第六章 金獅子と暗黒の履歴

 テオーリアを敬愛し、彼女に忠誠を誓う者は多い。

 知性も人柄も美貌も申し分ないとなれば当然とも言えるのだが、近衛兵は皆そうであるし、身の回りの世話をするメイド達、その他城勤めをする者のみならず、皇城の外にいる者の中にも、そういう意思を幾らでも認めることができる。

 自分は幸せ者だとテオーリアは思う。

 果たして自分は、皆から受け取っているものに等しい務めをきちんと果たせているだろうか――そんな贅沢とも言える問いを、彼女は毎日のように自らに発している。愛される者には、それだけの責任があるのだ。


 そのような人間達に囲まれて日々を生きるテオーリアだが、その敬愛の心、忠誠の心を誰よりも強く示してくる者は誰かと問われれば、彼女は即答することができる。

 神聖グランダリア帝国の擁する魔人、金獅子だ。


 魔人は洗脳し操るもの、という常識がある。

 実際、そのように扱われている魔人は存在するし、そうでなければ危険であるというのも多くの場合において事実である。

 彼らはしばしば人格のどこかに瑕があり、人の世の良識や義理人情でまっとうに御せないところがある。それを通常の人間がどうにかしようと思ったら、確かに彼らの思考そのものを作り変えてしまうというのは、手っ取り早く確実な手段であると言える。


 だが金獅子は洗脳を受けていない。

 金獅子の存在を知る者、特に他国の重鎮などは恐らく勘違いをしているのではないかと思われるが、金獅子はいまも純粋に自らの意思で動いている。

 何ら強制されることなく、自ら望んでテオーリアに忠誠を誓っているのだ。それも、並々ならぬ熱い忠誠を。


 テオーリアが金獅子と初めて会ったのは五年前のことである。

 それ以前の金獅子がどのように生きていたかについては、然るべき者達の調べと、本人の語ってくれた話を通して概ね把握しているのだが、それは史上最悪とまでは言わないにしても、テオーリアにとっては思わず目と耳を覆いたくなるような酷いものだ。


 金獅子は帝国の南端に位置する村で、異教徒――ゾート教徒の夫婦の子として生まれた。

 大陸を圧倒的勢力で占めているのはミラリア教であり、現在のところすべての国がこれを国教としている。それ以外の信仰は吹けば飛ぶような存在だ。

 決して禁じられているわけではない。少なくとも帝国にはそのような法律はないし、可能ならば消してやろうという思惑もまったくない。

 ただ、これだけ大きな勢力の差があると、自然と民のあいだで、少数派に対する偏見やいわれなき差別が生まれることになる。

 金獅子が生まれた村は、ゾート教の人々がそのようにして追い立てられた末に集まってできたところだった。暮らし向きは貧しく、まともなところに住んでいればまず罹らないような病で死ぬ子も多かったと聞いている。


 金獅子は五歳のときに、魔人の力を発現させた。


 ミラリア教の聖典には魔人についての記述と思しきものが存在するが、ゾート教にはそういったものは存在しないのだという。

 となれば、摩訶不思議な魔人の力を宿した子供を彼らがどのように受け止めるかは、その親、その集落次第ということになる。

 結論を述べるならば、金獅子は親に受け入れられ、他の村人達には忌避された。

 従って、金獅子の一家は村の中で仲間外れのような扱いを受けた。まったくの断絶ではないが、それまであった交流の多くが干ばつのように自然と枯れてしまった状態だ。


 幼い金獅子には大人達の事情をすべて察することはできなかったが、自分を巡る問題が存在することと、両親が苦しんでいることは理解できていたらしい。そして、少しずつ両親が自分を持て余すようになっていったことも。


 両親の心情は察するに余りある。

 当初、無償の愛で我が子を守ろうとしたことは、それだけでも賞賛されるべきだとテオーリアは思う。当たり前の一言で片づけられるほど、親は必ずしも子を愛し、子のために身を犠牲にできるわけではない。しかし金獅子の両親はそれをやろうとしたのだ。

 ただ、それをずっと保つには、現実の生活は厳しすぎた。両親の気高い愛はその厳しさの前に少しずつ削られていき――二年後にあの男が姿を現したときには、もう誘惑に抗う力は残されていなかったのだ。


 ――ボルギル男爵。

 金獅子の人生を決定的に狂わせた人物である。エルグランに居を構える貴族で、様々な事業に関わり、多くの富を得ていることで知られていた。

 貴族といっても千差万別であり、帝国にもほとんど没落寸前の貴族は存在する。そんな中で彼の家は順風満帆、持ち前の外交能力で国内外に顔を広げ続け、彼の代になってからはまさに富が富を呼ぶ状態にあった。

 その恩恵を受けた者も多く、その意味では皆から慕われる存在だったのは間違いない。


 だがそんなボルギルには一点、大きな問題があった。

 それが表に発覚するまでには長い時間がかかったのだが――彼は禁制品に魅せられ、それを収集せずにはいられない男だったのだ。


 本人が語ったところによれば、きっかけは彼が貴族学校へ通っていた頃まで遡る。

 休暇中に先輩の家に招かれた彼は、そこで初めて麻薬を経験した上、防腐処理を施された奇形児の死体を見せられた。

 帝国では麻薬はもちろんのこと、医学的な目的なしに人間の死体を所持することも許されていない。


 ボルギルに然るべき良心と感性があれば、そこで眉をひそめ、場合によってはその先輩を告発したかもしれない。

 しかし残念ながら彼はそうではなかった。むしろ逆に、初めて目の当たりにするその背徳的な世界に強く惹きつけられたのだ。

 先代が存命だった頃の彼の生活は厳しく管理されていたから、すぐに真似をすることはできなかったが、そのことで彼の欲望は余計に膨らんでいった。

 いつか自分も――それがその日以降の彼の、ある意味での生活の原動力と化してしまった。


 その「いつか」は、彼が二十六歳で爵位を継承したことで訪れた。


 彼は飢えた獣が檻から解き放たれたように、無分別にあらゆる禁制品に手を出し始める。

 かつての先輩の真似をして麻薬を吸い、どこかから死体を買ってくるだけで終わるならまだ可愛いものだった。

 彼は中庭で自ら葉を育て、生きた奇形児を買い取って屋敷の中で飼育し、死ぬと自らの手で処理を施し、観賞用に仕立て上げた。

 公にすれば国家的資料となるような古い拷問器具を手に入れ、流れ者を言葉巧みに屋敷に呼び寄せては、その者達を使って機能美を存分に堪能した。

 誰も彼を止める者はいなかった。使用人達は良くも悪くも口が固く、己の職務をまっとうすることにのみ専念していたし、爵位を得てから二年後に娶った妻は、夫に従順であるよう徹底的に躾けられて育ってきた女で、ボルギルの言動に何一つ異議を唱えることはなかった。


 そんなボルギルが、あるときどこかから聞きつけたのが、異教徒の村にいるという幼い魔人の噂だった。


 彼の決断は早かった。

 放っておけばそう遠くないうちに噂は他の者達の耳にも届いてしまうだろう。そうなれば国が動くことは火を見るより明らかで、魔人は間違いなく国の所有物となる。

 そう、噂が発生した時点で、その魔人の自由はもう絶たれたも同然なのだ。ならば――その所有者が自分であっても、本質は変わらないのではないか?


 ――手に入れよう。そう決めた彼はすぐに動いた。


 数人の従者を引き連れて自ら出向いていったところからも、そのときの彼の興奮の度がわかる。彼は一日でも早く、魔人の魔人たるところを自分の目で確かめたかったのだ。

 そして村に到着した彼は村人に目的の家へと案内させ、そこにいた一家に、魔人の力を披露してくれるよう求めた。

 その子は確かに魔人であった。


 ボルギルがそのとき金獅子の両親の目の前に広げてみせた金は、彼らがいまの人生を十回繰り返しても手に入れることのできない額だった。

 ……彼らは疲弊していた。ただでさえ貧しい村で、他の者達の協力もろくに得られない生活を送ることに限界を感じていた。

 しかし原因たる我が子を手放し、この金の一部でも村の皆に手土産として渡せば、少なくともかつての水準には暮らしを戻すことができる。……いや、それどころではない。これを機に信仰を捨てて村を出てしまえば、一生食べるものに困らない生活を送ることだってできる。


 ――両親はボルギルの提示した金を受け入れた。そして代わりに、懸命に守ってきた我が子を差し出したのだった。

 ネフェルマリンの並んだ鎖に拘束され、金獅子はボルギルの屋敷へと連れられていった。


 そのようにして、金獅子の――世にも珍しい愛玩動物としての日々が始まった。


 ボルギルは倒錯した男だった。彼は手に入れた金獅子を愛でると同時に傷つけた。

 不幸中の幸いであったのは、魔人の希少価値がボルギルの他の収集品とは比べ物にならないものであった点だ。ゆえに金獅子の最低限の身の安全は、自由と尊厳が完全に奪われていることと引き換えに保証されていた。


 ボルギルは金獅子の背中に家紋の焼き印を押し、無数のネフェルマリンを施した特別な一室に幽閉して、そこで密かに育て始めた。

 ――否、それを育てたなどと呼ぶことは、金獅子の尊厳をまったく無視した行為だろう。それはやはり飼育と呼ぶべきものだった。

 金獅子は人が人として豊かになるために必要なことは何一つ教わることはなく、代わりにボルギルを悦ばせることだけをその身に覚え込まされた。

 繰り返すようだが、ボルギルは倒錯した男だった。彼は魔人を蹂躙し、魔人に奉仕させることに、天にも昇るような心地よさを感じていた。

 自分は最高の買い物をした最高に幸福な男だ――彼は満たされていたし、実際、そのように魔人を私物化していた者など、大陸で彼の他には誰もいなかっただろう。


 ――その狂った年月に終止符が打たれたのは、ボルギルが別件で吊るし上げられ、屋敷をくまなく捜索されたときのことだった。


 捜索に関わった者達は、まるで世界を二つ内包しているかのような屋敷の在りように言葉を失ったという。

 一見すればそこは栄華を極めたきらびやかな貴族の根城だ。しかし奥へ、あるいは地下へと進んでいくにつれ、禁断の領域が幾つも姿を現し、中には決してそこに存在してはいけないものが数え切れないほどに格納されていた。

 薬、器具、異形の死体、血液の池、そして――生きた魔人。


 ボルギルは逮捕され、金獅子は救出された。このとき、金獅子は十一歳になっていた。


 この後、ボルギルはそれまでの己の収集家としての半生を高らかに自白し、投獄され、裁きが下る前に獄中で謎の死を遂げる。

 心臓の発作と診断されたが、彼には一切の持病はなく、あまりにも突然のことであった。

 いずれにせよ、彼の罪は正式に裁かれることのないまま、どこか放り捨てられたようなかたちで終わりを迎えたのだった。


 そして一方の金獅子は、皇城のとある一室に移された。

 虐待されていた子供であるのと同時に魔人であったから、普通の子供に対してそうするように、すぐに自由を与えることはできなかった。

 その部屋は内側からは開けない扉で閉ざされ、やはりあちこちにネフェルマリンが施されており、その点だけ見ればボルギルの元にいた頃と変わっていなかったかもしれない。

 しかしもちろん金獅子を弄ぶ者はもういなかったし、温かい食事も賄われたし、きちんとした服も与えられた。ボルギルに飼われていたあいだ、金獅子はずっと裸だったのだ。


 ――テオーリアが父から、救出された魔人に会うよう言われたのは、後に確認したところによれば、救出劇から半月ほど経った日のことだ。


 そのとき、テオーリアは十二歳。

 魔人の存在は知っていたし、その特性についての知識もあったが、実際にその目で魔人を見たことは一度しかなかった。シュケル王国の朱月だ。

 しかしその一度が金獅子との邂逅には良い方向に働いていたと、テオーリアは回想する。それがなかったら、彼女にとっての魔人は、帝国に攻めてきて曇天を残して死んでいったという黒羽でしかなかった。

 その場合、きっと金獅子に対しても悪い意味での警戒を見せてしまっていたのではないかと思う。恐らくそれでは駄目だった。


 案内されたその部屋に足を踏み入れ、初めて金獅子を見たときのことを、テオーリアは忘れない。

 ……あんなにも怯えた表情で誰かから見つめられたことはなかったし、よほどの事態が起きない限り、今後も二度とないだろう。

「あの魔人の心を溶かしてみせよ」と皇帝はテオーリアに命じた。「お前が適任だ」


 いまなら父の狙いも理解できる。

 捨てられ、傷つけられ、人を恐れることしかできなくなった金獅子に、改めて人の温もりを伝える――その最初の人間に皇女である自分がなることで、うまくすれば魔人を自然なかたちで手の内に入れることができるかもしれないと考えたのだろう。

 当時、帝国の軍備拡張に関して、外からの批判の声がかなり強くあった。その時期に魔人を発見し洗脳したという話が各国の中枢に広まれば、余計な波紋となり得たのだ。


 だが当時のテオーリアはそういうことよりも、父が自分に与える教育の一つなのだろうという理解をした。

 皇女として日頃学んでいることとはまったく毛色の違うものであったが、それ以外に自分がその役を命じられる理由を思いつくことができなかった。

 人を優しく包み込むことに長けている使用人など幾らでもいるだろう。この魔人と同じくらいの年齢の子が必要というなら、やはりそれも簡単に用意できるだろう。でもあえて皇女という立場の自分にそれをさせるのだ。


 テオーリアにはそのときすでに、一人前になることへの強い向上心と義務感が備わっていた。

 父の命をそのように解釈することは自然なことだったし、恐らく父も自分がそう考えることを見越していたのだろうとテオーリアは思う。


 彼女はまず語りかけることから始めた。

 自分が何者であるのか、ここがどんな場所であるのかを丁寧に説明し、もうつらい思いをしなくていいのだということを何度も何度も、染み込ませるように金獅子に語りかけた。

 考えようによっては、その積極的な行為は洗脳に近い性質を持っていたのかもしれないが、通常の意味での洗脳との最大の違いは、テオーリアに一切の他意がないことだった。

 彼女は愚直に、金獅子の心を溶かそうとしたのだ。

 最初に目にした怯える金獅子の表情から、すでに十分すぎる同情の念を金獅子に対して抱いていた。この者の心を救うことが自分の学びというのであれば、全身全霊を傾けようではないか――十二歳の彼女は誓うようにそう考えたのだった。


 べつの言い方をするならば――テオーリアは金獅子の友になろうとしたのだ。


 そのまっすぐな姿勢が通じたのだろう。金獅子の態度から少しずつ怯えが消えていくのをテオーリアは実感した。

「はい」と「申し訳ありません」しか口にしなかった金獅子が、初めてまともな言葉を紡いでくれたのは、出会ってから半月ほど経ったある日のことだ。

 いまでも彼女はその言葉をよく覚えている。

 年齢の割に言葉を知らない金獅子が初めて自分に贈ってくれた言葉は「おやすみ」だった。いつも夜の別れ際にテオーリアが金獅子にかけていた言葉を、金獅子はそのまま自分から発したのだ。

 後にそのことを金獅子に言うたびに、金獅子は心底恐縮してみせる。言葉を知らなかったとはいえ、皇女殿下にあのような口の利き方を――と弁明する金獅子の姿が、テオーリアには微笑ましいものに映る。


 やがて会話らしきものが成立するようになり、その辺りを境に二人の距離はどんどんと縮まっていった。

 時には同じ料理を二膳持ち込んで共に食事をし、時には幾つもの遊具を持ち込んで共に遊びに興じる。

 いつの間にか金獅子が自分の中の小さくない部分を占めていることにテオーリアは気づいた。考えてみれば、同じ年頃の相手と身分を一切考慮しない交流をするのは初めてのことだったのだ。


 金獅子は賢い子供だった。テオーリアとのやり取りから学び得るものを、それまでの遅れを取り戻すべく、目覚ましい速度で学んでいった。

 テオーリアを通じて、外の世界のこと、テオーリアを取り巻く状況のこともよく理解していった。子供同士の会話にしては高度なやり取りも、珍しいものではなくなった。


 そんな金獅子が、部屋から出たいと言い出したのは、一年ほど経ったときのことだ。

 その理由は明白であり、実にいじらしいものだった。

 テオーリアの役に立ちたい。たくさん勉強して、強くなって、テオーリアを守る騎士になりたい。自分の特別な力を、テオーリアのために使いたい。


 テオーリアは父に、金獅子の意思をそのまま伝える。そして判断を仰いだ。

 理屈で考えれば危険極まりない話だった。要するに、洗脳も施していない素の状態の魔人を、外に解き放つというのである。

 いくら皇城の重要な箇所にネフェルマリンが仕込まれているといっても、その程度では安全とは程遠い。テオーリアもそのあたりは承知していたから、一か八かの思いでそれを申し出たのだった。


 ――皇帝エルハディオ七世は、それを了承した。

 当のテオーリアも含めて、皇帝のその決定は事情を知る者達に驚きをもって迎えられた。

 そしてテオーリアを除く他の者達は、少なからず恐怖した。皇城内を魔人に好きなように歩かせるというのだから、その反応は至極当然のことだったと言える。

 中には何らかの処分を下されるのを覚悟の上で、その危険性について皇帝に進言する者もいた。しかし皇帝はいつもと変わらぬ揺らぎのない言葉で短く言い切ったのだった。あの魔人に危険はない、と。


 その言葉を受けて、テオーリアはようやく肩の荷を降ろしたのだった。

 魔人の心を溶かす。その命を見事に果たしたことを、父が認めてくれた証だった。

 そしてこのとき、金獅子はその二つ名を与えられたのだった。命名したのは皇帝であり、その由来は金獅子が彼に披露してみせた能力である。


 そして金獅子の学びの日々が始まった。

 学問の基礎から始まって、皇女への本来あるべき立ち居振る舞い、各種の礼儀作法、そして格闘術。それらすべてを、真綿が水を吸うように身に着けていった。

 一年、二年と経過する頃には、もうかつての、まともに育てることを放棄された子供の跡は残っていなかった。捨てられなかったのは唯一、背中の焼き印だけだった。


 すべてはテオーリアのためであると金獅子は公言して憚らなかった。

 もちろんテオーリアにとってその想いはありがたいものだったが、一抹の寂しさを感じないでもなかった――対等の口を利くことは、もう二度となくなってしまったからである。


 金獅子の初仕事は二年目の夏、エルグランのどこかに潜んでいると推測される暗殺者を連行することだった。

 皇帝が発したものだが、金獅子に直接命令を下したのはテオーリアである。

 そのときの彼女の心情は語るまでもないだろう。金獅子にその手を汚させることが彼女にとってどれだけ悩ましいことだったか。


 しかし一方の金獅子は発奮していた。

 金獅子にとっては命令の中身は問題ではなく、ただそれがテオーリアの利になることであるかどうか、自分の力が必要とされているかどうかが重要だったのだ。


 金獅子の――魔人の力は強力だった。

 自宅で暗殺者に殺された大臣の遺体から暗殺者の気を読み取り、その気を持つ者をエルグラン全体から探し当て、真夜中の町を人ならざる速さで走り抜けてその暗殺者の元へと赴き、一瞬で両腕と片足を奪い、皇城へと連行した。

 暗殺者も一対一での戦闘には長けているはずだったが、金獅子の敵ではなかった。

 力を開放しているときの金獅子には、ただの人間の持つ刃物では傷一つつけることができないし、腕をとって押さえ込んでみたところで、人間離れした力ではね返されるだけなのだ。


 それ以後、金獅子はたびたび仕事を引き受けることとなった。

 金獅子の能力は徹底して戦闘向きであったから、必然的に血生臭い役目が多かったが、金獅子は意に介さなかった。

 むしろテオーリアが顔を曇らせることが金獅子にとってはつらいことだったようで、気にしないでくれるよう何度金獅子に懇願されたか、テオーリアは覚えていない。


 出会いから三年が経ち、もはや魔人の力を抜きにしても一流の護衛たり得る存在となった金獅子に、テオーリアは新たな命を下した。

 それは金獅子がこれまでの教育では身につけることのなかった唯一のものを身につけるための、まったく異質な修行である。


 その命を下したとき、金獅子は少なからず驚いていたようだったが、そなたには是非とも必要なことだ、というテオーリアの言葉を受け、一切の異を唱えることなくそれを拝命した。

 テオーリアの胸は高鳴っていた。これで今度こそ金獅子に与えられるものをすべて与えたことになる。この修業を終えた暁には、金獅子はきっといま以上に生きることの喜びを享受できるようになるだろう。どんな風に変わってゆくのか、楽しみだ。


 ――それから一年が過ぎ、時は現在に戻る。


 金獅子の修行はいまも進行中である。

 最初のうちこそいろいろと戸惑うこともあったようだが、最近はこなれてきたようで、顔を合わせるたびに様々なことをテオーリアに伝えてくる。

 その様子から、順調であることが窺える。彼女が計画した通りに事は運んでいる。


 ……それだけに、今度の式典の存在が残念でならないとテオーリアは思う。

 皇帝は、もし刺客が送られてくるならばそれは魔人であろうと見当をつけている。そしてそれを撃退する役割を金獅子に与えた。

 そこには、異能力には異能力を、ということの他にも隠れた意味がある――皇帝は金獅子をできるだけ単独で動かしたいのだ。


 そこには幾つかの思惑が働いている。

 まず、基本的に皇帝は金獅子を動かした形跡を残したがらない。これまで金獅子が請け負ったすべての仕事が単独でのものだったことからもそれがわかる。

 例えそれが近衛兵のような信頼の置ける近しい者達であろうとも、可能な限り金獅子の仕事を隠し通したいと考えているのだ。知る者が多ければ多いほど、情報は外部に漏れるからである。


 次に、今回は敵も恐らくは魔人であり、こちらの動きを気配で察することができる、ということが挙げられる。

 金獅子一人ならば追跡できるかもしれないところで、ただの人間を引き連れていては遅れをとる可能性があるのだ。


 さらには魔人の弱点の問題もある。

 魔人が相手なら、味方にはネフェルマリンを装備させることになるが、それは金獅子の力も奪うことになる。

 そして味方の眼も金獅子には負の方向に働く。結局、金獅子は味方から離れて行動せざるを得ないことになるのである。


 そして何より――黒羽を倒した際に出したおびただしい犠牲者の数が、ただの人間を動員することを躊躇させているのだろう。

 従って、金獅子一人で刺客を撃退せよということになるのだ。


 ……しかし、もし皇帝の読み通りに魔人が刺客として送られてくるのであれば――金獅子が魔人を相手にするのは、初めてのことだ。

 これまでと同じようには事を運ぶことができない可能性が高い。


 いまのテオーリアはもちろん理解している。

 皇帝は単なる慈悲で金獅子にテオーリアをあてがったわけではない。テオーリアに気の置けない友人を作ってやろうとしたわけでもない。

 まさに今回のような状況のために、金獅子をいわば子飼いにしたのだ。


 ……言うまでもなく、金獅子もそのことを理解している。理解し、すべてを受け入れている。

 お互いに難儀な立場だな、とテオーリアは金獅子に言ったことがある。

 金獅子は跪いたまま淡々と答えた。自分は皇女殿下の影の騎士であること。自分の命は皇女殿下のためにあるのだということ。それがすべてであり、それをまっとうすることが自分の幸福であること。


 その言葉を、テオーリアはそのまま受け取るしかない。皇女とそれに仕える魔人。少なくともいまは、それ以外の関係でいることはできないのだ。


 ――でも、とテオーリアは思う。

 式典まであと半月足らず。もしそれを無事に終えることができたら、その後少しして自分の誕生日が来る。

 その日一日だけは、かつてのように対等な関係に戻って、いろいろ語り合ってみないか?

 誕生会のあと、夜がどっぷりと更けるまで笑い合ってみないか?

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