第9話  ~キスの味~

卒業式。

入学してから2年近くを一緒の校舎で過ごしてきた先輩達だけど、部活以外の接点は希薄で、俺が2年生になってすぐの6月半ばからは部活でもほとんど会わなくなっていた。その先輩達が卒業すると言っても、俺には何の感情もなかった。

家もそんなに遠くないのだ。会いたいと思う先輩がいるかどうかは別にして、会いたければ会える。


 そして卒業式当日。

ただ座って、時々立って口をパクパクさせていればよくて、在校生の中の“その他大勢”でいられる卒業式というイベントは、少し足が冷える以外は、ただ楽だった。女子の中には泣いていたやつもいたけれど。

一つ気付いたのは、普段賑やかなやつほど卒業式で泣く。ってこと。

感情の起伏が激しいというか。素直というか。子供と言うか。強がっていたつもりはないけれど、泣く女子を冷めた目で見ていた。


 俺は今まで本当の“別れ”というものは経験したことが無かったのかな。と思った。

小学校の時の上級生は中学生になっても先輩だったし、新しい友達は増える一方だった。一緒に遊ぶことが減っても、友達は友達。会いたければ会える。小学校の時、転校していったやつがいたけど、友達は友達。会いたければ会える。そう思っていた。

だから、女子が泣いている意味が分からなかったのだろう。



 終業式、春休み、新学期と、ときまたたく間に過ぎて行った。

三年生になった。

美花みかとは違うクラスになったけど、そのことはどうでもよかった。どうせ教室で授業を受けている間は気にすることはないのだし、意識すると話しかけられないし、何かあればからかわれるし、部活で会えればよかった。一緒にいる時間が欲しいとはあまり思わなかった。


 春休みは部活と釣りとテレビ、時々マンガとゲーム。田舎の中学生なんて学校が長期休みになっても、それくらいしかすることが無いし、それだけやれば十分だった。

休みと言っても平日のほとんどは学校に行った。授業は無いと分かっているのだ。家でゴロゴロしているくらいなら、日曜日でも行きたいくらいだった。


 俺にとっての春休みの事件は一つ。真沙美まさみの家に遊びに行ったことだ。

浩司こうじと一緒に亮太りょうたの家に遊びに行った時、「なにするよ?そうだ。真沙美の家にでも行ってみようぜ。」と亮太が言ったことがきっかけだ。

女子の家に行くのは、俺にとって小学生の時以来だ。


真沙美の家は古い農家で庭も広く、家も大きかった。玄関を入ると土間もあって、通されたのは広い縁側えんがわだった。炬燵こたつがあって涼子りょうこがマンガを読んでいた。

真沙美のお婆ちゃんが、お茶とお菓子を出してくれた。5人で話をしたり、ゲームをやったり、漫画を読んだりして過ごした。


 5人の中では、俺だけ違う小学校だったけど、特に疎外感は無かった。ただ、卒業後、同じ小学校と言えど女子と疎遠になっていた俺にとって、女子の家に普通に遊びに行ける関係というのが気にはなった。



 5月半ば。1か月後に中学生最後の大会を控えている俺達は、部活が中心の生活になっていた。朝連もあるし、夜は7時や8時になることも多かった。


 その日の練習が、そろそろ終わろうという頃。俺達は、体育館の横扉から出た所にあるコンクリートの階段の上に座り込んで休んでいた。

小雨がぱらついていた。俺は体育館の横の外灯に雨粒が反射してきらきら光るのを、見るとはなしに見ていた。

休憩を始めた時は、浩司こうじ亮太りょうた真一しんいち大樹たいき、俺の5人だったが、浩司と真一が抜けて3人になった。


 3人になって少し経つと、「あのよ。寛子ひろこなんだけど。」大樹が話し始めた。

「どした?別れたか?」亮太が真顔で言う。大樹が真剣な表情をしていたからだろう。

「あほ!違うわ!」大樹はちょっと怒って返した。

「日曜日。この前の日曜日、寛子の誕生日だったんだ。」足元を見ながら大樹が言った。

「そか。」「へー。それで、何かあげたの?」

俺も亮太も、寛子の誕生日自体には興味はなかった。その先の何があったのか?大樹が何を言おうとしているか?それが問題だった。


「それで、寛子がうちに来た。」

「誕生日パーティーか?」亮太が返す。

「パーティーとか、そんなのじゃないけど、二人でケーキ食べた。」

顔をあげた大樹の目はどこかに落ちる雨粒を見ているようだった。

「なんかいいじゃん。二人でロマンティックな感じ。」俺はワクワクしながら言った。

「ああ。それで・・・。」大樹は言葉を詰まらせた。

「それで?」亮太が聞いた。

「それで・・・。」大樹がまた足元に視線を落とした。


「キスした。」つぶやくように言った。

俺と亮太は固まった。

一瞬、間が空いたあと、「マジか?」「どんな感じ?」と大樹に詰め寄った。

「いや。ちょ、騒ぐなよ!」顔を赤くした大樹が手を広げて言った。

「それで?それで?」俺と亮太はワクワクが止まらない。


 大樹は、ぼそっと「・・・やわらかかった。」とだけ言うと、突然立ち上がった。

そして「うぉーーーーっ!」と叫びながら、体育館の反対側に向かって走りだした。


 俺と亮太が追いかける。

先に追いついた俺が、体育館の反対側のバスケットゴール下で大樹にヘッドロック。

他の生徒が、何事かとこちらを見たが、あいつら、またはしゃいでやがるな。くらいの感じで、すぐに各々の練習に戻った。

大樹は、俺と亮太に左右を挟まれたまま、よろよろとステージ近くまで歩いていった。


 そして3人で、体育館の壁を背にして尻もちをつくようにして座った。

「それで?」俺が大樹に顔を近づけて聞くと、「いや。それだけだよ。」大樹が答えた。「味は?どんな味がした?」亮太が目を輝かせて聞く。

「味とか分かんねぇよ。唇がさわっただけだ。」下を向いたまま大樹が答えた。

俺はふと、体育館の中に寛子がいるんじゃないかと思って、顔をあげて体育館の中を見たが、バレー部は1時間近く前に練習が終わっていたのを思い出した。

「そっかー。大樹君も大人になったねー。」亮太が茶化す。

結局、大樹からは、“やわらかかった。”という感想しか聞けなかった。

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