怯える狂王
魔狼との遭遇から一夜明け、聖教騎士団は草原地帯の周辺に調査を進めた。
魔狼が一体である保証はどこにもない。
あれほどの魔物が潜んでいたとなれば、尚のこと周辺の安全確保は急務だった。
今はルードと呼ばれるようになったロエンドールもまた、騎士団長から与えられた方面の探索を行っていた。
だが今、普段であれば歴戦の騎士が監視もかねて同行するはずの彼の傍にいるのは、まだ見習いのハルエンスだった。
「ルードさん、昨日はすみませんでした!」
魔狼と遭遇した場所から半刻ほど歩いた場所に広がる林の中。
周囲に自分達以外いないことを確認したハルエンスは、ロエンドールに深々と頭を下げながら謝罪した。
「――――なにがだ」
「俺が昨日、ルードさんの力に甘えるような発言をしたことです! あれってつまり、俺一人でもあの狼を倒せるようになれってことですよねっ? 確かにルードさんの言う通りでした。俺はまだまだ未熟で、魔物を倒したこともないような見習いですけどそれでも――――」
昨日の困惑した様子はどこへやら。ハルエンスは再びキラキラと輝く憧れと羨望の眼差しをロエンドールへと向け、彼なりに一晩考えた末の結論を語った。
そんなハルエンスの様子に、今度はロエンドールが困惑する番だった。
ロエンドールは何の返事もしなかったが、ハルエンスはお構いなしとばかりにロエンドールへの憧れと感動。さらには自分の生い立ちから現在に至るまでの境遇まで何一つ隠すこと無く延々と喋り続けた。
――――もちろん、その間も調査は継続していたが。
「っていうわけなんです! ルードさんは本当に凄いです! 尊敬してます!」
「な……なるほど?」
「俺も家から出て白の塔まで着いたはいいんですが、そこからは本当に全然駄目で――――騎士団に入るには試練を受けないといけないんですが、それがなんと本物の剣を使った組み打ちなんです! 俺、その時は剣なんて全然で――――!」
それは、もしハルエンスがこれを先輩騎士達に対してしようものなら、任務中に無駄話をと殴り飛ばされかねないような行為だった。しかしロエンドールは、そんなハルエンスを叱ることも、止めることも出来なかった。
「あ! すみません……俺、また色々勝手に喋っちゃって……」
「いや……構わん」
恐らく、ハルエンスもこの初めての過酷な任務で緊張や気苦労が溜まっていたのだろう。
ひとしきり話してようやく我に返ったハルエンスに、ロエンドールは戸惑いつつも、自分の心の中に不思議な感情がわき上がっていることに気付く。
「……お前は九男ということだが……他の兄弟たちは今どうしているのだ?」
「ええ!? 俺の兄弟ですか!? それはですね――――!」
我知らずロエンドールは、ハルエンスが語った身の上話を一言一句興味深く聞いていた。それどころか、ようやく話が終わったというのにさらに気になった部分を自分から尋ねていくことまでした。
信じられないことだが――――ロエンドールが誰かの身の上話をこうして聞いたのは初めてだった。
いや、正確には初めてではない。
ロエンドールには妻も子もいないが、婚姻の相手として現れた何人かの女性や、彼の傍仕えを行う臣下の身辺情報について聞く機会は何度もあった。
しかし、ロエンドールが今まで見て、聞いて来たそれらの話はその全てが虚飾に塗れていた。
少しでも自分を良く見せよう、大きく見せよう。
清廉であるように、疑われぬように見せよう。
幼少時代に両親に裏切られ、臣下に騙され、腫れ物を触るように育てられたロエンドールにとって、そのような薄っぺらな虚飾を見抜くなど造作も無いことだった。だが――――。
「それで、一番上の兄は親父の手伝いを……次の兄は、サーディランで騎士団長になったって。それで、実は俺の一つ上の兄が一番の出世頭で――――!」
「そうなのか……それは凄いな」
ロエンドールのその洞察をもってしても、ハルエンスの話には一切の虚偽も、虚飾も感じられなかった。
ハルエンスはただ知って欲しい、聞いて欲しいだけだった。
憧れの戦士であるルードに、自分のことを知って欲しい。
ただそれだけだった。
それはともすれば、相手の状況や立場を考えぬ若さ故の身勝手さ故の行為だった。
だが、今のロエンドールにとって、彼の発する言葉を通して見えるハルエンスの感情は、途轍もない興味を抱かせる物だった。
勇者レオスと災厄の魔女フェアに敗れ、アルルンによって自身を構成する憎悪を奪われたロエンドールのからっぽの世界に、静かな風の動きが起こり始めていた。
しかし、その時である。
「ヒヒヒ……探しましたぞ、我が王よ……」
「うえ……っ!?」
「ガザか……今更俺に何の用だ」
ハルエンスの長い長い話が途切れた。
なぜ途切れたのか。それは、ハルエンスの背後から現れた黒づくめの装束に身を包んだ男が、ハルエンスを背後から拘束したからだ。
そしてその瞬間を逃さず、茂みの奥から突如として二人にしわがれた声が届いた。
「貴重なお話に割って入ってしまったこと、どうかお許し下さい……なにぶん、ロエンドール様の周辺が手薄となる時がありませんでしたので……」
(ロエンドール……?)
二人の前に現れたのは、伸び放題の縮れた白髪混じりの長髪を振り乱し、薄汚れたボロを纏った初老の男だった。
彼がルードに発したロエンドールという名前を聞いたハルエンスは、背後から拘束されたまま、戸惑うようにして眉を顰めた。
「ロエンドール様……どうか、どうか後生でございます。連王国にお戻り下さい……連王国には、陛下の御力が必要なのでございます……」
「……まずはその者の拘束を解け。話はそれからだ」
「――――かしこまりました」
初老の男――――ガザと呼ばれたその男は、ハルエンスを拘束していた背後の男に目配せする。するとハルエンスは即座に拘束を解かれ、自由の身となった。
「大丈夫か?」
「る、ルードさん……っ」
「ヒッヒッヒ……騎士よ、陛下の寛大さに感謝するがよい……本来、貴様のような身分の者が近寄れる方ではない……」
「陛下……それにロエンドールって。ルードさん、貴方はまさか……っ?」
自由の身となったハルエンスは、ガザとルードのやりとりから答えを導き出す。
罪状は不敬罪。そしてロエンドールという名。
間違いない。
このルードと呼ばれる男の正体は、かつて連王国を率い、魔の力を用いてハイランス聖教の崩壊を画策したと言われる、ロエンドール・ルードグラロウスⅣ世――――。
「貴方が、ロエンドール王……っ?」
「陛下――既に周囲には我が手の者を配しております。今ならば教団から脱し、連王国まで無事に陛下を送り届けることができます。どうか、どうかこの隙に――!」
「やめろ――――ッ!」
眼前で地を這うように頭を下げて懇願するガザに、ロエンドールは突然切り裂くような声を発した。
「へ、陛下……っ?」
「やめてくれ……頼む……」
ロエンドールは――――震えていた。
ガタガタと、肩と言わず、足と言わず、小刻みに体を震わせ少しでもガザから離れようとした。
子供のように怯え、目に涙を浮かべるその姿からは、魔狼を一太刀の元に切り伏せた際の強さなど微塵も感じられなかった。
「嘘をつくな……! 頼むから、俺に嘘をつくんじゃない……ッ!」
「わ、私は嘘など……っ」
「嘘だッ! また俺を騙そうとしている! あの時だって、父上も母上もいなかったじゃないか!」
「陛下……」
憎悪という、この世でただ一つ信じることができた感情を奪われ、心の拠り所を失ったロエンドール。
今の彼は、病的な程に虚偽を恐れていた。
先ほどまで表面上は穏やかにハルエンスと話せていたのは、ハルエンスの言葉に一切の裏がなかったからだ。
しかし一度虚偽の匂いを感じ取れば、たとえそれが僅かでもロエンドールは錯乱し、まるで両親に捨てられたあの日に戻ったかのような言動を繰り返した。
「やめてくれ……! もう、俺に関わらないでくれ……っ!」
「ルードさん……」
立ちすくむハルエンスの前で、子供のように身を屈めて怯えるロエンドール。
――――これが、今のロエンドールの嘘偽りない本当の姿だった。
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