第十二章 前祭(後編)
雨が降らなくて本当に良かった、とタルカスは思う。
前祭が始まる直前の数日間、彼はそのことが気になって何事にも集中できなかった。
とにかく凄いお祭があって、たくさんの人とたくさんのお店が見られるらしいのに、雨が降ったらお母さんは外に出させてくれないという。
神様ありがとうと彼は思った。リューリィの言う通りにお祈りしたのが効いたのだ。
タルカスの目には、前祭の光景は一面を埋め尽くす宝石のように映った。
異国人との交流だとか、経済効果だとか、治安がどうのといったことは彼にはわからない。
ただ一つはっきりわかるのは、そこにいる人々が放つ活気が、かつて見たことがないほどきらきらと輝いていることだった。
彼はそのことに興奮したし、不思議な歓喜を覚えた。ただその場にいるだけで、自分の中をたくさんの力強いものが通り過ぎていく――そしてそれがどうしようもなく楽しい。
「走っちゃ駄目だよ」背後からマレーネの声が聞こえた。
「わかってる」とタルカスは答えたが、心ここにあらずだ。同じやり取りはこの三日間に幾度となく繰り返してきたが、もちろん彼は言われたのとほぼ同じ数だけ何かを見つけては走り出し、母に叱られてきた。
特別な祭ということで、少しだが特別な買い物も許された。
主に菓子の類だったが、他にも異国から輸入してきたという見たこともない玩具だの、小さな剣の模造品だの。
後になって、どうしてこんなものを買ったのだろうと首をひねるかもしれないという発想は彼の頭にはまったくなかった。そのときそのときの買い物自体が、輝きを分けて貰う貴重な体験だったのだ。
次はどこへ行こう――そう思いながら辺りをきょろきょろ見回しているとき。
タルカスの耳に、横からふいにこんな声が流れ込んできた。
――そろそろ、泊まるところを探さないとね。
その言葉は、タルカスの心を一時的に祭の熱から切り離した。
彼は今年やっと八歳になる身だが、母親の仕事についてはしっかり理解していたし、それを手助けしようという意識も――実際に何ができるかはともかく――すでに十分に持っていたのだ。
タルカスは声のしたほうに振り向き、それを発したと思しき人物を特定すると、一も二もなく駆け寄っていき、こう切り出した。
「ねえ、うちに泊まらない?」
声の主である女性と、その隣にいた男性は、突然話しかけられたことと、それが年端もいかぬ子供であること、そしてその内容が急であることに、戸惑いを隠さなかった。
しかしタルカスは構わずに続けた。
「俺のうち、下宿舎をやってるんだ。いま部屋も余ってるから、泊まれるよ。他の宿屋よりずっと安いよ。ねえ、泊まっていかない?」
タルカス――と背後から彼を呼ぶ声がした。マレーネが追いかけてきたのだ。
そして我が子が何やら見知らぬ人物に話しかけていることを理解すると、彼女は慌てて親の務めを果たそうとする。
「すみません、この子が何かご迷惑をおかけしましたか?」
「あ、いえ」と女性は首を振った。「その……今夜どこに泊まろうかという話をしていたら、この子が来て、うちは下宿舎をやっているから泊まらないか、と……」
ああ、とすべてを悟ったようにマレーネは言い、タルカスの頭にぽんと手を乗せた。
「営業ありがとう。……はい、確かにうちは下宿舎をやってまして、ご希望とあればお泊り戴くことも可能です。ただ、余裕があるのでしたら、一般の宿屋を選んで戴いたほうが、いろいろと待遇も良いかと――すみません、この子は私の仕事を気遣って、こんな風にお客様を呼ぼうとすることがあるんです」
いえ、お気になさらずに――と女性は笑顔で言い、それからじっとタルカスのことを見た。タルカスは無邪気に見つめ返す。彼の中では、まだ交渉は続いているのだ。
女性は何かを思いついたように、男性のほうに顔を向ける。
男性も同じことを思いついていたのか、ほとんど同時に女性のほうに顔を向けていた。
……二人は黙って頷き合う。それから男性がにこやかに、タルカスとマレーネの二人に向かって口を開いた。
「……それでは、そちらの下宿舎に泊まらせて戴いてもよろしいでしょうか?」
タルカスは目を輝かせる。マレーネは一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐにそれを下宿舎の主人としてのものに整えた。
「もちろんです。エルグランの民として、お二人を心より歓迎させて戴きます。……あ、申し遅れました。私はマレーネといいます。こっちは息子のタルカス。母子二人でひっそりと下宿舎をやっております」
「私はセシルといいます」と男性は名乗り、それから隣の女性の肩に手を置いた。「こちらはフィアッカ。二人で式典を見に、ルクレツィアからやって来ました」
「まあ、ルクレツィアから――ご夫婦ですか?」
「いえ、まだ結婚はしておりませんが……でも近いうちに、とは思っておりまして」
セシルは同意を求めるようにフィアッカを見る。それを受けてフィアッカはやや照れ臭そうに一つ小さく頷いた。
「そうですか、それはそれは」
マレーネは祝福するように二人に笑顔を贈る。
これから間もなく幸福のうちに永遠の誓いを立てようという恋人達の、恐らくは大切な旅なのだ。
誠心誠意迎えようと彼女は思った。もちろん客が何者であろうとそうしてきたのだが、そこに個人的な気持ちをもう一枚、おまけで乗せて迎えようと。
「ようこそいらっしゃいませ!」
タルカスが両手を広げて言った。
どこかから借りてきたような響きが面白かったのか、フィアッカはくすくすと笑い、それから身をかがめてタルカスと顔を突き合わせた。
「よろしくね、タルカス君。……短いあいだだけど、お世話になります」
◆
「んふあぁぁ……あっあっ……ああっ――んあぁぁぁ!」
艶めかしい喘ぎ声を上げて、リューリィが達する。ぴんと反らせた体が小刻みに震え、少ししてその浮いた背がぐったりと床をなめた。
力を奪われているリューリィの体に許されているのは、ほんの僅かな反応だけだ。
そのなけなしの権利を、リューリィはキロの意のままに快楽に翻弄されていることを示すことに行使してしまう。抗うことはできなかった。それをするには、押し寄せる感覚はあまりにも激しすぎた。
普段は色白なリューリィの体は、熱を帯びてほんのりと赤く染まっている。激しい息遣い。
先ほどまで頑なに保ち続けていた無表情は――いまは見る影もなかった。目はとろんと夢見心地に淀み、口はだらしない半開き。そしてそこから涙と唾液の筋が顔を伝っている。
……キロの予告の通り、リューリィの体と心は確実にとろけさせられていた。
「はい、いまのできっちり十回目ー」
くじの当たりを告げるように景気良くキロは言い、リューリィの秘所に根本まで突き入れていた指を抜いた。粘りのある蜜が糸を引く。
指にまとわりつくそれを眺めていると、いちだんと征服欲が満たされていくのをキロは感じた。幾らでも他者を操ることができるからこそ、そうでない手段に人一倍のこだわりを抱くこともある。
「お前の弱いところはもうわかったから、いかせ放題だ。欲しいというならあと十回でも二十回でもご馳走してやるが……きりの良いところで訊いておこう。気持ち良いか?」
キロはリューリィの顔に自分の顔を思い切り近づける。リューリィは息を乱したまま、ふいと横を向いた。
……キロはかすかに眉をひそめ、濡れた指をまたしてもリューリィの下腹部に持っていき――そこにある突起をきゅっとつまんだ。
「きゃうぅ!」
リューリィは小さく跳ねる。もし体の自由が利いていたなら、飛び跳ねんばかりにのけぞっていただろう。
「気持ち良いか?」
キロは繰り返す。
リューリィは顔をそらしたまま固く目を閉じる。しかしそれはキロの嗜虐心を掻き立てるだけだった。
キロはすでに何もかも把握しているという手つきで指を秘所の中に挿し込んでいき、中で激しくそれを回転させ、リューリィのもっとも弱いところを激しく刺激した。
「うあぁ……あはあぁぁぁ……!」
リューリィは思わず目を見開いてしまう。
その鳴き声は拒絶のようでもあり、懇願のようでもあった。
キロはそんなことは訊いていないとばかりに、肉壁に締めつけられた指を蟲のように蠢かせながら、三度同じ質問を繰り返した。
「気持ち良いか?」
「くっ……ふううぅっ……うあうっ……」
リューリィは答えない。
答えられないわけではないことは、キロには理解できている。リューリィに咬みついているいま、彼女の頭の中は読み放題だからだ。
まだ彼女には理性が残っている。いや、正確に言えば、キロがあえて残してある。しかしそれでは駄目らしいということにキロは思い至った。
「……なるほどね」とキロは言い、リューリィから顔を離して立ち上がった。「足りないのは屈辱か? 女同士では心はとろけきらないか? ――ならこういう趣向で行こうじゃないか」
キロがそう言った直後――扉の向こうから、一階で相まみえた五人の男達が部屋に入ってきた。テトラ、ハキルと合わせて、これで現在キロの操っている全員が同じ場所に集まったことになる。
キロは芝居がかった仕草で、ぱちんと指を鳴らした。それを合図に、テトラを除いた六人の男達が、一斉に自らの服に手をかけ始めた。
程なくして、六人は一糸まとわぬ姿になる。
リューリィはそれを力のない瞳でぼうっと見つめていたが――キロには伝わっていた。彼女がいま抱いている、その感情を。
そうか、そうか――キロの中のもっとも冷徹な部分が満たされていく。
「それじゃあ――宴といこうじゃないか」
キロは言い、倒れたリューリィを横から眺めることのできる位置にある古びた椅子に腰かけた。そして裸の男達はリューリィの足元へと集まっていく。
「ぐっちゃぐちゃにしてあげる」とキロは言い、自分の唇を指でなぞった。「――やれ」
……そして悪夢の宴が幕を開けた。
まずはハキルから、リューリィの両足を無造作に開き、いつの間にか雄々しく隆起していたそれを彼女の中に何の前振りもなく突き立てる。そして少しずつ角度を変え、姿勢を変えながら前後運動を繰り返し――やがてリューリィの中に己の精を容赦なく放つ。事が済むとハキルは掴んでいたリューリィの両足を投げ捨てるように手放し、後ろへ下がる。代わりにべつの男がリューリィの元へと近づいてきて、その細い腰を両手で掴むと、ハキルのものとはまたかたちの違うそれを一気に根本まで突き入れる。そしてそれを激しく抜き差しする。己の意思を持っていたときにはあり得なかった力でリューリィを突くたびに、彼女の体が宙に浮き上がる。――そしてこの男もリューリィの中に精を放つと、何事もなかったかのように立ち上がり、後ろへ下がる。次の男はリューリィの体をひっくり返してうつ伏せにすると、無理やりに膝立ちの姿勢を作らせ、背後からリューリィを突き始める。その動きはだんだんと激しくなり、精を放つ直前の一突きはリューリィをその一物で持ち上げるようなかたちになる。――事が済むと男は下がっていき、次の男へ。その男はまた異なるかたちでリューリィを蹂躙し、そして次の男へ。……やがて再びハキルの出番が巡ってきて、元通りの精力を取り戻したそれでリューリィの中をこれでもかとかき回す。それが終わると次の男が。そしてまた次の男が――。
――延々と繰り返される行為。
リューリィはひたすらによがり狂い、逃れられない絶大な快楽の渦に飲まれていた。
男によって微妙に異なる感触。その突き方、奥への当たり方。
ただ一つ共通していたのは、男達のそれがリューリィを顧みない極めて暴力的なものであったことで――いまのリューリィには、その暴力性はそのまま、快楽の強さと結びつくものであった。
頭の中が何度も爆発した。
常識ではあり得ない感覚を前に、リューリィの理性はなす術もなく一枚ずつ剥がされ、打ち捨てられていった。
爆発が起きるたびに頭の中は白くなっていき、存在の弱いものからその白さに紛れて姿が見えなくなっていく。少しずつ少しずつ、いろいろなことがわからなくなっていく。
その感覚は、蛇を通してすべてキロに伝わっていた。リューリィの小生意気な意地と誇りが徐々に壊されていくのを感じ取り、キロは得も言われぬ恍惚に打ち震えていた。
ああ楽しい、ウチはいま、あの金獅子を底の底のどん底に突き落とそうとしている――。
……しばらくして、キロはふと立ち上がった。それと同時に、ちょうどリューリィを突いていた男が、そのままの姿勢で動きを止める。
腰を持ち上げられた状態のままのリューリィのすぐ側に仁王立ちになると、キロは汚物を見下すような目でリューリィを見て言った。
「いい恰好だねー。ある意味、美しいと表現すべきなのかな」
「う……あ……」
リューリィの視線は定まっていない。
キロを見つめ返すことも、ことさらに顔をそらすことも忘れ、どこでもない方向に呆けた顔を向けている。
しかし完全に壊れているわけではない。そのぎりぎり手前の状態だ。キロにはそれがわかる。
だからキロはしゃがみ込み――いかにもわざとらしい手つきで、母親のようにリューリィの乱れた前髪をかき上げ、そして囁くように問うた。
「――気持ち良いか? 金獅子」
「あ……くっ……」
「ん?」
「……いい……」
「もっとはっきりと」キロはなだめるように言う。「ちゃんと言ってごらん?」
「……きも……ち……いい……」
「――ふふ」
はははははっ――という勝ち誇ったキロの高笑いが部屋に響き渡った。
「そうか、気持ち良いか金獅子。それは何よりだ。ウチはお前に本当の快楽というものを教えてやりたかったんだ。もう一度聞かせてくれ。気持ち良いんだな?」
「きもち……いいぃ……」
「そうかー、幸せそうで本当に結構なことだ」キロは言い、そして――もっとも肝心の問を発する。「じゃあこれが最後の質問だね。――国を捨てるか? そうすればもっともっと、さらなる意味で快感を味わうことができるぞ」
「……もっと……きもち……よくなる……?」なぞるようにリューリィは言う。
「そうだ。――捨てるか?」
二度訊ねるつもりはキロにはなかった。ここでリューリィの心を折ることができないのであれば、そのときは――。
「ううっ……うううううっ!」
リューリィは返事をしなかった。代わりに自分の精一杯を示すように固く目を瞑り――子供が駄々をこねるように、ぶんぶんと首を振った。
ほとんど真っ白になった彼女の頭の中に――最後に残されていたのが、テオーリアの姿だったのだ。
キロはさも残念だという風に、ふう、と溜め息をつき――そして冷たく言い放った。
「わかった。じゃあ一回壊れなよ。見届けてあげるから」
キロが椅子に戻ろうと背を向けたのと同時に――再び無慈悲な蹂躙が始まる。
小柄な女体に代わる代わる襲いかかる男達。それを選択の余地なく受け入れ、狂人のように喘ぐリューリィ。その声を、まるで独唱を楽しむかのように堪能するキロ。
……永遠に続くかと思われたその狂宴は、しかしあっけなく第一幕を閉じた。
「――うああああぁぁぁ!」
ハキルの強烈な一突きで、串刺しのように貫かれたリューリィは、ひときわ激しい嬌声を上げ、全身をびくん、びくんと痙攣させると――そのままぐったりとしなだれ、それっきり何も発しなくなった。
――失神したか。
キロは真っ暗になり何も読み取れなくなったリューリィの意識からそれを悟り、ハキルとリューリィを引き離させる。
捨てられた人形のように床に転がるリューリィに再び近づいていき、口元に下卑た笑みを称えながら、その姿を鑑賞する。
……リューリィは完全に意識を失っている。
その赤みを帯びた体は想像を絶する快楽の余韻に浸るように、ひくひくと小刻みに震えていた。
幾度となく蹂躙された秘所は、ぱっくりと開かれたまま、男達の精と自らの蜜でべっとりとぬめっている。
「無様だね、金獅子」とキロは半笑いで言った。心の底から愉快だった。「かの神聖灰色帝国様お抱えの魔人といっても、こんなもん? ただの人間に散々犯されて、あんなに鳴きまくって、尊厳も何もあったものじゃないねー。お前はただの家畜だ。……目を覚ましたらまた続きを始めるよ。そして壊れたそのときに、ウチの操り人形として使ってや――」
――そこでキロは唐突に、その事実に気づいた。
この屋敷が――何者かに囲まれている。
それもかなりの数だ。十人、二十人……いや、三十人を越えている。
自分達のこととは無関係な集団、ではないだろう。そして自分の味方などこの町には一人もいない。すなわち、すべてが敵に他ならない。
確かにウチは金獅子ほどの鼻は利かないが、何故もっと早く気づかなかったのか。
そう自問したキロだが、その一瞬後にはもう答に気づいていた。
……この部屋に、操っている全員を呼び寄せた。全員がネフェルマリンを体に巻きつけていた。すなわち、いまこの部屋はネフェルマリンで満ち満ちている。
自覚している以上に、キロの力は弱まっていたのだ。
しかしどうしてここが?
……そしてキロは思い出す。リューリィが天井に向けて放った「爪」のことを。
あのときは自分を狙おうとしたものが外れたのだと思った。しかしこうなると、あれはいわば救援信号だったのだという解釈が妥当であるように思う。
考え違いをしていた。金獅子には、人間の助けを借りる腹づもりが最初からあったのだ。
どうする――キロは数瞬のあいだに危険と利益を秤にかける。
恐らく周囲にいる連中は帝国の兵だろう。魔人と対峙する準備を万全に整えている可能性が高い。
何より、キロが操っていた連中に輪をかけて、体中に大量のネフェルマリンをくっつけていることだろう。一斉に囲まれたら、蹴散らせるかどうか確証がない。
キロの「蛇」は八匹だ。いまハキルとテトラ、そして五人の男を操り、リューリィの体に細工したことで、すべて使っている。
これを解放して、連中から切り抜けるための武器とするか。それとも七人に周囲の者と戦わせているあいだに退散するか――いや、後者は心許ない。相手が多すぎる。蛇は自ら持っていたほうがいい。
そして――金獅子はどうする?
気を失ったのは間が悪すぎる。操れない。しかしせっかく仕留めた獲物をここに放置して退散するのは勿体ないし、明日の本番にも影響が出る。
では抱えていくか? ……いや、この気配から察するに、自分一人で逃げ切るのがぎりぎりというところだろう。屋敷の敷地の外に出られればあとは何とでもなるが、その短いあいだが厳しい。金獅子はいかにも軽そうだが、抱えて庭を通り抜けられるかどうかの確証が持てない。
……その思考には、キロの最大の弱点が表れていた。
彼女はかつて自分に洗脳が効かなかった理由が洗脳技術の不備にあった可能性を、すなわち、もう一度捕らわれたら今度こそ洗脳されてしまうかもしれないことを、極度に恐れていた。
ゆえにその危険が関わることについて、冒険をすることができなかった。
その結果として、キロは決断する。リューリィと操り人形達をここに置き捨てていき、身一つで逃げ切ることを。
キロはすべての蛇を、この場の全員から切り離す。そして窓へと駆けていき、その外をそっと覗く。
……見える範囲だけで五人。自分が飛び降りて姿を晒せば、その周囲からも瞬く間に集まってくるだろう。
キロは慎重に待ち――目視できる者が三人に減ったところで、窓から勢いをつけて庭に飛び降りた。
いたぞ――という声がして、兵装に身を固めた者達が集まってくる。
着地をしたときの感触でキロには理解できた。連中の身につけているネフェルマリンの数はかなりのものだ。囲まれたらすべてが終わる。しかしこの状況なら何とか逃げ切れる。
キロは全力で庭を突っ切ろうとする。その退路を、人間にしては凄まじい速さで三人ほどの兵が塞ぎにかかる。
キロは一人の剣撃をかわすと同時にその身を蹴り飛ばし、二人めが攻撃してくるより先に蛇に咬みつかせ、三人めからは逃れて、誰もいない一角へと全力で疾走する。
そして塀の先に飛び移り、敷地の外へと飛び降り――そのまま日の暮れたエルグランの、誰もいない区画を走り去っていった。
――とりあえずキロは安堵する。そしてそれから改めて、リューリィを手の内に入れられなかったことを惜しんだ。
楽しんでやったことを後悔するのはウチの生き方に反するが――しかし今回ばかりは遊びすぎたかもしれない。
まさかあいつが救援を求めていたとは。そこに気づいていれば、ある程度あいつをとろとろにしてやったところで、さっさと操る道もあったのだが。
……まあいい。それならそれで、やりようはある。ウチはとにかく楽しむだけだ。
キロはにっと笑い、次に目指すべき場所に向かってその移動速度を上げた。
計画は二重三重に練ってある。理想通りに行かずとも、依頼を果たす手段は幾らでもある。
楽しみにしていなよ、人間達。明日にはとっても面白いものを見せてあげられるから。
エルグランのすべてを胸の内で貶めながら、キロは人にあらざる者の夜の散策を束の間、楽しんだ。
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