追伸 からっぽの狂王

奪われた狂王


「我ら決して許されること無し!」


 ――――やめろ。


「この身尽き果てるまで、汝らの恨み消えること無し!」


 ――――やめてくれ。


「僕がこの憎しみヘイトを支えるっ! 皆を守るタンクとして、支えてみせる!」


 嫌だ――――奪わないでくれ。

 余から――――俺からそれを奪わないでくれ!


「――――全挑発オールヘイト!」


「やめろおおおおおおおおおお!」


 かつて狂王と呼ばれ、勇者パーティーと魔王軍――――そして一人の小さなタンクによって討ち果たされた男――――ロエンドール・ルードグラロウスⅣ世。


 彼はその戦いで辛くも命を拾いはしたが、その代償として彼にとって最も大切な物を根こそぎ奪われた。


 彼が奪われたもの――――それは憎悪。


 物心ついた頃から、虚偽と欺瞞に満ちた軽薄な感情のみを与えられ続けたロエンドールは、いつしか他者を傷つけた際に自分へと向けられる憎悪にのみ、人の心の真実を見出すようになっていった。


 


 他者からぶつけられる純粋な憎しみを見る度、ロエンドールの心は安らいだ。

 自分は生きている――――そして、今自分に激しい憎悪をぶつける人間もまた、確かに生きている。その事実は、ロエンドールの心を安堵させた。


 自らの手で他者を傷つけ、嘘偽りの無い憎悪を受ける。

 憎まれることで安らぎ、憎んでくれることに歓喜する。


 成長したロエンドールは、憎悪を通してのみでしか、自分と世界の繋がりを実感することが出来なくなっていた――――。


 だが――――。



 どこまでも広がる緑の草原。

 空は青く澄み渡り、乾いた風が大地の上を駆け抜けていく。


 だが、そんな平穏な景色を打ち崩すように、巨大な黒い影が草原の上に落ちる。

 

「グオオオオオオオッ!」


「ま、まだこんな化け物が残ってたのかよ!?」


「俺たちの役目は偵察だ! 討伐は指示されていない、撤退を許可するッ!」


 比較的身軽な軽鎧に身を包み、ハイランス聖教のシンボルが描かれたマントをたなびかせた一団が草原の上を散り散りに逃げ去っていく。


 彼らの表情はみな必死そのもので、後ろを振り返る余裕も、落とした荷物を拾う余裕もどちらもなかった。

 それもそのはず、彼らの背後からは巨大な――――それこそ小さな山ほどもありそうな程の身の丈を持つ巨大な狼が迫っていた。


 ハイランス聖教の法皇エクスが全世界に発した、から一年の月日が流れた。


 その布告の後、確かに大陸中で凶悪な魔物の被害は激減した。

 だが、だからといって全ての魔物が完全に消えたわけではなかった。


 恐るべき事に、よりによって強大な力を持つ魔物ほど、魔王の力の供給が途絶えた後も自力でその存在を維持し、ひとたび暴れれば甚大な被害を周囲にもたらすようになっていた。


 法皇の話では、それら強大な魔物も時間と共に力を失い、やがては消え去るとされていた。だが、魔物が消えさるまでに出る被害をただ黙って見ていることもできない。


 彼らハイランス聖教直属の聖教騎士団は、そうした現状を憂いた法皇からの勅命を受け、今もこうして大陸中に残る魔物を調査、確認する任を帯びて日夜活動していた。


「――――は、早く逃げ、逃げましょう!」


「……」


 元より危険な任務だが、彼らが今回遭遇した相手は今までの相手とは比較にならなかった。完全に想定を上回る魔狼のその強大さに、もはや彼らは為す術もなく全滅の憂き目に遭うほか無い。


 一団に同行していたまだ年若い騎士が、その焦げ茶色の瞳に涙を浮かべて隣の青年の手を引く。しかし――――。


「――――え!? ちょ、逃げないんですか!?」


「……」


 騎士に掴まれていた腕をなんの感情も見せずに引きはがすと、赤い髪の青年はゆっくりと吼え猛る魔狼に向かって歩みを進めた。

 共に逃げようと声をかけていた騎士は腰を抜かし、もはや動くことも出来ない。


「グオオオオオオオオ!」


「お前は――――俺が憎いか」


 赤髪の青年は目の前の狼を見上げると、全てを諦めたような声で尋ねる。

 しかし魔獣が人語を理解することはない。青年の問いに対して返ってきたのは、恐るべき牙と爪による攻撃だった。


「ああっ!?」


 その光景を見た年若い騎士の悲鳴が草原に響きわたった。

 赤髪の青年に向かって伸ばされた騎士の指先に、鮮血の飛沫が触れた。


「あ……ああ……っ」


 あまりの衝撃に瞼を閉じてしまった騎士が、再び目を開けた時。そこには一太刀の元に魔狼の首を切り落とし、血の海に立つ青年の姿があった。

 

「……俺は、お前を憎んではいなかった」


 青年は、自らが倒した狼の巨大な頭部に手を添えると、何事かを深く考えるようにしてそう呟いた。


「る、ルードさん……?」


 年若い騎士は、腰を抜かしたまま赤髪の青年の名を呼んだ。

 ルードと呼ばれた青年はその声にも何の反応も見せず、ただじっと狼の亡骸を見つめていた。


 このルードと呼ばれた赤髪の青年こそ、ロエンドール・ルードグラロウスⅣ世の、現在の姿だった――――。 



 




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