ディザーション

「お父様?」

 僕は首を傾げる。

「娘さんをくださいってご挨拶はした方がいいか?」

 僕がおどけるとあいつもにやりと笑った。

「その必要もなくなる」

〈セキュリティの穴を確認しました。当郵便局の真上です〉

 H.O.L.M.E.S.の声に僕はあいつを睨む。

「内側から手引きしたな?」

「何を言っているのか分からない」

 あいつは両手を広げる。

「君の悪い癖だ。証拠なく、憶測で物を言う」

 その言葉を合図にしたように、周辺に落ちいていたオフィス家具の類がふわりと宙に浮く。本能的に危険を察知した。


「本当はこういう派手なやり口は好きじゃないんだがね」

「奇遇だな。僕も好きじゃない」

「非常に残念だよ。さようなら」

 一斉に飛んでくるオフィス家具。

 柱の陰に隠れた。砕け散る机、椅子、電話。何だか分からない鋭いものが肩をかすめていった。

 家具の嵐の中、あいつが一言つぶやくのが聞こえた。

「L.E.C.T.E.R.。逃走経路を」

〈職員用出入り口に郵便車が二台停まっています。鍵は職員用出入り口横にある警備員室にあります〉

「森の中を走ることになりそうだが問題はないかね?」

〈バイクという選択肢はありますが、外の戦闘に巻き込まれるリスクがあります。ある程度の距離まで車で逃げてから逃走するのが最適解かと〉

「なるほど。L.E.C.T.E.R.。君は実に優秀だね」


 あいつが歩き出すのを気配で感じる。家具の嵐は止まらない。身動きができない。

「H.O.L.M.E.S.」

 僕は眼鏡に話しかける。

「ハリウッド映画は好きか?」

 H.O.L.M.E.S.は優秀だから、僕の婉曲な言い方にもすぐに反応してくれる。

〈映画は好きですが、その真似事はあまりお勧めできません〉

「やるしかないんだ」

 また足元を鋭い何かがかすめていく。

「着地点を予測しろ」

〈腐葉土です。ある程度衝撃は吸収されますが、多少の怪我は覚悟しなければなりません〉


「何か手はないか……」

 と、つぶやいたところで。

 飛んできた消火器が僕の隠れている柱を砕く。あまり長居はできない。

 行くしかないか。多少の怪我を覚悟して。

 僕の決心を察知したのか、H.O.L.M.E.S.が告げる。

〈最善を尽くします〉

 H.O.L.M.E.S.が、そう言ったということは。

 何か出来る限りの手を打ってくれたのだろう。着地点をガイドしてくれるとか、衝撃を最小限に抑える着地の仕方を教えてくれるとか。

 何にせよ、この隠れ場所が持たないという意味でも、あいつを逃がすわけにはいかないという意味でも、時間がない。

 僕は覚悟を決めた。

 嵐の中を走りだす。

 両腕で頭を覆う。駆け抜ける。ハサミやペンが無防備な下半身をかすめていった。とにかく足を動かした。窓が近づく。窓枠。僕は咄嗟につかむ……あいつの残した、ソルティドッグのグラスを。

 窓ガラスを突き破る。体がふわりと浮いて、それから重力に引っ張られていった。


 衝撃。だが思ったより早い。二階から飛び降りたんだ。もっと滞空時間が長く……と思ったら、地面が斜めに動いて、僕は腐葉土の上に放りだされた。ふと顔を上げると、日諸さんがいた。

「M.C.G.U.R.K.が急にここに来て盾を頭上に構えろって……」

「カムイ」の盾を構えている。どうやら飛び降りた僕のことを盾で受け止めてくれたようだ。なるほど、H.O.L.M.E.S.の最善を尽くすっていうのは、こういうことか。

「ほらよ、お土産だ」

 僕は空のグラスを渡す。

「高いやつだぞ」

「縁が汚れてるぞ」

 僕からグラスを受け取った日諸さんがつぶやく。

「塩だ。洗えば使える」

 なんて冗談を言い合っている間に。

 枝や根が飛んでくる。日諸さんが盾で防ぐ。

「郵便局の中で何か分かったのか?」

「主犯と、『カクヨム』に迫る危機について」

 僕は日諸さんの手にあるB.O.N.D.を見つめる。

「B.O.N.D.は何か分析したか?」


「この木は『小説に記述されていたもの』らしいんだ」

 日諸さんは盾で防ぎながら話を続ける。

「この周辺の木は『カクヨム』が用意したものなのかと思ったら、どうやら違うらしい。記述者が分からないからどうやって作ったものかは謎だが、でも確かによく見てみると……」

 僕は日諸さんに示されるままに攻撃をしてくる木を見つめる。周囲と同じ針葉樹だが、背が低い。若木のようだ。

「B.O.N.D.の分析では、この郵便局から半径二メートル以内にある木は全て『小説に記述されていたもの』らしい」

 つまりこの郵便局と一緒で作品の中から引っ張り出されたのか。僕はさっき自分が飛び出してきた郵便局の窓を見上げる。

「加えて分かったことがもうひとつ」

 日諸さんが続ける。

「この木々を使役している本体がいる。どうもあの木のようだ」

 彼が示す先。郵便局の隣。ほとんど建物の角を飲み込むような大きさで。

 タラヨウの木があった。別名郵便局の木。針葉樹の生い茂るこの森の中で唯一の広葉樹。

 風もないのに、その枝がざわざわと揺れると。

 周辺の木の根や枝がこちらに突撃を始める。なるほど、諸悪の根源はあいつのようだ。僕たちの頭上をツバメのような速さで跳び回る一人の影。亜未田さんだ。アクロバットに跳んで回って着地して、ひたすらに木々を切り払っている。


 日諸さんも盾や刃で応戦する。

「さっきから亜未田さんがあの木にアプローチしているんだが一向に……」

 と、言いかけた時。

 郵便局の影から真っ赤な郵便車が現れた。森の均されていない地面に車体をがくがく揺らしながら、勢いよく疾走していく。

 あいつだ。運転席にあいつの姿を確認する。無機質な横顔。全ての事態を静観している横顔。最新型の眼鏡型端末。多分あれのガイドで最短経路で脱出を図るつもりだろう。僕は奥歯を噛み締める。あいつを、追わなければ。

 しかし咄嗟に判断した。僕や日諸さんじゃあれには追い付けない。

「占いくん!」

 頭上を……枝や幹の間を華麗に跳び回る亜未田さんに僕は声を飛ばした。彼の身体能力、速度なら、あるいは。

「あの車を追ってくれ!」

 一瞬で通じ合えたのか、彼は鮮やかに一本の枝に着地すると、すぐに「了解!」と返して忍者のように木々の間を跳んでいった。車の走っていった方向に消えていく。

「さて、僕たちは」

 僕は眼鏡をかけ直す。

「あのお化けツリーをやっつけるか」



 日諸さんにB.O.N.D.を返してもらって、隙を見て飛んでくる枝をぶん殴ってみた。分かったことがいくつか。

〈プログラムが書き換えられています。小説の中の描写とは異なる挙動です〉

 B.O.N.D.の声に僕は応じる。

「つまり作中でも人を殴る木ではなかったというわけだな?」

〈作中では『郵便局の仕事の象徴』として描かれています〉

「その木が何故攻撃してくる?」

〈ウィルスの汚染を確認〉

「ウィルス?」

 僕は空を見上げる。

「あの割れ目から降ってきているやつか?」

〈現在頭上から降ってきているウィルスはサンプルデータがないので分かりませんが、タラヨウの木を汚染しているウィルスに関しては、誰かが植え込んだ可能性が高いです〉

「植え込むとは?」

〈タラヨウの木の幹、地面から三メートルほどの場所に洞があります。この洞は原作にはないものです〉

 木の枝が攻撃してくる。僕は防御の術を持たない。日諸さんが防いでくれる。

「簡潔に述べてくれ!」

 僕はB.O.N.D.に促す。

〈洞は『記述』されたものです。記述者は小川将吾〉

 あいつの名前に唇を噛みしめる。

「小川将吾が作中の木に記述を施すことで洞を作り、その中にウィルスを埋め込んだということだな?」

〈そう推測できます〉

「つまりあの木の洞の中にあるウィルスをどうにかすれば解決できるかもしれない、と?」

〈そう推測できます〉


「何とかしてあの木に近づく必要があるな」

 辺りを見渡す。どうやらここは郵便局の駐輪場のようだ。壁際に数台、スーパーカブが並んでいる。他に見えるものは木。ツツジの植え込み。使えそうなものはない。

「何かすごい必殺技とか持っている奴いないか? 歓迎するぞ」

 H.O.L.M.E.S.、B.O.N.D.、日諸さん、それぞれに向かって発した。すると日諸さんが答えた。

「飯田氏、提案がある」

 飛んでくる枝を「カムイ」の刃で薙ぎ払う。切り落とされた枝が無残にも足元に散っていく。

 攻撃の隙間を縫って、一言。


「ついてこい」


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