第五章 襲撃はいつも突然に!

神話の勉強をするまめたんっ!


 深い森の中を巨大な影がのしのしと進む。

 生い茂る木々の間から覗くその姿は、波打ち際や岩礁に住む貝殻を背中に乗せた生物を思わせた。

 

 古ぼけた一軒家から、節くれ立った前足と後ろ足、そしてそれを支えるような二本の足が中程から伸びている。

 合計六本もの手足を器用に使いながら、その家はでこぼことした森の中をある時は傾き、ある時は枝葉を押しのけながらずんずんと移動していた――――。


「ふむ……少々面倒なことになったな」


 その一軒家に備えられた丸い窓枠から顔を覗かせ、災厄の魔女フェアが頬杖をついて呟く。

 フェアの座る場所の前には丸い木製の小さなテーブルが置かれており、フェアはそのテーブルから白磁のティーカップを優雅な所作で自身の唇へと運んだ。


「面倒なことって……昨晩の連王国の方達のことですか?」


 そしてそんなフェアから僅かに離れた部屋の中央。正方形のテーブルの上で、なにやら分厚い羊皮紙が束ねられた本を読むアルルンが声を上げた。


「そうだ。貴様も知っているだろうが、この一帯は連王国の領土ではない。そして奴らは偶然この森を探索しにきただけで、ピコリーの魔力を探り当てたわけでもない。この意味がわかるか?」


「えーっと……?」


「自国の領土でもないのに、私を探すために色んな場所に大勢の人を送り込んでいるってことですよね? そんなことしてるのがハイランス聖教にばれたら、大変なことになるんじゃ……」


 フェアの問いに首を傾げて目を泳がせるアルルンに代わり、アルルンと向かい合うようにして椅子に座っていたピコリーが答える。

 ピコリーはアルルンの前に縁取りされた黒い石版を置き、細長いろう石の石筆で丁寧に複雑な図面を書き写していた。


「その通りだピコリー。大陸北西部の諸侯は皆ハイランス聖教の傘下。彼らの領地で大それた動きを見せれば、確実にハイランスの者共に感づかれるであろう。にも関わらずこうして動くということは……そうまででもして魔王の力を欲する理由があるのだろうな」


「あの……実は何度かお聞きしたかったのですが、その魔王の力って、一体なんなんですか?」


 なにやら思案するように外を眺めるフェアに向かい、今度はアルルンが尋ねた。

 今のアルルンは、ピコリーが魔王であるということ以外なにも知らない。


 どうしてピコリーのような普通の――――いや、むしろ人並みよりも心優しく、聡明であるように見える少女が、魔王などという存在になっているのか。アルルンはずっと疑問に思っていた。


「そうだな、いずれ話そうと思っていたが良い機会だ。貴様ら二人の仲も順調に進展しているようだし、説明してやるとするか」


「はわわっ……さてはフェア様、昨日私達がお話ししてるの覗いてましたねっ!?」


「ククッ……良いではないか。いずれはさらに親密になりたいのだろう? あの程度で恥ずかしがっていてどうする」


「うぅ……それは、そうですけどぉ……」


「お二人とも、どうしたんですか?」


 片眉を上げ、お見通しとばかりに笑うフェアに、ピコリーは恥ずかしそうに頬を染めて俯く。アルルンはそんな二人のやりとりを不思議そうに見つめていた。


「まあ良い。 ――――魔王についてだったな」


 フェアは僅かに浮かべていた笑みを消し、再び真剣な眼差しを二人に向けると、さらさらと淀みない口調で話し始める。


「アルルンよ、ハイランス聖教の教えは覚えているか? ――――原初の時。偉大なる神は生きとし生けるもののために空と海と大地を作り給うた。しかし愚かな人々は神の愛を忘れて争い、怠惰になった。神は怒り、その怒りが魔を生んだ――――ぶっちゃけるとこの通りだ」


「ええっ!? そ、そうなんですかっ!? じゃあ、魔王は僕たち人間に神様が怒ったから生まれた……?」


「いいや。私は当時からずっと世界を見ていたが、特に人間が怠惰になったとか、堕落したとか、そういうことはなかったよ。元より人間など様々な奴がいるし、そう作ったのも神だしな。魔王も魔物も、人間が生まれたその時から既に用意されていたものだ」


「そんな……」


「神は人間が怠けたから魔王を作ったのではない。魔王を用意したのだ。この世界が神から与えられた甘美な飴だとしたら、魔王は鞭。魔王もまた、神の深遠なる計画の産物なのだよ」


 フェアの話すその言葉に、目を丸くして言葉を失うアルルン。ハイランス聖教の教えは大陸全土に伝わっている。形を変えて別の宗教となっている地方もあるが、根源となる天地創造の下りは同一だった。

 アルルンも、物心ついた頃から繰り返し聞いたその教えを信じていなかったわけではない。しかし多くの魔物と命を賭けて戦い、こうしてピコリーという魔王の素顔を知った今のアルルンには、それが酷く理不尽な話であるように感じられた。


「じゃあ……ピコリーが魔王として皆から追いかけられたり、殺されそうになってるのも神様がそう決めたからなんですかっ? レオスさんや他の皆さんが傷ついたり、沢山の人が魔物に命を奪われたりしてるのも全部……っ!?」


「そうだ。この世界に生きる全ての生物は、もう何千年もの間そうしてきた。しかし――――実はここ数年で状況は大きく変わりつつある」


 そう言うとフェアは再びティーカップに口を付け、ふうと息をついて憂うように瞳を閉じた。その長く美しい白銀の髪が時折射し込む光によって七色の輝きを放った。


「勇者レオス――――奴はこの数千年で一度たりとも現れることのなかった、だ。こうしてピコリーを連れてあちこち逃げ回っているのも、レオスにピコリーを殺させないためだ」


「れ、レオスさんが? でも、レオスさんなら事情を話せばそんなことは――――」


 不意に出たレオスの名前に、アルルンは慌てるようにして身を乗り出す。だがそんなアルルンの言葉を、フェアはぴしゃりと遮った。


「それは貴様の願望であって事実ではない」


「う……っ」


「アルルンよ、魔王の力というのは途轍もなく厄介なものなのだ。ピコリーが生きているというだけで、こうしている今も世界中で魔物が生まれ続けている」


 淡々と事実を述べるフェアの話に、アルルンの傍に座るピコリーもまた、沈痛な表情で俯いていた。


「ピコリーの命一つを奪うだけで、数千年もの間続いた魔物による悲劇全てを終わらせることができるのだぞ? たとえレオスが貴様の言う通り生粋の善人であったとしても、そんな危険な賭けにピコリーの命を晒すことはできんな」


「フェア様……」


 きっぱりと言い切ったフェアのその言葉に、アルルンは驚きと同時に深く心を揺さぶられていた。なぜなら――――。


「フェア様は、ピコリーのことをとっても大事に思っているんですね。今のお話を聞いて、凄く伝わってきました……っ」


 アルルンは素直に自分が感じた想いを口に出した。フェアが語るその口ぶりには、端々にピコリーへの優しさや心遣いが滲み出ていた。

 アルルンにはそれがとても嬉しく、暖かく感じられたのだ。

 

「そうなんですっ。普段は色々アレなところもあるんですけど、本当のフェア様はとても心優しい立派な方なんですっ!」


「なにやらひっかかる言い方だが……まあ良かろう。とにかく、魔王の力は神の思し召しだ。そう易々と人がどうにかできる力ではない。そしてこの私は特に人間に恨みがあるわけではないが、人間よりもピコリーの方が大事なのでこうして保護している――――というわけだな」


「そうだったんですね……とってもよくわかりましたっ!」


 フェアの話を聞いたアルルンは、元気に返事をして頷いた。

 フェアの言う通り、ピコリーを守るということは魔物による被害の継続を許容するということだ。

 しかしアルルンには、それらの責任をピコリー一人に負わせるのはあまりにも無理があると感じたし、そうだからといってピコリーの命を奪うなどということはもっと許容できなかった。


 ピコリーと初めて会ったときに言った通り、少し時間はかかっても魔王の力をどうにかする方法を一緒になって探してあげよう。

 フェアの話を聞いたアルルンは、その思いをより強くした。


「うぅん……でも神様も、わざわざそんなことしなくても良いのになぁ……って、そうだ! フェア様ほどのお力があれば、一度その神様とお話しして、なんとかしてもらうように頼んだりできないんですか?」


「ほう? なかなか良い点に気付くではないか! 貴様の言う通り、我が力をもってすれば神と直に話すことも可能だ。対面することすら容易いッ!」


「うわー! やっぱり凄いですフェア様っ!」


 魔王についての話が一区切りとなったとき、アルルンが不意に発したその言葉にフェアは笑みを浮かべて反応した。

 アルルンはそれならとばかりに顔を上げ、期待の籠もった眼差しをフェアに向ける。だが――――。


「が……今はもう無理だな。神はもうこの世界にはいない。遙か昔にこの世界に愛想を尽かして何処かへと去って行った。何もかも途中で放り出してな――――」


 そう言うと、フェアは呆れたように両手を広げ、そのままお手上げとばかりに天を仰いでやれやれと溜め息をつくのであった――――。

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