襲撃を受けるまめたんっ!


 数日にも及ぶ旅路の果て、アルルンやピコリーを乗せたフェアの移動キャラバンはついに森を抜けた。


 実にサーディランから数えて南に五百キロメートルも下った先。

 湿った空気と夏でも寒さを湛えた大陸北西部は終わりを告げ、明らかに雲の質が変化した青空が、森から出たキャラバンを明るく照らした。


「見てピコリー、遠くに海が見えるよ!」


「はわーっ! とっても綺麗ですーっ」


 青空の下、キャラバンの窓から身を乗り出してその陽の光の下に顔を出すアルルンとピコリー。二人の頬に潮風が当たり、後方へと駆け抜けていく。


「ふむ……このまま行けば明後日には目的の場所に着くであろう。しかし連王国のこともある。念のため外見偽装の魔術でもかけておくか」


「この海のどこかに浮かんでいる島に向かっているんですよね? そこならピコリーも少しは安全に暮らせるんですか?」


 進行方向の先に広がる青い海をみやりながらアルルンがフェアに尋ねた。

 フェアはなにやら複数の枝と籠。そして小さな木彫りの馬を二つ棚から取り出すと、それをテーブルの上に置かれた台座に据えている。


「うむ――――島にいれば魔物が発生しても人里に被害が出る前に潰せるのでな。ピコリーが存在することで発生し続ける大陸中の魔物はどうしようもできんが、そもそも私の力でピコリーの魔力の流出を抑えていなければ、そこらの魔物など比較にならんほどの奴らがビシバシ沸いてくる。人里は避けるにこしたことはない」


「私がフェア様に無理を言ってそうして貰うことにしたんです……今までの魔王の中には、人里で暮らしたがる人もいたらしいんですけど……私は、そういうのには多分耐えられないので……」


「そうだよね……もし僕がピコリーと同じでもそうだったと思う……」


 作業を続けながら説明するフェアに、俯きつつも言葉を発するピコリー。

 ピコリーの言う通り、自分が人里に留まることで周囲の人々が常に危険に晒されるという事実は、人並みの道徳を持っている者であれば到底耐えられる状態ではない。


 当然、ピコリーの故郷には彼女の家族や仲の良い知人。同世代の友人達が大勢居た。

 しかし自身が魔王であることを知ったピコリーは、思い悩みながらもたった一人、フェアと共に孤独な逃避行へと身を投じたのだ。

 アルルンには、ピコリーの辛さを想像することはできても、よくわかるなどとは口が裂けても言えなかった。

 ほぼ同じ時期にたった一人で家を出たアルルンだったが、彼はいつでも会おうと思えば家族に会うことが出来たし、村に戻ることも出来たのだから――――。


「……まだ頼りないと思うけど、僕もピコリーと一緒にいるからねっ」


「アルルン……ありがとう……っ」


 辛そうな表情で俯くピコリーに、アルルンはその大きな瞳を輝かせて励ますような笑みを浮かべるのであった。


「ククッ……島には魔王の協力者もいる。兎にも角にも、まずは何事もなく辿り着けば一段落となろう。さて――――」


 フェアはそんな二人の様子を微笑ましく眺めながら、テーブルの上の台座に規則的に並べられた小枝と籠、そして木彫りの馬に手をかざし、何事かを呟く。


「欺く風。欺瞞の一滴。光を遮り偽りの姿を映し出せ」


「――?」


「ふむ――――これで良かろう」


 それだけするとフェアはかざしていた手をテーブルから退け、何事もなかったようにつかつかと別の窓枠から外を覗いて様子を伺う。


「あのっ。フェア様は一体なにを――――」


「こんな足が生えた家が動き回っているのを見られると面倒なのでな。私の術で周囲からは馬が荷台を引いているように見えるよう細工をしておいた。逆にいえば、そんな物がいるはずのない場所では気をつける必要があるが」


「すごい……フェア様って、本当になんでもできるんですねっ!」


 事も無げに言うフェアに、アルルンは心の底から驚いたとばかりに感嘆の声を漏らした。

 アルルンは勇者パーティーに所属していた際、大賢者と名高いルーントレスの魔術を何度も目にしていた。彼女の力もまた強大かつ想像を絶する物だったが、フェアの行使する魔術は、ルーントレスや他の冒険者達が用いるそれとは根本から違うようにアルルンには感じられた。


「あの……フェア様は、どうして災厄の魔女と呼ばれたりしているんですか? 最初は少し怖い思いもしたけど……でもフェア様は、僕にもピコリーにも凄く良くしてくれているし……」


「クククッ……気になるか? この災厄の魔女フェアの正体が……」


「は、はいっ! 気になりますっ!」


 意を決して尋ねるアルルンに向かい、フェアはどこか品定めするようにしてその鮮血に似た赤い眼差しを向けた。

 アルルンは身を乗り出していた窓枠から室内にぴょこんと飛び跳ねながら舞い戻ると、とてとてと小走りにフェアの元へと駆け寄り、そのくりくりとした大きな瞳で懇願するようにフェアを見上げる。


「フッ――――それほど大した正体ではない。ピコリーにも既に話しているが、私は先ほど話した使だったのだよ。他の仲間と協力して、人間や動物の管理を神から任されていた」


「ええっ!? じゃあ、フェア様は天使様だったんですかっ!?」


「アッハハハハハ! 天使か! その通りだぞアルルン。天使などと最後に呼ばれたのがいつだったか、そんなこともとうに忘れたがな!」


 いよいよと覚悟を決めて尋ねたアルルンに対し、フェアは意外なほどあっさりと自身の正体を明かした。

 そんなアルルンの様子にフェアは大層面白いとばかりに大きな笑い声を上げると、アルルンの柔らかな髪に手を添え、わしゃわしゃと撫で上げた。


「で、でも……なんで天使だったフェア様が魔女なんて呼ばれるようになったんですか? 僕、そこが一番気になってて――――」


「ククッ……常に魔王の傍に仕え、人類の敵である魔王の身を守る。そんなことを数千年も続けていれば、そう呼ばるのも無理はなかろう」


「数千年も……ずっと魔王の傍に……」


 どこか遙か遠い何かを見るようなフェアの瞳に見据えられたアルルンは、その言葉から感じる悠久の年月に呆然と呟く。

 フェアはそんなアルルンを穏やかに見つめ、その後すぐ傍まで来ていたピコリーにも視線を向けた。


「たとえ何千年経とうとも、なにも変わっていない――――いや、むしろより強く、明るく輝くようにすらなった。私がしてきたことは、何一つ無駄ではなかったと自信を持って言えるよ」


「フェア様……? 私たち二人って……私とアルルンに何か……?」


「気にするな、昔の話だ。貴様たちはとうにそんなものに縛られてなどいない。後は――――」


 フェアのその物言いに、どこかひっかかる物を感じたピコリーが不思議そうな表情を浮かべた。フェアはその時初めて少々喋りすぎたとばかりに自嘲気味な笑み湛えると、そこでその話を終えようとした。しかし――――。


「――――魔王と大敵アークエネミーが同じ場所に揃うなんて。そんな風に笑っていられる状況じゃないと思うんだけど――――ねぇ、フェア?」


「――――え!?」


「っ!? 貴様はッ!」


 瞬間、キャラバンの室内だけでなく、辺り一帯全ての色が消えた。

 白と黒、そしてそれらが混ざった灰色の三色に視界が塗り込められ、魔術的な知識を一切持たないアルルンですら、自分が今存在している空間が瞬時に外界と隔てられたことを自覚する。


「久しぶりだねぇ、フェア。リレアから不吉な未来視を聞いたものだから、心配になって会いに来たんだ。まあ、リレアの未来視は今回も見事的中ってところかな――――」


「あ、あの……貴方は一体……?」


 色を失った世界で、ただ一人輝きを保ち続ける男がアルルン達三人の目の前に立った。

 純銀の長い髪をなびかせ、同色の穏やかな瞳を湛えた見目麗しい法衣の青年。

 突然の出来事に驚くアルルンに向け、青年はその銀色の瞳に笑みを浮かべたまま、淡々と――透き通った声で告げた。


「初めまして、アルルン・ツインシールド。私の名前はエクスピアリドレリアス・ハイランス。ハイランス聖教の法皇をしている者だよ。早速で悪いのだけど、私は君を消すためにここまでやって来たんだ――――」


 ハイランス聖教法皇――――エクスピアリドレリアス・ハイランス。

 その出現であった――――。



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