三杯目 つり橋のこと

 これは川野が語ってくれた三つ目の怪談である。川野の喉奥からゴボゴボと水の泡立つ音が聞こえる。言葉はまだ不明瞭だ。


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 江戸で聞く幽霊話ゆうれいばなしは枚挙にいとまがない。井戸に浮かぶ幽霊、柳の下の幽霊……。様々な怪談が町民を恐れさせ、また楽しませた。


 しかしこれらの怪談で語られる場所に行き、再び幽霊を見たという話は聞いたことがなく、その多くは作り話であろうと思っていた。


 宝暦の頃であったか、我が川野家の下人げにんから珍しい幽霊話を聞いた。

 多摩郡たまぐん辺鄙へんぴな村で幽霊が出たという。しかもそこを訪れた者がみな幽霊を見ているのである。


 後日、奉行所の朋輩ほうばいからも多摩の幽霊の話を聞かされた。


 多摩の幽霊の風評が広まるにつれ、人々はどうやら今回ばかりは本物のようだぞ噂した。実際に多摩郡へ向かう者もおり、帰ってくるなり幽霊を見たと口々に言うのであった。


 二十歳そこそこの私は並みならぬ興味を多摩の幽霊に抱いた。実際に自分の目で確かめてみたいと思い、水無月(みなづき)の終わり頃には旅支度を済ませていた。



 多摩の幽霊話のあらましは以下の通りである。


 多摩郡たまぐん湖西こさい村の谷川たにがわに古いつり橋があった。昔、甲斐の通り道として使っていたというが新しいつり橋ができてからはほとんど使われていなかった。


 ある夜、帰りの遅くなった村人むらびとがこのつり橋の近くを通りかかったとき、橋の下に浮かび上がるものがあった。月明かりに照らされたそれはゆらゆらと揺らめいていた。


 気になって目を凝らし、村人は驚いた。死装束しにしょうぞくを着た足の無い人間が浮いていたからだ。村人は急いで村に帰り、このことを話した。


 それから湖西村のつり橋には幽霊が出るようになった。谷に滑落して死んだ者か昔ここで力尽きた落ち武者の霊ではないかと村人たちは考え、念仏を上げ供養をしているが一向に消えないという。



 月を跨いだ文月ふみづきの初めに私は湖西村を訪れた。山と畑以外に見るものがない寒村かんそんであったが、珍しいことに宿屋があった。そこには幽霊を見物しようという物好きが私以外に数人ほど滞在していた。


 荷物を置き宿やどの主人に幽霊のことを聞くと、夜半やはんに村人がくだんのつり橋まで案内してくれるとのことであった。

 暗い中、土地勘の無い山中さんちゅうを歩くのは避けたかったのでこれは嬉しいもうであった。


 しばらく宿で時間をつぶし、丑三うしみつ時(午前二時)に他の客たちと連れだって宿を出た。先導する村長むらおさの息子に付いていき、四半刻しはんとき(15分)ほどでつり橋に到着した。


 風に吹かれたつり橋の縄の軋む音がしていた。背の高い草がつり橋を遮っており、これをかき分けてつり橋の下を見た。


 月明かりに照らされた白い人影、幽霊が浮いていた。薄暗く、その人相を見ることはできなかったが痩せ細り、足が無いその姿はよく聞き及んでいたものであった。


 初めて幽霊を見ることができた喜びを他の客たちと分かちあいながら、息を潜めてその場を後にした。何でも長く見ているとたたられてしまうのだという。



 翌日、他の客たちは村を去っていったが私は昼間にあの幽霊はどうなっているのか気になった。宿の主人からは昼間に幽霊は出ないと言われていたが、好奇心の強い私は昼間のつり橋の様子を見に行くことにした。


 甲斐の方に用事があると言い、村を出てつり橋に続く道をたどった。うろ覚えで進みようやく橋にたどり着く。


 昨日と同じく草をかき分けつり橋の下に目を向ける。驚いたことに、まだ幽霊がいた。白い人影が宙を舞っている。


 いや、幽霊ではない。裾の長い死装束しにしょうぞくを着せられた男が黒い縄でつり橋からくくられていた。風が吹くたび干からびた亡骸が揺れ、つり橋が軋む。


 驚きながらもなぜこんな場所に死体が吊るされているのか、考えを巡らせようとした。


「おさむらい様、こんな場所で何をしておいでですか」


不意に声をかけられた。 

刀のつかに手をかけ振り返ると老婆が立っていた。私がつり橋を見ていることを咎めるつもり無かったらしく、聞けば死体が鳥などに食われていないか確かめに来たと言う。


 なぜ橋に死体を吊るしているのか、と尋ねると

「あの男は口がけず、村の者に迷惑をかけ続け村長むらおさくびり殺されました」と老婆は言った。


 さらに老婆は

「あれが生きておったときには役に立ちませんでしたが、橋に吊るし、幽霊の話を流してから多くの見物人が来て銭を稼げるようになりました。江戸のお人は怪談がお好きなのでしょう」と続ける。


 頭から血の気が引き、きもが冷えた。農村での口減らしについて聞いてはいたがこのような形で目にするとは思ってもみなかった。人の為すこととは思えなかった。


 老婆への礼もそこそこに足早にその場を離れた。それから湖西村へ続く道を避けて私は江戸に戻ったのであった。



 多摩の幽霊話はしばらく江戸の町を賑わせたが、師走しわすに上田藩で一揆が起きるなどして人々の話題の中心ではなくなっていった。


 老婆から聞いたことは誰にも話さなかった。このおぞましい口減らしの方法が万が一にでも世に広がって欲しくなかったからだ。

 また、怪談につられてあの村を訪れた自分を恥じ、宿で買った幽霊の掛け軸を焼き払った。


 宝暦以降、多摩の幽霊話を耳にすることはなかった。しかし多摩と聞くたびにあのつり橋のことを思い出すのであった。





※宝暦…1751年から1764年までの年号

※口減らし…経済上の理由から、養うべき家族の人数を減らすこと。本来は子供を奉公に出したり養子にやったりして家計の負担を減らす

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