惑星の守護者 9

 少し考えれば分かることだった。

 星喰を撃滅できるのであれば人類が惑星セリアを捨てて大脱出する必要など無かった。撃滅など到底不可能だからこそ人類もシュクミラも大地を捨てて逃げ出したのだ。以前からAIたちは言っていた。セリア防衛軍装備は抵抗用なのだと。それは抵抗が可能だという意味ではなく、ただそう望んだ者が形だけでも抗えるように用意されていたものだったのだ。

 先の100万隻分の質量を持った星喰たちは、いわゆる先遣隊、偵察部隊のようなものに過ぎなかった。あるいは露払いのための戦闘部隊が100万隻分で、後から来た7000万隻分は輜重隊や、民間人のようなものだという可能性もある。だがどちらにせよ惑星セリアに残された戦力で7000万隻分の質量を持った星喰を撃滅することなど到底不可能だ。物量的にも、制限時間的にも。

 全身の血液が抜け落ちてしまったようだった。言葉が出ない。体が動かない。一方でルフトの下には各艦隊指揮官から命令を求めるメッセージが次々と届けられた。アンネリーゼの手がそっとルフトの背中を撫でた。人肌の暖かさにルフトはなぜか涙がこぼれた。涙を見られないようにアンネリーゼの体を強く抱きしめる。


「どうするにせよ一度セリアに帰ろうと思います」


 死ねと将兵に命じられたのは、それが他の者の未来に通じると信じたからだった。その生命が失われることに価値があると思ったからだ。ただただ死なせるために、死ねと命じることはルフトにはできない。


「それが良いかと思います。抵抗を続けるにしても弾薬が心許ないですし」


「そうですね」


 アンネリーゼから弾薬という発想が出てくることにルフトは驚いた。彼女はルフトよりずっと現実的にこの絶望を見据えている。戦いを続けることを諦めていないのだ。勝てる、と思っているわけはない。勝率をレギンレイヴに聞けば答えてくれるだろう。聞く気も起きないが、ゼロコンマではなく、はっきりとゼロと言われるはずだ。では何のために戦うのか? ルフトには答えが見えない。


「セリアに残された時間はどれほどなのでしょう?」


 アンネリーゼが問い、彼女は彼女のレギンレイヴから答えを得たようだった。聞きたくない。が知らないわけにもいかない。


(前例からすると2年から80年の間に収まります。残存兵力で星喰の数を減らすことで2年を3年にできるかも知れません)


 1年の猶予を稼ぐために10万人以上を犠牲にすることはルフトには考えられなかった。だが2年というのはあまりに短い。もし仮にセリアの総人口が10億人だとして、それを宇宙船に詰め込むのにかかる時間は?


(早くても1年は必要でしょう)


 実際にはもっと長い時間が必要になるだろう。人々の説得、誘導、そのためだけでさえ1年以上の時間がかかるかも知れない。

 自然と役割分担は決まる。人々を導くのはアンネリーゼのような高貴な身分の役割だ。義務と言ってもいい。ではルフトの役割は?


 かつてレギンレイヴにその名前の由来を聞いたことがある。その耳馴染みのない言葉は、かつて人類が地球という惑星にしか存在していなかった頃にあった神話から名付けられたのだと言う。戦場で死んだ戦士を永遠の戦場へと誘うもの。ワルキューレのひとり。神々の残されたもの。

 それがレギンレイヴだ。

 そしてワルキューレによって運ばれた神々の戦場では、戦士たちは死んでも蘇り、永遠に戦い続けるのだと言う。


 レギンレイヴを生み出した人々がどんな思いでこの名を付けたのかは分からないが、いまこの場所にあってその名は相応しいという他ない。永遠の戦場で戦士に寄り添うのもまたワルキューレの役割だからだ。

 なればこそ、レギンレイヴとともにあるルフトの役割は決まりきっていた。


「セリアに帰って、部隊を再編し、望む者だけを連れて行きます」


「ルフト様が指揮を執る必要は――」


「私には37万人を死なせた責任があります」


「いいえ、責任をとるというのなら、生きるべきです。生きてこそ償えるのではないですか? 責任のために行くというのなら私は貴方を止めます」


 それはアンネリーゼの優しさであり、厳しさであった。ルフトにはどちらを選ぶこともできた。その優しさに溺れても良かっただろう。それは決して弱さではないはずだ。なぜなら生きるということは罪を背負うということだからだ。いま戦いを選ぶということは罪の重さから逃げるということに他ならない。耐えきれないからと言って、死んで詫びるのか? と、アンネリーゼは問うているのだ。


「貴女はセリアから逃げる最後のひとりになるつもりでしょう?」


「そうするつもりです。セリアからの脱出を望む人々をすべて送り出すまで、私が逃げることは許されないでしょう」


「では貴女のために、貴女だけのために、私は行きます。アンネリーゼ様、貴女に生きていて欲しい」


「貴方に生きていて欲しいのは私だって同じです。ルフト様、星の海への脱出には先導者が必要です。それこそが貴方の役割なのではありませんか?」


「おそらくそれに相応しいのはアーケン中将でしょう。彼には王として人を導く資質があります。私には欠けているものです」


「セリア防衛軍の将兵はみな貴方に従いました。それだって王の資質では?」


「従おうとするものだけを従えるのは容易です。王の資質とは自らを嫌う者をもうまく使うことだと私は思います。それは私には無理です。私を先導者にすれば、大脱出はきっとうまく行かないでしょう」


 それは決して死にに行くための言い訳ではなかった。ルフトなりに客観的に物事を見つめた結果だ。もし自分に王としての資質があると思うなら、ルフトはこの大脱出の先導者になることを厭わなかっただろう。彼の思う彼の資質とは、つまり人を死なせることだった。自分は人を死なせるのが得意なのだと、ルフトは思っていた。それは直接的にもそうだったし、間接的に死に向かわせることについてもそうだった。

 そしてもしかしたら星喰を殺すことも得意かも知れない。シュクミラの星喰との戦いの記録を見ても、倍の質量の星喰を相手に勝利したようなものはない。そもそもシュクミラは融和的な種族で、戦いを得意としなかった。彼らからもたらされた技術とは、より先進的な人工知能であったり、環境改善に適したものだったりだ。おそらく過去を含め、既知宇宙でもっとも効率的に星喰を殺したのはルフトだ。

 いま星喰と戦うのにもっとも適しているのが、ルフトなのである。

 そのことはアンネリーゼも理解していたのだろう。それ以上ルフトを引き止めるようなことは言わず、ただ彼の体を抱きしめて、その温もりを少しでも覚えていようとした。それは彼女の性を利用した最後の抵抗だったが、それもルフトを引き止めることはできなかった。


 そしていまセリア防衛艦隊はセリアに戻ってきた。

 蒼きセリア。愛すべき故郷だ。

 家族のところに戻りたいという者をルフトは引き止めなかった。12万人のうち、9万人近くが地上へと降りた。ルフトは3万になった将兵を再編し、艦艇を乗り換え、余剰艦の弾薬を船室にまで詰め込んで、出発の準備を整えた。

 2週間かけて準備をしている間に、2万人が宇宙に戻ってきた。彼らは家族と再会し、その上で別れを告げてきたのだ。2万を受け入れる準備をしている間にその数は4万になり、やがて10万になった。先の戦いに治安維持のために参加できなかった者や、ルフトたちがセリアを離れていた1年で新たに刻印を刻んだ者が、この戦いへの参加を望んだのだ。

 十分な説明は行われた。


 これは遅滞作戦であり、生還は望めない。故郷の大地に埋葬されることすらない。死体が残ったとしても冷たい宇宙を永遠に彷徨う。


 人々を死に駆り立てるようなことはルフトは言わなかった。

 愛する人のためだとか、名誉だとか、参戦者のリストは脱出船の記録に残されるだとか。彼らの心を奮い立たせるような言葉はあえて避けた。


 それでも人々は宇宙へ上がってきた。

 言わずとも彼らは知っていた。名誉ある死と、その戦いについて。

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