第十四章 式典(後編)

 リューリィの言葉に応じるかたちで、キロは静かに物陰から姿を出した。

 互いに立ち尽くして見つめ合う。


「――ま、ちょうど窮屈さも限界に近かったから、こうなるのも悪くないんだけど」とキロは笑い、あえて軽い口調で訊ねた。「ウチがここにいると、どうしてわかった?」

「ここが、あなたにとって特等席だからです」リューリィは答える。「事前に皇城全体を、この西の塔を除いてすべてくまなく探しました。その上で、残されたここを一階ずつ見て回っているところでした。……やはりこの階でしたね。ここがいちばん、現場がよく見えます」


「探し回っている気配は感じなかった。お前一人でやっていたことか」

「はい」

「皇城に忍び込むのは、お前達の盲点を突いた作戦だと思ったんだけどなー……」

「あなたはかなり遠くからでも、支配した者を操ることできると踏みました。それだけを考えれば、あなたが潜伏できる場所はあまりに広範囲であり、見つけ出すのは困難でしたが――あなたはきっと、その目ですべての出来事を、皆の混乱を確かめ、楽しみたがると思いました。それには皇城に入るしかありません。私が気を失っているあいだに潜入したのですね?」


「まあ、そういうことだ。人形も確保させて貰った。お前を連れて帰ってきた奴らを、何人か借りたんだ。もちろん許可なんか取っていないけどね」キロは言い、体をほぐすように首を鳴らす。「で、どうしてお前一人なんだ? ……皇女様とお前自身の面子のためか」


 リューリィは黙っている。キロは小馬鹿にするように口の端を歪めた。


「少なくともお前には面子など残ってないよ。自分がどんなとろけた顔をして、どんな声で喘いだのか、その口で何を認めたのか、助けに来た奴らにどんなざまを晒したのか……それを全部なかったことにでもしたいのか? それは無理だ」

「なかったことにするつもりはありません。確かに私はあなたに敗れ、淫欲に溺れました。ですが、己の意思で動ける限り、守れるものはあります。……そして、私一人で探していた理由は他にもあります。あなたに逃げられたくなかったのです」


「ウチが――逃げる?」ほんの僅か眉をひそめて、キロが低く言った。

「あなたは捕まることを酷く恐れています。すべてを懸けて依頼を果たすということは決してしない。大量の気配を察知し、潜伏する場がないと判断すれば、依頼を放棄することもあり得ると考えました」

「矛盾しているな」とキロが返した。少なからず感情的になっていることを認めないわけにはいかなかった。「あえて皇城に潜入して、特等席で仕事の結果を見ようとするが、捕まることを酷く恐れていて、依頼の放棄も厭わない。……お前の考えるウチは変だぞ」

「そうですね――でも、それがあなたという人なのだと私は考えました」


「ウチは人じゃない」キロはさらに低く、唸るように言った。「そしてお前ではウチは止められない。……何ならいまからでも取り引きしてやるぞ。ウチと一緒に来るというなら、お前の敬愛するテオーリアは生かしておいてもいい」

「それは」リューリィが半歩踏み出す。「――あり得ません」

「だろうねー」


 そして両者が互いに向かって飛び込んでいき、『原初にして永遠なる聖言』第三楽章が流れる中、高速の攻防が始まった。


 その戦いには、どちらかを戦闘不能に落とし込むことの他に、べつの勝敗があった。

 キロがその気になれば、この後に待っている法王キゲイロ三世の演説を待たず、音楽の最中にでも殺害を実行することができる。それが為されれば、その時点でキロの勝利なのだ。

 リューリィには彼女にそれをさせてはならないという枷もあった。

 そのためには、意識と力を集中させる隙を与えてはならない。間を置かない戦いを展開した上で、キロの意識を奪うこと――それがリューリィの勝利条件であった。


 逆にキロの側からすれば、それは大きく有利に働いた。

 昨夜の一戦から考えて能力的に自分が優勢である上に、リューリィの動きは殺害の実行を恐れて絶え間のない細かなものになる。

 言い換えれば幅の狭い、単調なものになる。

 それは先読みを容易いものにする。

 そしていざとなれば殺害を実行してもよいのだ。そうすればキロの仕事は完遂、同時にそれはリューリィの心を砕くことにも繋がるだろう。

 特にテオーリアを亡き者にしてやれば、もはや戦いを続けることもできなくなるに違いない――。


「……今度は咬むよ!」ナイフで空を裂きながらキロは言った。「あのときお前が失神してなきゃ、とっくに咬んでやってたんだけどねー!」

 リューリィはすんでのところでナイフをかわす。

 ナイフはただの研ぎ澄まされた金属ではなく、キロの力をまとって強化されている。力を防御だけに集中させているならともかく、攻撃も同時に行っているいまそれを食らえば、普通人のように切られるし刺される。


 ――この人は優位を感じると油断する人だ。

 戦いを続けながら、リューリィはその推測を確信に変えていた。

 昨夜のことは言うまでもない。私に自ら国を捨てると宣言させる、などという勝負事をその必要もないのに設定し、その結果として私を手に入れることができず、いまこのようなことになっている。

 もしこの人が冷徹に仕事の遂行のみを重んじる人であったなら、すべては昨夜で終わっていた。私はこの人の操り人形となり――恐らくこの手で法王猊下と殿下を殺害させられていた。

 そしていまもそうだ。

 私に呼び出された時点で、計画を即座に変更して命令を実行していれば、すでに外は惨劇の場となっていたはずだ。でもこの人はそうしないのだ。楽しさを求め、理想を作り、結局はそれが己を縛る結果となっている。

 自由にこだわる割には、そのことのもたらす不自由さには頓着しない。あるいはそれを全部ひっくるめて自由と呼ぶのだろうか?

 いずれにせよ、つけ入る隙はそこにある。


 相手を否定すべく繰り出される腕が、足が、激しく交錯する。

 しかし状況は少しずつ、昨夜のそれと同じかたちになりつつあった。すなわち、力ではリューリィが勝るが、速度ではキロが勝るという関係である。

 そしてそれが、少しずつ戦況をキロに優位な方向に傾けていった。


「お前は、遅いんだ」とキロは息を弾ませながら言った。「残念だけどそれじゃあウチには当たらない。逆にこっちは――当て放題だ!」

 キロの回し蹴りが、リューリィの側頭部に当たる。芯を食った直撃ではなかったが、一瞬リューリィの視界が揺れた。

 間髪入れずに、白く光る拳が顎めがけて放たれる。すぐに我に返ったリューリィはのけぞってそれを回避する。

 そして体勢を戻す勢いでお返しとばかりにキロの頭を狙う。キロは余裕をもってひょいとその拳に空を切らせる。


 間を与えてはいけない、とリューリィは自分に言い聞かせる。

 恐らくすでにこの人は実行の時期についてのこだわりを捨てている。いま呼吸三つぶん――いや、あるいはもっと短いかもしれない――の余裕を与えたら、そちらを優先するだろう。


 ……いけるだろうか。

 リューリィは先ほどからずっと測り続けているものについて考える。

 この感触からすると、たぶんいけると思う。あとはこの人の性質を利用すれば――。


「あとで、昨日よりもっと気持ち良いことしてあげるから――」キロは言い、後ろに引いていた足を思い切り前方に突き上げた。「おとなしくしてな!」

 リューリィの腹に、会心の膝蹴りが直撃する。

「がっ……あっ……!」

 苦痛に顔を歪め、リューリィが崩折れる。両膝を床につき、決してキロからそらすことのなかった視線がどこでもない空間を迷走する。


 キロはそんなリューリィの喉元めがけて、さらに蹴りを繰り出す。

 ……再び直撃し、リューリィの体は後ろに吹っ飛ばされた。

 キロから十歩ほど離れたところに、リューリィは仰向けに叩きつけられる。


 キロはにいっと笑った。

 ウチの勝ちだ――そして耳と肌で外の様子を探る。楽団はなおも第三楽章を演奏し続けている。

 予定していた時間ではないが、ここでやってやる。お前に両手いっぱいの絶望を贈ってあげるよ、金獅子。


「これで――終わりだ!」

 キロが命令に意識を集中し始める。


 ――そのとき。

 まるですべてが帳消しになったように、リューリィが素早く体を起こし――その両手から同時に、キロを挟み込むように「爪」を発射した。


 それはキロにとってはまったく予想外のことだった。

 確かに攻撃が深く入ったはず。……わざと攻撃を受けて見せたのか? それに確か昨夜の戦いでは、金獅子が爪を放つより、ウチが命令するほうが速かったはずだ。

 ……あらかじめ爪を放つことに集中していた? ウチに隙を作らせようとしたのか?


 キロは慌てて命令に使おうとしていた力を両腕に回し、両端から襲いかかってきた二つの爪を受け止める。

 強烈な圧。押し潰されそうになるのを、キロは何とかこらえる。

 その爪が消えるか消えないかというところで――リューリィが全身全霊を込めて、裸足で床を蹴った。

 爪が消える。キロはリューリィの攻撃を受け止めるべく構える――だが。


 ――これまでより、速い?


 リューリィの一撃め――右拳は、キロの側頭部を狙ったものだった。キロはそれを左腕でぎりぎり薙ぎ払う。

 そして二撃め――左拳。

 キロはそれを受け止めようと右腕を差し出し、同時に自ら背後に飛んで、当たった際の力を逃がそうとする。

 ――しかし、リューリィの拳はキロの読みよりも、そして体の反応よりも速く、空気の壁を砕き散らしていき――鈍い音を立てて急所に、キロのみぞおちに深々と突き刺さった。


「ぐっ――!」

 呻き声を上げたキロの体が、その一撃で浮き上がる。

 これ以上ないほどの手応え。

 くの字に曲がったまま目を剥くキロに対し、リューリィは三撃めの右拳を、がら空きになったキロの顎に真横から浴びせた。


 キロは頭から吹っ飛んでいき、壁に思い切り打ちつけられる。

 そしてそのまま壁を擦るようにずるずると床に着地すると、焦点の定まっていない目で、信じられないという風にリューリィのほうを見た。

「な……んで、そんな……」


 何でウチより速く動けるんだ――昨夜からいままでずっと手を抜いていたとでも言うのか、いやそんな馬鹿な、ことが――。

 ――そしてキロはうつ伏せに倒れ込み、そのまま動かなくなった。


「……ふう」

 終わった――リューリィがひときわ大きく息をつく。考えていたことがすべてうまくいったことに、心の底から安堵した。


 リューリィの魔人としての能力には、かねてから一つ欠点が指摘されていた。

 それは、帝国が把握している限りにおいて、通常の魔人よりもネフェルマリンの影響を受けやすいというものだ。

 昨夜、キロに対して速さで遅れをとったのも、それが原因である可能性があった。

 今回はそれを確かめながら戦っていたのだ。

 そしてリューリィは確信した。ネフェルマリンのないこの場で全力を溜め込めば、白蛇の反応速度を上回ることができるだろうと。

 事実そのようになり――何とかキロの意識を刈り取ることに成功した。


「終わりました」とリューリィは扉の奥に向かって声をかけた。

 しばらくして、一人の男が幾つものネフェルマリンを持って部屋に入ってきた。

 昨夜、キロが旧ボルギル邸に放置していったものだ。

 男はリューリィに暗殺の技術を仕込んだ、いわば師匠にあたる人物である。自分一人でここへ来たというのは方便で、この男に気配を消して扉の前に待機して貰っていたのだ。ネフェルマリンだけを離れたところに置いておくかたちで。


 男はキロの体にネフェルマリンを巻きつける。

 ……これで本当に決着がついた。蛇による支配もすべて解除されたはずだ。

 リューリィは風穴から外を覗いてみた。

 軽妙な曲想の第三楽章はまだ演奏が続いており、あらゆる身分の人々がそれを黙して聴いている。長い曲なのだ。

 しかしいまは特に、この長さが愛おしいとリューリィは思った。

 任務は無事に果たしました、殿下。どうか安心して音楽に聴き入っていて下さい――。


 ◆


 進行役がキゲイロの名を告げると、それまででもっとも大きな歓声が湧き起こった。

 キゲイロはゆっくりと立ち上がり、この場の中央、観衆にもっとも近いところまで歩いていく。


 キゲイロには覚悟があった。自分が何者かに狙われている可能性。その者を誰も止めることができず、志半ばで命を落とす可能性。承知の上でこの式典に名を連ねた。

 恐れる気持ちがなかったわけではない。ただ、法王としての使命感がそれを上回っていたに過ぎない。


 しかしいま、キゲイロの心は安らかなものになっている。

 先ほど、楽団が最終楽章を演奏している最中、皇女テオーリアの元に伝令がやって来て、彼女に何事かを耳打ちした。

 そのときの彼女の歓喜に満ちた顔を、キゲイロは死ぬまで忘れないかもしれない。

 式典の只中にあって、彼女は余計な感情を表に出さぬよう努めていたはずだ。それがまったく消し飛ぶほどの報。

 それから彼女は少し離れたところに腰かけているキゲイロを見た。キゲイロはずっとテオーリアの様子を窺っていたので、互いに顔を見合わせるかたちになった。


 テオーリアは一つ、強く頷いた。


 それでキゲイロはすべてを悟ったのだった。……自分が狙われているという話は現実のものであり、しかしその現実は、陰で動く者達の忠実なる仕事によって否定されたのだと。

 彼はその、名も知らぬ陰の者達に感謝を捧げた。

 ありがとう――そう、私はこのようにして、皆に生かされているのだ。


 歓声はなかなか止まない。

 しかしキゲイロはそれを制することはせず、手を振りながらそれらすべてを受け入れる。

 大観衆に迎えられることには慣れているキゲイロだったが、いま目の前にしている人数は、明らかにこれまでの人生でもっとも多いものだ。


 これは権力にあらず、とキゲイロは胸の内で唱える。

 法王庁においても出世という概念は存在し、そうである以上は権力争いといったものも存在する。

 キゲイロはそういったものを嫌悪していたが、まったく無関係に生きてこられたのかといえば、それは否だった。

 彼が望まずとも、あえて争いの場に足を踏み入れずとも、自分のいまいる場所が強制的に争いの場に変貌することは多々あった。

 そのたびに彼は、消極的にであっても、何らかの勢力を支持し、何らかの勢力と敵対しないわけにはいかなかった。

 ――やがて彼は勢力の支持者から、勢力の中心人物へとその立場を変えていき、気がつけばミラリア教の頂点に立っていた。


 これは権力にあらず――自分が人々に迎え入れられるとき、キゲイロはいつもそう考える。

 自分の立場は、法王という存在は、神からの預かりものに他ならないのだ。

 神の言葉を伝え、皆の信仰心をまとめ、世の安寧に寄与する。その役割に身を捧げるのが務めであって、自分という個人が人々を従えているのではない。


 歓声が小さくなっていく。皆がキゲイロの言葉を待つことへ気持ちを傾け始める。

 それが完全に収まり、沈黙が場を支配するのを待ってから――キゲイロは口を開いた。


「ミロアが神から言葉を伝達された年が、聖暦元年とされています。しかし聖暦はミロアが当初から数え始めたものではありません。彼の没後、遺された者達が、遡るかたちでその邂逅の年を聖暦元年と定めたのです。ミロアは生涯にわたって神の言葉を広め続け、現在のミラリア教の礎を築き上げた偉大なる始祖ですが、万事がとんとん拍子に運んだわけではありません。それは並々ならぬ努力の賜物であり――恐らくは両手で数え切れないほど、いや弟子達の両手をすべて借りても数え切れないほど、彼も失敗を重ねてきたのだと私は考えます」


 キゲイロは言葉を止め、観衆を見渡す。そして続ける。

「ミロアの死後も神の言葉はこの世に留まり、心ある人々によって実行され、広められ、繰り返し唱えられ――そして聖暦もついに一〇〇〇年。血と汗と涙を大海原の水に負けないくらい流しながら、私達は何とか、命を繋いできました。いまここにいるすべての方々に、偉大なるご先祖がいるのです。人である以上、彼らは完全なるものではありません。中には大きな過ちを犯した方もいるでしょう。しかしそれらすべての結果として、私達はいまここに集うことができている。これは素晴らしいことです。――どうか皆さん、ご自身をこの場へ導いた命の連なりに、心からの感謝を」


 拍手が湧き起こる。

 それが徐々に収まるのを待ってから、キゲイロは続ける。


「一〇〇〇年を生き延びてきた私達は、賢いのでしょうか? ……その問に一言で答えることは、少なくとも私にはできません。確かに世の中には賢い方がおられる。様々な分野において偉大な功績を残し、それによって私達の営みは大きく前進してきました。しかし私達すべてを一度に考えるとき、果たしてそこに、はっきり誇れるだけの賢さはあるのでしょうか? そしてこれがさらに肝心なことですが――賢ければ安らぎを、幸福を得ることができるのでしょうか? ……歴史を紐解いてみれば、私達はほとんど常に争いを続けてきました。個人と個人が争い、町と町が争い、国と国が争ってきました。それは私達が賢いからだったのでしょうか、それとも愚かであったからなのでしょうか? ……それはたくさんの複雑な物事を含んで成り立っていることで、慎重に判断しなければならないものです。そして時の流れと共に、その判断も移り変わってゆくものです。唯一絶対の答というものは、恐らくありません」


 キゲイロは静かに目を閉じ、鎮まる広場を耳で確かめてから、それを再び開く。

「私は力というものを否定しません。人の世を前に進めていくにあたって、力はなくてはならないものです。志だけが偉大であっても、物事はどこへも到達しません。何かができること、それを束ねて一つの物事に向かうこと――これは必須のものです。歴史上、それが必ずしも良い方向に転がったわけではありませんが、しかしそれを理由に力を否定することは、前に進むことを否定するのと同じことです。私はそこには与しません。私達は前に進んでいかなければならない。ただ――困ったことに、力と力は往々にしてぶつかり合うものです。力を肯定しつつ、このことに私達はどう向き合えばよいのでしょうか?」


 キゲイロは一人ひとりに問いかけるつもりで観衆を見渡す。そして続ける。

「私は、他者のすべてを受け入れる必要はない、と考えています。人と人は宿命的に異なるものであり、それを無理に同じ型にはめようとすれば、必ずどこかで破綻をきたす。……そしてそれは同様に、他者に自分のすべてを受け入れて貰おうとすべきではない、ということでもあります。生きていく上で、私達はどうしても他者に認めて欲しくなる。そうでなくてはうまく回らない事情というものにも見舞われる。しかしそれをそのまま相手にぶつけてしまったら、そこから破綻はやって来ます。……どうかお認め下さい。私はあなたではなく、あなたは私ではない。それは絶対的なものであり、変えることはできません。むしろそういう間柄であるからこそ、私達は神の言葉を必要とするのです。神の言葉が、絶対的に異なる私達を、ある一点において確かに繋げてくれるのです」


 キゲイロは腹の底から声を出し続ける。

 そこには彼の魂そのものが宿っている。


「世界は一つに繋がっています。私達は様々な単位でそれを切り分けて、各々の暮らしを営んでいます。ここにとても大切な――決して忘れてはならない現実があります。世界とは、一つでありながら、決して一つではないということです。私達はその二つの見方を、常に同時に心に留めておかなくてはなりません。一つであることを忘れれば、繋がる気持ちを忘れます。一つでないことを忘れれば、自分と異なるものを敬えなくなります。どちらも欠かすことなく世界を、隣人を、見つめ続けることで、私達のご先祖達はたぶん、ぎりぎりのところで何とかやってきたのだし、私達も何とかやっていくことができるのでしょう」


 キゲイロは深く息を吸い、静かに吐く。そしてもう一度大きく吸い――声を張り上げた。

「次の一〇〇〇年も、私達は敬意と覚悟をもって生きていきます。そのために私達は、一日一日を決しておろそかにすることなく、過ごしていかなくてはなりません。どうか神の言葉を忘れることなく、己の為すべきことを為し、誰に恥じ入る必要もない人生を。……ただし、休むべきときはしっかりと休みましょう。神もきっと、そのことは見逃して下さいます」


 キゲイロはほんの僅か微笑み――一歩後ろに下がって、深々と礼をした。

 ――そして上がる大歓声。

 人々は手を叩きながら、キゲイロを称え、神を称え、己の国を称え、他者の国を称え、隣人を称える。

 キゲイロはその無数の対象に向けられた無数の称賛に対し、代理として手を振って応えた。


 かつてない数の人々による、かつてない量の歓喜と誓い。

 ――聖暦一〇〇〇年記念式典は、この演説を中心として後世に語り継がれることになる。

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