惑星の守護者 6
アンネリーゼと愛を交わすことで、ルフトは初めて自分が生きている価値のある存在だと思うことができた。ルフトにとって自分の価値とは、成し得るなにかによってのみ証明できるものだった。そういう意味では彼の生は失敗の連続だったと言っていい。マリア元王女の望みを叶えることは叶わず、王国の防衛も中座した。何かを成し遂げたことの無い人生だった。自分の価値の証明を求め続けてきた人生だったと言ってもいい。しかし彼は星を守る戦いの直前に、思わぬ形で答えを得た。愛は取引ではない。何かを捧げたからと言って得られるものではない。価値があるから愛されるのではないのだ。いや、そもそも愛に価値など付けようがない。それに値段を付けようとする者は、自らその価値を地に引きずり下ろしているのだ。
死にたくない、と、ルフトは切実に思った。
死なせたくない、と、ルフトは痛切に願った。
だがルフトもアンネリーゼも少しばかり賢しすぎた。愛は自分たちだけのものではないと知っていたのだ。誰かの愛する人を死に追いやる自分たちが、自分の愛する人だけをその死から遠ざけることがどうしてできるだろうか?
愛は尊いと知っているからこそ、自分たちは死に向かって飛び込んでいかなければならない。愛する人を死に向けて追い立てなければならない。
この空の果てにいま50万の将兵がいる。愛する人から引き離されて、それぞれが一人きりで死を迎えることになるだろう人々だ。つい先日までルフトはそれを数字だと思っていた。自分自身を含め、星喰を2倍以上の効率で損耗させればいい駒だと思っていた。最大効率で扱うべきではあるが消耗品だと思っていた。
だが違うのだ。
人は1人1人が掛け替えのない輝きを持った価値のあるものであり、愛されるに足る存在であり、失われてはいけないものだ。より多くを救うためだからと言って、少数が犠牲になるなんてことはあってはならない。
そんな当たり前のことを知りもしなかった自分が、人々を戦いの場に追いやろうとしていたのだ。彼らの価値を知らない者が、宝石の如き輝きに泥を被せ、踏みつけようとしていたのだ。
ああ、愛のために生命を懸けられる彼らは尊い。
その宝石の如き意思の輝きを、烈火の如く燃え盛るその生命を、彼らはルフトに預けているのだ。生命の価値に値段を付けろと言っているのだ。今のルフトはそれらが全て価値の付けようが無いほど尊いものだと知っている。知っているからこそ、値段を付けなければならない。ルフトにできることはと言えば、できるだけ高い値段を付けることくらいだ。一生を懸けても払いきれないほどの負債を抱えることくらいだ。
ルフトは腕の中で微睡むアンネリーゼの空色の髪を撫でた。惑星セリアを発って体感時間で二ヶ月ほど、もはや空色を見ることができるのはここだけだ。どうしようもなく愛おしくて、掛け替えのないもの。だがルフトは彼女にも値段をつけなくてはならない。それが人々を死に追いやる先導者としての役割だ。
それからさらに体感時間で半月ほどが過ぎた。
第一次防衛ライン、つまり星系惑星の公転軌道より遥かに外側。恒星系とオールトの雲の間の、惑星公転面よりやや上方で、セリア防衛艦隊は進路を太陽に向けた。ベクトルが完全に太陽を向いたことを確認して、艦隊は誘導機雷を散布する。停滞状態に置かれたそれらの誘導機雷は真っ黒で宇宙の闇に溶けて消えて見える。これらは星喰の予測通過時間に合わせて停滞状態を解除されるように設定されている。一度に全てが起動するわけではなく、それぞれに最大2分ほどの時差が生じるようになっている。停滞状態にある誘導機雷は反応弾の爆発に巻き込まれても損傷はしないから、爆発の収束後に再度爆発を起こすことが可能だ。ただし爆風によってどこに飛ばされるかまでは計算できない。そこは誘導機雷の誘導性能に期待するしか無い。
「全艦隊、出力最大!」
誘導機雷を撒いた以上、うかうかしてはいられない。星喰の到達前に最低限爆発圏内から逃れなければならない。セリア防衛艦隊は最大出力で太陽に向かって加速を開始する。
アンネリーゼと愛を交わしてから現在に至る体感での半月ほどを使い、ルフトは将官と作戦を再度煮詰めていた。ルフトのもともとの作戦案は、犠牲を多くしても確実に星喰を撃滅できるように考えられたものだが、今の作戦はアーケン中将が提案した時間を最大限使うものに近い。50万の艦隊は星喰を包むような輪になって、その輪を通り抜けようとする星喰に集中攻撃を仕掛けるという形だ。速度差がありすぎて包囲殲滅とは行かないが、通過攻撃の際の犠牲は少なくなる。もちろん与える打撃もそれだけ減るのではあるが、この陣形であれば敵の中央に躍り出て集中攻撃を受ける艦が出なくなる。価値の交換という点においてはより効率的だ。
50万隻の艦船で構築される半径15万キロの輪が太陽に向かって加速する。その輪に向かって飛び込んでくるのは、光速の90%ほどの速度で巡航する星喰だ。接触までにセリア防衛艦隊は光速の30%ほどまで加速できる予定だが、速度差は依然として大きい。星喰は一瞬で艦隊の輪を潜っていくことになるだろう。セリア防衛艦隊は光速の97%まで加速して星喰に追随し、優位な位置を維持して攻撃を仕掛ける予定だ。
数時間のカウントダウンが終了し、最初の誘導機雷が停滞状態から復旧した。一瞬だけ遅れて閃光が艦隊のモニターを焼いた。爆発の余波が広がったが、加速しているセリア防衛艦隊に追いつけるほどの速さではない。
次々と閃光が届く。
いざ戦闘が始まってしまえば、星間文明の戦闘は人間の脳で処理が追いつけるものではない。文字通り、瞬きをするほどの時間で星喰はセリア防衛艦隊を追い抜いて遥か先にいた。一番遠い艦の損害報告が届けられるまで1秒。セリア防衛艦隊の損害は4%ほどに留まった。
留まった、だって!?
2万近い船と人命がこの一瞬で失われたのだ。その半数近くが反応弾によって引き裂かれた星喰の破片を食らっての撃沈だった。残りの半数が星喰から発射された物理的な弾体による被害だ。
一方、星喰に与えた損害も決して小さいものではない。反応弾は想定通りの威力を発揮し、そこに飛び込んだ星喰を吹き飛ばした。星喰がセリア防衛艦隊の輪をくぐり抜ける直前に艦隊から発射されたぶどう弾はデブリとなって星喰を引き裂いた。両者の間の空間に無数に広がる星喰の残骸がその損害の証明だ。
質量換算で100万隻分あった星喰は、今では60万隻分にまで数を減らしている。2万隻の損害で40万隻分の星喰を倒したのだから、ここだけを切り取れば大勝利だ。だが星喰との戦いは星喰を一匹残らず撃滅しなければ勝利ではない。
漂う星喰と艦隊の残骸を避けたり、あるいはレーザーで破壊しながら、セリア防衛艦隊は加速を続ける。光速の90%を超える。セリア防衛軍士官なら誰でも知っている物理学の例の法則によって飛躍的に加速のために必要な推力は増していく。光速の97%で推力限界に達する。一度は離された星喰との距離が縮まっていく。太陽の方向を向いていた星喰が一斉にぐるりと反転した。こちらを向いた。
砲戦だ!
光速の90%を超えた相対距離300万キロでの砲戦は言うまでもないが追いかける側が圧倒的に不利だ。例の法則によって、より光速に近づく方向に弾体を撃ち出すのは難しく、減速する方向に向けて弾体を撃ち出すのは容易だからだ。レーザーの到達にかかる時間も圧倒的に追われる側から追う側に撃たれるもののほうが早い。時間と距離に制限さえなければルフトも追いかける側に艦隊を置こうなどとは考えなかった。だが星喰と相対速度を合わせに行くには、どうしてもこの行程が必要だ。
レーザーと実体弾が飛び交い、無視できないほどの損害を出しながらセリア防衛艦隊は星喰に迫った。この砲戦においては、セリア防衛艦隊は星喰から一方的に叩かれている。距離が縮まるに従って星喰にも損害が出るようになったが、その間にセリア防衛艦隊は10万隻に近い脱落艦を出した。一度は縮まった数の差が再び広がった。濃密な弾幕を抜ける。
ルフトはまだ生きている。アンネリーゼも無事だった。アナスタシアも付いてきている。
「全艦、反転!」
セリア防衛艦隊の損害は12万隻に達した。総計14万隻を失い、現在の艦艇数は36万隻ほどだ。反転を終える頃には再び両者の距離は300万キロほどに広がっている。今度はセリア防衛艦隊が一方的に星喰を叩くターンだ。星喰も反転を終える。だがセリア防衛艦隊には星喰に無い兵器がある。タイミングを見計らって散布していた誘導機雷が星喰の中心部で起爆する。今度は正面で閃光が瞬いた。
爆発を抜けてきた星喰に輪のようになったセリア防衛艦隊から攻撃が集中する。戦艦より大きな星喰が体液を撒き散らしながら四散する。セリア防衛艦隊はスラスターを吹いて後ろ向きにできる限り加速を維持しながら、星喰を迎え撃つ。
誘導機雷の爆発が完全に収まった頃には星喰の総質量は10万隻分ほどにまで減っていた。このまま相手の頭を抑えることができれば勝てる。
ルフトがそう思った時だった。
頑なに密集陣形をとっていた星喰の陣形が乱れ、そして四散した。組織的抵抗を止め、太陽への到達を優先したのだ。一匹でも太陽への到達を許せば、そこから星喰は無制限に増殖する。もっとも恐れていた事態となった。
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