第8話  ~バレンタインデー~

 2月

2月のイベントと言えば、バレンタインデーだ。

俺には全然関係ないな。と思いつつ、女子だけ合法的に学校にお菓子を持って来ていい。そんな日があるなんてずるくないか?そんなこと思っていた。

いや、合法じゃないかもしれないけど、暗黙の了解的な何かか?


 学校にお菓子を持って行こうと思ったことはないけど、1年生の時に坂寄さかきと部活を抜け出して、学校の近くの農協でお菓子を買って食べたことがあった。

農協の建物に入ると、農協のおばちゃんが、いや、お婆ちゃんくらいの年齢の店員さんが、「あら。陽一郎よういちろう君いらっしゃい。そっちは志木織しきおりさんとこの次男坊じなんぼうだね。ナツ君だっけ。」と言って迎えてくれた。俺は全然知らない人だったから、このおばちゃん、なんで俺の事を知ってるの?学校にばれたらヤバイかな。と不安になったことを思い出した。


 買ったお菓子を農協の前の駐車場で食べながら、坂寄に「あのおばちゃん、誰?」と聞いたけど、坂寄の答えは「知らん。」だった。坂寄は自分を知られている事は気にかけていない様子だった。

ただ、坂寄を陽一郎君と呼んだことから考えると、俺より坂寄に近い人だろうとは思った。

坂寄と俺は幼馴染で家も近いけど、同級生の中で家が一番近いというだけで、坂寄の家と俺の家の間には何軒も家があるし、田んぼや畑もある。マンガでよくあるような隣の家とかいう話じゃない。あれもやっぱり都会だけの話だ。


 あれ以来、農協には行ってないし、お菓子を学校に持って行ったり、どこかで買おうとか考えたことはない。まぁ買おうにも、お菓子を売っている店は中学校から自転車で15分はかかる。中学校の近くには農協しかなかった。


 俺がバレンタインデーとは何か?という本当の意味を知ったのは、中学生になってからだ。

小学校5年生の時に、チョコレートはもらったことがある。当時30円で売っていたチロルチョコレートだったけど、誰にもらったかは覚えていない。

その時にバレンタインデーという言葉を知ったんじゃなかったかな。

だけどそれは、言葉だけだったようだ。


 そもそも、恋愛に興味を持ち始めたのが、中学校一年生の秋からで、主な情報源は小説とマンガと友人だった。バレンタインデーみたいなイベントについての情報源は主に真沙美まさみだった。


 中学生になって、1年生の時のバレンタインデー。なぜか女子バスケ部の先輩に気に入られて、可愛い弟的な何かという目で見られていた俺は、二人の先輩から、そしてイベント好きの真沙美からと、合計3個のチョコレートをもらった。

先輩からは、市販品の箱をそのまま渡された。もちろん、可愛い弟的な何かの俺に対して恋愛感情はなかった。と思う。


 真沙美は男子バスケ部の同級生全員に配っていた。

真沙美が坂寄の事を好きという事を知った後では、坂寄だけに渡すのが恥ずかしくて、そういう渡し方をしたんだろうな。という想像は付いた。

真沙美は包装紙でくるまれたチョコレートを配っていたけど、あの包装紙、実はカムフラージュで、坂寄だけに違うチョコレートをあげたのかも。


 これまで俺の経験したバレンタインデーはそんな感じで、特に飾り気も本気さも感じられなかった。現実のバレンタインデーは、マンガでよく見るようなきれいにラッピングされた手作りチョコレートや告白。そういった意味のあるイベントとは無関係のものに思えた。


 2月14日、バレンタインデー当日。

朝食の時に流れていた朝のニュース番組で、今日はバレンタインデーと気付いた以外、特に意識することなく過ごした。

放課後、一部の女子が集まってチョコレートを開け始めたのを見て、そか。今日はバレンタインデーだったな。と思い出すくらいには忘れていた。体育館に向かいながら、今年は先輩がいないからチョコレートはもらえないな。と考えていた。真沙美の事はすっかり忘れていた。


 部活が始まると、みんなを集めた本間先生が練習メニューを告げて職員室に帰って行った。

しばらくすると、真沙美まさみ涼子りょうこ美花みかの三人が女子更衣室から出てきた。真沙美はスーパーの白いビニール袋を提げている。その様子を見て、あいつ、買い物帰りのおばちゃんみたいだな。と思った。

男子バスケ部の方に来ると、昨年と同じように、同級生の男子バスケ部員に包装紙でくるまれた箱を配り始めた。一言、二言、言葉を交わしているようだったけど、1人だけ外れて体育館の横扉の前で涼んでいた俺には、何を言っているかまでは聞こえてこなかった。

その様子を見て、あ。そか。真沙美からチョコレートもらえるかも。よし。1個ゲットできたな。と考えていた。坂寄に渡す真沙美を見ていたけど、他のみんなと同じようにただ配っているという感じだった。


「あれ?」

三人の姿を目で追っていた俺は少し違和感を覚えた。真沙美と美花は女子バスケ部のツートップだ。仲もいい。そして、ちょっとおっとりした涼子は真沙美の幼馴染。よく二人でくっついて話している。三人が集まっている事自体はよく見る光景だ。だけど、なんだかんだ賑やかな真沙美に比べて、美花は一歩引いた感じ。それがいつものパターン。そして今はバレンタインデーのチョコレートを配っている。こんな時に美花が付いてくるのは不思議だった。去年は確か、真沙美と涼子の二人で回っていた。


 三人が俺の所に来た。「ナツ君。はいこれ。」真沙美はビニール袋ごと俺に差し出した。俺が最後のようだ。受け取ろうと手を出すと、真沙美が顔を近づけてきた。そして「下の箱は美花からだよ。」とささやいた。

は?俺、ちょっと固まった。そして美花の方を見た。一瞬目が合ったけど、美花はうつむいた。俺が「ありがと。」と言うと、美花は斜め下を向いたまま小さくうなずいた。

「よーし!配り終わったー!」と真沙美が元気な声をあげた。「さ。練習に戻ろ!」と二人を促すと女子バスケ部の方に走って行った。


 俺は受け取ったビニール袋の上から中の箱の厚みを手探りで確認した。上になっている箱の下に少し小さめの箱があった。ビニール袋でくるくるっと周りを覆うと、男子更衣室に向かった。ビニール袋ごとバッグに入れて、練習に戻った。


 帰り道、自転車の前かごに乗せたバッグが気になってしょうがなかったけど、開けずに家まで帰った。はやる気持ちを押さえて自分の部屋に駆け込むと、バッグを開けてビニール袋を取り出し、袋を広げた。中には、包装紙でくるまれた箱と、売られているままのチョコレートの箱。どちらも普段は見ることのないバレンタイン仕様の少し大きめの箱だった。


 真沙美のチョコレートは二日で食べ終わった。美花からもらったチョコレートは、そのまま取ってあった。学校から帰ってくるたびに眺めては、にやにやしていたが、1週間ほど経った頃、いつまでも取ってあってもな。賞味期限だってあるし。と思って箱を開けた。食べようと思って一粒つまむと、食べたら無くなっちゃうんだよな。やっぱりもったいない!という気持ちが出てきて、結局。1日一粒だけ食べることにした。

二週間ほどかけて食べきったあと、箱は分解して平らにしてアルバムに挟んだ。

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