シュタインシュタットの浮浪児 4

 トビアスは前金に銀貨2枚、成功報酬銀貨10枚で話に食いついた。詳しいことを聞いてくることもしないし、裏を探るような様子も無い。この短慮っぷりが彼を選んだ理由だった。

 トビアスは腕力でグループを仕切っているパターンで、彼自体はクルビスだが、仲間が全員そうというわけではない。上手くやってくれればそれでよし、失敗したところでルフトたちの懐が痛むわけではない。アルノーからの評価は下がるだろうが、彼は空賊でファミリアの構成員では無い。トビアスが上手くやれなかったとしたら、それはルフトに話を持ってきたアルノーが悪いのだ。

 ルートの開拓をトビアスに任せたルフトたちは翌日になるとアルノーたちを案内した部屋に向かった。できるだけ早く向かったつもりだったが、空賊たちは出かける準備を終えて待っていた。テーブルに座って何かを、匂いからすると珈琲コーヒーを楽しんでいるようだ。


「待たせたかな?」


「船乗りは朝が早くてね。習慣になっててどうしようもないんだ。気にすることは無いよ」


「ならいいけど。こっちがエメリヒ、こっちがニコラ。ルート探索には別に人を当ててある」


「つまり3人が案内人ということだね」


「そういうこと」


「じゃあこっちも3つに分かれようか。船長、どうします?」


「それでいい」


「じゃあ船長はゲラルトと、ルルはドミニクと、僕は単独で動くよ。船長のところはエメリヒくん、ルルのところはニコラくん。ルフトくんは僕と組もう。昨日のことで多少は知れてる分、やりやすいだろ」


「こっちは依頼人の言う通りにやるだけさ」


 そうして3組に散ったルフトたちと空賊たちは町へと繰り出した。


「ブロッケンブルクに行こう」


「構わないけど、俺たちの服装じゃ入り口で追い払われる」


「中に入るわけじゃないさ。詮索は無しだ。君が言ったんだよ。依頼人の言う通りに」


「分かった。文句があったわけじゃない」


 ルフトたちは新市街の高級宿であるブロッケンブルクに向かう。旧市街が浮遊船の漂着する境界面から上下に発展していったのと裏腹に、新市街は一貫して境界面の上、つまり上層世界に作られている。この世界の人々は一般的に下層世界に住むことを嫌うからだ。ブロッケンブルクは当然の如く上層世界でも上の方、領主の館がある近くにある。


「この辺りは俺たちみたいなのがウロウロするだけでもいい顔をされない。迷いはしないけど、説明もできない」


「構わないよ。僕の目で見て確かめたかったんだ」


 何を? と喉元まで出かかったが、ルフトはなんとかその言葉を飲み込んだ。詮索は無しだと釘を刺されたからだ。アルノーは何食わぬ顔をして街路を歩いている。その細い目からはどこを見ているのかがいまいち掴みきれない。空賊がブロッケンブルクにどんな用事があるって言うんだ?

 ルフトは空賊についてあまり詳しくは知らない。空賊船に乗って、他の浮遊船を襲って積み荷を奪ったり、人質を取って身代金で稼いでいるということくらいだ。私掠船免状というものがあって、国公認の空賊がいることも知っている。王国内であるシュタインシュタットを堂々と闊歩できるということは、彼らは王国の私掠船免状を持った空賊、ということなのだろう。

 そんな彼らであるから王国内で積極的に犯罪行為に加担することはあまり考えられない。せっかくの私掠船免状を取り上げられれば、彼らは行き場を失うからだ。しかし旧市街に宿を取ったり、浮浪児を案内人に雇ったり、ときな臭いことはこの上ない。しかしまあ、ルフト自身が犯罪と無縁というわけでは無いということもあって、そのことはあまり深く考えなかった。陸で空賊ができることなど高が知れていると思ったこともある。

 アルノーは時間をかけてブロッケンブルクの周りの街路をすべて歩いた。


「次はこっちに行こう」


 アルノーが先導して新市街を歩く。その歩みに迷いは無く、少なくとも彼が新市街において案内人を必要としないことは明らかだ。そんな調子でその日はアルノーに従って新市街を歩き回って終わった。どうやら彼がルフトを必要とするのはあくまで旧市街の出入りに限って、ということであるようだ。それですら数日で必要なくなるかも知れない。ルフトはあえて毎回違うルートを使っていたが、新市街との出入り場所を限ればアルノーだって部屋と新市街の行き来は可能になるだろう。


「――なんて考えているかも知れないけど、心配は要らない。一週間は雇うよ」


 ルフトの不安を先回してアルノーが言う。夕食の場だった。アルノーはエールも飲んで、機嫌が良い。案内人の食事を誰が用意するかは依頼主によって違う。アルノーは昼飯代も出してくれたし、この食事もアルノーの負担と考えて良いだろう。ルフトは遠慮をしばし忘れることにした。


「旧市街の案内のためだけに雇ってるわけじゃない。この町の事情に詳しい君たちに一緒に町を歩いてもらいたいんだ。それに旧市街のファミリア事情について僕らは詳しくない。道順が分かったところで、虎の尾を踏まないためには君たちが必要だ」


「分かってるんならいいんだ。俺たちを雇ってるってことは、カスタニエファミリアの客だってことだから、それだけでも襲われにくくなる」


「実際のところ、カスタニエファミリアとやらの規模はどうなんだい? 旧市街で大手なのかどうなのか」


「そこそこ大手ってところかな。弱小では無いから、そこは安心していい」


「信じるよ」


 嘘ではない。カスタニエファミリアは歴史も古く、勢力も多い。ただ最近は好調とは言い難いというだけだ。最近は領主と繋がっていると噂のアプフェルファミリアの勢力拡大が著しい。カスタニエファミリアの下部組織の中には丸ごと裏切った連中もいる。カスタニエファミリアは保守的で、それで近年の情勢変化について行けていない。衰退勢力と言っていいかも知れない。もちろんこんなこと外の人間には教えられない。だから言わないだけの話だ。


 アルノーを旧市街の部屋まで送っていって、今日の報酬として銀貨2枚を手にしたルフトは、真っ直ぐに自分たちの部屋に戻った。ニコラは帰ってきていたが、エメリヒはまだだった。


「ただいま、ニコラ。そっちはどうだった?」


「おかえり、ルフト。特に問題は無かったと思う。あちこち案内させられてクタクタだよ」


「飯は食わせてもらったか?」


「うん。あちら持ちでね。こんな依頼ならずっと続けばいいのにね」


「そっちはお姉さんもいたしな」


 空賊の紅一点、確かアルノーはルルと呼んでいた。褐色の肌色は王国では珍しい。連邦からの移民なのかも知れない。年齢は20代半ばくらいだろうか。女性としては背が高く、スタイルも良い。近くで話ができるというだけで役得というものだろう。


「そんなにいいもんじゃないよ。あの人、なんだか猛獣みたいな気配をしているんだもの」


「確かに」


 空賊たちは誰も一筋縄では行かない雰囲気を持っているが、ルルという女性を猛獣と例えたニコラの感性にルフトは感心した。言われてみればそうとしか言いようが無い。別に殺気を撒き散らしているわけではないのだが、油断していたらパクリと食い散らかされてしまう。そんな感じがする。


「僕はああいう女性より、お淑やかな人のほうがいいな。一緒にいて落ち着けるような感じの」


「へぇ……」


 ニコラに女性の好みがあるということ自体にルフトは少し驚いた。彼らは女性に興味を抱き始める年頃ではあるが、女性とは縁遠い。浮浪児のような境遇に陥った女の子は大抵の場合、娼館に拾われていく。客を付けられるかどうかはともかく、下働きには便利だからだ。そんなわけでルフトたちには同年代の女性と知り合う機会はまず無かった。だからニコラが言うのも具体的な誰かという話ではなく、単にイメージとして語っているに違いない。


「そういうルフトはどうなんだい?」


「そうだな。目は二つ。口は一つの女性がいいな。腕と足がそれぞれ2本生えていると尚良い」


「そうだね。おちんちんが生えてないことも大事だね」


「それな」


 ニコラは大きくため息を吐いた。


「そうやって誤魔化すということは具体的な誰かがいるのかい?」


「まさか。正式にファミリアの一員にでもならないと、知り合うことがまず無理だろ」


「知り合いとは限らないだろう? 例えばどこぞの露天を手伝ってる娘だとかさ。見かけることくらいはあるだろ?」


「相手にされないと分かってるからなあ」


 浮浪児とはそういうものだ。もっとも部屋を借りて生活しているルフトたちを浮浪児と言っていいかどうかは判断の難しいところだろう。とは言え、鍵も無く、かろうじて屋根があるという程度の部屋である。路上よりは少しマシというくらいだ。3人の共同生活であるから、女の子を連れ込むというのも難しい。こんな部屋に付いてくる女の子がいればの話ではあるが。


「ルフトに恋バナはまだ早かったかな」


「いいんだよ。俺は。女の人を信じられるかと言うと、そうでもないし」


「あっ、ごめん……」


 ルフトの境遇を思い出したのだろう。ニコラはすぐに謝った。ルフトは不貞の子である。母が父とは違う男との間に作った子ども、ということだ。母自身がそう言っていたので間違いは無い。結果的に母は父に殺され、父は捕まり犯罪奴隷となった。ルフトは自分が子を作り、父になるということは考えられなかったし、それ以上に女性を心から信用して結婚に至れるという気がしなかった。


「でも君のお母さんみたいな女性ばかりじゃないよ。君が君のお父さんとは違うように」


「分かってる。けど受け入れられない」


「そうやって心を閉ざしていると、いつか君を愛してくれる誰かを拒絶してしまうことになるよ。それはとても悲しいことだとは思わないかい?」


「裏切られたときに辛いじゃないか。愛していたなら尚のことだ」


「誰もが裏切るわけじゃないさ。僕らみたいな浮浪児が言っても説得力が無いだろうけどね」


「全くだ」


「さ、説教じみた話は終わりにしよう。エメリヒは遅いな。トラブルになってなければいいけど」


「あの3人組だと衛兵に職質されててもおかしくないもんな」


「うーん、否定できない」


 エメリヒが案内を担当する船長とゲラルトの2人はどちらも厳つい男性だ。特に船長は頬に目立つ刀傷があって、迫力を増している。ゲラルトはゲラルトで、これぞ空賊という見た目だ。空賊の見本として博物館に並んでいてもおかしくない。エメリヒはできるだけ衛兵のいる場所を避けようとしただろうが、それが上手く行ったかは報告を聞くまで分からない。

 結局エメリヒは随分と遅くに帰ってきたが、疲れたからと言ってそのまま寝床で横になった。ルフトとニコラは顔を見合わせ肩を竦めて、自分たちも寝床に入った。

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