役目を果たすまめたんっ!



 その声が発せられた瞬間。あらゆる感情と意識が引きずられるような感覚を全ての者が味わった。


 たとえその言葉の対象の外にいたとしても――――その言葉が持つ絶対的な力に、聞いた者全ての魂が否応なく引きつけられる。


「――――なぜ君がここに!?」


 真っ先に動いたのはレオスだった。


 レオスはその視線の先に、自らが断腸の思いで別れた小柄な少年を見つけると、思わずなぜという問いを発していた。


「レオスさんっ! その方は僕が引きつけます。レオスさんは先にルーントレスさん達を!」


「アルルンっ!? 君は――――」


 自身の問いに迷い無く応えたアルルンのまっすぐな青い瞳とその声に、勇者レオスは息を呑んで言葉を失う。


 目の前に現れたこの少年は、本当に自分が追放を言い渡したあの頼りない少年と同一人物なのか。深い優しさと尽きることのない健気さを備えながらも、幼さ故に気ばかりが逸り、自身を省みない無茶をし続けたあの少年と同一人物だというのだろうか?


 今、レオスの前に現れ、しっかりと大地を踏みしめて立つ少年の顔は、全てを守ると決めた紛う事なきタンクのそれだった。

 まだあどけなさの残るアルルンの大きな青い瞳に宿る決意の光は、今もレオスと共に戦う仲間達の瞳に宿る光と全く同じだった――――。


(そうか……アルルン。君は……君は本当に頑張ったんだな……)


 レオスは、アルルンのそのあまりの変化にまずは驚き、言葉を失った。

 しかし彼は仮にも人類救済の勇者とまで呼ばれた男である。驚きも感心も、共に一瞬。レオスはその瞬間に全てを悟り、アルルンを信じた。


「わかった……! 任せたぞ、アルルン・ツインシールド!」


「はいっ!」


 レオスは僅かの逡巡も見せず、即座にアルルンをこの場を預けるに足る戦士として認めた。狂王ロエンドールを残し、一切の魔術を受け付けない銀の兵士を片付けるべく、仲間の元へと飛翔する。そして――――。


「が、ガアアアアアアアアア!? カハァアアアア! なんだこれは……余の内に沸き上がるこの衝動は、貴様に対する抑えがたい憎悪は……!? 貴様……余に何をしたッ!?」


 レオスの暖かで熱い眼差しとは完全に真逆の、血と殺意に塗れた禍々しい眼光がアルルンを射貫いた。


 アルルンの全挑発オールヘイトを受けたロエンドールは、自身の深奥から沸き上がる抑えきれぬ怒りと憎悪に困惑し、驚愕する。


 人としての道徳心が狂っていると言っても、ロエンドールもまた最高峰の戦士である。


 この度を超えた感情の発露が自身の剣を鈍らせ、弱体化させることをすぐさま理解していた。だからこそ、ロエンドールは必死にアルルンに対するヘイトを制御しようと試みる。しかし――――。


「僕はアルルン! アルルン・ツインシールド! ピコリーは返して貰うぞっ!」


「つ、ツインシールドだと……ッ!? その名前、どこかで……グウオオオオアアアアアアッ!?」


 しかし抵抗はそこまでだった。


 かつて神すら恐れ、悪魔すら抗することができないと言われたツインシールドが持つ全挑発オールヘイトの力に、ロエンドールの狂暴な意識が飲み込まれ、砕け散る。


「カアアアアアアッ! 殺すッ! 殺してやるぞ下郎がッ!」


「――――来い! お前の相手は僕だっ!」


「シイイアアアアアア!」


 次の瞬間、ロエンドールは一陣の旋風と化してアルルンへと襲いかかった。

 恐るべき事に、それは法皇エクスや連王国の兵士たちが行ったような力なき攻撃では無かった。

 そのロエンドールの目にもとまらぬ動きは、先ほどレオスと死闘を演じた際に見せた、絶人の剣技だった。


「っ!」


「ガアアアアアア!」


 二枚の盾を力強く掲げたアルルンをロエンドールが軽々と弾き飛ばす。それはまるで、道ばたに転がる小石を蹴り飛ばしたかのような勢いだった。

 あまりにも凄まじい衝撃に、一撃でアルルンの持つ盾に亀裂が入り、縁から中央部分までが大きくへし曲がる。


 ロエンドールは間違いなく全挑発オールヘイトの影響下にあった。しかし覚醒した全挑発オールヘイトを放ったアルルンの精神力を、ロエンドールはギリギリで上回った。


 アルルンへの高まりきった憎悪はそのままに、ロエンドールは今、全身全霊の力でアルルンをこの世から抹消しようと襲いかかっていたのだ。


「死ね! 死ね! 死ねええええええッ!」


「くっ! がっ!」


 ロエンドールの嵐のような剣風が、アルルンを無慈悲に傷つけていく。


 アルルンの小さな体が幸いし、その姿はほとんど二枚の盾で覆い隠すことが出来る。しかしたとえ金属の盾越しだったとしても、アルルンの体には気絶しそうなほどの衝撃が次々と与えられ、必死に盾を持つ小さな手から鮮血が流れ落ちていく。


 ロエンドールの剣がアルルンを貫くのも時間の問題かと思われた。だが――――!


「たあああああああっ!」


「がああッ!?」


 大きく振りかぶったロエンドール渾身の一撃。しかしその大ぶりの隙をアルルンは逃さない。重ねられた盾と盾の隙間から覗く青い瞳がロエンドールを射貫き、全体重を乗せたアルルンの体当たりがロエンドールの腹部に突き刺さる。


「ピコリーをっ! ピコリーを返せっ! 返……せえええええええっ!」


「下郎があああ! この余に逆らうかぁああ!?」


 最早原形も留めぬほどにひしゃげた盾を掲げ、それでもその突撃を止めないアルルン。アルルンの体当たりによって大きく態勢を崩されたロエンドールが、為す術もなく後方へと押しやられていく。


「がああああ! このガキは、俺の腕をッ!?」


「僕の役目はお前を倒すことじゃない! 僕の――僕のやるべきことはっ!」


 その小さな体のどこにそんな力があるのかと思えるほどの、アルルンの限界を超えた力にロエンドールは凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされていく。


 しかもアルルンは、その際に自身の盾の縁を巧みに使い、ロエンドールの利き腕とそこに握られた長剣の可動範囲を奪っていた。これではしがみつくアルルンを剣で刺し殺すことはできない。


 熟練の腕と、どこまでも冷静な洞察力がなければ到底成しえない芸当。

 怒りに震える思考の中で、ロエンドールの心が驚きに満たされる。


 ロエンドールはしがみつくアルルンの背に凄まじい膂力の拳を叩き込むが、アルルンはしっかりと金属の甲冑で身を固めており、おぼつかない足取りでは致命打を与えることができなかった。


 ならばとばかりにロエンドールは、もはや自身のダメージもいとわずに体と腕をきしませて剣を掲げると、不自由な態勢ながらその切っ先をアルルンの体に向ける。だがしかし、アルルンはそれすらも予想してみせた。


「ウゴゴオオオオオ! アルルン、守るううううう!」


「と、トロルだとッ!? 一体どこから沸いて!?」


 瞬間、しがみついたアルルンもろとも巨大な腕がロエンドールを拘束した。その腕の主。それはかつて連王国に奴隷として使役されていた巨人ウゴゴ。


 アルルンがこの最後のタイミングまで胸の中で待機してもらっていた、この旅で出会ったアルルンの友達――――。


「ウゴゴさんっ! あの大きな水晶に向かって僕たちを投げてくださいっ!」


「うおおおおお! 気をつけろよアルルウウウウン!」


「この――――雑魚共がああああああああッ!」


 アルルンの指示を受け、ウゴゴはロエンドールとアルルンを両手でがっしりと掴んだまま、ピコリーへと繋がれた巨大な結晶体めがけて二人を投げ飛ばした。


 ウゴゴの強靱な筋力で放られた二人は、凄まじい加速で結晶体へと激突する。そしてそのまま弾かれた二人は、受け身も取れずに地面へと落下した。


「はぁ……はぁ……っ! まだ……まだだっ!」


 地面へと投げ出されたアルルンが荒い息と共に膝を突いて立ち上がる。

 まだ終わっていない。自分の役目は、まだ果たされていない。

 激突の衝撃で大きく揺れ、その光を明滅させる結晶体を見上げ、アルルンが立つ。

 ウゴゴに投げられたことで、アルルンの視界にすぐ傍で眠り続けるピコリーの姿が映った。


「き……さまあああああッ!」


 ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がったアルルンの前に、狂王ロエンドールが現れる。散々に振り回されはしたが、ロエンドールの肉体にダメージは殆ど無い。たとえダメージがあったとしても、ピコリーの力で即座に治癒されていただろう。


「殺してやる……ッ! 次で確実に殺してやるッ!」


「……やれるものなら、やってみろっ!」


 もはや、二枚あった盾の内一枚は完全に持ち手が外れ何処かへとちぎれ飛んでいた。アルルンは痣と血にまみれた体をそれでも奮い立たせると、残された盾を力強く構え、狂王を見据えた。


 再びロエンドールの攻撃が開始されれば、もはやアルルンに抗する力は無い。


 どんなに虚勢を張ろうとも、アルルンの火力でロエンドールを倒すことはできないのだ。しかし――――。


「よくやった、我が一番弟子よ――――見事なヘイトコントロールだったぞ」


 最後の交錯へと突き進もうとした二人の間に、凍てついた、しかし穏やかな声が響いた――――。



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