惑星の守護者 11

 セリア防衛艦隊は星喰の遥か手前で反転した。

 前回の戦いで星喰に一度上手を譲ったのは、そうしなければ交戦まで時間がかかりすぎるからだった。だが今回は時間稼ぎこそが狙いなのだから、時間をたっぷりと使える。それに彼我の戦力差は大きすぎる。拙速な行動を取ればろくに時間を稼ぐこともできずにセリア防衛艦隊は全滅するだろう。

 反転前に散布した誘導機雷が星喰に向かって飛翔する。7000万隻分の質量を持った星喰の群れは広く隊列を取っているが、天文学的距離での戦闘においては小さな的だ。当たるかどうかは分からない。星喰が少しでも進路を変更すれば誘導限界距離を超えるだろう。ギリギリまで停滞状態においた誘導機雷は宇宙の闇に紛れて見えないはずだが、こちらの艦隊行動は見られている。星喰が回避行動を取る可能性は十分にある。

 実のところ命中するかしないかは、大きな違いではない。命中して星喰の数が減れば良し、星喰が回避行動を取って太陽到達時間が延びればそれもまた良し。

 機先を制するとはつまりこういうことだ。どう転んでも利のある行動を敵に押し付けられる。問題は機先を制し続けることはできないということだ。星喰の次の行動パターンはまだ予測できる。だがそこからさらに派生していく未来をすべて予測することは不可能だ。当然、その全てに対応する手立てを考えるというのも無理がある。それでも可能性の高いパターンでいくらか深く読みを入れた。




 二日が過ぎて炸裂する誘導機雷の光がセリア防衛艦隊に届いた。星喰は回避行動を取らなかった。連中に知性があるのだとすれば、数で押しつぶすつもりだ。それはまったくもってルフトにとっては最悪の予測のひとつだった。

 光速の88%まで加速し、反転した後、姿勢制御スラスターで後ろ向きに加速を続けるセリア防衛艦隊は再び誘導機雷を散布する。電磁投射砲で撃ち出した誘導機雷は結果的に光速の87%程度まで減速して、セリア標準時間で一週間の後に星喰に到達するはずだ。

 亜光速での戦闘とはその速度とは裏腹に時間のかかるものだ。あるいは戦力が拮抗していれば、すれ違いざまに砲火を浴びせるような派手な戦いもあるかも知れないが、こうも戦力差が大きいとこちらは近づくだけでも、そろそろと注意深くやらなければならない。もっとも派手にすれ違った場合も、再接近までには長い時間がかかるだろう。速すぎることによる弊害だ。


 星喰との本格的な戦闘が始まると予測される一ヶ月後に向けて、将兵は思い思いに時間を過ごしている。誘導機雷を発射した以上、戦闘中であるということで将兵の移動は許していない。通信はできるが、もう彼ら彼女らの誰の顔も直接見ることはない。彼ら彼女らはこれから死ぬまでひとりきりだ。


(彼ら彼女らの誰もひとりきりではありません)


 ルフトは微苦笑を浮かべ、自分の思考を修正した。彼ら彼女らの誰もにレギンレイヴがついている。戦場への導き手、ワルキューレが共にいる。この極限状態において人々の精神が保たれているのは、結局のところレギンレイヴによる脳内物質の調整のおかげだ。人の心とはかくも容易く操れるものなのだ。心とは肉体だ。物質の作用でしかない。

 ゆえにルフトは死後の世界を信じない。

 肉体が滅べば心も死ぬ。魂の輪廻などはなく、ただ肉体を構成する物質が星を巡り、いずれまた何かの生命を構成するかも知れないと思うだけだ。だから宇宙で死ぬということは、その生命の輪からすら外れるということだ。

 宇宙の塵となって、もう生命になることはない。


 ルフトでも自分がこれから死ぬということについて恐怖を感じないわけではない。

 だがそれ以上の恐怖が彼を突き動かす。それはつまり大事な人々の生命が危機に晒されているということだ。誰かのために死ぬとはつまりこういうことだ。

 大きな目で見れば人類が早晩滅ぶことは考えにくい。惑星セリアにいる人々が絶滅したところで、それ以外の人類はすでに遠くに逃げ去っている。だからこれは人類のための戦いなどではない。

 もっと個人的な、それぞれの大事な人を守るためだけの戦いだ。

 それは多分、人類を守るというような大きな使命よりもずっと生命を捨てる価値のあるものだ。


 惑星セリアからの通信によると脱出は順調とは言い難いまでも進んでいる。王国と帝国の戦争は王国の勝利で決着がついた。早期決着を付けるための帝都爆撃で多くの犠牲が出たようだ。各地で起きた貴族の抵抗も空爆によってほとんど片がついた。王国軍は帝国の人々を輸送機に詰め込んで次々と統合基地に運び入れ、強制的に刻印を刻ませて行っている。

 時間に制限がある以上、すべてを救うことは不可能だ。それでもアンネリーゼが最後のひとりになるまで脱出の支援を続ける以上、ルフトもまたここで踏みとどまって戦わなければならない。




 一週間が過ぎて、誘導機雷の第二陣が星喰の隊列の中で炸裂した。AIによる撃破予測によると二度の攻撃で100万隻分に近い星喰を斃すことができた。わずか15万483隻で得られた戦果にしては大きい。だが星喰の総数は6900万隻分になっただけだ。焼けた鉄板に一滴の水を落としたようなものだ。

 セリア防衛艦隊は戦果を確認の上、残ったすべての誘導機雷を投射した。相互の距離を考えればこれが最後の誘導機雷の発射チャンスだ。反応弾は威力が大きすぎて、接近戦では使えないからだ。残弾を残して、それ以外のすべてを失ってしまっては意味がない。

 星喰は頑なに回避行動を取らない。先の100万隻分の星喰は戦術的行動を取ってきたが、今度の7000万隻分はまるで知性を持たないかのように振る舞う。その違いは何から生まれているのか。ルフトには分からない。




 その一週間後にもう一度誘導機雷が炸裂し、さらに一週間後になるとセリア防衛艦隊と星喰はもはや惑星と衛星くらいの距離にまで近づいていた。レーザー主砲の射程圏外ではあるが、大気圏内とは違い、距離によって威力が減衰するわけではない。精度の高いセリア防衛軍装備を持ってしても狙いを付けられないという意味での射程距離だ。射撃が禁止されているわけではない。


「全将兵に告げる。細かく狙う必要はない。撃ちまくれ!」


 そう言ってルフトは自身の艦に射撃許可を出した。無数のレーザーが虚空を切り裂いて、星喰の群れに降り注いだ。星喰も生体レーザーで応射を開始する。だが両者ともに太陽に向けて光速の90%前後で移動しているため、上手を取っているセリア防衛軍がいくらか有利だ。数の差に目をつぶればの話ではあるが。

 幸い陣形の関係でセリア防衛軍が直接相対する星喰は1000万隻分程度だ。残り5800万隻分の星喰は遊兵と化している。15万483隻で、1000万隻からのレーザー砲撃を受けるだけの話だ。

 セリア防衛軍がそうしたように星喰も正確に狙いをつけてはこなかった。その代りに星喰は生体レーザーが重ならないように相互に狙いをずらして撃ってきた。こうなるともはや回避行動に意味はない。雨のように降り注ぐ生体レーザーが当たらないように祈るのみだ。

 おそらく星喰のレーザーの命中率は1%を切っていた。0.000001%にも届かなかったかもしれない。だが1000万隻が撃ったのだ。初撃で100隻前後が直撃を食らい、その10倍ほどの数が損害を被った。そして生体レーザーは一度撃てば終わりというわけではない。1000万隻分による生体レーザー攻撃は連続して行われた。たちまちのうちにセリア防衛軍の総数は15万を割った。もちろんセリア防衛軍が星喰に与えた損害のほうが遥かに多い。数百隻の損害で数万隻分の星喰を斃した。だが彼我の戦力差は500倍に近かったのだ。100倍の戦果では届かない。

 ルフトが歯を食いしばっている間にも、セリア防衛軍の艦艇の残数は溶けるように減っていく。斃した実数を見れば100倍の早さで星喰の損害のカウンターが回っている。にも関わらず表示されるグラフでは、減っていくのはセリア防衛軍側ばかりだ。総数があまりにも違いすぎる。

 そしてなにより星喰は止まらない。速度を緩めもせずに突っ込んでくる。押しつぶされる。

 それでも、ああ、それでも星喰の数さえ減らせば、それだけ太陽のエネルギーが食い尽くされるのは遅くなる。はずだ。数年を稼げたのか、それとも数秒を稼いだに過ぎないのか。答えをルフトたちが知ることはない。彼ら彼女らにできることは最善を尽くして、死ぬことだけだ。


(直撃コース! 回避を!)


 レギンレイヴが悲痛な叫びを上げる。ルフトは艦のスラスターを吹かせて位置を変えようとした。生体レーザーが届くまで数秒、死を意識するには長すぎて、回避するには短すぎる時間だった。

 星喰が恐らくは狙わずに撃ったその生体レーザーはルフトの乗る旗艦の船首やや右側に突き刺さった。シールドはほとんど意味を為さずに貫かれる。熱量に艦首がぐにゃりと熔けた。エネルギーを受け止めきれずに艦が中央から折れる。エネルギーラインが断ち切られ、艦橋は非常用電源に切り替わった。

 ドレスを着て艦長席に固定されていたおかげでルフトは衝撃で死なずに済んだ。


「損害報告!」


(艦はもう駄目です。脱出艇へ)


「通信ラインは?」


(通信を確認できません。孤立しました)


 セリア防衛艦隊の指揮系統について心配する必要はない。次の先任士官が司令官に選ばれたはずだ。

 こうなった以上、ルフトにできることは自らの生存の可能性を少しでも上げることしかない。

 艦長席の固定を外してルフトは艦橋を飛び出した。歪み、損傷し、火花を上げる通路を脱出艇を目指して飛ぶ。重力発生装置は電断と同時に失われていた。無重力空間だ。

 しかしその進路は閉じた隔壁によって阻まれた。ルフトは隔壁の非常用解放レバーを操作する。隔壁に少し隙間が空いた途端、艦内の空気が吸い出された。それで理解する。この向こう側は真空だ。ルフトは慌ててレバーを戻し隔壁を降ろす。


「他の経路は?」


(艦右側は損傷が激しく脱出に向いているとは思えません。電源系統が落ちているため確実なことは言えません)


「行くしかない」


 ルフトは来た道を戻り、艦の右側に向けて飛ぶ。こうしている間にもエネルギーコアが制御を失い暴走し自爆する可能性がある。生き残れる可能性は脱出艇に乗り込んで、停滞状態に入ることだけだ。

 しかし艦の右側に回り込んだルフトは同じように隔壁によって立ち止まらざるを得なかった。レバーを操作すると隔壁が開き始め、同じように空気が流れ出す。


「行くしかない。宇宙空間を遊泳して脱出艇に」


(対案を提示できません)


 つまりそれしかないということだ。ルフトは隔壁の操作レバーにしがみついて、隔壁が開放されるのを待った。艦内の空気が吸い出され、気圧が急激に低下していく。吸い出されないように掴まっているのが精一杯だった。

 やがて気圧がゼロになって、ルフトは隔壁の向こう側に進んだ。少し進んだところで通路そのものが失われ、宇宙空間に露出していた。そしてその向こう側には何もなかった。脱出艇のあるはずの区画そのものが失われていたのだ。

 それを知ってルフトは安堵している自分がいることに驚いた。これでよかった。そう思ってしまったのだ。これだけ多くの人を死に誘い込んで自分だけが助かるようなことは到底認められない。


(生きることに認められる必要などありません。生存のための努力を放棄するべきではありません)


 生きるってなんだ? 人はいずれ死ぬ。問題はどう生きたかだ。

 ルフトは宇宙空間を見上げた。向きからして太陽も惑星セリアも見えない。いや、たとえ向きがあっていたとしてもこの距離からではそれを識別することは不可能だ。落ちていくレーザーの光と、吹き上がってくる生体レーザーの光が交錯している。つまり星喰がいるのはあちらだ。


(自殺行為です!)


 ルフトの思考を読んだレギンレイヴが叫び声を上げる。


「違うな。これが生きるということだ!」


 ルフトは飛び立った。落ちる。落ちていく。星喰の群れに向かって。


(残存魔力を使って生存可能時間はおよそ5日間です)


「星喰の群れに到達する時間は?」


(現状の速度では10日ほどかかります。魔法を使って加速する必要があります。しかしそれは生存可能時間を縮めるのと同義です)


「間に合うのか? 間に合わないのか?」


(結論から言えば間に合います。ですが辿り着くのが精一杯です。魔力はほとんど残っていないでしょう)


「それでも構わない。1匹は道連れにする」


 ルフトは魔法を撃ち出す反動で加速を繰り返す。明確な死に向かって加速していく。飲まず食わず眠らず3日を加速に費やす。すでに肉体的にも精神的にも限界に達していた。だがその甲斐あって、ルフトは星喰の群れの中に到達した。群れとは言ってもそれぞれの星喰は数キロから数十キロの間隔をあけて隊列を組んでいる。ルフトはその隙間に落ち込んでいった。


「よしあいつにしよう」


 ルフトの落下方向の先に見えた一体の星喰。それに向けてルフトは魔法の反動で落下の方向を修正する。ルフトは残された僅かな魔力のすべてを費やして、光の剣を練り上げた。振り下ろす。虚空に突然出現した驚異に星喰は対応できない。光の剣の直撃を受けて、その体がまっぷたつに割れる。

 だがそれが限界だった。それが最後だった。

 ルフト個人に残されたすべての力を使い切って星喰一体。それが到達点だった。


(お見事でした。貴方を誇りに思います)


「ありがとう、レギンレイヴ。お前がいなければ届かなかった」


 魔力が尽きればもはや酸素を生み出すこともできない。ルフトに残された時間はドレスの中に残された酸素の分しかない。


「ニコラ、お前が残した生命はここまで来たぞ」


 すぐに酸素は尽きる。意識が朦朧としてくる。両親から疎まれた生命が、果たしてどれだけの生命を救えただろうか? それとも誰も救えなかったのだろうか? 答えをルフトが知ることはない。ただ彼はやりきった。最後までやりきったのだ。


 ルフトは残された時間をせめて目に焼き付けようと、瞳を閉じずにいた。そして気がついた。一体の星喰がこちらに向かってくることに。


「レギンレイヴ、自爆とかできないか?」


(残存魔力ではできることはありません。残念です)


「こんな終わり方は嫌だったなあ」


 せめて尊厳をもって死にたかった。だがそれすら星喰は許してくれないらしい。

 存在することに意味があるのかどうかも分からない、星喰の顎が開かれ、そしてドレスごと噛み砕かれた。


 ルフトの旅は終わった。

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