捨てられた狂王


 ハイランス聖教の信徒にとって、聖教騎士団として神のために働くことは至上の名誉とされている。


 一月前、晴れて聖教騎士団の候補として任じられた彼――――ハルエンスもまた、騎士団の一員として法皇からの勅命遂行に当たれることに、この上ない喜びとやりがいを感じていた。つい先ほどまでは。


「はぁ……あんな化け物がいるなんて聞いてないよ……」


 赤く染まった空も間もなく消えようかという夕暮れ時。


 まだ年若い新米騎士のハルエンスは、魔狼と戦った場所からすぐ傍に設営された野営地のテント裏で大きなため息をついていた。


 先ほどまで彼の心を満たしていた使命感はすっかりしぼみ、瞼を閉じれば今もまだあの巨大な狼のどう猛な牙が脳裏に浮かんでくる。

 心臓がきゅっと締め付けられ、想像しただけで呼吸と鼓動が早くなる。


「俺って才能ないのかなぁ……先輩達はみんな立派だったもんなぁ……」


 ハルエンスはそう言って再びため息をつく。しかし実際の所、あの魔狼はハルエンス以外の歴戦の騎士達も即座に撤退を選ぶほどの相手だった。


 あの場に居た騎士達の中で、あの狼と戦える者はいなかった――――


「――――あっ! ルードさんっ!」


 テント裏で一人落ち込んでいたハルエンスは、顔を上げた先に赤髪の青年、ルードの姿をみとめると、気力を取り戻した様子で声を上げ、小走りに駆け寄っていった。


「ルードさんっ! 先ほどは助けて下さりありがとうございました!」


 自身の胸元に腕を添え、聖教騎士団共通の姿勢で礼を取るハルエンス。

 しかしそんなハルエンスを、ルードは虚ろな瞳でじっと見つめていた。


「俺は罪人だ……。礼を言われるような身分ではない」


「それは承知してます。でも、助けて貰ったのは事実ですから……」


 ルードは気のない声でそう言うと、両手に抱えた大量の薪を野営地の裏手へと運んでいく。


「俺もお手伝いましますっ!」


 ハルエンスは、自身に背を向けて去って行こうとするルードにすぐさま声をかけると、半ば強引にルードの持つ大量の薪のいくつかを腕の中に抱えた。

 そうしてルードの隣に並んだハルエンスは、ふんふんと鼻息荒く肩を揺らし、長身のルードの表情を下から覗き込むようにしてうかがった。


「――――なぜ俺に構う」


「それは……ルードさんが凄く強くて、立派だと思ったからですっ。今までも、ルードさんには何度も助けて頂きましたけど、まさかあの狼も簡単に倒してしまうほどだとは思ってなくて……!」


 そう言ってルードを見上げるハルエンスの瞳には、ありありと憧れの色が浮かんでいた。小さな山ほどもある魔物を一太刀の元に切り伏せるルードの強さは、まだ年若いハルエンスにとってまさに神話の英雄を間近で見ているような感動を与えていた。しかし――――。


「お前は……俺に助けて欲しいのか? 俺の隣に居れば死なないとわかり、そうやって俺に取り入ろうとしているのか……?」


「えっ? あ、いえ……! そんなつもりは……」


「ならば、他にどんな理由があるというのだ……? 俺のような罪人にわざわざ近づき、お前になんの益がある……?」


 ルードはまるで理解出来ないというように言うと、足を止めてハルエンスの顔をまっすぐに見据えた。

 その瞳には責めるような色はなかった。むしろその瞳には、ルードの内心に渦巻く不安と疑念の感情がありありと浮かび上がっていた。


「あの……俺……」


 ルードのその瞳に見据えられたハルエンスは、言葉を失って目を逸らした。

 ハルエンス自身にはルードが言ったような、取り入るとかこれからも助けて貰うといった考えはないつもりだった。


 しかし、絶対にないかと言われればそれにも自信がなかった。


「俺は、なにもわかっていない……」


「る、ルードさん……」

 

 しばらくの間まったく動かずに見つめ合っていた二人だったが、やがてルードは諦めたように瞼を閉じると、そのままハルエンスを置いて野営地の奥へと歩いて行く。


 ルードの問いに自らの内心をかき乱されたハルエンスは、そのまま去って行くルードにもう一度声をかけることはできなかった――――。


 ――――思えば、魔狼をたった一人で討伐したルードに他の騎士達は冷淡だった。

 

 誰もルードの身を案じることもせず、声もかけず、近づく者もなかった。

 ルードはただ自らが倒した魔物の血の中で、呆然と立ち尽くしていた。


 ハルエンスは一度、ルードの罪状について団長に尋ねたことがある。

 団長はその問いに顔をしかめ、吐き捨てるようにこう言った。



 主にハイランス聖教そのものや、教団が信仰する神に対して公然と歯向かった者に与えられる、最も重いとされる罪の一つ。


 だが、ハルエンスはルードが犯したというその罪状に驚きつつも、同時に不自然な思いを抱いていた。

 なぜ不敬罪などという重罪を犯した者が、聖教騎士団の勅命に加わり、法皇の任を帯びているのか。ハルエンスには、それがどうしても気になっていた――――。



 ●    ●    ●



 ロエンドール・ルードグラロウスⅣ世は、七つの王国の集合体であるマイラルド連王国の中にあって、主に軍事を司る王の嫡男として生まれた。


 ロエンドールは幼少期から飛び抜けた能力を持っていた。

 体術では剣の師を五歳で打倒し、頭脳においても並ぶ者がなかった。


 だが――――。


「ロエンドールは辺境に送る。あの子供は優秀すぎる。いずれ必ずや、親である余の脅威となるだろう」


 父である先代の王は、そんな優秀すぎるロエンドールの才を恐れ、まだ幼い彼を人里離れた連王国の僻地へと追放した。


 実の母であるはずの后も、王のその決断に異論を挟むことはなかった。

 なぜなら、母もまたロエンドールの強すぎる力を気味悪がり、恐れていたからだ。


「ねぇ……父さまと母さまは、さきにんだよね?」


「ええ、ええ。そうですともロエンドール様。お父様もお母様も、お二人ともこの先でロエンドール様がいらっしゃるのを首を長くしてお待ちしておりますよ……」


「よかったぁ……! はやく父さまと母さまに会いたいなぁ……」


 僅かな護衛を連れ、馬車に揺られる幼いロエンドール。

 小さなロエンドールは目の前に座る年老いた臣下のその言葉に、心の底から安心したように声を弾ませると、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた――――。



 だが――――。


 彼が両親と再会することは――――二度となかった。


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