見るな! 見るな!

  見るな! 見るな!



今日はいささか懷があたたかいといふので

細君に何か旨い物でも喰はせて遣りたい

お慰みといふことをして遣りたい

といふのは三割がた口實こうじつ

愚生が一杯氣色のいい機嫌になりたい

かういふわけでもありますが

料理屋の沓脱くつぬぎで恐る恐る

賴む

ばへば番頭が出て來て

待て

と云ふので

三和土たたきの土閒に立つたまま

片附かない窮屈な心持を抱へてゐると

綺麗な御婦人連をれた紳士やら

いかめしい軍人やら

番頭の案内で次々と奧に通つて行くのに

二人ぽつねん殘されて

いつかう見向もされぬので

すつかり降參

御馳走は止しにして

すごすご店を出ると

いかにもお腹が空いてゐるので

とにかく目に附いた饂飩うどん屋の

汚い暖簾をくぐ

いささか奢つて

天麩羅饂飩を賴んで見たら

案の定これが旨くないわけ

いよいよ心もかつゑて

お銚子を 一本 もう一本

細君はと見ると

けふはほんたうにありがたう

僕にれいなんぞ云つて

不味い饂飩をにこにこ啜つてゐるから

もうその顏がまともに見られず

お銚子ばかり もう一本 もう一本

酩酊のてい

細君に腕を抱へられふらふらえきまで來たら

無精髯ぶしやうひげ醉漢すいかん

人が

ことに子供と年寄がじろじろ見るので


見るな 見るな


大きなこゑを出したら

細君が一寸ちよつと困つたやうな顏で

それでもにこりとして

一生懸命

僕の脊中をさすつてゐるから

いよいよ遣切やりきれず

そばに巡査が立つてゐるといふのに

ますます大きな聲で


見るな! 見るな!








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る