惑星の守護者 5

 ソフィーが軌道プラットフォームを去り、アナスタシアは刻印を刻んだ。いや、彼女はアナスタシア王女ではないのだが、魔法で名を捨てられさせたらしく、以前の名前を思い出せないのだと言う。なのでもうアナスタシアでいいではないかということになった。別に王族にのみ許された名前というわけでもないのだ。

 50万の将兵は軌道プラットフォームを経由することなく、それぞれの担当となる宇宙艦艇に乗り込んでいった。幸い王国軍も、アル=ケイブリアも、戦艦ばかりを集めれば戦争に勝てるなどとは思っておらず、戦艦の奪い合いということにはならなかった。100万の艦艇が静止衛星軌道上に浮かんでいることもあり、移乗は比較的スムーズに行われたと言っていい。ルフト自身も宇宙戦艦の一隻に移った。アナスタシアも別の艦に乗り込んだ。最悪、レギンレイヴを通じて発射命令さえ下せればそれでいい。

 50万の艦艇は静止衛星軌道上を離れ、10の艦隊に分かれた。王国軍が第一から第四、アル=ケイブリアが第五から第十だ。またこの両者に属しない接触者は、それぞれの希望に従い編成された。艦隊は再編成を行いながら、第一次防衛ラインを目指して加速を開始する。

 その間、星喰は真っ直ぐに恒星に向けて突き進んでいた。途中の惑星などを使って重力ブレーキなどを使う気は一切無いらしい。

 星喰の姿形を既存の生き物に例えることは難しい。上半身は細く伸びたウニのようであり、下半身は鱗の開いた魚、あるいは加工した蜂の巣のようである。とルフトは思ったが、それすら正確に聞いた人に伝わるとはとても思えない。とにかく惑星上に生きるルフトたちにしてみれば異質な何かであり、生理的嫌悪感すら抱く。

 とにかく星喰の進行速度はこちらの想定通りだ。このまま行けばこちらが先に第一次防衛ラインにたどり着く。誘導機雷を散布する時間だってあるだろう。

 誘導機雷というのは文字通り設置式の誘導ミサイルだと思えばいい。設置位置からある程度の範囲に敵が入るとその進行方向に向かって飛翔する。弾体は反応弾と呼ばれ、激烈な爆発反応を起こす。惑星近傍で使えばその大気を吹き飛ばしかねないため、使用には十分過ぎるほどの安全マージンが取られる。また使用せずに一定期間が過ぎると自壊するなどの安全装置も組み込まれている。

 反応弾を組み込んだ機雷ではなくミサイルも艦船には搭載されいてるが、使用できる距離での戦いになることは稀だ。なにせ威力が高すぎる。通常ミサイルのように使えば、撃った船が爆発に巻き込まれる。さらに言えば今回は宇宙艦隊戦にはあるまじき近接戦になる予定だ。爆発型の兵器は使いにくい。


「総司令殿の作戦では犠牲が大きすぎないだろうか? 第一次防衛ラインで勝負を決める必要はあるまい。第一次防衛ラインでは敵の数を削ぐことに注力して、連中が太陽にたどり着くまでの半年間を使って撃滅に至れば良いのではないか?」


 アル=ケイブリア皇帝からの通信は作戦の変更案だった。王国側だと思われている――実際にそうだったのだが――ルフトの立てた作戦案にそのまま乗るということが、アル=ケイブリアの総意としては難しかったのだろう。こうして意見したという記録が残れば、ルフトが失敗したときにその責任を追求しやすいということもあるだろう。


「敵の速度が、数が、想定を上回るだけで太陽への到達を許してしまいます。皇帝陛下」


「アーケン中将でよい。逆に問うが、敵の数が想定を上回った場合、第一次防衛ラインで我々のほうが撃滅されて終わるのではないか? 我々は戦略的不利を戦術で上回らなければならない。倍の質量の敵に勝たなければならないのだ。それも完全な撃滅という形で」


「中将が言いたいことは理解できます。半年とは言わずとも数ヶ月の期間をかけて戦術的有利を維持して敵を撃滅に至らしめるということですね。まともな戦ならそれが正解だと思います。しかしこれは普通のルールではありません。敵は一体でも太陽に到達できれば良く、こちらはその前に敵を撃滅するしかありません。私が恐れているのは、敵が分散して逃げ回りながら太陽を目指すことなのです。ゆえに敵が集まっている今の段階でその数を可能な限り減らす他ありません」


「ここで我々が全滅するとしてもか?」


「全滅するほど長く正面から交戦するつもりもないですし、できないというのが本当のところでしょう。連中に対して優位な位置に占位するためには、同等の速度まで加速することが必要です。第一次防衛ラインでの星喰の想定速度はあまりにも速く、実際のところ第二防衛ラインで追いすがり、そこでようやくまともな交戦になるといったところでしょうか。そこでまともな勝負をするために、最初の一撃はできるだけ大きく決めなければなりません」


「たとえ犠牲が大きくとも」


 アーケン中将は注意深くそう言った。


「そうです。申し訳ないですが、将にも兵にも、死んでもらいます」


「そして総司令自身も」


「先陣を切るとは行かないですがね。作戦指揮の関係上、艦隊の中心に位置することにはなるでしょう」


「この作戦の場合、それは敵のど真ん中という意味だ。総司令、君が死ねば次は私が総司令だぞ?」


「先任順位からしてそうなるでしょうね。そうならないようにしますよ」


 ルフトとしてはそう言うしかない。死ぬつもりは無いが、自分を安全域に置きたいとも思わなかった。総司令官である以上、真っ先に死ぬわけにはいかない。だが他人に犠牲を強いておきながら、最後の一人になるのは恥だと思った。

 方針が決まり、準備を終えてしまうと5ヶ月という期間はあまりにも長かった。本来なら千人からが搭乗する戦艦の艦内は広く、そのことが寂しさを感じさせる。通信はいつでも誰とでもできるが、50万の艦艇が薄く広がっている関係上、遠くの艦との通信には結構なラグがあった。それでもルフトは多くの将兵と言葉を交わした。多くが死ぬであろう彼らを少しでも覚えておくために。あるいは自分を誰かに覚えておいてもらうために。




 軌道プラットフォームを出発して体感としては2ヶ月が過ぎた。実際の経過時間は4ヶ月と少しだ。

 アナスタシアはギリギリ使い物になりそうだ。その他の将兵は言うに及ばない。人工知能が惑星セリアでの小競り合いを許していたのは、まさにこのときのために他ならない。すでに艦隊は第一次防衛ラインへ向けて減速を開始している。艦隊は誘導機雷を星喰に向けて放つために、やや歪なルートを取っている。第一次防衛ラインより奥で星喰の進行方向にインターセプトし、まるで星喰を先導するかのように加速を開始する予定だ。そして加速の開始と同時に誘導機雷を放出する。そういう手筈になっている。


「知っていますか? ルフト様。一部の将兵が一時的に艦を留守にしていることを」


 アンネリーゼからの通信にルフトはどんな顔で応じればいいのか分からなかった。


「知っています。許可を出したのは私ですから」


 将兵の中には夫婦もいる。恋人となるともっと多い。付け加えるならば、この4ヶ月間で新たに恋人となり、夫婦にまでなった者も少なくはない。彼らを引き離したままにしておくのはあまりにも酷だ。ルフトは作戦開始一週間前までに艦を所定の位置に戻すことを前提条件に、彼らが直接会うことを認めた。

 アンネリーゼが言いたいのはそれが戦時に相応しくないということではない。彼らに認めておきながら、死を目前に愛を交わすことを許しておきながら、何故と、彼女はルフトを詰問しているのだ。

 答えるとすれば、それは怖いからだった。

 人を愛するのは簡単だ。だが人から愛されるのは難しい。ルフトには誰かに無条件で愛されるという体験が少ない。両親は彼を愛さなかったし、愛していたとしてもその表現方法を間違えていた。少なくともルフトは親の愛情というものを感じたことがない。愛を無条件に捧げることはできても、無条件に愛を捧げられればどうしていいか分からなくなる。それがルフトという人間の本質だ。

 そしてそんな人間にとって愛し合うというのは難題だ。一方通行であれば、好きに愛を捧げられる。だが愛し合うとなれば、相手はこちらの愛に愛を返してくるのだ。アンネリーゼを愛していないわけではない。愛しているからこそルフトは苦悩する。彼女をどう扱っていいのか分からなくなる。


「ルフト様にも苦手なことがあるのですね」


 困惑するルフトをアンネリーゼは優しく受け入れた。かつての彼女では不可能だっただろう。その生まれに依る卑屈さで、自分は愛されていないのだと思っただろう。そうであったなら悲しいすれ違いが生まれたに違いない。しかしこの何年かで、彼女は多くのものを失った代わりに、多くのものを得てもいた。王国の民を背負い、王座についた彼女は、人というものの感情が複雑怪奇であることを学んだ。愛を素直に表現できない人がいるということも。


「しかし人の上に立つ者は愛を知らなければなりません。愛し合うことの素晴らしさを知らない者が人を導くなんて、そんなのは悲しいじゃありませんか。ルフト様、アンネリーゼ・イルメラ・アルムガルドの乗船許可を頂けませんか?」


「陛下、私は貴女を傷つけてしまうやも知れない男です」


「知っています。私がこれまで何度貴方のことで枕を濡らしたとお思いですか? ではアルムガルド王国女王として貴方に命じます。私を船に乗せなさい。契約を果たしてください。ルフト様」


 契約という逃げ道まで与えられて、ルフトは屈した。

 愛を受け入れたのだ。

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