第4話 ミキオの場合
「私、ミキオのこと好きだよ」
大学の後期試験が終わり、ほっとした僕は幸子に呼ばれ、そう告げられた。
「どうして」
他に言葉が浮かばなかった。
幸子は付き合っている翠の友達で。三人で時折遊びに行く仲ではあったけれど、ただそれだけだと思っていた。
まだ冷たい風が僕の頬をひたひたと叩いて通り過ぎた。
「ごめん」
そう言った僕に彼女はにっこり微笑んで即答する。
「知ってるよ」
そのままこの関係を壊さないためにというわけの解らない彼女の理論から、二人で三日間の旅行へ行くことになってしまった。
「お待たせ」
「ううん、来てくれてうれしい」
そう言って微笑みながら、助手席に座る幸子は二ヶ月ほど見ないうちに綺麗になっていた。
「何だかわくわくする」
こちらの杞憂も気にせず一人はしゃぐ幸子の言葉に笑顔だけで答える。
僕らはそのまま那須の遊園地へ向かった。混み過ぎていない遊園地は好きだ。会話に困ることもなかったし、絶叫マシーンはそれなりに面白かった。
空が暗くなり、僕らは宿へ向かうことにする。車内でも特に話すこともなく、お互い好きなCDをかけ合った。
チェックインを済ませると、迫り来る夕飯の時間に間に合うように温泉へ行くことにした。
「じゃあ、八時にここで」
マッサージ機やソファーのある広間でそう言うと、
「うん」
少し間をおいた後に幸子は小さく頷く。
温泉は広く、心と体が休まった。
どう考えても泊まるのは不味かっただろう。
冷たく突き放すべきだっただろうか。
直ぐに翠に連絡するべきだっただろうか。
三人の関係はもう戻らないところに来てしまっているのかもしれない。
そう思いながら身体を洗い、髪の毛を洗う。
小さな露天風呂では、自分の他に誰もいなかった。景色を眺めると暗闇に映えた桜を光に照らされていた。不気味な美しさが闇夜に浮かんでいるようだった。
綺麗なはずの桜がなぜこんなに淀んで見えるのか?
そんなことを考えながら風呂に浸かり、身体を温め、限界が来ては夜風で身体を冷やした。
繰り返していくうちに頭はぼやけ、考えることが面倒になってきた。
ただなんとなくの疑問が浮かび、何も消化されずに消えていった。
―あいたい―
七時半に風呂を出ると、携帯に翠からのメールが入っていた。
翠には二週間帰省していることにしていたが、実際には十日間帰省し、その後、幸子と合流している。
帰省のことを、一応笑顔で答えてくれたのに、二週間は長過ぎただろうか。
幸子がまだ出てきていないのを確認し、翠に電話をかける。
「もしもし」
「ミキオ?」
「ゴメン、今風呂入っていたから」
いつもより元気のない声に少し心配になる。
「どうしたの」
僕は続ける。
「ちょっと悲しい映画を見たら声が聞きたくなって」
汐らしい彼女の声は僕の頭を悩ませた。
「それだけ?」
「うん、それだけ。でも電話してくれてうれしかったよ」
ゆっくりしてきてね。
彼女はそう付け加えて電話を切った。本来なら、今すぐ帰るべきだろう。ゆっくりと携帯をしまいながら考える。
今帰るといったら幸子はなんて言うだろうか。
「翠から?」
いつの間にか風呂から上がっていた幸子が近づきながら聞いてくる。
「うん」
彼女の顔は一瞬膨れっ面を見せた後にいたずらっぽく笑って見せた。幸子の普段あまり見せない表情の変化は可愛らしかった。
何故幸子とここにいるのだろうか。
ふと振り出しの疑問に戻りながら僕は幸子の顔を再び見た。
「ごめんね」
幸子が謝る。
「どうしたの。急に」
戸惑った。
「私、やっぱりミキオのこと好きだよ」
沈黙が二人の間を横切る。
「ごめん」
幸子は泣きそうな顔から笑顔を建て直す。
「ご飯食べよ」
笑顔で頷く。きっと今回はそれなりにうまく笑えた。
夕飯のしゃぶしゃぶは美味しかった。
肉を食べ、ビールを飲み、また肉を食い、日本酒を飲む。そして、少しずつ酔っていき、少しずつ愉快になっていった。
部屋へ戻り、敷かれた布団に飛び込む。眩暈のような睡魔が襲ってくる。
「ねえ」
幸子がキスをする。
「ミキオ」
そう言ってたくさんのキスをする。
首筋、頬に、馬乗りになり幸子の手ははだけた僕の胸に触れ、まだ濡れている髪が頬にたれた。
何とか抵抗しようとする僅かばかりの理性とは別に、もう一人の本能はやる気満々になっていた。
本当は最初から解っていたんだ。
二人きりの旅行を決めたときから。
「知ってるよ」
幸子の言葉が思い出される。
頭をすばやく振り、マウントポジションに入れ替わる。
手を絡め、キスを返す。おでこに、顎に、鎖骨に、胸に。
ゴムを取り出そうとする間に幸子が上に乗り、そのまま幸子の中に吸い込まれた。
気持ちよくなればなるほど焦りが出る。
まずい、まずい。
心の中で呪文のように繰り返しながら最後は幸子を突き飛ばしていた。
「ごめん」
幸子は泣いていた。
ほとんど脱がされた浴衣と布団を汚したもう一人の僕は、情けないように萎れていた。
ああ、僕と同じか。
残りの二日間は気まずい雰囲気が流れたまま過ごした。会話が少なく、ジンギスカンは草の味がした。翠に会いたくなってきていた。罪悪感を残したまま、幸子と別れ家に着きシャワーを浴びると、翠にメールを送った。
―ただいま―
直ぐに翠から電話がかかり翠の家へと向かった。
三日間翠に元気をもらい、二人で大学に向かった。
新宿で翠と歩きながら、帰省時の話をする。携帯がなって直ぐ切れた。
寄り添う翠に取れなかった携帯を、翠が自分の携帯を覗いた瞬間に見た。
幸子からの電話だった。
僕は電話を再びしまうと翠に向き直る。
「だれから?」
そう聞くと、
「サチから。今日大学休むって」
翠が答える。
サチという言葉に反応しそうになる。
「そうか」
僕はそう答え、急いで先ほどまでの話に戻す。ふと腕を引っ張る翠に、ドクンと心臓が高鳴る。
「ねえ、私たちも大学サボって携帯買いに行かない」
何とか落ち着きを取り戻す。
「ああ、そっか。お前の携帯もう4年も使っているもんな」
笑顔でごまかす。
僕等は雑踏の駅を抜け、外に出ると、近くの携帯ショップに向かう。
太陽は春だというのに、決して暑くないのに刺さるような光を発する。
幸子のことをどうしようか。
考えながら見る空は晴れていた。
無駄に晴れていた。
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