第5話 幸子の場合
私は翠が嫌いだ。
大学に入ってから常に翠は隣にいた。
同じサークルに入り、同じ授業をとり、同じ人を好きなった。
ミキオに先に目をつけたのは私だった。
「ただデカいだけじゃん」
そう言っていた翠は、一ヵ月後にはミキオのことをよく聞いてくるようになった。
「ミキオっていつも何してるのかな」
「ミキオって、バスケ好きなの?」
「カラオケ何歌うのかな」
私が必死で集めた情報は直ぐに翠に流れた。
ここまではまだ、翠のこと好きだったと思う。
「さち、ミキオのこと好きなの?」
「うん、まあね」
照れながら答える私に、
「じゃあ、宣戦布告するね」
そう言って笑顔を見せた彼女に、私はあっけにとられたままだった。
デカいだけと言った日から二ヶ月経った時だった。
「ごめん、さち、私ミキオと付き合うことになった」
勃発した戦争に、私はほとんど何も出来ずに一ヶ月で敗戦した。翠以外に伝えていなかった恋心は、このまま誰に伝えることなく私は三日間泣き続けた。
三日間泣き続けた最後の日に、この恋は始まっていなかったのだと自分に言い聞かせた。
この頃から翠のことが嫌いになった。
翠の幸せは私の不幸だった。
翠が笑えば私は悲しみながら一緒に笑い、ミキオと喧嘩したと聞けば心の底で喜んだ。
翠とミキオは私に何人か男の人を紹介してくれたし、合コンも開いてくれた。
どの男もミキオほどいい男ではなかったし、まるで翠に情けをかけて貰っているようでむかついた。
「さち、誰かいい人いた?」
翠が開いた合コンで一緒にトイレに行くとそう言ってきた。
ミキオがいい。
私は心で呟きながら翠をみる。
「なかなかね」
私の言葉はただ宙に舞って洗面台の底に落ちてズッと流れる。
翠の紹介で付き合った人もいた。でも、やはりミキオのことが好きで直ぐに別れた。
ただ、翠のことは嫌いだったが、翠から学んだこともある。
それは、自分に素直に生きること。
だから私はミキオに告白することにした。
「私、ミキオのこと好きだよ」
テストが終わりミキオを呼び出し、開口一番私はそう言った。
ミキオの顔はみるみる困惑顔へと変わって言った。リトマス試験紙みたいでおかしかった。笑いそうになるのを堪え、ミキオの反応を待つ。
「どうして」
どうして?
好きに理由なんて必要か?
勝手にそんなことを思っていると、ミキオは続ける。
「ごめん」
やっぱりミキオはいい男だ。そう思いながら少し笑う。
「知ってるよ」
私は答える。
少しすっきりした瞬間、翠の幸せそうな顔が浮かんで、なんだかムカついた。
「私の方こそごめん、翠がいるのを知りながらこんな告白なんかして」
そう言いながら、私は少しだけ落ち着いていた。落ち着くと何だか惜しい気がしてきた。
「ねえ、一つだけ我儘を聞いて」
ミキオは困った顔を崩さず、出来ることならと請合ってくれる。
「私を一回だけ旅行に連れて行って。私とミキオ二人だけで」
「それは無理だよ」
ミキオの答えにここで引くわけに行かない。
「そうすれば、ミキオのこと諦められるから」
私は感情的になる。慣れない感情というものに涙が溢れる。
「そうすれば翠との関係も崩れず三人の仲はこのままでいけると思うの」
「翠はこのこと知っているの?」
「翠は知らない。知らせないほうがいいと思う」
ミキオはしばらく考え、頷く。
「分かった。一度だけ」
ミキオとの旅行は、春休みが終わる直前で、ミキオが帰省を終えた直後ということになった。
旅行までの二ヶ月間私は自分を磨いた。雑誌はいつも以上に熱心に読み。新しく服を買い。特にダイエットは、半身浴をし、草ばかり食べ、ジムへ行くことによって、二ヶ月の間に三キロと少し痩せ、旅行三日前には髪を切りにも行った。
恋の力って凄い。
自分の努力に感心しながら、当日の朝を迎えた。
「おまたせ」
ミキオが車のドアを開け、二泊三日の旅行が始まった。
遊園地へ行き、たくさんの乗り物に乗ったけれど、ほとんどの記憶はミキオの顔だった。
ミキオの驚いた顔、笑っている顔、絶叫している顔、振り向いた瞬間の顔。
やっぱり私はミキオが好きなんだ。
絶叫マシーンに乗りながら、
「ミキオ大すき」
なんて叫び声、ミキオには聞こえただろうけど、ミキオはこちらを振り向きもせずオーオー叫んでいた。
私は中学校の頃初めて行ったデートの遊園地をなぜか思い出し、一人で笑った。
「おなかすいた?」
陽が落ちても、ミキオはいつもの優しいミキオだ。
「すいた」
「じゃあ、そろそろ旅館に行くか」
「うん」
温泉は気持ちよかった。
ナトリウムイオン、塩化イオン、それぞれに数字が書いてあるがそれが身体にどういいのかわからない。PH8と書いてあり、アルカリ温泉であることは分かったけどそれだけだった。
効能は筋肉痛、疲労、冷え性などが書かれている。傷心には効かないらしい。
景色は綺麗だった。流れる川を微かに隠すように桜の花が垂れて見える。見事な景色に一瞬だけミキオのことを忘れていたのに、少し時間がたてばミキオのことを考えていた
。
ミキオを考えると必ず翠が顔を出した。
ミキオの隣にはいつも翠がいた。
ミキオと私の間には常に翠がいて、私を誘うのは常に翠だった。
本当は翠にむかついていたんじゃなかった。
でも憎まずにはいられない。
自分自身の不甲斐無さに気がつくと悲しくなってきた。ぽろぽろと流れる涙は止まらず顎から次々と落ちた。浴槽から出て、シャワーを顔から浴びる。
ただ無心に、心地よい温度に身をゆだねる。
風呂から出ると、身体を拭き帯を締めながら、気持ちも同時に締めなおす。
よし、行ける。
鏡の自分に向かって声をかける。
八時より少し早めに出ると、すでにミキオはいた。
ごめんまった?
その言葉は咽を超えることは無かった。牛の反芻のように、言葉はお腹の中へ戻り留まった。
ミキオは困惑顔のまま携帯を持っていて、私には気がつかない。
帯の結び目にもう一度力を入れる。
ミキオが携帯をしまうのと同時にミキオの元へ辿り着く。
「翠から?」
ミキオは隠さず頷く。
当然だろうけど。
また翠。
泣きそうになるのを堪え、笑顔を作る。
それもでも一瞬の間で悲しくなる。
好きな人と一緒にいるのに、唯苦しかった。
ミキオはもっと苦しいのではないだろうか。
ふとそう思った。
「ごめんね」
「どうしたの。急に」
ミキオはこんな私にも優しい。
「私、やっぱりミキオのこと好きだよ」
言葉は漏れる。
「ごめん」
ミキオが謝る。
そんなつもりは無かったのに。
「ご飯食べよ」
私の言葉にミキオは笑顔を見せる。
ミキオの笑顔に救われた。
ありがとうミキオ。
聞こえないよう言ったらちょっとだけ幸せな気分を感じていた。
しゃぶしゃぶを食べながらお酒を飲むと、気まずかった雰囲気が少しずつ溶けていった。
ミキオが肉を食べる姿は性欲的だった。
翠はもうミキオに触れている。
私の大好きなミキオに。
部屋に着くころには気持ちが抑えきれなくなっていた。
布団に飛び込むミキオに
「ねえ」
多分私はそう言った。
感情のままにミキオに触れキスをする。
私の全てがミキオを求めた。縺れ合うように、思うままにセックスをした。
ミキオの上に乗り、私は腰を動かす。
感情は加速し、私は声を漏らす。
「ミキオ、ミキオ」
私は何度もミキオの名前を呼ぶ。
ミキオの子供が欲しい。
そう思った瞬間、私はしりもちをついていた。
突き飛ばされたんだ。気がついた途端涙が出た。ミキオの前では泣かないって決めていたのに。
もうどうでもいいや。
私は思いっきり泣いた。
子供みたいに声を上げて泣いた。
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