第八章 キロと白く爛れた愉悦

 人間にもいろいろな奴がいるということはウチも認める。裕福な人間、貧しい人間。優しい人間、そうでない人間。勇敢な人間、臆病な人間。他人が苦しむのを見るのが嫌な人間、そうでない人間。頭の良い人間、頭の悪い人間。強い人間、弱い人間。まあ数が多いだけあって、その辺はいろいろであると言わざるを得ない。


 その差が何によって分かれるのかについても幾つかの見方があるだろうが、何と言ってもどの親から生まれてくるかというのがいちばん大きなことだ。

 環境も才能も自分では選べないところが多い。あとは運か。

 人間のかたちを作る要因のほとんどは、本人の意思とは離れたところにあるのだ――というより、本人の意思というもの自体、生まれた環境、生まれた時点で与えられた才能、そしてその後の運勢、そういったものに大きく左右されているのだ。


 まあ、人間を観察していると、だいたいにおいて幸せに暮らしている奴はそれを自分の努力の結晶であると思いたがるし、そうでない奴はそれを巡り合わせの悪さだと思いたがる。

 どちらも同じくらい正しくて間違っている。

 生まれたときに与えられた条件が自分の核を作り、その核が自分の全体を作り、それが人生を作る。

 その流れのどこか一部だけを切り取って、威張り散らしたり嘆き悲しんだりするのは阿呆のすることだ。人間の阿呆さはウチにとって笑いの種であるから、そういう意味では歓迎するが。


 話がそれた。

 そのようなわけで人間にもいろいろな奴がいるのだが、しかし連中には、人間としてこの世で生きる限りは逃れられない共通点というものがある。

 それは、どんな人生を進めている奴であっても、糧を得る仕組みについては周囲の奴と同じものを共有しているということだ。

 人間は一人では生きていない。他人とのあいだでああだこうだとやり取りをするわけだが、その際には必ず皆で用いる仕組みが用意される。

 いろいろな奴がいると言うとき、その「いろいろ」とは、その仕組みに対する立場のことを指すのだ。

 隣にいる奴と同じ仕組みに縛られているという意味では、人間はまったく同じものなのである。


 ……という話をすると、いや世の中には決めごとを守らない人間もいるぞという声が出るのだろうが、ウチはそういうことを言っているのではない。

 決めごとを守らない人間も「自分を取り囲む仕組みの中で良い思いをしたい」という縛りの中にいるから守らないのだ。

 不正をして金を得る奴の精神は、金という強い仕組みにしっかり取り込まれている。わかるか? ウチが言っているのはそういう話だ。


 人間を人間たらしめているのはその点だ。

 そしてここからが大事なところだが――すなわち人間でないとは、その仕組みの外側に、いつでも自由に立つことができる、ということを指すのである。

 ――ウチが目指しているのは、そういう生き方だ。それが完全なかたちに至っていないことは認めるが、ウチはそこへ向かって面白おかしく暮らしている。


 ウチは仕組みの底辺に生まれた。

 母親は娼婦だったそうで(後から人に聞いた話だ)、父親が誰なのかはわからない。

 とにかく普通の人間として見ればまともな将来など望むべくもない生まれ方をして、何とか死なずに三歳まで母親の元で暮らしていた――らしい(繰り返すが、後から人に聞いた話だ)。


 三歳のとき、ウチは魔人の力を発現させた。

 母親はどうやら思い切り腰を抜かしたらしく、あっさりウチを捨てた。まあ、もともとウチを鬱陶しく思っていたところに、とどめが刺さったのだろう。

 それでウチは孤児院に入れられたのだが、それも束の間、魔人の力が国に発覚して――いったいどういう経路でそれが国に伝わったのだろうな――ウチは国の持ち物になった。

 そこからはたぶん魔人達にとってはお約束のやつだ。ネフェルマリンだらけの部屋に閉じ込められて、国の忠実な手駒となるべく、ずいぶんと偏った思想を毎日のように聞かされた。いわゆる洗脳というやつだ。


 ただ、どういうわけなのか自分でもわからないのだが、ウチにはその洗脳が通じなかった。

 そういう体質だったのだろうか。それとも連中の洗脳技術に何か決定的な瑕があったのだろうか。

 とにかくウチは――ウチのものの考え方は、物心つくかつかないかの頃からもっとも身近にあった思想にまったく染まらなかったのだ。

 国を愛し、国のために命を捧げるというのが、連中の予定ではウチにとって最優先事項となるはずだったのだろうが、ウチにはまったくわからないままだった。

 ただ一つ、連中に従うふりをしていることがウチにとって好都合であるということは理解していたから、ウチはずっと「良い子」を演じ続けていた。


 初めて仕事を任されたのは十二歳のときだ。

 内容はわかりやすく、暗殺。

 国の安定のために必要なことなのだ、しっかりやってこい、と送り出された。

 すでに述べたようにウチにとっては国なんてどうでもよかったわけだが、義理が半分、気紛れが半分という感じで、言われた通りに目標を仕留めてやった。

 まあ初仕事に選ばれるだけあって、経験薄でも特に問題のない段取りだった。


 そしてそのまま、ウチは二度と元の場所には戻らなかった。


 ウチの能力は人間の意思と肉体を操ることだ。

 まともな頭があれば、この能力一つで一生食うに困らないことはわかるだろう。金持ちになりたければすぐになることができる。権力を手に入れることも簡単だ。

 でもウチはいまのところ、地位や財産は特に築き上げてはいない。


 適当にその日食うものと寝るところをその日に手に入れる生活をしながら、ウチは人間というものをずっと観察してきた。

 人間とは何なのか。人間であることの何が良くて、何が悪いのか。

 学問として書かれたものを読んだこともあるが、ウチが求めているものとは根っこのところから違っていたので投げ捨てた。ウチが知りたかったのは、通常の人間とずれている自分をどう捉えることを幸福と呼ぶべきなのか、ということだったのだ。


 結論はこれまで述べてきた通りだ。

 ウチは人間達が逃れることのできない仕組みから、軽やかに飛び出してやろうと思った。

 決めごと? 金? 権力? そんなものはどうでもいい。関わってもいいし、関わらなくてもいい。すべてはそのときの気分だ。

 自由を得てから二年後、ウチの洗脳の担当責任者であった男の妻と娘を互いに殺させ合うことで復讐とし、それをもってウチは人間ではない道を歩き始めた。


 ……と言うと、やはり疑問の声が上がるだろう。それならば何故いまもなお、暗殺やら何やらの裏の仕事を引き受けているのか、と。


 答は実に単純だ。魔人としてのウチに人間がすがってくるのが愉快だからだ。

 報酬を受け取るのも、生きるために必要だからではない。むしろ発想が逆で、生きるために仕事をして人間から報酬を得る必要などないからこそ、優越感だけを伴う報酬を受け取ることが可能になるのだ。

 ウチが楽しんでいるのはその感覚だ。


 ウチを求めるがいい、人間。ウチに差し出すがいい、人間。ウチはキロ。人間であることを乗り越える魔人、白蛇だ。


 ――だが、そんなウチの気分に大きく水を差す現実が一つある。

 少なくとも存在を確認されている魔人のほとんどが、何らかのかたちで人間の手の内に入れられているということだ。


 ごく普通に人間の社会で暮らしているというのであれば、まだ納得してやらないでもない。

 人ならざる力を持って生まれた者がわざわざそんな平凡な道を、と笑いたいウチもいるが、それを本人が好むならそれもよかろう、と寛大に考えるウチもいる。

 しかし魔人の現実はそうではないのだ。単に人間達に溶け込んでいるのではなく、奴らに見えない鎖で繋がれ、使役させられている。普通の人間より格下の扱いを受けているのだ。


 その結果、人間達のあいだで魔人はどう語られているか?

 力を恐れられていると同時に、魔人とは洗脳し飼いならすもの、という発想が常識のようになってしまっている。

 そんな中にたまにウチのように好き勝手に生きる魔人がいるわけだが、それはあくまで例外であり、やるべきことをやり損なった結果という扱いだ。


 もちろん、あっちの人間とこっちの人間がべつの存在であるのと同じように、あっちの魔人とこっちの魔人もべつの存在である。

 他の魔人がどのような立場に置かれていたとしても、そのことでウチの何かが否定されるわけではない。


 しかし、気分の悪さはどうにも拭えない。

 実際に誰かから言われたわけではないのだが――もし言う奴がいたら即座にこの世から退場して貰う――自由を謳歌している真っ只中で、たまにふとこういう声が聞こえる気がするのだ。

 魔人のくせに、と。


 はっきり言ってしまおう。ウチは人間に平伏する魔人が嫌いなのである。あいつらのせいでウチはそんなありもしない声を聞かなければならない羽目になっているのだ。


 とはいえ、そのことで他の魔人と揉めたりしたことはない。

 無駄に命をやり取りすることになるし、世の中の在りかたをどうにかするために自分を危険に晒すというのは、ウチの理想とする生き方にはまったく反するものだ。

 だから苦々しく思いながらも、これまでずっとそのままにしておいた。仕事でぶつかりそうなときも、あらゆる知恵を絞ってできる限りそれを回避してきた。

 ウチはウチ、あいつらはあいつら。それを徹底してきたのだ。


 ……しかし、今度の仕事はウチにとってだいぶ趣が異なる。

 ウチはこれまで、神聖グランダリア帝国の首都エルグランで仕事をしたことはない。そういう依頼が来なかったのだ。

 たまたまなのか、それとも何か意味があるのかはわからないが、ともあれその結果として、ウチもエルグランへ行ったことは一度もない。年がら年中曇り空であることと、大陸では一、二を争うほど発展したところであるという知識しかない。


 そこに今回、初めて仕事で向かうことになる。そこに待ち構えているものは――。

 ――金獅子。


 風の噂に聞くところによれば、金獅子は洗脳を受けていないらしい。

 それでいて皇家には絶対服従、あらゆる命令を自らの意思で丁寧にこなしてきたのだそうだ。


 何だそれは、とその噂を初めて耳にしたときウチは思った。

 それまでのウチの頭の中には、魔人は二種類しかいなかった。人間から解放された魔人と、それを許されなかった魔人だ。

 その二つを分けるものは、単純に運だ。

 例えばウチがいま自由なのは洗脳に染まらなかったからだし、それはすでに述べたように、ウチか洗脳のどちらかに特別な要因があったからだ。それが無かったら、ウチはいま頃、故郷の国の忠実な僕になっていただろう。


 金獅子は――噂が真実ならば――そんなウチの考えのまったく外にいる。

 その気になればいつでも好き勝手に生きられるだろうに、自ら進んで人間の下についている。

 理由がまったくわからなかった。よほど待遇が良いのだろうか。自らの頭でものを考えることが面倒で、ただ言われたことをやっているだけで美味いものを食えるなら、下僕の立場であることも厭わないという奴なのだろうか。


 ――気に入らない、と思った。そして哀れだとも思った。


 ウチは今回、初めて積極的に他の魔人と相対する気でいる。

 もちろん、目の前に座らせて延々とお説教をする――だけでは済まないだろう。

 しかしウチの目的としてはそれに近い。

 金獅子にわからせてやりたいのだ。いまの自分がどれだけ哀れな選択をしているのかを。手を伸ばせば届くところに人間を飛び越えた世界があり、そこがいかに心地よいところなのかを。


 べつの言い方をするなら――金獅子のすべてを否定し、屈服させてやりたい。


 こっちへおいで、金獅子。

 魔人とはどうあるべきなのか。それを骨の髄まで叩き込んであげる。

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