シュタインシュタットの浮浪児 3

 ニコラは自分を貴族の落し胤だと公言する、金髪碧眼の少年だ。ファミリアの誰も彼の言葉を信じていないが、尊重はしている。何故なら彼がそう主張するのは死んだ彼の母親がそう彼に言い含めていたからだ。母親を大事にしない奴は、カスタニエファミリアでは歓迎されない。ルフトがファミリアでどこか疎外感を感じるのもそこが一因だ。

 ニコラの母親は彼に父親が誰かを告げることはしなかった。シュタインシュタットで貴族と言うと領主くらいのものだが、良質なエーテル鉄の産地であるシュタインシュタットを視察に来る貴族は少なくない。ニコラの母親は領主の館で働いていたというわけでもなかったから、そんな他所の貴族のお手つきになった、と考えるのが自然だ。誰も指摘はしないが、あるいは母親の虚言だったかだ。

 人の指針足る貴族の子らしくあれと育てられた品行方正な少年は、しかし母親の死によって現実に突き落とされた。働いたことなどなかったから、あっという間に路頭に迷った。新市街には教会があって、孤児を受け入れていたが、その収容人数にも限界があって、生きるのに人の手を借りなければならないほど幼くも無く、寄付金があるわけでもないニコラが迎え入れられることはなかった。賃貸だった住居からは追い出され、新市街で路上生活を送ろうに衛兵から追い払われ、彼は旧市街に流れ着いた。

 食べ物を求めてゴミ捨て場を漁っていたところで、彼はファミリアの洗礼を受ける。縄張りを荒らされたと思ったファミリアの子どもたちによって徹底的に暴行を受けたのだ。そして裏通り――旧市街の街路にも表と裏はある――に捨てられていたところをエメリヒに拾われた。


 エメリヒは旧市街に捨てられた黒髪黒目の少年だ。何か子どもを育てられない事情が発生した時に、そういうことをする親がたまにいる。大抵の場合、そう言う子どもはどこかのファミリアの下部組織に組み込まれる。エメリヒもそうだった。カスタニエファミリアの下部組織のひとつに拾われた彼は、負債を勘定されながら育てられた。彼を育てるために必要だった額がそのまま借金だ。利子が付かないだけ良心的だとファミリアは言う。これを返し切らない限りは、ファミリアの中で成り上がることもできない。つまり飼い殺しだ。一生をファミリアの手足、末端として生きることになる。

 もちろんエメリヒはそれを納得して受け入れているわけではない。一攫千金が彼には必要だ。もしもアルノーがエメリヒを案内人に選んでいれば不幸な事故が起きたことだろう。ルフトが嫌ったリスクも、エメリヒが得るリターンを考えれば見方が変わる。

 彼が旧市街に流れ着いたルフトやニコラを仲間に引き入れたのは、ファミリアの既構成員たちはエメリヒのような借金持ちとは積極的に関わろうとしないからだ。彼にはそうする以外に仲間を得る手段が無かった。一方でそうして引き入れた仲間が先にファミリアの中で成り上がっていくのを何度も見送ってきた。借金の無い下っ端は、目立つ功績のひとつも挙げればすぐに階級が上がる。少なくとも下部組織の準構成員くらいの扱いにはなる。だがエメリヒのような借金持ちは、その下部組織の準構成員とすら認めてもらえないのだ。あくまで協力者という立ち位置だ。つまり家族ファミリアの一員ですら無い。いつでもトカゲの尻尾のように切り捨てることのできる駒というわけだ。


 この2人にルフトを加えた3人が、カスタニエファミリアの下部組織のひとつを取り仕切るカスパーの協力者グループのひとつである。今は3人というだけであって、5人の時もあったし、ルフトが加わったときはエメリヒとニコラの2人しかいなかった。借金持ちのエメリヒが一番の古参で、次にニコラ、ルフトと続く。ルフトの後にグループに加わった者もいたが、要領の良い者ばかりで、皆、先に成り上がっていった。

 カスパーのところにはこういう協力者グループがいくつも繋がっていて、ルフトたちはそのひとつでしかない。子どもグループのひとつであるルフトたちが求められていることはあまりない。上納金を納めてくれれば良し、そうでなくとも旧市街や新市街に散って、カスタニエファミリアの縄張りを主張してくれればそれで良し、という感じだ。もっともルフトたちはカスパーから部屋を借りているので、その家賃は別途発生する。それすら滞納が続いている状態だったが、ルフトがアルノーを紹介したことでこれまでの分はチャラになった。差し引きで手間賃として銀貨を握らされたくらいだ。

 アルノーから前金として銀貨1枚、報酬としてプラス1枚もらったので今日の稼ぎは銀貨3枚ということになる。旧市街で浮浪児が稼ぐ額としては破格だった。持ち歩くことで身の危険を感じるほどだ。

 しかも仕事はそれで終わりではないのだ。


「というわけで空賊の案内人を務めるだけで日に銀貨が2枚貰える」


 ルフトが部屋に戻るとニコラとエメリヒはすでに帰宅していた。水場で汚れは落としてきたようだが、臭いでゴミ浚いをしていたのだと分かる。ルフトは銀貨を見せてアルノーから依頼された仕事について2人に説明した。

 しかしエメリヒは腕を組んで唸りを上げる。


「空賊が相手とは言え、話が美味すぎる」


 エメリヒの言うことはもっともだ。浮浪児に案内人を頼む場合、相場はあってないようなものだが、銅貨5枚も貰えれば良い方だ。銀貨というのはいくらなんでも高すぎる。しかし自分の持ってきた仕事に文句を付けられたようでルフトはむっとした。


「じゃあエメリヒは手を引くか? ニコラはどうする? どちらにしても俺たちだけじゃ手が足りない。トビアスのところにも話を持っていこうと思ってる」


「待てよ。手を引くとは言ってないだろ。トビアスだって? 空っぽ頭のクルビストビアスか?」


 クルビスというのは本来は王国南方に育つ植物の種類のことだが、中身が空洞になったその様から、頭が空っぽという意味の罵り言葉として定着している。トビアスがクルビスなのはルフトも同意だったが、それも込みでの提案だ。


「他に都合のいいグループがあるなら教えてくれよ。トビアス相手ならこっちが主導権を握れる。案内人じゃない方の仕事をさせるつもりだ」


「僕はいい話だと思う。トビアスに話を持っていくのも賛成だ。貸しを作れるし」


「クルビストビアスにはもう貸しがいくつもあるんだ。それもあいつが覚えてりゃの話だ」


「だから反対なら対案を出せってば」


 そうルフトが声を荒げると、エメリヒは少し考え込んだ。


「パウルの兄貴はどうだ? クルビス野郎と違って仕事が信用できる」


「パウルの兄貴に話を持っていくと案内人の仕事を取られる。稼ぎが減るぞ。エメリヒ」


「それは――」


「俺がでかい仕事を持ってきたから反発したくなるのも分かる。だけどここは気持ちよくやろうぜ。一週間で銀貨14枚だぞ。3人だから42枚だ。帰りに調べてきたけど、今の交換レートだと銀貨36枚で金貨1枚だ。俺はエメリヒへの貸しにしてもいいと思ってる」


「それはいいね! 僕も賛成だ」


 エメリヒには借金があるが、それは金貨単位で精算されることになっている。銀貨をいくら持っていってもファミリアは受け付けてくれない。事務手続きの手間を減らすためだ。銀貨での返済を受け付けていては、手続きにかかる経費も馬鹿にならない。

 現在エメリヒが抱えている借金は金貨で6枚だった。浮浪児だと一年かかっても貯められる額は金貨1枚にも届かない。稼ぐ額としてはそれくらいは行くのだが、日々の生活で消費されてしまうのだ。結局手元に残るのは銀貨1枚程度ということになる。だから3人合わせてとは言え、一週間で金貨の手に入るこの仕事は破格なのだ。


「……参ったよ。ルフト。ニコラも。借りにさせてくれ」


 エメリヒが頭を下げて、この話はルフトが中心となって進めることに決まる。この3人に身分の上下は無い。ファミリアの協力者になってからの期間で言えばエメリヒが一番長いが、だからと言ってエメリヒが一番偉いわけでもない。逆に借金があるからと言ってエメリヒの立場が弱いわけでもない。リーダーが率いるというグループも多い、というよりそちらのほうが多いが、このグループでは参加者たちは対等で、方針は話し合いによって決まることになっている。


「で、クルビス野郎のところにはどう話を持っていくんだ?」


「もちろん俺たちからの仕事ということにする。銀貨10枚の仕事と言えば、深く考えずに食いついてくるさ」


 実際にアルノーが提示した報酬は金貨1枚だったが、それをトビアスに正直に告げる必要は無い。トビアスたちにしたって銀貨10枚は十分に大きい。仲介料を取ること自体は旧市街で言えば妥当なことだ。割合の過多はあるだろうが、知られても文句を言われる筋合いは無い。


「旧市街を東西に抜ける安全なルートね。正直、クルビス野郎にゃ期待できねぇな」


「依頼主にも難しいということは伝えてある。それでも銀貨20枚は払ってくれるそうだ」


「そのことまでクルビス野郎に教える必要はねぇな」


「ああ、そのつもりだ。それでも銀貨1枚くらいは払わなきゃ駄目だろうな。いくらクルビスでもただ働きするほど馬鹿じゃない」


「それもそうか。ニコラはどう思う?」


「どう思うって、何に対してさ? トビアスについてなら前払いで銀貨2枚くらい払ってやらないと、人も集められないし、飢えるんじゃないかな? この仕事に取りかかってる間は他の仕事ができないわけだし」


「銀貨1枚でも食いついてくるとは思うけど、2枚が妥当だというのはその通りだな」


「1枚で話を持っていって、拒否られれば2枚を提示すりゃいいんじゃねぇの?」


「いや、後からやっぱり2枚って追加で出てきたんじゃ、3枚でもいけるかもって思うかも知れない。最初から2枚で、断固として上乗せを拒否するほうがいいかも」


「んー、まあこの話はルフトに決定権がある。だが依頼人からその分の前払いはもらったのか?」


「前金として銀貨5枚は受け取ってる。実弾が無きゃ人も集められないって言ったからな」


「気前の良い話だ。空賊ってのはそんなに儲かるのかね?」


「儲かるんだろうね。話をしてて金銭感覚がちょっと違うなと思ったよ」


「でも捕まると縛り首だよ。僕は御免だな」


「確かにそうだ。それでも空賊がいなくならないんだから、それだけ儲かるってことなんだろうけれど」


「ファミリアは出稼ぎを許してくれはしないだろうなあ」


 エメリヒがぼやく。借金を早く返したいエメリヒにしてみれば、縛り首になるリスクも許容範囲ということであるらしい。ルフトやニコラには無い感覚だが、それは借金持ちではないからかも知れない。借りている本人にしてみれば、いくら利子が無いとは言っても早く返したいのだろう。返済が終わらなければ立身出世も見込めないのだから、致し方無いのかも知れないが。

 ルフトとニコラは視線を交わして肩を竦めた。


「仕事の話はこれくらいにして飯でも食いに行こう。たまには座って食えるところってのも悪くないだろ」


「僕は肉が食べたいなあ」


「ルフトの奢りか?」


「俺が払わなきゃ食い逃げになるだろ?」


「違いない」


 3人は声を上げて笑った。

 それから3人で食堂に行って追い払われそうになったのも、後になって考えてみれば、まあいい思い出だ。最後の、3人でのいい思い出になった。

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