惑星の守護者 10
最終的にセリア防衛艦隊は15万人を少し超えた。正確に数字を出すべき場面だろう。15万483名の名前は神々の座に刻まれた。先の戦闘で生命を失った37万5512名の名前とともに、惑星セリアを旅立つ全ての船はこのリストを乗せる。
「諸君、誇るべき英傑諸君。君たちはこれから最も価値のある死に方をする」
もはや戦う覚悟を決めた者を必要以上に脅す必要は無かった。死にに行く者には熱狂が必要だ。
「星を喰らう獣がもうすぐそこに迫っている。戦力差はあまりにも大きく、我々が星系を守りきれるという未来は万が一にも無い。故郷は失われ、家族は星々の彼方を彷徨うことになる。よろしい。諸君。それこそが我々の求める未来だ。彼らが生きて彷徨えるように時間を稼ぐのが仕事だ。我々は死ぬ。だが決して無意味な死ではない。大切な人を生かすために、我々は死ぬのだ。たとえ肉体が滅びようとも、我々の意思は死なない。語り継ぐ者が残る限り、我々は永遠となる。総員、セリアに生きる人々のために死ね!」
「「「セリアのために!」」」
15万483名が唱和する。これから死にゆく者の魂の叫びだ。
セリア防衛艦隊が惑星軌道上を離れて行く。故郷を離れて行く。永遠の別れだ。
それでも艦隊は整然と秩序を守っていた。彼らは死にに行くが、未来を捨てたわけではない。残された者たちに託したのだ。
艦隊はわずか1日で第9惑星の公転軌道を超える。もうセリアは見えない。行く先はあまりにも遠い。熱狂は冷める。もうすでにセリアに残った人々との通信は成り立たない。メッセージを送り合うのがやっとだ。幸いなのは古代文明の人々が星系内の通信ネットワークを整えておいてくれたことだった。オールトの雲周辺までの星系内であれば、遅延はともかく通信を送り合うことはできる。つまり最後の最後まで言葉を届けることはできる。返事を受け取れるかどうかは分からないけれど。
誰もが自分の人生がこんな形で終わるなどとは思っていなかっただろう。刻印を刻まれ、レギンレイヴを身に宿したときから、星喰がいつかやってくるということは知っていても、それが自分の身に降りかかるだなんて思っていなかった。それははるか遠い未来のことだと思っていた。自分には関係のないことだと瞳を閉ざしていたのだ。
惑星の中で争い合っている場合ではなかった。人々は手を取り合い、協力し合うべきだった。知を、力を分け合うべきだったのだ。そうしていればこの場にいる将兵はもっと多かっただろう。
あるいはそうでなくて良かったのかも知れない。100万の艦艇に1億人を乗せたところで、7000万隻分の質量を持つ星喰には抵抗しきれないだろう。犠牲者が増えるだけだ。結果的にセリアから脱出するための艦艇が残らなかった可能性すらある。
セリア標準時間で一ヶ月が過ぎる。太陽すら星々に消え、もう肉眼では見分けがつかない。惑星セリアから届けられる報せは芳しいものとは言えなかった。アル=ケイブリア統一帝国や、王国において、人々は刻印を受け入れることにさほど抵抗はない。だが帝国や、連邦の反発は大きかった。
カザン王国の偽王女であるアナスタシアは惑星セリアに残った。帝国や連邦の反発は予想できていた。だが少なくとも連邦において、サラトフの次に星見の塔の管理権を得るはずだったカザンの王女として振る舞える彼女は、連邦を説得しうると判断されたからだ。
しかしそれにしても一ヶ月でどうにかなるようなものではない。
また下層世界に存在する大小様々な国家も空からの客人からの説得に簡単には応じなかった。彼らの多くはかつて上層世界を追い出されたという歴史を共有していて、星々の使者を決して歓迎はしなかったのだ。
セリア標準時間で二ヶ月が過ぎる。もしもセリア居住人類の説得がすんなりと進み、2年以内に脱出ができる目処が立つのであれば、ルフトは艦隊を反転させるつもりだった。必要でない犠牲のために15万483名の生命を散らせるわけにはいかないからだ。アンネリーゼもそれは分かっていたはずだ。彼女は全力を尽くしたに違いない。アル=ケイブリアや王国の刻印を刻んだ民は世界中に散って説得を続けていた。
だが太陽と大地の終わりを告げる彼ら彼女らは、人々から快く受け入れられることはなかった。衛兵によって追い払われ、あるいはそれを逆に打ち倒し、彼ら彼女らは説得を続けたが、刻印を刻もうとする者は稀で、大抵の場合は世捨て人のような人々だった。
彼ら彼女らは誠実であろうとした。そのことが間違いだった。彼ら彼女らはまず食料を配るべきだったのだ。セリア防衛軍の調味料がたっぷり使われた贅沢極まりないそれらを人々に配り歩くべきだった。子どもを攫う妖魔のように、まず人々の興味を引くべきだったのだ。人々を誘惑し、刻印を刻ませ、レギンレイヴによって現実を思い知らせるべきだった。
だがそうするにはアンネリーゼはあまりにも実直で、幼く、そして急ぎすぎていた。あまりに早く惑星全土に人を派遣したので、もはやどの国でも刻印を刻んでいるというだけでお尋ね者という有様だった。
セリア標準時間で三ヶ月が過ぎる。光速の97%で突き進む艦隊内の時間経過とはかなりの乖離が生まれている。ルフトの体感ではまだ二ヶ月も過ぎていない。死にに行く者に残された時間は少ない。だがそれでいいのかも知れない。まだ艦隊は整然と秩序を保っている。だがこうして待っている時間が長すぎればどうなるか分からない。
連絡艇などを使って誰かに会いに行くことを禁止する理由はなく、また食料を残しておく理由も無かった。毎日のように艦隊のどこかでパーティが開かれ、ルフトも頻繁に誘われていた。だが上官が居る飲み会の何が楽しいというのか。ルフトはどの席にも顔を出さなかった。
そういう場が彼ら彼女らには必要なのだ。仲間で騒ぎ、盃を交わす。恐怖との戦い方は人それぞれだ。そうだ。誰だって死ぬのは怖い。自ら決死の遅滞作戦に参加すると決めたからと言って恐怖が消えてなくなるわけではない。彼ら彼女らのほとんどは星喰に多くの仲間が殺されるのを目の当たりにした。冷たい宇宙で死ぬということの意味を彼ら彼女らは知っている。人間の死に様としては許されないような、尊厳の欠片も残らない、そんな死に方だ。
だが彼ら彼女らはそうなると知っていて、その事を震えるほどに恐怖しながら、それでも戦うだろう。
セリア標準時間で四ヶ月が過ぎた。分水嶺だとルフトは思った。
惑星セリアとの通信遅延と、艦隊の速度の関係で、進むべきか戻るべきかを決める最後の機会だ。
驚くべきことにアナスタシアは連邦の説得に成功していた。サラトフ評議会から星見の塔の管理権を奪い、カザン王国の王女として連邦国民に刻印を刻むことを義務付けさせたのだ。星見の塔内部に刻印機があったことも彼女に有利に働いたかも知れない。刻印の力を使い、カザン国王に説得という名の脅迫紛いなことをしたのも想像が付く。
とにかく大きな進展であることは確かだった。
一方で王国は帝国との戦争に突入していた。先に戦端を開いたのは帝国だったが、王国は返す刀で帝国の艦隊を叩き潰し、沿岸部に上陸した。救うべき人々の血を流さなければならないことにアンネリーゼは苦悩しているようだった。
また主にアル=ケイブリアの子どもたちを乗せた最初の脱出船が出発した。その船は別の居住可能惑星がありそうな星系に向けて光速の97%まで加速した後に停滞状態に入る予定だ。
タスクは進んでいる。だが2年に間に合うかというと、とても間に合いそうに無かった。もちろん星喰の全突入を許したとしても、太陽が覆い尽くされるまでの猶予は2年から80年だ。ルフトたちが稼ぎ出そうとしている1年の価値とは、ちょっとした揺らぎのようなものでしかない。確率だけを挙げるなら、放っておいても3年間以上の時間がある可能性のほうが高いのだ。
だが確実ではない。
それだけのためにルフトたちは往くのだ。
ここを過ぎればもはや引き返せない。
そうと知っていてルフトは艦隊に反転命令を出すことはなかった。
彼らの死が決まった。
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