に止まる。


「恵ちゃん? どうかした?」

「えっとですね。実は私、昨日ケーキを買いに行った理由がですね? その、喧嘩した相手に謝りたくて買いに行ったんです。」

「そうなんだ。それで? ちゃんと謝れたの?」

「それが……その人、SNS上でよく相談に乗ってくれている人なんです。」


 私は千秋さんに悩みを吐き出した。喧嘩した語部さんとはSNS上でしか知らない人だという事。相談を受けてもらえた事が嬉しくてついつい聞いてしまい、相手のプライベートに足を踏み込んでしまった事。その事を物凄く怒られた事。そして語部さんに謝りたいという事。吐き出す程に笑える程情けなく感じ、無理矢理「SNS上でしか知らない人に菓子折りを渡そうなんて馬鹿な事考えてたんですよね〜。」と笑って誤魔化してみた。


「……恵ちゃんはその人と仲直りしたい?」

「したい……です。」

「SNS上でしか知らない相手だよ? 危ないとか思わないの?」

「そう思う時は…あります……けど、真剣に私の進路を考えてアドバイスしてくれたり、他にも沢山相談も聞いてもらえて。……私がプライベートの事を聞いてしまっても怒って注意してくれるぐらいには優しい人で。……会えない。会わないと決めれたのならせめて謝りたい…です。」


 千秋さんは少し考える。暫くすると「そっか。」と笑った。


「恵ちゃんの使っているSNSは文字だけのやりとりが多いからそうなっちゃったんだね。うん。文字だけだとうまく伝わらない時もある。それなら工夫をしないといけないね。」


 そう言うと千秋さんからいくつかのアドバイスや、謝罪をする為の対策を話し合った。

 あれ程千秋さんを待った時間は長く感じたというのに、千秋さんと語り合った時間はあっという間に過ぎていき、気がつく頃には陽が落ちかけており世界を赤く染めていた。


「今日はありがとうございます千秋さん。」

「こっちこそ人と沢山話ができて楽しかったよ。」

「あの! また、会えますか? ……会って、お喋り出来ませんか?」 


 背中を向ける千秋さんを呼び止める。そうだ。ここで別れたらもう会えないかもしれない。偶然にも繋がった縁を手放したくない私は、千秋さんを真っ直ぐに見つめた。


「……それじゃあ、仲直りの報告を待っているからね?」


 そう言うと、今度は千秋さんがレシートの裏に番号を書いて手渡してくれた。「じゃあ!」と喜ぼうとした時には千秋さんは既に背を向けており、帰宅する人達の波に紛れて見えなくなってしまった。

 受け取ったレシートをひっくり返せば、先程食べたお店のものと気が付き、また奢られてしまったと情けなくも笑ってしまった。

 家に帰って謝罪文を書き出す。何度も何度も読んでは書き直してから送ると、数分後に語部さんから『怒ってないから大丈夫ですよ。』と返答が返って来ると、その日は久しぶりに安眠できた。


 §


 食材等の買い出しに百貨店へ行った際、よく行く洋菓子店の前で足が止まった。入り口に飾られている旗には『期間限定・女性限定』の文字が書いており、その旗に隠れる様にその食品サンプルには『季節の果物をふんだんに使ったコラーゲンたっぷり』と謳われている綺麗に飾り付けられたケーキがあった。

 ……食べてみたい。その時の僕はそのケーキをどうしても食べてみたかった。別にコラーゲンとかそういったものにはあまりピンとは来ないけれど、食欲をそそられる様な綺麗な見栄えに僕の心は揺れていた。

 しかし、旗にも書かれている通り女性限定のケーキ。男性である自分が買えるとは思えない。とはいえきっと例外とかあって母親や彼女へのプレゼントとか言えば通るのかもしれない。そんな聞くだけならタダの様な発想を持ち合わせれなかった僕はといえば……気がついたら女装をしていた。


「これは…いけるかもしれない。」


 何がいけるのか分からないが、この時の僕はきっと正気ではなかったのだと思う。それ程まで食べたかったのだろう。まぁ女装とはいったが、伸ばしっぱなしの髪を手入れをしたり、服装をそれとなく寄せたぐらい。それに元々男性から見て僕は声は高い方で、体もあまり男性らしくない。唯一男性だと分かりやすそうな喉仏もタートルネックを着てしまえば悲しい事にそう見られても仕方ないのではと思ってしまう。

 なにはともあれ、してしまった事には変わりはなく、一刻も早くケーキを買って忘れたいと思い、再び百貨店に向かった。

 お店に着くまでの間、すれ違う人等に視線を向けられる。……やはり自分は男に見える上に変に見えるのかもしれない。不安が募る程足は早くなり、気がつく頃には目的地に着いていた。

 甘い匂いを嗅ぐと少しだけホッとする。早く買って帰ろうとレジに向かうと一人の女子高生らしき人が注文をしていた。その娘も自分と同じ物を買った様で、遠目から見たそのケーキはやはり美味しそうに見える。男の姿だったらそのまま店内で食していたと思う。

 そんな事を考えているも、いつまで経ってもその娘はレジの前から離れようとしない。何かあったのかと視線を移せば、財布の中を見て焦っているのが見えた。


「……もしかしてお金が足りない?」


 肩を叩いて聞いてみると、その娘は慌てているからか何度も吃りながらそうだと言った。


「そっか。……すみません、この限定のやつを二つ。この娘のとまとめてこれでお会計お願いします。」


 別に社会人である僕にとっては買えない値段でも、ましてや痛い出費にもならない。財布からカードを取り出しては自分の分と纏めて代金を支払う。ケーキを受け取り、その娘に「どうぞ。」と差し出した。


「あ、あのお金!」

「気にしないでいいから。」


 目的のケーキも買えたし早く帰って食べたい。これ以上関わってボロを出す可能性もあるとつらいのでその場から離れようとすると、呼び止められてしまい、一枚の紙を押しつけられる。


「あ、あの! これ私の連絡先です! そ、それで今度の土曜日にお礼をしたいので土曜日に! こ、ここで待ってますから!」

「え? あっ! ちょっと!?」


 レシートの裏側には十一桁の数字が書かれており、それがこの娘の電話番号と気がつく頃には、その娘はその場から立ち去ってしまい後を追えない。


「……どうしよう。」


 破って捨てるのも気分が悪いし、かといって登録してこちらからかけるのも別な意味で悪い。片手にケーキの入った箱を。もう片手には女子高生の電話番号。

 暫く考えて「まぁ、土曜日になる頃には忘れているでしょう。」と楽観的に考えて帰ると、玄関口に貼られたカレンダーに明日が土曜日だといわれて頭を抱えた。

 再び会うとなるとまた女装をしないといけない。本来の今日みたいに必要最低限の人だけ関わって、必要最低限の言葉だけ交わすぐらいなら何とか我慢できた。しかし、人と会うのが目的になると怖い。もし男だとバレたら? もし昔みたいになるのでは?

 改めて今日の自分の無謀さに震えてくる。こんな事を一人で悩んでも出てくるのはネガティブな『もし』の事ばかり。

 ふと事情も知らないグミさんに相談しようかとも思いつくも、最近は連絡も呟きも無くて怖がられてしまっている。ブロックこそされてはいないが、ほぼ別れたと同然と感じる。


 どんなに落ち込もうが悩もうが数時間もすれば翌日の土曜日がやってくる。恐らく昨日と同じ時間だと思う。散々悩んだ結果、最短で終わらせようと意を決して家を出る頃にはお昼の時間が過ぎていた。

 二回目だというのに相変わらず落ち着かない。何でこんな事にと思えば、原因は昨日の善意かお節介。今の憂鬱を考えなければ昨日の行いを間違いだとはいいたくはない。

 再び百貨店にやってこればまた同じ洋菓子店に向かう。流石に早すぎたかな? そう思いお店の前に来るとベンチの上で俯いてる女性を見かける。誰もその女性に声をかけない為、慌てて近寄るとその人に見覚えがあった。


「……あ、あの…もしかして貴女、昨日の。……その、大丈夫ですか?」

「え、あ…その……だ、大丈夫です。えぇっと、来てくださって嬉しい……です…はい。」


 声をかけて頭が上がるとやはり昨日の女子高生だった。予想よりずっと早くに来ていたのか、中々来ない僕に落ち込んでいたのではないかと思うと申し訳なく思ってしまう。何か弁解とかしないとと言葉を漁っていると、何処からか『くー』とお腹の鳴る音が聞こえた。音の方に視線を向ければ彼女が恥ずかしそうに視線を逸らしたので納得し「ははっ。とりあえず何か食べようか?」とご飯を提案した。

 改めて目の前の女性を確認する。栗色のショートヘアを揺らしながらも何処か大人っぽく、しかし情緒の不安定さから何となく悩みが多そうな娘みたいに感じる。

 本当は少し話をして別れるつもりだった。いつ自分が男だとバレるのかとビクビクしていた。ところが喫茶店で彼女、めぐみちゃんとの会話は楽しく、普段誰とでも必要最低限の事しか話していなかった為、ついつい話し込んでしまう。

 そんな久しぶりの楽しい会話をしていると突然恵ちゃんが喋るのを止めては俯いてしまう。


「恵ちゃん? どうかしたの?」

「えっとですね。実は私、昨日ケーキを買いに行った理由がですね? その、喧嘩した相手に謝りたくて買いに行ったんです。」

「そうなんだ。それで? ちゃんと謝れたの?」

「それが……その人、SNS上でよく相談に乗ってくれている人なんです。」


 恵ちゃんの悩みというのはSNS上で仲の良い人と喧嘩をしてしまい謝りたいという事だった。その話を聞けば自分も直近に同じ事があったので何となくその気持ちは分かった。

 ……しかし、その話を聞けば聞くほど自分の話と重なっていく。まさか…ね? そう思い「その人からなんて言われたの?」となんとなくカマをかけてみると案の定。目の前の女性、恵ちゃんが相談者のグミさんだったと知ってしまう。

 まさかの相談者の方が先に身バレしてしまった事に焦りを感じると、恵ちゃんが無理矢理「SNS上でしか知らない人に菓子折りを渡そうなんて馬鹿な事考えてたんですよね〜。」と笑って感情を誤魔化していた。


「……恵ちゃんはその人と仲直りしたい?」

「したい……です。」

「SNS上でしか知らない相手だよ? 危ないとか思わないの?」

「そう思う時は…あります……けど、真剣に私の進路を考えてアドバイスしてくれたり、他にも沢山相談も聞いてもらえて。……私がプライベートの事を聞いてしまっても怒って注意してくれるぐらいには優しい人で。……会えない。会わないと決めれたのならせめて謝りたい…です。」


 その本気で申し訳なさそうな姿に自分の批を感じる。恵ちゃんが踏み越えたとはいえ、自分の注意の言葉がそれほどまでに深く追い詰めてしまった事に、自分の不注意さを思い知らされる。また失敗してはいけない。暫くして「そっか。」と笑う。


「恵ちゃんの使っているSNSは文字だけのやりとりが多いからそうなっちゃったんだね。うん。文字だけだとうまく伝わらない時もある。それなら工夫をしないといけないね。」


 そう言って僕からいくつかのアドバイスや、謝罪をする為の対策を話し合った。それは恵ちゃんに教える以外に、自分にも言い聞かせる様に丁寧に、親身に考えた。


「今日はありがとうございます千秋さん。」

「こっちこそ人と沢山話ができて楽しかったよ。」


 話がひと段落する頃には陽も落ちかけ、街中は帰る人達が多く見えた。


「あの! また、会えますか? ……会って、お喋り出来ませんか?」 


 背中を向けて歩き始めようとすると、恵ちゃんに呼び止められる。……そうか、ここで別れたらもう直接会えなくなるのか。本来ならもう会わない方がいい。所詮自分は付け焼き刃の女装でいつボロが出るかも分からないし、期待させた分だけ互いを傷つけてしまう。

 曖昧に誤魔化して別れよう。そう思うも、真剣に、真っ直ぐに僕を見る恵ちゃんに吐きかけた言葉が引っ込んでしまう。


「……それじゃあ、仲直りの報告を待っているからね?」


 そう言って先程会計をしたレシートに番号を書いて手渡した。恵ちゃんがそれをじっと見つめている間に背を向ける。あまり人に見られない様に少し早歩きになり、人の目を気にするよりもこれで良かったのか? と考えている間に気がつけば家に着いてしまった。

 化粧を落とし、衣服も脱ぎ捨て、ベットの上に横たわる。何故僕は恵ちゃんに教えてしまったのだろう? もう一度考えてみるも当然という様に答えは出ない。

 疲れ切った頭と精神では碌な考えはまとまらない。次第に重くなってくる頭と体に意識を手放そうとした時、頭上に落としてた携帯が一通の通知を知らせ、慌てて飛び起きた。

 画面を見ると予想していた通りSNSからのDMの通知で相手はグミさん。本文は短いものの学生が書くにはあまりにも堅苦しく書かれており、要約すると『仲直りできませんか?』


「こっちこそ。あんなに悩ませてすみません。……僕も貴女に謝らないといけません。」


 DMに『怒ってないから大丈夫ですよ。』と返信をする。返信をし終えるとモヤモヤが晴れた様に楽になり、気がついたらベットに沈んでいた。夢はあまり見ない方だけれど、その日はよく眠れたと思う。




「千秋さん、これなんか美味しそうじゃないですか?」

「そうだね。食べてみようか?」


 あの日以来、僕は時折女装をして街に出る様になった。女装する日はいつだって隣には恵ちゃんがいた。SNSで知り合ったグミさんと隣にいる恵ちゃんはやはり同一人物だったらしく、SNSの僕と仲直り出来た事を嬉しそうに語ってくれた。

 普段は文字越しで会話をしていたせいか、どうやら恵ちゃんはSNSの僕の事を女性だと思っているらしい。繋がった相手と隣の人物がどちらも女性ではなく男性というのはなんて酷い話なのだろうか。確かにSNS上ではなるべく丁寧に話す様にしているし、料理メインで自分は写さないからそう勘違いしてしまう可能性もある(元々恵ちゃんに限らず、他のフォロワーさんも僕を女性だと勘違いしている人が多い)。それに直接会ったのだって女装していたからだ。そっちの方が間違えてしまう可能性もある。

 それ以来どちらの夢も壊さない様にと、口調や身嗜みを気をつける様にし、本来する事もする予定も無かった化粧を学んだりと良くも悪くも充実していた。あれ程、自分の中性的な見た目で苦しんでいたというのに、今はこうして一人の娘を手助けできている事を考えると僕は救われているのかな。

 SNSでは面と向かって言えない相談を受け、対面では溜まっていた悩みの相談を受ける日々。段々女装姿に慣れてくるとあれ程気にしていた周りの目も然程気にならなくなり、恵ちゃんにメイクの仕方などを教える事も増えてきた。


「……(あっ、まずい)。」

「千秋さん?」

「……なんでもないよ。部屋の電気を消し忘れた様な気がしただけだから。」

「えぇ! それって大丈夫なんですか?」

「気がしただけだよ」


 僕の顔を覗き込む恵ちゃんに不意に心が揺れては軽く視線を逸らす。恵ちゃんと会う度、会話する度に揺らぐ思い。言葉にするのなら……そう、恋心というもの。


 ——僕はどうやら恵ちゃんに恋をしてしまった様だった。


 男性と女性が一緒に居続けたのなら、いつかはそう感じる事はあるかもしれない。しかしそれは事情を全て知っている僕だけであって、その相手の恵ちゃんからすれば、仲の良い歳上の女性友達の二人としてしか僕は見られていない。もしそのどちらの正体が僕だと知ってしまったのなら、恵ちゃんはどう思うのだろうか? 失望? 侮蔑? 嫌悪? ……まぁ、どれにしたって恵ちゃんを傷つける事に違いはない。

 そもそも成人男性と未成年なんてどう考えても犯罪だ。これは結ばれない以前に結んではいけない恋だ。わかっている分、理性の歯止めが効く。あくまで自分と彼女はただの友達で、僕は性別や見た目を偽っているだけ。

 ……だからこそ、踏ん切りを付けれずに悩んでいる今がこんなにも苦しいのだ。


「千秋さん。やっぱり様子がおかしいですよ?」

「あ、あはは。……ちょっとだけ疲れたのかもしれないかな。」

「そ、そうですか。気がつかなくてすみません。……あそこで休憩にしませんか?」


 恵ちゃんに手を引かれベンチに連れて行かれる。たったそれだけなのに先程のしてはダメだと決めていた心が揺れる。そんな情けない思いをしている途中、どこからか「……あれ? 恵じゃん。」と声が聞こえた。


 §


 ……最近、恵の様子がおかしい。勿論良い意味で。

 失礼かもしれないが恵は友達が少ない。私と比べるまでもなく、寧ろ休み時間などで私以外と雑談をしている姿を見ない。そんな恵だからか、遊びに誘えば余程の事がない限り大体付き合ってくれる。

 しかし、最近は誘ってみても全然付き合ってくれない。断り文句は決まって「予定が入っているから。」ばかり。勿論、私の知らない所で友好関係を築いている可能性はあるし、本当に何かしらの予定が立て続けに入っている可能性もある。


「……けれどこんなに断られるものかなぁ?」

「どうしたの夏目? そんな悩んだ顔をして。彼氏でも出来た?」


 彼氏? 彼氏か〜彼氏………彼氏?


「彼氏がいたのか!?」

「居ないよ言わせんな!」


 そうか彼氏が出来たのか。そっかぁ……出来たの? 恵に?

 考えると中々ピンと来ない。恵はどっちかといえばボーイッシュ寄り。それにコミュ症なのか、あんまり人と話さないから寧ろ彼女の方が出来そうな気配を感じるけど……。

 結局どんなに考えたって正しい答えなんて分かるわけもなく、本人に聞いた方が手っ取り早いと立ち上がった。


「ねぇ恵。最近忙しそうだけど何してるの?」

「な、何って?」

「いや、いつもなら二つ返事とかで寄り道とか買い物に付き合ってくれるのに最近付き合ってくれないからさ……彼氏でも出来た?」

「私に彼氏が出来るとか本気で思ってる?」

「思ってないからこうして聞いてるの。」

「引っ叩くよ?」


 そうは言いながらも恵は簡単に口を開いた。恵曰く、最近知り合った大人の女性と仲良くなり、それで話す時間が欲しくて早めに帰って課題を終わらせたりしていたらしい。

 詳しく聞いてみるも、それ以上の事は答えてはもらえず、結局殆ど情報が無いまま土曜日になってしまう。

 本来ならここで話を終わらせるべきなんだと思う。友人の友人関係など私が気にするべきではないのだ。もし相手が悪い人なら止めなければいけないのだけれども、反応を見る限りそうではなさそう。

 恵は人見知りで悩み事を溜め込みやすく吐き出しにくいタイプ。そんな苦労している私の大切な友人。もしなんて考えてはダメなのにどうしても考えてしまい、私はある日の土曜日に恵の後を追いかけてみる事にした。


「うわぁ…恵、めちゃめちゃお洒落頑張ってる。」


 予想通り恵の私服はボーイッシュなものだった。しかし大人の女性と会うからか、普段私とかと会う様な簡素なものではなく、それ以上に気を遣っている事が直ぐに分かった。


「恵ちゃんごめん。待たせちゃったね?」

「いいえ。私も今来た所だから大丈夫ですよ千秋さん。」


 暫くすると恵の言ったとおり一人の大人の女性がやってくる。綺麗なロングヘアーを揺らしながらも大人の女性らしいシンプルかつ丁寧なメイクをした人。成る程、確かに恵が頑張ってしまうのも頷ける。

 千秋と呼ばれた人と少し談笑すると驚く事に恵から手を引いて歩き出してしまった。思わず「あの恵が……。」なんて子供の成長を見守ってる親みたいな声が漏れたが、私にとってはそれほどの事だった。その姿を見てしまったが為に、私はひとまず彼氏ではないと安心して立ち去ろうとした足を止め、それほどまでに恵が気に入った相手がどんな人なのか興味が湧き、ストーキング基、追跡を続行した。


「——あれ?」


 追跡を始めて数時間が経過した。始めこそ私の知らない恵の一面が沢山見れてあまり気にしてはいなかった。しかし、その光景に見慣れていくに連れて、女性の動きに違和感を覚えていく。パッと見女性にしか見えないのに、所々に女性ではしない様な仕草や言動に気がついていく。そんな些細な気になる点が募っていくに連れて疑問が生まれ、疑問は次第に疑いへと姿を変える。


「もしかして女性じゃなくて男性?」


 そう疑ってしまえば疑う程、男性にしか見えなくなる。寧ろ男性と疑った方がこれまでの気になる点、疑問が粗方解決してしまう。

 それなら何故女装をしているのか? 趣味? でも恵は確かに彼(仮定)の事を女性と言った。恵がそんな事で嘘をつくわけもないし、事情を知っていればある程度は話してくれる。そんな恵が知らないという事はこれまでずっと女性と偽って接してきたというわけなのだろう。


「……あれ? 恵じゃん。」

「な、夏目!?」

「なんだ。恵もここに用があったのならさそって……あ〜、もしかしてデート中?」

「ち、違うよ!? えっと…ほら、この前話した仲良くなった人だよ。」


 思い切って偶然を装って接触してみる事にした。軽い冗談を挟んだ事で恵は私を疑う事なく彼の事を「この人は千秋さん。千秋さん、この娘が私の友達の夏目です。」と互いに紹介をしてくれた。すると向こうから「千秋です。よろしくね。」と笑ってくれたので「夏目です。いゃあ、ウチの恵がお世話になりまして。」と冗談を挟みつつ恵と腕を組んだ。

 挨拶を済ませて暫くしてから一緒に回る事になり、三人で街の中を歩いていく。楽しそうに話す恵と彼を観察していくと、やはり恵は気が付いていない様で、色々あったけど彼のタートルネックの隙間から僅かながらに突起した喉仏が見え隠れしているのが決め手となった。

 完全に男だと理解するとどうしても警戒心が高まってしまう。何故恵に隠しているのか? 何故あえて女装をしているのか? もしかしたら警戒心を緩める為にわざと性別を偽っているのか? 疑い出したら止まらない。あるのは勝手ながらの仮説しかないのに、私の中では彼のことを悪い奴だと決めつけていた。


「あっ……これ。」

「気になるのなら買ってきたら? 此処で待ってるから。」

「じゃ、じゃあ……いってきます。」


 タイミング良く恵が気に入った物を買いに行き、私と彼の二人きりになる。彼は待ち時間に携帯をいじる事もなければ私に声をかける事もなく、まるで友達を待っているかの様な笑顔で店先を眺めていた。


「貴方、男でしょ?」


 不意に私の口から言葉がこぼれ落ちる。視線は合わないけれど、一瞬反応したのを私は見逃さなかった。


「……そうだよ。」


 暫くの沈黙の後、彼は確かに自分の口からそう言った。


「安心して。もう恵ちゃんには会わないから」


『じゃあなんで恵にその事を黙って一緒にいるの?』そう理由を聞こうとする前に彼は私に続けてそう言った。


「ごめんなさい遅くなりました!」

「おかえり恵ちゃん。それとごめんね? 急用が入ったから今日は帰らないといけないの」


 呆気に取られている間に恵が帰って来る。すると先程の言葉通り彼は帰ると言い、それに対して恵は残念そうにしながらも「わかりました。気をつけて。」と見送る。


「夏目さん、それと恵ちゃん。……さようなら」


 そう残しては彼は私達に背を向けて去ってしまう。不安の種が無くなったというのに、去り際の彼の顔がやけに寂しげに感じ、隣の恵の声が遠くに聞こえた。


 §


 あの日から千秋さんと会えなくなった。連絡をしても繋がらず、街中を出歩きながら探してみても姿が見つからない。

 せっかく仲良くなれたのに、もしかしたら私が嫌われる様な事をしてしまったのではないかと考えてしまう。

 語部さんに相談してみると、可能性の話として急な転勤や残業、携帯の破損かもしれないからと励ましてはくれるけれども、それでも寂しいものは寂しい。


「も〜、どうしたのそんなに落ち込んでさ? 何かあったの?」

「……夏目。」


 学校で落ち込んでいたところに夏目から声をかけられる。今思えば私と千秋さんとの関係を話したのは語部さんと夏目だけだと気がつく。

 別に慰めて欲しいわけではないけれど、吐き出したい不安を吐き出してしまいたくて溜息を吐いた。


「最近、千秋さんと連絡が取れないんだ。」

「……千秋って…あの恵が言ってたあの…大人の人の?」

「そうそう。夏目と会ったあの日の人。……なんだけどあの日以来連絡が取れなくて——。」


 そこから次第に零れ落ちていく思いの言葉。なんで? どうして? 会いたい。また遊びに行きたい。もっと沢山会話したい。そういった言葉を聞いた夏目は「仕方ないよ。」と曖昧な返答ばかりで余計に落ち込んでしまう。

 あぁ、なんて情けないのか。これじゃあ語部さんの時と全く同じ。いや、連絡すら取れない以上語部さんの時よりつらい。直接会った事があるから尚の事。


「……ねぇ恵。恵にとってあの人ってそんなに大切な人なの?」

「大切な……まぁ、うん。そうだね。沢山相談とか聞いてもらったり、化粧とか美味しいお店とか沢山教えて貰ったり……歳は離れているけれど大切な友達…だとは思ってる。」

「それなら私に聞けば良いじゃん。」

「夏目?」


 夏目の声に思考を一旦止めて視線を向ける。するとあまりに私がウジウジしていたせいか、どこかイライラしている様に見えた。


「悩み事だったら私にしてくれたら良いじゃん。歳だって同じだし、こう見えて沢山人から相談を受けてる。それに化粧だって得意だし流行も。美味しいお店なんて沢山知ってるんだよ?」

「ちょ、夏目? どうしたの?……何でそんなに怒ってるの?」

「怒ってないけど、何でそこまであの人を気にしてるのかって思って。」


 怒ってないという割には機嫌が悪そうだし、威圧も感じる。謝って済むのなら謝るけれど、何で怒っているか分からないから謝りようがない。


「落ち着いてって。そりゃ歳も離れてるし、何をしている人とか詳しくは知らないけど……さっきも言ったけど千秋さんは私の友達なの。」

「それなら私を頼ってよ!……あんな…あんな奴に頼るぐらいならさ!」


 瞬間『パァン!』ととても響く音が教室内から音を奪った。視界に映るのは片側の頬を赤く染めた夏目の顔と私の手。

 あまりの出来事に呆然とするも、ビリビリと痛む手が意識を引き戻し、それと同時に怒りが湧いてきた。


「……何も知らないのに、私の友達をあんな奴呼ばわりしないでよ。」

「え…あ、め、恵?」

「……友達が沢山いる夏目には分からないよ。」


 声を震わせながらも夏目を睨む。すると視界の端々で私に向けられた視線の数々に居心地の悪さを感じ、机にぶら下がっている鞄を掴み、入れ違いになった先生に「具合が悪いので早退します。」と半ば強引に学校から離れた。

 それ程までに湧き出る怒りは歩けば歩く程治り、家に帰る頃には頭もすっかり冷えてしまい、自分のしでかした事に罪悪感を覚え始める。謝ろうにも電話とかじゃ謝りにくい。けれど明日は休みと余計に時間が経ってしまう。私は縋る様に携帯を握り締めながら語部さんにDMを送った。


 §


 恵に叩かれた理由が分からなかった。痛む頬を押さえ、沢山の友達から「大丈夫?」と声をかけられる中、私は恵の事を考えていた。

 あんな女装男に何をそこまで怒っているのか。きっと下心とかがあったのだろう。図星だったから会えなくなったそうに違いない。何も知らないのは恵の方。私はアイツの本当の事を伝えようと思ってそれで……。


『……何も知らないのに、私の友達をあんな奴呼ばわりしないでよ。』

『……友達が沢山いる夏目には分からないよ。』


「……先生、保健室に行ってきます。」


 恵は本気で怒っていた。それだけは間違いなく本当の事で、頭が冷えて来るに連れて恵の言葉が胸に突き刺さっていたのを感じた。

 知らないからこそあんなに怒った。言い換えれば恵にとってアイツは侮辱されて本気で怒れる程の存在だったという事。


「……そういえばアイツ、去り際に寂しそうな顔をしてたっけ。」


 冷静になるに連れて視野が広がる。気を向けた千秋という男。ずっと悪い奴と思ってたけど本当にそうだったのかな? 側から見ても二人とも楽しそうに笑っていた。……もしかして恵は本当は女装の事を知っていて、アイツの言葉を信じて女性として扱った? それともアイツは言うタイミングがなくて恵の友達のままで居続ける事を選んだ?

 どんなに考えても思考が纏まらず、悩んで悩んで、家に帰っても友達や家族にも聞けず、気がついたら朝になって……。


「恵に謝りたい。」


 でもなんて言えば? 今日は生憎の休日。友達との予定があったけれど、はっちゃける元気もなく、予定をキャンセルしてはベットの上に倒れ込んだ。

 目を閉じても眠れず、ひたすら頭の中を恵の言葉とアイツの去り際の顔ばかりが浮かんで来る。

 暫くしても当然の様に答えは出ない。気晴らしに街を散策してみても溢れ返る雑踏に顔を歪め、一つの足音を止めた。


「あはは。本当に情けないなぁ……。」


 恵の言うとおり私は友達が沢山いるのに、何でこんなにも答えが出せずに、こんな所に立っているのかと。普段なら絶対にしない目的の無い行動に情けなく思ってしまう。

 帰ろうかと思うも、帰ったところで答えは出ない。

 このまま散策を続けようと思うも、足を動かすたびに情けなく思ってしまう。

 進むも地獄。戻るも地獄。止まる事も考える事も地獄。何をしても結果は出ず、全てが無意味に感じるドツボ。


「すみません。……夏目さん…ですよね?」


 そんな中、声をかけられる。振り返るとそこには初めて見る男性が立っており、呆然としていたあまり、男性を天から伸びた蜘蛛の糸かと思ってしまった。


 §


『友達が別の友達にあんな奴呼ばわりされて叩いてしまい、逃げる様に学校を早退してしまいました。その時は怒ってましたが、今は落ち着いていて酷い事をしたと思っています。仲直りがしたい…けど、友達を酷く言われたのは許せなくて——』


 僕が恵ちゃんに直接会わない事、連絡しなくなってから暫くの時が経った。あの日以来、恵ちゃんからのDMが頻繁に来るものの、事情と原因を知っているが為に、なるべく落ち着かせてはやく立ち直る様にと言葉を選んでいた。

 そんなある日の事、いつもより早い時間に恵ちゃんからDMが届いた。目を通せば友達と喧嘩をしてしまい、仲直りがしたいというもの。普通なら『大丈夫だよ。』という何の根拠もない答えを提示していたのだけれど、恵ちゃんの友人となると真っ先に出るのが女装した僕と夏目さんぐらいしか思い出せない。

 恵ちゃんは夏目さんと仲直りがしたい。けれど友人女装した僕を侮辱したのは許せない。そんな葛藤を知った僕が思いついた対策が、それを叶えるために僕が直接夏目さんに説明する事だった。

 しかし、それにはいくつかの問題がある。

 一つは夏目さんが恵ちゃんと仲直りをするつもりがあるのか。恵ちゃんにとっては夏目さんは数少ない友人だけど、夏目さんにとって恵ちゃんは沢山いる友達の内の一人。ないとは思いたいけれどそういう可能性もある。

 もう一つは夏目さんと会うには男の姿かつ、街中で会って話をしないといけない事。僕が夏目さんの連絡先を知っていれば手っ取り早かったのだけれど、そうはいかなかった。

 正直いえば怖い。始めこそ不本意とはいえ、女装していたとバレたのだ。そして僕を悪く言うぐらいの感情は持っているのだ。最悪警察沙汰になる。その上、連絡先を知らないから地道に探さないといけないし、友達や誰かとなんていたら声もかけられない。

 それなら僕は何かアドバイスをしつつ、向こうで解決してもらうのを待った方がいいのでは? なんて思うも直ぐにそれを否定する。

 もしそれで仲直りできなかったら? そう考えて浮かぶのは恵ちゃんの悲しそうな顔だった。喧嘩をしたとはいえ、恵ちゃんは友達が少なく、夏目さんの事を大切な友人だと思っている。それを自分が奪うのはどうかと思う。

 ……僕は恵ちゃんに救われた。女性と偽って接した日々、そしてSNSで学生時代にいじめられてばかりいた僕でも誰かの役に立てた事。

 一時は恋をしたと思ったりもした。


「……僕がやらなきゃダメなんだ。」


 元はといえば原因は僕なんだ。それで僕が知らぬ存ぜぬは許されない。なに、自分が男だと恵ちゃんには知られていない。それならそのままこの恋心もしまっておこう。恵ちゃんに助けられた恩は返したいのだ。


 翌朝起きて街中を散策する。当然直ぐに見つかるわけもない。この街は広く、その中から一人、もしかしたら外に出ていない可能性もある人物を一人で見つけないといけないのだ。それでも一応の気持ちが強く、根気よく街中を歩き続けた。


「すみません。……夏目さん…ですよね?」


 いた。ひたすら歩き続ける中、呆然と立ち尽くす夏目さんの姿を見つける。一瞬躊躇うも声をかけるとやはり夏目さんで、男の姿の僕を見て「誰?」とも言わないほど元気のなさが伝わった。


「僕は……千秋。その、女装をして恵ちゃんといた千秋です。」


 改めて言葉にすると変な笑いが出そうになるもそれを堪える。僕が千秋だと語ると夏目さんの体が強ばり「アンタが……恵の。」と声を漏らした。


「恵ちゃんの事で話があります。その、立ち話するのもアレなのでそこのお店で話しませんか?」


 指差した喫茶店はこじんまりとしているも、雰囲気の良い店で、窓も大きく外からも店内の様子が窺える。夏目さんもお店に一瞥すると頷き、僕の後を追う様に店内に入った。


「恵ちゃんを騙す様な事をしてすみませんでした。」

「……いえ、それは…その、別に。」


 席に着いてケーキセットを二つ頼み、届いたケーキと珈琲を軽く摘んでから僕は夏目さんに謝罪をした。対して夏目さんは気まずそうに目を逸らしたので、僕に対する悪印象はある程度ないのだと察する。

 僕は夏目さんにある程度掻い摘んで事情を語った。自分は昔いじめられていた事。いじめをする側ではなく助ける側になりたかった僕は、SNSで知り合った人の相談に乗った事。料理が趣味な事。ある日、限定ケーキを買いたくて女装をして行ったところ、金欠で買えなかったケーキを代わりに僕が支払った結果、度々お出掛けに誘われる様になった事。


「……もしかして恵の謝りたい相手って。」

「多分僕だろうね。けれど恵ちゃんがあんまりにも楽しげだからね。そのSNS上の僕も女装した僕もどちらも同じ人だとか実は男とは言いづらかった。その結果、化粧とかケアとか覚えてね。お陰で職場で綺麗になったねって笑われちゃったけどね。」


 そう言って髪を撫でるとサラサラとした感覚に「確かに男性にしては綺麗だとは思いますよ。」と夏目さんも認めて笑ってくれた。


「……僕は恵ちゃんに助けられた。女装してたとはいえ、昔謳歌できなかった青春を楽しめた気がするんだ。……そして、それと一緒に恋心も抱いてしまった。」

「っ!?」

「落ち着いて。恵ちゃんには伝えていないよ。僕が恋心だと自覚したのは夏目さんと会う数日前だった。それに自覚はしていたけれど、僕は騙していた身で、それを伝えるのは憚れていた。……だからあの日、夏目さんに男だと見抜かれた時、引き際はここだと思って別れた。勿論約束通りもう会ってない。」

「それならなんで?」 

「まだSNS上では繋がっているんだ。……それで昨日、恵ちゃんから相談を受けたんだよ。仲直りがしたいって。」


 仲直りという言葉に夏目さんは辛そうな表情を浮かべ、やはり原因は僕で相手は夏目さんだったのだと知る。


「夏目さんと仲直りしたいけれど、僕を悪く言ったのは許せない。恵ちゃんも悩んでいた。……だから僕は今こうして君に会いに来た。正直、会うのは凄く怖かったけれど、恩人である恵ちゃんとその友人である夏目さんが喧嘩別れするのは僕も辛い。だから僕の事情を聞いて納得してほしい。理解してほしい。僕の事を否定してくれて構わない。だからもしできるのなら恵ちゃんと仲直りをしてほしい。」

「アンタ……千秋さんは恵には会わないんですか?」

「会わないよ。今まで女性のフリをして出掛けていたんだ。今更、実は男でしたなんて言えない。どっちも傷つくだけさ。」

「でも……。」

「僕は散々恵ちゃんに助けてもらった。いい思い出も貰った。だからもう十分。……お願いします。恵ちゃんと仲直りしてください。」


 §


「ごめん恵。」


 休み明け、夏目から謝られた。


「私こそ叩いてごめん。」


 私も直ぐに夏目に謝った。

 その日は直ぐに仲直りをし、少しだけ気まずい雰囲気になるものの、お昼になる頃にはいつもと変わらない関係に戻っていた。

 家に帰ってから語部さんにその事を話すと『仲直り出来て良かったね。』と言われた。

 結局、千秋さんにそれ以降、会う事も連絡をとる事もなく、寂しい思いをしていたけれど時が経つに連れて落ち着いてきた。

 沢山相談に乗ってくれた語部さん。

 沢山遊びに付き合ってくれた千秋さん。

 喧嘩をしてからもっと仲良くなれた夏目。

 自分は助けてもらってばかりだ。自分も誰かを助ける人になりたい。


「それ、将来の夢に繋がるんじゃない?」

『それ、将来の夢に繋がるんじゃない?』


 夏目と語部さんにこの事を伝えるとそう言われた。……そうか。それでも良いのかな。

 今更ながらにやっと自分の進路を、夢を見つけることが出来た。今の私は周りに沢山助けてもらってばかりいるけれど、大人になったら自分が誰かを助ける番だ。

 そうと決まった矢先に目の前に本屋が現れる。手始めにどんな職種があるのだとか、どんな参考書があるのかを知ってから買いたい。しかし店内に入ってみるとあまりの多さに戸惑ってしまう。


「何かお探しですか?」


 あまりにも不審な行動をしていたのか声をかけられてしまう。慌てつつもまた頼ってしまう情けなさを堪えて店員さんに聞く事を選んだ。


「えっと実は……あの?」


 店員さんを見た時、その顔、その立ち姿に見覚えを感じる。


「どこかで会いました?」

「——いいえ?」


 どうやら気のせいみたいだった。

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